第71話 天文22年夏 2
甲斐の武田は、越中の新製品であるマッチや石鹸、そして塩なども欲していた。
輸出するのは構わないが、その流通経路が問題になる。
良之は、越中に入っていた越後古志長尾家の当主、長尾十郎景信と武田刑部信廉を対面させた。
越後と甲斐・信濃を経済的に結びつかせ、経済で対立関係を融和させようと考えたのである。
どちらにせよ、越中から産物を送るための経路は、高山から木曽への木曽道だけでは脆弱だった。
もし産物を送ろうと考えた場合、その経路は富山港から直江津に船便で運び、直江津から陸路で信州に運び入れるしか無い。
「これが実現すれば武田は物資を、長尾は人件費と通行税を得られます。それだけで無く、交流が生まれれば、両家の対立もやがては緩むでしょう。双方、良く考えて下さい」
と、この2人の重臣に議題を持ち帰らせ、検討させることにしたのだった。
新たに建造せねばならないタンカー船のため、良之は溶接技術を開発しなければならなかった。
原油を運ぶためのタンカーなので、油槽の堅牢性と密閉性が要求される。
この時代にはすでに、鋳掛けと呼ばれる溶接技術が存在する。
鉄と鉄の間に、熔解させた金属を流し込むことで、金属間を密着させる技術である。
この技術は古い。
少なくとも奈良の大仏などは接合部に鋳掛けが使われている。
奈良の大仏は西暦752年の開眼なので、少なくともすでに800年もの歴史があるといえる。
スポット溶接やアーク溶接といった電気溶接が利用出来るようになればいずれ、堅牢な溶接も可能になるだろう。そのためには大規模な発電、変電、送電と言った難問が横たわっている。
良之は、五枚の正方形の鉄板を鋳掛けで溶接し、その中に水を張らせて漏れの無い鋳掛けが出来るように鋳物師たちに修行をさせた。
親方衆には、石油タンカーの構造を熟知させ、その用途を説明し、船内に油槽を作るための訓練を監督させた。
また、材木組みのドライドッグを作らせて、木製のクレーンを用意させた。
滑車こそ鋳鉄で作らせたが、これによって船内の油槽製作作業の効率を上げたのである。
製釘用に作った鋼線製造ラインをもう一基製造し、ここでワイヤー用鋼材を生産し、クレーン用ワイヤーの製作を開始した。
そして、良之はこの頃には、水車による既存の銅圧延工法による銅線の供給力に限界を感じ、純銅による銅電線の圧延工場も建設をはじめている。
メカニズムは、釘やワイヤーを作る圧延とほぼ同じである。
多忙のため良之が面倒を見られなかったジャガイモの収穫が終わり、蔵の中で唸っていた。
一部はすでに種芋として輸出され越中、美濃、尾張あたりで秋植えがはじまっているようだ。
「ポテトチップスを作ろう」
良之は久々に台所に入ると、スライサーとピラーを作りジャガイモを下ごしらえし、食用に精製した菜種油を加熱し、次々と揚げては塩を振った。
「これはうまいねえ」
「美味しいです」
妊婦の側室たちと正妻の普光女王たちは、はじめはおっかなびっくりだったが、おずおずと山積みされたポテトチップスを食べ始めたが、その風味に魅了されてあっという間に食べ尽くしてしまった。
作り方を台所を監督する藤吉郎の姉、智に教え、越中の幹部たちにも振る舞ってみた。
おおむねポテトチップスは好評だったが、特に新しい物好きの織田上総介は大喜びだった。
次いで、飛騨や木曽の幹部たち、それに越後で頑張る藤吉郎や小一郎にも届けられた。
次に良之が挑戦したのは煮っ転がしである。
<収納>にストックしていた貴重な豚のバラ肉を塩抜きし、芋と出汁を炊いてこんにゃくや長ネギなどと砂糖・醤油で甘辛く炊いた。
これも智に良く作り方を教えて大量に作らせた。
獣肉が入っていることで普光女王にはひどく嫌がられたが、
「健康に良い」「子供を強く産める」
などとあまりに良之が力説するので
「……」
奥の女性陣は言葉も無く、黙々と食べ続けた。
「智に作り方教えてあるから、またいつでも食べられるよ」
良之の言葉に、女性陣の目が輝いたのは言うまでも無い。
ところで、煮っ転がしを作った際に良之は、この時代に日本にタマネギがない事に気がついた。
タマネギはピラミッド建造時代のエジプトにもあったとどこかで聞いたことがあったので、早速トーレスと五峯に南蛮人からの買い付けリストに加えてもらった。
種の買い付けと言えば、6月頃に平戸に入荷した良之発注のトマト、トウモロコシ、甜菜の種が良之のもとに届いた。
どれもすでに種まきには遅れてしまっているため、このシーズンでの育成をあきらめるしか無いだろう。
平戸の宣教師コスメ・デ・トーレスからの紹介状を持って、1人の冒険商人が岩瀬港にやってきたのは、旧暦8月2日(1553年9月9日)の事だった。
名前を、ルイス・デ・アルメイダという。
アルメイダは、良之が提供する大量の宝石や顔料に魅了されてこの地にやってきた。
「御所様、お目にかかれて光栄です。私はルイス・デ・アルメイダと言います」
間に明国人の通訳が入り、それを日本人の通訳が訳す。
面倒になって良之は直接トーレスに、
「俺の言葉は分かりますか?」
と話しかけた。
「御所様はどちらでポルトガル語を?」
アルメイダは驚いて通訳たちを下がらせた。
「話せば長いんで。それより、南蛮人がいきなり直接岩瀬まで来るとは珍しい。どういった御用です?」
「いえ、実はあまりにも素晴らしい産物を次々に販売なさって居られる貴人がいらっしゃるという事で、お目にかからねばと飛んで参りました」
そう言うと、アルメイダは貢ぎ物として、金細工のネックレス、象牙のブレスレット、地球儀、望遠鏡などを良之に献じた。
良之は代わりに、分銅、石鹸、そしてマッチをアルメイダに試供品として提供し、富山御所の酒席で応接した。
翌日、誰から聞きつけたのか、アルメイダは療養所に関心を燃やして、
「私は故郷で外科医の称号を得ております。是非お国の医療を拝見させて下さい」
とねだった。
そこで、良之が自ら富山城下の療養所に案内をした。
「ここは、どういった療養所ですか?」
「結核、痘瘡、それに癩病の治療施設です」
「……」
アルメイダの知識では、どれも難治の病気である。
「治療とおっしゃいましたが、治せるのですか?」
「ええ。今のところ療養者は半年から一年ほどで完治して退院しています」
「完治!」
アルメイダはしばし呆然として、
「完治、というのは私の国では完全に治ることを言います」
良之のポルトガル語に問題があったと思ったらしい。アルメイダはそう問い直した。
「その通りです」
良之にあらためて念を押された。
「ど、どのように癒やすのですか?」
「投薬治療です。この三つの病に共通しているのは感染力のある目には見えない菌による感染です。それらを、薬で駆逐します」
「kin?」
どうやら、概念に無い言葉がそのまま翻訳されず伝わったようだった。
「菌というのは、目では見えない病気の原因を指し示す言葉です。いろんな種類があり、良いものはパンやチーズ、ワインなどを作りますが、悪いものは、カビになったりこうやって人間を病にかからせます。それを殺す薬を作りました」
「……すいません。私には理解の及ばないお話で……では御所様は、たとえばペストやコレラも治せるのでしょうか? あるいは壊血病も」
「ペストやコレラはまだ患者に会っていないから分かりません。壊血病は菌によるものではありません。あれは栄養失調の一種ですよ」
「壊血病は治せると?」
「ええ。というか、予防が出来ると思います」
アルメイダのショックは大きかった。
心の奥底では、日本と西洋医学との格差はあまりに大きく、医療に関しては日本は取るに足りない国家だと心中侮っている部分もあった。
だが、地球を半周してこの地にたどり着いたアルメイダにとって、これほどの医学は、どこですら見たことの無いハイレベルなものだった。
とても、にわかには信じることが出来なかった。
「詐欺師だ」と叫びたくなる衝動をじっとアルメイダはこらえていた。この異国の貴人はどうしたことか彼の母国語を理解する。
療養所から富山御所に戻る。
「御所様、いかがでしょう? 壊血病の特効薬、ひとまずゴアに送り治験をなさっては? そうですね、1000人分を2年分ほどで良いでしょう」
「必要ありません。作る気も売る気もありませんから」
「……失礼ですが、御所様は、喜望峰を回ってヨーロッパからインドに来るうち、どれほどの船員が病に倒れ命を落とすかご存じですか?」
「知らないし知る気もありませんね。アルメイダ殿、あなたは誤解している。俺は聞かれたから『壊血病は予防できるしその薬も作れる』と言っただけです。そもそも売る気も教える気もありません。あなたが俺に求めるならば、治験のための無料提供では無く、いくら出せば売ってもらえるかの交渉では無かったのですか?」
「ですが!」
まず薬などと言うのは本当に聞くかどうか試しでもしなければ誰も金など払わない。
それはそうだ。そのくらいは良之にも分かる。
「アルメイダ殿。あなたの船には何人乗ってますか?」
「160人ほどです。遠洋だと100人でやりくりします」
「俺の船にはね、アルメイダ殿。いま12万人乗っている。あなたももし喜望峰あたりで食糧が尽きたらどうなるか、よくご存じでしょう?」
「……」
「では、いかほどでお譲り頂けますか?」
アルメイダもさすがは海千山千の冒険商人である。
さっと気持ちを切り替えて表情に笑みを浮かべた。
その切り替えの速さは知性と剛胆さの表れだと良之は感心した。
良之はこのとき、値付けに際して永田徳本のことを思い浮かべていた。
医聖、と呼ばれる。
甲斐国で医術を施し、どんな薬を投与しようと患者からは1人16文しか取らなかったという。十六文先生などと呼ばれ、流浪の旅のどこにおいても愛された。
武田信虎の元で医術を施していたが、息子の晴信がクーデターで父を駿河に追った直後に甲斐を離れた。
そのため、良之は今日まで本人とは会えずじまいである。
「では1人分1日16文で」
100人分を700日で1120貫文。莫大な金額になる。
だがあっさりとアルメイダは「分かりました」とうなずいて、急いで平戸に引き返した。
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