第72話 天文22年夏 3

言ってしまったからには仕方なく、良之は阿子を呼び出してビタミンC製剤の生産を図った。

現在のビタミンCは、小麦粉やコーンスターチと言った穀物粉から酵素によってグルコース化を行い、さらに化学合成で中間物質化させて、数種の酸やアルカリ、溶媒などを使って工業製品化させている。

古典的製法は、乳酸菌による発酵でグルコースをビタミンCへ変質させていたが、溶媒による抽出などで生産効率は飛躍的に向上している。

阿子とその性質について綿密に打ち合わせた上で、彼女に錬金術の触媒化を進めてもらった。

良之が準備するのは、錠剤を入れるビンである。

正確には、ビンを成型する金型だ。

良之の時代の製ビン工程は、すっかりロボットオートメーション化されていた。

ガラスを溶かして成型する工程より、むしろリサイクルされるビンからゴミやアルミキャップを取り除くような作業の方に人的リソースを使っているような状況だった。

ガラスビン作りの要点は金型作りだ。

溶解させたガラスを吹き竿で中空に膨らませ、その玉を金型にブローで押しつけ成型する。ビンの口にあるねじ山も、このとき成型される。

キャップは、プレス機で加工される。絞り加工という。

円盤形に打ち抜かれた素材を、数回のプレスで徐々にガラスビンのキャップにプレスして整えていくのだ。

最後にキャップの縁を丸め、中にゴム製のパッキンとなる塗装をすれば完成である。


ガラスビンについては、将来多方面で用途が生まれるので、専従の職人をビン、キャップごとに任命した。


ビタミンCと、錬金術で精製したカオリン、炭酸カルシウム、粉糖に少量の砂糖水を霧吹きで拡散して良くこね、木型で作ったタブレット錠に押し込んで固めさせ、それをテーブルで打ち出す。

良之が錬金術で錬成してしまえばあっという間だが、それでは少しも産業として育たないので、阿子に命じて彼女に職人の育成をさせている。

阿子は良之から習った通りに彼女の配下の教授に教え、職人の育成は教授たちが行っていく。

木型に錠剤を詰めて打ち抜くのは、本質的には落雁というお菓子と全く同じ作業である。

そして、工房から上がってきたビンに詰め、完成だ。




ひとまずいくつかの工房も完成して落ち着いたこともあって、良之は鉛筆作りを再開した。

鉛筆の芯が本質的には焼き物、つまり陶器セラミックに近似することは以前に触れた。

炭化ケイ素のケースに、圧縮機で水鉄砲のように押し出された鉛筆の芯を束ねて入れ、1100度という高温で9時間焼く。

焼き上がった芯は、豚ラードの脂肪を母材とした油の中に漬け込まれて焼き鈍しされる。

この脂が芯に染み込むことによって、書き味のなめらかな芯が生まれるのである。

軸木の座繰りはドリルビットで行う。

まず左斜め、右斜めと2回、カッティングソーと呼ばれる丸くて薄い円形のノコギリで▽型に木の腹を刻み、そこに先端の丸いドリルビットで均一に座繰りをする。

ここで登場するのが、酢酸ビニルエマルジョンである。

日本では小学校の図工の時間に教材で使われるため、大変なじみ深い。

木工用ボンドである。


酢酸ビニルエマルジョンは、木炭の副産物である木酢液を分溜して取った酢酸と、同じく木酢液の分溜や原油の精製で得られるエチレンやアルデヒドを化合させ、その後重合反応を経て作ることが出来る。

精製水によってエマルジョン、つまり乳化されたのがポリ酢酸ビニルエマルジョン接着剤となる。


鉛筆の座繰りが完了したら、ここに木工用ボンドをすり流し、芯を乗せて加圧する。

木工用ボンドは加圧されて自然乾燥すると硬化するので、その後に一本ずつ切り分ければ、鉛筆の完成となる。

鉛筆作りは、引退した山方衆の老練な人材を集め依頼した。

鉛筆加工の工程のうち、軸塗装は省略した。

ひとまず鉛筆がいつでも好きなだけ手に入るようになれば良いからだ。

鉛筆削りに関して良之は、鍛冶師と鋳物師に肥後守と呼ばれる小型の折りたたみナイフを量産させることにした。

回転型の鉛筆削りに比べれば、他の用途にも使えて便利な刃物だからだ。


黒鉛の輸入については、五峯がなんとか長沙あたりで輸出できそうな土状黒鉛の鉱山を見つけたようだ。

この黒鉛が高額なため、良之の鉛筆はこの時点では、一本が大変高額になるが、いずれ回収できるようになると良之は思っている。


釘にしろ木工用ボンドにしろ、良之は越中・飛騨・木曽という一大木工生産地域を支配しているために需要が高かった。

特に木工用ボンドは木工工芸を変革させるほどの効果をもたらし、釘は家屋建築の効率と、箱や机、椅子などの組工芸品のクオリティを押し上げた。

さらに、船大工にとっても釘はエポックメイキングなツールになった。

ただし、船大工にとって釘の問題は打ち付けると木材が割れる事である。

良之は釘の寸法にあった錐を鍛冶師に作らせることで対応した。


前年に集めさせた木蝋を高額商品化させるため、越中の各村の長老たちを集め、冬の手仕事としてろうそく作りを普及させることにした。

和ろうそくの作り方はとてもシンプルだ。

易者が占いに使う棒、筮竹ぜいちくに似た一定の太さの竹棒に和紙を紙縒こより状に巻き付ける。

そこに、畳に使うイグサの茎の皮をむいて芯を取りだし、複数本を丁寧に巻き付けていく。

巻き終わったら真綿の繊維を薄く取りだし、巻いたイグサがほどけないようにかぶせてろうそくの芯が出来上がる。

ここに、ハゼの実から絞った木蝋をしっかりと染み込ませ、丹念に何度も蝋を潜らせて太らせていく。

最後に白い蝋を手で回しながらなすりつけることで、美しさと白さを出して完成である。

イグサは天然に自生しているものを収穫させる。

足りなければ越後の蒲原の湿地から輸入してもいいだろう。

和紙は越中も飛騨も産地であり、綿は前年種を取るために育成したものが大量に残っているし、今年は尾張で生産している。

冬の厳しい時期にろうそく作りを伝承してもらうことで、収益性を向上させたいと言うのが良之の考えだった。


和ろうそくは非常に高価で、神事や仏事に用いられるが一般の庶民には手が出ない。

そこで、石油パラフィンから洋ろうそくも作らせて、普及品として提供することにした。

洋ろうそくの場合、芯はこよった木綿だ。

ろうそく金型に開けた糸通し穴より少しだけ小さくこよらせ、糸巻きに巻かせる。

ろうそく金型は、引き抜けばろうそくの形になるように座繰りが為されていて、ここに木綿芯を通して溶かしたパラフィンを流し入れる。

固まったらろうそくの底を断裁すればろうそくのできあがりである。


洋ろうそくは庶民の手に届くような価格設定にして流通させた。

高額な行灯あんどん油と充分競合できる価格にする事で、領内には一気に普及した。




堺南東の信太で良之に依頼された畜産に従事している河原衆と、近辺の百姓との対立が起きている、と皮屋から連絡が入った。

悪臭、騒音や水利などの理由のようだ。

激しく根深い差別意識も手伝って、あまり状況は芳しくないようだ。

良之は、家畜全頭と河原衆全員の越中への移転を決意した。


豚と鶏は五峯に依頼しジャンク船で下関を回って岩瀬港へ。

仔牛も同様に船便で。馬と成牛は陸路で越中に入るように指示をした。

彼らのために、神通川流域の猿倉山一帯の土地を用意し、畜舎、家屋、作業小屋、蔵などを敷設させて用意した。


良之には、彼ら河原衆に対する差別と偏見が全く理解出来なかった。

確かに彼らの作業は、悪臭を伴う。

だが、畜産にしろ屠殺にしろ、食肉や皮革や製灰や肥料生産など、どれを取ってもこの世界に必要な技術だし、素晴らしい産業だった。

良之は美味しい肉や卵が食べたいし、革製品の貴重さは、この時代にあっては良之がいた平成の世よりよほど高いのである。


良之は自分自身で迎えに出たかったがどうにも産業促進のことで身動きが取れない。

そこで、下間源十郎に配下100ほどを引き連れさせ、彼らの道中を保護させることとした。

「源十郎。構わないから二条の旗を掲げて歩きなさい。あと、河原衆には人数分、こっちから古着を買っていって提供してやって」

良之の命で、食糧、古着、家畜用の飼い葉などを多量に抱え、源十郎の一行は彼らが来るであろう道筋を逆行していった。




良之の時代の造幣局の技術である材料の真鍮冶金、プレス加工、モーターによる円周の圧縮成型といった技術は、ここまでの良之の工場建設によって全て実現していた。

いよいよ、良之は懸案だった自動鋳銭工場の作成に取りかかる。


富山御所から神通川を超えて西。呉服山と呼ばれる標高100メートルにも満たない旧領地の北側に、北代と呼ばれる集落がある。

この集落のさらに北側を整地させ、およそ500平米の区画を整地させた。

この整地には、織田上総介を任じた。

さらに、周囲には土居を築き、堀を巡らせる。

そこに、造幣工場を木造で建築させた。

床はコンクリート打ちにして、重量物であるプレス機に耐える設計を施している。


工場の建屋は木造だが、屋根は銅葺きにさせて工期を短縮。

上物が完成すると同時に良之は内部ラインを建造しはじめた。


まず、プレスのために真鍮板を作る必要がある。

ここは造幣工場の隣に別棟で建造させた。

素材である銅と亜鉛を電気溶鉱炉で加熱し、湯にする。

その湯をローラーによって熱間圧延し、およそ1.3ミリほどにして巻き取る。


巻かれた真鍮板を造幣建屋に搬入すると、再びローラーで曲がりを取り除く。

これを、プレス機によって円形えんぎょうに打ち抜く。

次に、円形を高速で回転させて硬貨の縁を作る。固い、筒型にくりぬいた金型の中に一本の軸を高速で回転させ、そこに円形を流し入れると、円形は軸と金型の間でぐるぐると回転しながら徐々に縁が盛り上がっていく。

この工程が終わったら、自動でプレス金型ひとつあたり1枚が乗るように円形を滑らせて流し、全ての金型に円形がはまったところでプレスする。これを圧印と呼ぶ。

圧印は三度同じ金型で徐々に加圧されて行うが、このとき、四角い穴を開ける部分がもっとも難易度の高い工程だった。

試行錯誤を繰り返しつつ、やっと圧印機も作り上げた。

圧印の終わった通貨は、酸で洗われ、水洗して中和し乾燥。

そこで、検品と1000枚ごとにヒモを通され一貫にされる。

この工場の製作に、およそ一月半を費やしたのだった。


生産能力現状およそ一分あたり500枚。

動力に必要な電力は専用重油ボイラー式の火力発電。それも、電気溶鉱炉と工場の電力を別系統にした。


この工場の完成に合わせ、飛騨の鋳造による鋳銭司は解散。

鋳物師たちは良之が次々に開発する新事業に割り振られていった。

そして、この工場で働く労働力は、主に専業兵士の家族が優先的に割り当てられた。

生産人口を奪わないための配慮である。


この工場の建設中に、ルイス・デ・アルメイダがビタミン剤を引き取りにやってきた。

良之はアルメイダに約束通り薬を提供し、

「1日一錠服用させて下さい」

と、使用法を伝えた。

アルメイダの話では、この薬を一隻の船で試し、その効果を見ると言うことだった。

ちなみに、アルメイダはこの薬ビンにも激しく興奮していた。

「是非工場を見せてくれ」

とアルメイダはせがんだが、良之は取り合わなかった。

そんな暇も義理もないし、そもそもこのビンはいわばサービスなのである。



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