第88話 天文23年秋 2


尾張と美濃を合わせた人口は、60万人を超える。

この人口は、甲斐と信濃を合わせた人口の2倍、とは行かないが1.5倍以上は優にある。

現状の良之にとってもっとも渇望しているのは労働力だ。

史上、信長が類い希な拡大を果たした真の原動力。それがこの日本屈指の人口を誇る穀倉地帯の掌握だった。


以前にも触れたが、良之は職業軍人を平時には工兵として道路工事や架橋に用いている。そのため、平時にあっても彼らは無産階級ではない。

むしろ、良之が推し進める近代化にとって最も重要なポジションを担っているといえる。

美濃と尾張でも、3万人規模の職業軍人への希望者が得られた。

この中で良之がもっとも喜んだのは、木曽川衆の仕官だった。


坪内、前野、蜂須賀ら後年羽柴秀吉に仕えることになる木曽川沿いの土豪たちである。

良之に言わせると、金勘定から荒事までこなす彼らは、どこぞの名家出身で威張り腐っているような貴族化した武家よりよほど有能だ。

二条家としては以前、越中から飛騨への物流が危険に陥った時、尾張津島や伊勢長島から美濃経由で下呂へと荷を運び込むプランを実行させて以来のつきあいになる。

川衆と言っても彼らの多くは本貫の地を持っている。

ただの風来坊ではないが、かといってこれまではどの権力にも臣従せず、戦ごとに参戦しては報酬を稼ぐような存在だった。


これまではこの地の権力は全く安定しなかったので、それでビジネスが成り立っていた。

ところがある日突然、気がつくと美濃も尾張も木曽も飛騨も、彼らの商売先は全地域がすっかり二条家になっていた。

さすがに川衆たちは驚き、幸い尾張で指揮を執る良之が在地のうちに、慌ててあいさつに出向いてきた、というわけである。


良之はひとまず、じっくりと彼の領地政策を語って聞かせた。

北越後で失敗した反省から「ただ領地を召し上げるのではない。検地したあと査定を行い、従来通りの上がりと同程度の賃金を金で払う」ということをしっかり語って聞かせることで、無用な反発を防ごうというわけである。

川衆たちも、日に日に高まる二条家の評判をよく知り抜いていた。

全員がこぞって飛騨や富山の見学を希望し、良之は彼らの路銀まで用意して、送り出したのだ。

帰ってきた川衆たちは一家残らず、二条家に仕えることになった。


良之は、川衆たち全員を木下藤吉郎付きとした。

セメント、コンクリート技術によるエキスパートである藤吉郎に彼らを付けたのは、その豊富な知識と実績を買ってのことだ。

つまり、治水事業についてである。

河川水運は、治水や川底の浚渫しゅんせつなどと表裏一体の事業である。

美濃と尾張には、治水面で難問を抱える河川が三筋もある。

木曽川、揖斐川、長良川だ。

いずれも水量が多く、穀倉地帯である濃尾平野を潤して、更には舟運を底支えしてくれる恵みの川は、ひとたび牙をむくと、全ての富や人命を押し流す暴れ者へと豹変するのである。

これらを、藤吉郎の培ったノウハウで治めさせようというのだ。




さらに広階猪之助に命じ、尾張の津島にも冷凍倉庫、冷蔵倉庫を発注する。

良之は、二条領の各本城所在地でのこれら倉庫の建造を指示している。

尾張の場合は那古野城下だが、そのほかに津島にも特に建造を命じたのである。

それらの手配が完了すると、良之は北近江に向かった。


天文23年11月2日(1554年11月26日)。

良之は浅井氏の小谷城を訪れ、当主の浅井久政にあいさつをしている。

先に越前の朝倉氏と円満に外交を終えていたこともあり、朝倉の盟友といえる、あるいは従属的大名家ともいえる浅井氏とも穏やかな面会で終えることが出来た。

翌日京に向け出立。

途中、良之は比叡山延暦寺を訪問し、座主梶井宮応胤法親王と面会している。


11月4日。

良之は禁裏に上がり、この一年の報告を帝に行った。

帝は良之の報告を喜んだ。ことに、伝染病や風土病の治療に注力し、職の無い庶民、親のない孤児などに新しい職を斡旋、そして、口減らしを禁じ、公金で人口増加策を進める良之を大いに嘉した。


「黄門。新たに東国按察使を創設し、任ずる」

帝の言う東国按察使というのは、国司を監督する令外官で、その権限を東国全域に広めた役職である。

帝は当初、鎮狄ちんてき将軍の任命を考慮したが、同時期に征夷大将軍と同等の宣下は例がなく、国家をふたつに割る状況は好ましからず、として代替案として新たな職制を生み出したのである。


良之は、帝に請願して平安京時代の大内裏があった一帯を譲り受け、この土地に二条城を建設することに決めた。

兄の持つ二条邸も広大ではあるが、都の治安維持、禁裏の護衛などの兵を収容し、さらにいざというときの防衛拠点として用いるには手狭すぎる。

三好家の行っている京の防衛体制には良之は大いに不満がある。

その上、容易に細川の侵攻を許し、危うく禁裏まで焼きかねない戦災を生んだのはほんの2年前である。

幸いなことに、二条家の軍備は順調すぎるほど順調である。

この辺で、京と堺の南、船尾の2拠点にM16と81ミリ迫撃砲で武装した常在兵を派遣して、駐屯させる腹づもりを固めたのである。

平時は警察業務を行わせ、有事には帝を護衛させる治安維持軍である。

良之は、朽木谷に亡命している足利義輝――この年2月に義藤から改名――を警戒している。

もはや二度と自力で京への回帰は不可能だろうが、いつ何時帝に牙をむくか分かったものではない。

本来、京は天皇家と公卿によって武力統治されていた。

それがここまで荒れるに至ったのは、ひとえに収入源であった荘園が私掠され、武家の社会になったためである。


帝の勅許を得、良之は早速、町民を転居させ、城郭の造成をはじめさせた。

担当は、京の皮屋の今井宗久に手配させる。

「とにかく、金は惜しみなく使って、急がせて下さい」

足りない人足や大工は、畿内から金にものを言わせてかき集め、資材も堺や石山、それに京北あたりから物量作戦で運び込ませる。


三好家には、あくまで禁裏守護の名目で一条家や九条家を通じて了承させた。

二条家にとっては別段、京の利権には興味がない。


こうして良之は外遊活動を終え、堺に下って武野紹鴎と情報交換をした後、富山御所へと帰還した。

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