北陸大乱
第73話 北陸大乱 1
堺の皮屋の了承を得て、良之は、東北と越後の分銅司を越後屋に任命した。
同時に、関東は虎屋、東海は伊藤屋、北陸は塩屋、近畿、中国、四国は皮屋、九州は神屋に分銅司を任せることとした。
実際問題、すでに大きくキャパシティを逸脱していた皮屋にとっても、これは渡りに船だったようだ。
また、広階美作守親方に命じ、分銅の校正が出来る職人の育成を開始させた。
彼らは、全国の分銅購入者の店舗を回り、分銅の校正作業をして手数料を取る。
このため、分銅購入店のデータ管理も、分銅司の大切な仕事となる。
運営開始後、1日18万枚の天文通宝生産に至るまでの日数はそうかかっていない。
大量生産が始まったこの新通貨を流通させるため、良之は日本全土の商人たちに、鐚銭と天文通宝の両替を申し出た。
新銭1に鐚銭5の率で、どれほどの量の鐚銭でも引き取る。
それらを分銅司に代行させ、彼らにも1割程度の手数料を支払うこととした。
分銅司自らが持ち寄った鐚銭にも当然この手数料を支払ったので、彼らは積極的に鐚銭を収集した。
回収された鐚銭は、新たに造幣工場横に建造した電気炉で鋳つぶし、乾式精錬で材質ごとに分離後、電解精錬などにかけられた。
一種のリサイクル施設といえる。
旧暦九月下旬。
船便による鶏や豚の輸送、それに、幼い子供や年寄りなどが五峯の手配した船で続々と岩瀬港に上陸した。遅れて、下間源十郎に率いられて、牛馬を連れた一団が、越中猿倉の郷に入った。
すでにこの地の農民は収穫を済ませ、来年に向けて別の農地に移住させられている。
良之が畿内から集めた河原衆は総勢で6000名ほどだろう。
多くは和泉からだが、河内や京からも希望者を引き抜いている。
彼らはまず、自分たちに用意された施設の立派さに驚いた。
そして
「今後は河原者では無く、猿倉衆と呼ぶ。そのつもりで励むように」
という良之の書状に感動した。
彼らはもちろん、常に良之が自分たちに隔意無く接していたことに気づいていたし、常の公卿と違い、全く「穢れ」ということに頓着していないことも知っていた。
新たな猿倉衆たちは、皆一斉に奮い立って働いた。
様々な加工工場を作れたことで一段落していた良之は、犂の事を調べていた。
犂。
唐鋤や牛鍬と呼ばれる農具である。
良之が南蛮商人から買い付けている作物には、多くの場合連作障害がある。
もちろん、現有の内国産作物にも連作障害のある品種は多い。
農民は長年の経験によってそれらとつきあってきているが、もっと効率の良い犂が作れれば、オフシーズンの土起こしや春先の田起こしなどで、化学肥料の施肥の効率と併せて、良好な田畑の運営が出来ると思っていた。
農機具と言えば、
良之はかつて、手回し式の自動選別機の原型を見たことがある。
手で円筒形の風車を回し、籾を飛ばして比重で選別する農具である。
実の詰まった籾は手前に落下し、未熟米やゴミはより遠くまで飛ぶ。
これを利用して、籾の自動選別を行う農具だった。
鉄の利用量も大幅に増えている。
永久磁石で海岸や河川の砂鉄を拾わせ、たたら製鉄などで鉄の原料を生産したいと思っていたし、飛騨に戻って、神岡や平金の鉱山、白川付近の各金山などの改善なども行いたい。
やりたいことは無数にあり、とにかく身体と時間が足りない状態に焦燥していた。
そこに、そうした一切を不可能にする状況が発生した。
天文22年10月2日。
この日の工場視察から帰った良之を、各地の司令官たち全員を集めた織田上総介が出迎えた。
「御所様。お疲れのところ済みませんが、危急の軍議がございます」
「分かった」
良之はひとまず奥で着替えを済ませ、衆議の間に降りた。
木曽の柴田権六や下呂の丹羽五郎左までわざわざ越中まで来ている。
良之はすぐに、能登や加賀、それに砺波の事だと分かった。
「御所様、まずは服部から報告があります」
上総介が言うと、服部半蔵が頭を下げ、口火を切った。
「能登の畠山が加賀、砺波の一向宗の門徒を扇動し、三者が一斉に婦負郡へと侵攻する構えを見せております」
婦負郡というのは、良之が支配した富山を含む一帯の事だ。
放生津などの一帯は射水郡。
「射水にはすでに、畠山の斥候が出没しているようです」
半蔵の報告にうなずいて、千賀地を見る。
「飛騨の白川も、加賀より斥候と覚しき者どもが入り込んでおります」
千賀地石見守も良之の意を理解して報告する。
「上総介殿。飛騨の備えはどのくらい必要ですか?」
「そうですな。兵3000。鉄砲1500、迫撃砲20門といったところでしょうか?」
信長の言葉に、司令官たちも皆うなずいた。
「じゃあ残りの兵9000、鉄砲8500、迫撃砲80を二分して、一方を放生津、もう一方を増山城に入れて下さい」
「御意に」
上総介はうなずいた。
「俺の直轄は滝川、望月三郎、千、下間、鈴木孫一。それに、藤吉郎と小一郎を越後から呼び寄せます。残りのものは、全て上総介殿の指図とします。いいですか?」
一同を見渡すと、全員、
「御意」
と頭を下げた。
「彦は放生津へ、源十郎は増山へ、それぞれ迫撃砲40ずつで進軍して下さい。攻撃の指示は俺か上総殿が出します。孫一殿は白川へ。指揮は丹羽殿が執ります」
「はっ」
3人はうなずいた。
「三郎は全軍の情報統括。それと草から上がる情報を俺と上総殿に上げる繋ぎです。飛騨、越中の旧支配者たちには、各地の警察を指揮させ、物取りや野盗に備えさせて下さい。決して百姓たちに落ち武者狩りなどをさせないよう取り急ぎ厳命して下さい」
「ははっ」
三郎が平伏する。
「上総殿。こたびの戦も、敵の首など必要ありません、討ち取ってもうち捨てておきなさい。そして、略奪放火など一切を禁じます。徹底させて下さい。従わないものは磔にでもして下さい」
「承知」
織田上総介は、良之の指示が終わると一同に向き直り、軍令を発した。
「では陣構えを決める。五郎左」
「はっ」
「白川の萩町にて大将を命じる。川尻、千賀地、前田は副将とする」
「はっ」
「権六」
「はっ」
「増山を任す。服部、池田、江馬を副将とする」
「はっ」
「他はわしと放生津じゃ。こたびは全軍を動員する。木曽、下呂の軍は急ぎ白川へ入れよ。向牧戸のみは動かさず越前に備えよ。平湯と富山の兵は、それぞれ増山、放生津へ動かせ」
「ははっ」
上総介信長の命令によって、即、三郎が草を飛ばして全軍を動かした。
上総介の陣には、副将として小笠原信濃、村上左少将が付いている。
他に、馬回りとして塙、伊藤、生駒、佐々などが加わっている。
良之は、すでに産み月に入った越後殿を見舞った。
「悔しいねえ、もうちょっと待ってくれたら、あたしも戦に出られたのに」
「冗談じゃ無いよ、赤ん坊連れで戦われちゃさ」
良之は、お虎ならやりかねないと苦笑した。
「アイリもフリーデも、とにかく大事にしてよ? 富山を3人に任せるから。行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
3人は努めて不安を顔に出さず、明るく良之を送り出した。
藤吉郎と小一郎は、慌てて越中に引き返した。
「塩屋殿に飛騨の兵站を任せてるから、2人は越中の兵站を頼むね。小一郎は増山を、藤吉郎は放生津を頼みます」
「承知しました」
「わしもでごぜえますか」
小一郎はいきなりの大任に驚いた。
「小一郎には、塩屋の番頭を付けるから大丈夫。しっかり学びなさい」
良之はそう励まし、2人を送り出した。
良之はそのまま、増山城へ向かった。
下間源十郎に逢うためである。
「源十郎、門徒と相争わせることになった。申し訳ない」
良之は、呼び出されてきた源十郎に頭を下げた。
「なにをなさいます御所様!」
慌てて源十郎は良之の両手を取って、頭を上げさせた。
「とんでもないことにございます。この源十郎、先の使いの折、石山の宗主様よりも言付かってございます。御所様に弓を向けるはすでに、我らが同朋にあらず。その時より我ら浄土真宗は彼の者どもを破門とし、存分に討ち果たす所存にございます」
「そうか……ありがとう。源三郎。俺もお前にと法主殿から預かってるものがある。受け取ってくれ」
良之は<収納>から、本願寺証如御筆の幟を取り出した。
それは見事な幟だった。真っ白な絹地に
「南無阿弥陀仏」
と墨筆されたものだった。
「もう一流あるんだ」
良之はもうひとつの幟を出した。
「王法為本 仁義為先」
と、やはり黒々と墨書されている。手が違う。
「こっちはね、蓮淳法眼殿がよこして下さったんだ」
この幟を見て、源十郎ははっきり気がついた。
これは、先方からもらったものではあるまい。
御所様が、自分のためだけに、宗主様と法眼様に頼んで作らせたに違いない。
宗主証如なら自発的にあるいはこうして幟も下さるかも知れない。
だが、蓮淳はそういう人物では無い。
怖い、恐ろしい人だった。
御所様のためならともかく、自分程度のもののために、こんな幟に揮毫なぞするはずが無かった。
「御所様、お願いがございます」
「うん」
「この幟、錬金術で複製して頂けませぬか? 御手のものはそのまま<収納>でお預かり頂き、復製を用いとうございます」
「分かった」
風雨に晒したくないのだろう、と良之は思い、言われたままに良之は復製を作った。
王法為本、仁義為先。
本来仏教では、王法と仏法は並び立つものと言う思想がある。
一向一揆や法華一揆などはこうした思想から権威を得ている。
国家を運営する人間たちと同等の権利と資格を我々は持っている。
それが仏法だという思想によってこれを大義名分として、宗教一揆は導かれている。
対して、蓮如が説いたのが、王法為本である。
王法を
王法というのは、突き詰めて言えば人間社会のルールのことだ。
王、つまり現世の支配者の定めた法という意味である。
対して、仏法というのは宗教的理念のことといえる。
仏が導く法、という意味になる。
「王法は額にあてよ、仏法は内心に深く蓄えよ」
とも蓮如は説いた。
現世においては世情のルールを押し戴き、心の平安のため内心で仏法を抱いて生きろ、というほどの意味だろうか。
少なくとも蓮如の思想は、一揆衆の掲げる
「
などという思想とは、全く異質である。
この穢れた現世を離れ、仏の浄土に行きたい。
などという理論をすり替え、
「仏のために討ち死にしたら、魂は極楽で幸福に過ごせるのだ」
というまるで集団催眠のような扇動に変わり、一揆というテロを正当化しているのに過ぎないのである。
一向一揆が精強なのは、ひとえにこの兵士1人1人の心根による。
他の兵が、支配や出世や略奪といった損得勘定で動いているのに対し、宗教一揆は、上部は知らないが、少なくとも末端の細胞は、こうした心理誘導で動いているのである。
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