天文23年秋

第87話 天文23年秋 1


酷暑の夏が終わり、旧暦9月が訪れた。

収穫期に入り多忙な時期になったため各国司を領国に戻し、この時期を利用して良之は望月千、下間加賀介を連れて外遊に出ることにした。


まずは相模の北条。

武田が二条家に臣従したために宙に浮きかけた甲相駿三国同盟を、良之は大筋で維持しようと考えていた。

そのため、甲斐で武田典厩信繁を帯同させ、相模小田原城に北条相模守氏康を訪ねた。


「相模守殿。お久しぶりです」

「御所様、ご無沙汰いたしておりました。典厩殿もよくぞ参られた」

「相模守様。武田を代表し、こたびの一件、言上つかまつりに参りました」

典厩は、武田が二条家に臣従したいきさつを、率直に氏康に話して聞かせた。


「……なるほど。御所様のご治世はそれほどでござるか」

氏康は表情を一瞬曇らせるが、良之に

「されば、当家も御所様のご治世の見分を願い奉ります」

と申し出た。

「ええ。歓迎しますよ」

良之も快諾した。


北条相模守との平和協定は従前通りで妥結した。

ただし、二条軍の派兵協力については、防衛時のみと条件を付けた。


次いで東海道を西に上り、駿河で今川治部大輔義元と謁見する。

今川家は足利将軍家の連枝である吉良氏のさらに分家であるが、それだけに足利の権威による所が大きい。

当然、日本有数の足利親派だ。

義元は名門意識が大きいが、彼を上手く補佐して、この時期駿河、遠江、三河までを掌握している戦国屈指の大所帯をまとめ上げている人物が居る。

良之とはなかなか縁が折り合わなかった太原崇孚雪斎である。


雪斎は、出自が父方が庵原氏、母方が興津氏というどちらも今川家譜代の重臣であり、その政治的影響力はあるいは、主君の義元より大きい人物である。

義元にとっては、自身が今川の家督を継げたのは全て、雪斎の周旋のおかげであり、ただ恩人と言うだけで無く、人生の師ですらある。


雪斎の政治的影響力は単に駿河に留まらない。

この時代屈指の臨済宗の重鎮としての顔も持ち、以前に触れた通り、東海・近畿に根強い精力基盤を持つ臨済宗妙心寺派の中心的人物として、戦乱に苦しむ妙心寺の三十五世宗主を務めても居る。


この時代において臨済宗は、政治家と軍事家の両面を持つ大名や国人豪族たちに絶大な影響力を持つ。

甲相駿三国同盟という、当時の常識では荒唐無稽なプランが成功した背景には、ひとえに太原雪斎という大人物の功績があればこそである。


良之は、飛騨の明叔慶浚、甲斐の鳳栖玄梁や岐秀元伯、美濃の快川紹喜、沢彦宗恩といった二条家の内政をよく知る僧侶たちに、こぞって二条家の世論形成のため太原雪斎に書簡を送らせている。

彼が今川家における楔であることを知り抜いていたからである。


同門の高僧たちから繰り返し聞かされた噂の主との謁見ということで、雪斎は非常に興奮し、今川家と二条家の会談は終始、成功裏に終わった。

初対面の際には良之は望月千に雪斎を診察させ、加療を施している。

現状で太原雪斎を失うことは、今川にも二条にも悪影響があると考えてのことだった。

「これが音に聞く二条様の魔法治療でございますか……」

老化による肩や膝の痛み、時折感じていた内臓の不具合などが一気に改善して、雪斎は驚き、感嘆の声を上げた。

「御所様、当家にも療養所なるものの建造をお願いしたく」

今川義元は良之に求めた。

「数年の猶予をいただければ。実は、二条領があまりに急に広まってしまい、お医者の数が足りないんです。頑張って育成中ですから」

派遣が出来るようになるまでは、甲斐や尾張、美濃の療養所で受け入れること。回復魔法より修練度の高い錬金術による薬剤師を先行して派遣するので、三河・遠江・駿河に先行して療養所を作ることなどを提案する。

二条家の投薬治療の効果を聞き及んでいた雪斎と義元は、喜んで温泉付き療養所の建設を承諾した。


「今川として、もし将軍家から当家との戦を求められたら、どうなさいますか?」

従来通り、甲相駿三国同盟は形を変え、二条、北条、今川間で持続することが決まった。

だが、足利と親しすぎる今川に対しては、この一点はしっかり確認せねばならない。

良之の問いに、太原雪斎は即刻返答をした。

「ご先代の義晴公とちがい、今代の将軍家とは、さほどの深い誼はございませぬ。当家としては、三国同盟の誼を優先いたすことでしょう」

「もう一つ。俺が尾張に三河への野心を捨てさせたら、今川家は尾張への野心を捨てていただけますか?」

「さて、それは……」

雪斎は言葉を濁した。


実はこの年、尾張では内紛が重ねて起きている。

尾張守護斯波義統よしむねは、傀儡とはいえ尾張守護代織田信友の尾張における権威の象徴だった。

その義統が、近年力を付け続け、嫡男信長が噂の御所様・二条良之の腹心中の腹心として重用されることもあって飛ぶ鳥を落とす勢いになった弾正忠織田家の織田信秀と接近している。

信秀の所領である津島や熱田では、すでに二条領から輸出される豊富な物資が渡来している。

食住環境において、北尾張と南部地方では明らかな格差が生まれている上、二条家からもたらされる富と知識によって、道路や田畑の改革も進んでいる。


織田大和守信友はこうした状況に不満を持ち、織田信秀の暗殺を企てるが、それを事もあろうに斯波義統が信秀に密告してしまったのである。

怒った信友は機会を窺い、義統の嫡男義銀が川狩りのため城兵を率いて出かけた隙に居城の武衛陣屋を急襲する。

斯波家の家臣は寡兵ながらよく戦い、信友の軍に多大な死傷者を出したものの衆寡敵せず、義統は一族と共に自刃して果てた。

川狩りを切り上げた義銀はその足で那古野城の信秀を頼って落ち延びた。

信秀は義銀の逃亡によって主君の仇討ちという大義を得て、清洲城を攻め落とした。

この戦においては、二条家が放出した種子島が実に三千挺も使用されている。

その凄まじい戦果によって、信秀より高位であった織田伊勢守家も臣従し、ここに尾張の覇権は正式に織田尾張守信秀のものとなった。


こうした経緯から、良之の許には信秀からも、尾張を二条に捧げ織田家も臣従するという打診が来ている。

あまりに急速な領地の拡大によって、良之自身の能力をも超えるような負荷が彼だけでなく全家臣団にかかっている。

出来れば尾張の吸収はもう少しゆとりを持って行いたいというのが本音だが、今川の返答次第では、この会談を終え尾張に入った直後に併合する腹づもりで良之はいる。


だが、今川からはついに織田と今川に関する和平の確約は得られなかった。

「それでは仕方ありません。今川殿、雪斎殿。尾張は俺がこれからは支配します」

呆気にとられる今川主従たちにそう宣言して、駿河の滞在を切り上げた。


その後、三河で良之は松平家を訪ねた。

当主は幼君松平竹千代。後の家康であることはさすがの良之でも知っている。

当時の岡崎城は城代として朝比奈備中守泰能が本丸を所有していたため、竹千代とその臣下は二の丸に入っている。

良之主従は朝比奈備中と面会後に、松平主従に面会した。

このとき主君竹千代と共に良之に謁見した松平の家臣は、阿部貞吉、石川清兼、鳥居忠吉といった、初期家康を支えた忠義の三河者達である。


この後、竹千代は駿河に戻され、翌年元服。

今川義元より偏諱を受け、松平次郎三郎元信を名乗るようになる。




良之が尾張に到着したのは、旧暦9月20日過ぎだ。現在の暦に直すとすると、すでに10月上旬に入っている。


二条家から購入した種子島や鉛、そして黒色火薬によって、尾張は一気に統一を見た。

そもそも親信秀派だった国人層に加え、守護代織田家の諸分家も、清洲城の陥落を見て信秀に従っている。

その信秀から「決して逆らうな」と厳命されている二条良之という青年貴族の姿を一目見ようと、尾張中の支配者たちが清洲に集まってきた。


良之が今川の尾張に対する野心を察して尾張を併合しようと決断したように、織田信秀もまた、斯波義銀や彼とつながる足利義藤らの陰険な策謀から尾張を守るため、新たな権威を必要としていた。

だが、言うまでも無く信秀はすでに、国を差しだし二条に仕えた方が、より一層民は幸福に、そして旧支配者たちは豊かになっていることを知り抜いている。


歴史上、どんなに実権を掌握しても織田家が尾張守を名乗らなかったのは、尾張守護斯波家への配慮だっただろう。

だが、斯波武衛家の滅亡と同時に良之は信秀を正式な国司に任命し、尾張守を拝領させている。

完全に足利家の威信を無視したのである。


尾張各地の支配者層を清洲城に集め、良之への臣従が行われた。

すでに根回しの終わっている国人層や親信秀派の織田分家たちは動揺しなかったが、織田伊勢守家、岩倉城主の織田信安はあまりに急激な変化に驚きが隠せずにいた。

「伊勢殿。まずは富山でしばらくお過ごし下さい」

良之はその事情を察し、伊勢守信安を富山御所に招いた。

信安は戸惑ったが、尾張の有力者たちは誰もがそれをあまりにうらやむため、最後は気をよくして富山に旅立っていった。


ところで、尾張が臣従したことによって、織田弾正家の後継問題が持ち上がった。

だが、草に繋ぎをとらせた所、信長は全く弾正家の跡取りに関心を示さず、スムースに織田信勝が後継に据えられた。

良之はあまり信勝に好意を持っていない。だが、彼を信秀の後継の国司に据えねばならない以上、好悪で物事は動かせない。

そこで、信勝自身を二条流に教育し、その能力を見定めることにした。

「弾正殿。貴殿にも富山での国司修行に赴いていただきます」

「……はい」

良之の有無を言わさぬ指示に、信勝は否応なく従わされることとなった。

やがて信勝は、二条家の底力を嫌と言うほど見分させられ、素直で扱いやすい人材へと変わっていく。

そして、長年侮っていた実兄の本当の能力を、まざまざと見せつけられることになる。




良之はひとつきかけて、尾張で大量生産が始まった木綿の自動紡績機を生産し、木綿糸の生産を織田信秀に始めさせた。

また、木綿の種子から綿実油の生産も開始させ、さらに収穫後の枯れ草も粉砕して堆肥化できるよう粉砕器を製造して提供した。

人糞の禁止、堆肥生産、治水工事などは、来春以降に越中の技術者を派遣して行うことになるだろう。

美濃と尾張という大穀倉地帯が得られた事は、甲信地方の厳しい食糧事情にとっては福音といえる。

二条領全体としてみたとき、加賀、越中、美濃、尾張という穀倉地帯を得たことで、米穀生産量の乏しい甲斐、信濃、越後、飛騨を支えることが可能になったのである。

また、気候が温暖な太平洋岸の土地が、木綿やトウモロコシといった新しい普及作物の収穫をもたらしてくれることになるだろう。


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