第59話 暗雲 3
姉小路高綱は、届けられた袱紗のなかの宸翰を読み、怒りに震えた。
要するに、飛騨国司の変更と、自分の更迭が書かれているのである。
怒りは、人間の判断力をショートさせる。
姉小路はすでにこの時点で、頼りにしていた自軍が壊滅し、内ヶ島の臣で略奪隊に加わっていた山下の手の者もほぼ壊滅。山下も遁走している。
百足城下には二条の兵1300が殺到している。
高綱は気づいていないが、この時点ですでに古川、小島の両城は落ちている。
宮川東岸を北上する長尾虎隊はもうじき、牛丸氏の野口城に殺到するだろう。
すでに百足城には80名ほどしか戦えるものは残っていない。
城下の民も逃げる暇もなく、織田上総介に制圧されている。
その光景はどこか、現実味が全くなかった。
真新しい純白の狩衣に、真っ赤な染みがひとつ、ふたつと広がった。
新三郎がこの世で最後に見た光景は、御所様から頂いた自慢の狩衣が、赤く染まっていくところだっただろう。
物見の櫓に登った姉小路高綱が、自分自身で射た弓は、門前で返答を待っていた小林新三郎を絶命させた。
「あっ……」
良之はその光景を、百足城の山の下から一部始終を呆然と見ていた。
ころん、と、糸が切れた操り人形のように大地に転がった新三郎をみて、良之は思わず、二・三歩前に歩み出した。
「御所様!」
あわてて兵站のためここにいた木下藤吉郎が後ろから良之を抱き留めた。
「……し、新三郎が……」
藤吉郎があまりに強い力で抱き留めたので、バランスを崩して2人は尻餅をついてしまった。
「見たかあっ!」
姉小路がそう怒鳴ったのは聞こえたが、彼がその後発する声は、ろれつが回っていないため、誰にも判別できない。
「……上総介殿」
「はっ」
信長の顔は怒りで血ぶくれしている。
軍使を攻撃するという例は、過去になかったわけではもちろん無い。
だが、彼自身もうかつにも、この瞬間までまさかこんな結末が訪れるとは予想だにしていなかった。
圧倒的な兵力差で鎮圧に動いた上、寛大にも、侵攻の罪も問わず、今後も公家として成立するように取りはからった軍使だった。
それを射殺すなど、誰が想像出来ただろう。
信長にとっても、新三郎はお気に入りの少年だった。
出自は村厄介ではあったが、誰もが、あの少年には愛情を持っていた。
「上総殿。彦を呼んでくれ」
「はっ」
滝川彦右衛門は、目を真っ赤に染めていた。
彼こそ、他の誰より彼を慈しんで育てていたし、新三郎も、まるで実の兄のように敬い、どんな厳しい訓練にも耐えていたのだ。
自分の肉体の能力をもてあまし、厄介者でありながら、自分をいじめる村の子供達へ報復して歩く新三郎の姿に、過去の自分を投影していたのかも知れなかった。
「彦。あの城、迫撃砲で焼き払え」
良之は命じた。
彦右衛門はうなずいて陣に駆け戻った。
彦右衛門は、5基の81mm迫撃砲を準備させ、炸裂弾、火炎弾の双方を打ち込ませた。
あっという間に、百足城は紅蓮の炎に包まれた。
城内から逃げ出す兵の姿もなかった。
あまりに突然の炎上で、助かったものは無かっただろう。
「上総殿。小者たちに新三郎を引き取らせるように命じてくれ」
「承知……この先の進軍は?」
「するさ。向小島と小鷹利に寄せろ。降伏しなければ、彦に焼かせろ」
向小島城で長尾虎の軍勢が合流した。
先触れによって新三郎の死と、それに衝撃を受けている良之や信長、彦右衛門のことを聞いていた虎は、何も言わず信長の指揮下に入った。
向小島は抵抗の構えを見せたため、軍使も送らず、迫撃砲で焼き尽くした。
その光景を物見が見ていたのだろう。
小鷹利城は不戦で恭順。ここに飛騨姉小路家は滅亡した。
そのまま一切休みを取らず、良之の軍は越中西街道を西に進路を取る。
道中の角川砦も恭順。
昼過ぎには、2200の良之の軍勢が、飛騨白川郷萩町城下になだれ込んだ。
萩町城は、城主山下大和守が戦に敗れ、城に戻らず越中に逐電したのを聞いて大混乱していた。そこに、2200もの大軍が攻め寄せたため、戦わずに開城。
荻町の武装解除も受け入れた。
この日、良之の軍は萩町に宿営した。
山下の一族である山下主殿と名乗る青年に、良之は帰雲城への使いをさせた。
正直、新三郎が殺されたこともあり、自分の手の者を使いに出させる気は全く失せていた。
「戻ってこないかも知れないねえ」
お虎御前が、使いに出した山下主殿について、そう感じて言った。
「いいさ」
良之はそれを聞いても、全く無感情に言った。
山下が逐電しようと、帰雲城で殺されようと、あるいは帰雲城で心変わりして立てこもろうと、良之はどうでもいいと思っている。
新三郎のあっけない死と、その後の転戦によって、良之の心はすっかり疲れ果ててしまった。
久しぶりにキャンピングカーを出し、良之はゆったりしたベッドで休むことにした。
キャンピングカーの
戦国時代という現実の洗礼を受けた良之にとって、この車内は、失った「現実」が包んでくれる最後の心のよりどころだろう。
だが、良く客室を見渡すと、ネットにつながらないPC、ワンセグの受信が出来ないテレビ。
食品の入っていない冷蔵庫。
いくつも、今の良之につらい現実を思い出させる品々が並んでいる。
電源の入っていないPCのモニターを、良之はじっと見つめた。
こんこんと、扉が叩かれる。
「御所様、これはすごいねえ」
キャンピングカーの車内を初めて見たお虎が、驚きの声を上げる。
「どうしたの? こんな時間に」
「こんな時間にって。あたしは一応これでも、御所様の側室なんだがね?」
言ってから、
「はいんな」
と表に声をかけた。
「藤吉郎」
「御所様、申し訳ねえ。これを、どうしても見てもらいたくて」
藤吉郎は恐縮して身を縮こまらせながら、懐から一通の手紙を出した。
ははうえとおよしのこと
おたのもうしあげそろ
おたのもうしあげそろ
しんざぶろ
「あの日の朝、新三郎がわしんとこ来て、書いてったもんでさ」
「……」
「あいつ、わしの手習いから逃げたもんで、ひらがなもよう書けんで、教えてくれと」
そうして必死でこれを書いたという。
「御所様。あいつは犬死にですか? それとも、男らしく討ち死にしたのですか?」
藤吉郎は必死の形相で良之を見上げる。
犬死にだろう。
良之はとっさに思った。だが、思い返す。
彼の死に様は、確かに不要な落命だったと思う。それは、軍使を出した自分のミスだろう。
だが、亡くなる瞬間まであいつはしっかりと、その役目を果たしたではないか。
「藤吉郎。この文、滝川彦右衛門に見せてやってくれ。俺が『新三郎の家族を頼む』って言ってたって伝えてくれ」
「は、はい!」
「藤吉郎」
良之は、溢れそうになった涙をじっとこらえ、いった。
「犬死になもんか。そうだろ? それを決めるのは、これからの、俺たちだ!」
「彦右衛門様、御所様がこれを」
藤吉郎はその足で、滝川のところに向かった。
「御所様が、新三郎の家族を頼む、っておっしゃっとりました」
じっと、藤吉郎に渡された新三郎の遺書を見て、ぽつりと滝川は言った。
「承知した。……藤吉郎」
「はい?」
「早く飲めるようになれ。俺の酒につきあえ」
「……はっ」
「彦右衛門」
「……これは、上総介様」
藤吉郎が去ったあと、1人手酌で酒を飲む滝川彦右衛門のところに、織田上総介がやってきた。
どっかと座ると、滝川の盃を奪って一気に酒を飲み干した。
ちら、と新三郎の遺書に目をくれると、
「御所様はどうか?」
彦右衛門に聞いた。
「虎
「であるか」
信長は盃を返し、彦右衛門に、
「明日も戦じゃ、深酒するな」
と言い残して去った。
翌朝払暁。
全軍朝食の後、出陣。
200を萩町に残し、南進。
目標は帰雲城。
城手前で鉄砲隊1000を中心に、鉄砲隊を槍隊と弓隊が護衛する布陣である。
帰雲城から軍使が2人現れた。山下主殿と、内ヶ島豊後守である。
内ヶ島氏、恭順。
萩町城の山下主殿、内ヶ島豊後守に帰雲城、そして向牧戸城の川尻備中。
この三者にそれぞれの領地の検地を任せ、各集落の刀狩りは、江馬常陸介、右馬允兄弟らに兵500を任せて行わせる。
内ヶ島の当主夜叉熊は、高山城に。
ある種の人質ではある。
ただ、良之にとっては、偏狭で頑迷な老人たちから幼少の当主を切り離す方が主眼だった。
10や11の少年が命をかけた様な決断をさせてもらえるわけがない。
いずれかの老臣による誘導があって、内ヶ島は二条に従わず、独立、あるいは姉小路を焚きつけ軍事行動へとつながったはずだった。
内ヶ島の降伏は、百足城や向小島城の惨状が伝わったからだった。
迫撃砲による炸裂弾と火炎弾の攻撃は、拠点の破壊を意図したものであって、制圧などは意識していない。
立てこもって
加えて、広瀬や国府で略奪を行わせようとした姉小路の兵たちがほぼ生還者皆無という情報も内ヶ島には届いていた。
こちらは、籠城兵が一丸で打って出ても、敵陣を突破する前に殲滅されることを意味していた。
籠もっても無駄、逃走しても無駄という現実が、彼らの心を砕いたのである。
自発的に降伏した江馬や塩屋、三木、高山、広瀬などの国人と、戦闘後降伏した山下、川尻、内ヶ島、牛丸や小鷹利あたりとは明確な差を設けた。
つまり、家財の没収、所領の没収、家臣団の解体などである。
そうしながらも、一年の食糧を無償で提供したり、生活レベルを落とさないように賃金を保証したりとそれなりに気は使っている。
そして、今後の活躍に応じての出世には不利を設定しないと明言することで、彼らのモラルの悪化を食い止めようとしていた。
飛騨全土を掌握したことで、もっとも忙しくなったのは隠岐大蔵と織田上総だった。
隠岐は、物納の年貢などの銭換算、余剰生産品の買取、良之から指示されている産業促進の庶民層への普及、帰農者への土地の斡旋、戸籍の把握と検地の確認などに追われている。
商人出身者と寺社出身者など、読み書き算盤に秀でた人材はこの時代少ない。
良之が推し進めた年少者への教育は一定の効果はあるが、それでも未だ、幹部に用いることが出来るほどの成長は見込めていない。
織田上総介信長は、実質、飛騨一国の全ての軍を統括するポジションにされている。
彼は自分の家臣と供回りを連れて、防衛戦略を作るため、飛騨全土の立地を確認して回っている。
良之から提供された地図のプリントアウトは、言うまでも無く昭和以降の「国道」「県道」などの道路情報であるため、この時代には役に立たない。
だが、等高線モードでの画像にはそれなりの価値がある。
信長の目から見ると、向牧戸城から西に延び越前大野に至る越前道、白川郷から北に延び砺波平野に至る荘川沿いの越中道、そして白川から西に延び加賀に至る合計三筋が、潜在的に危険を内包する街道という事になる。
信長は、高山の常備軍1000の所属を白川に代え、荻町城下詰めへと変更した。
そして猪谷に配した旧・紀伊傭兵団500を向牧戸に配し、神岡の1000を猪谷に進駐させた。
併せてここで、各部隊から徴収した軍を解散させ、それぞれの所属部隊へと返した。
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