第58話 暗雲 2

「竹矢来?」

小林新三郎が信長の伝令に良之の許へと走っていた。

「はっ。上総介様は領内の竹林より竹の徴収をお許し頂きたいと」

竹矢来というものを良之は分からない。

見たことがないのだ。

だが、竹をよほど必要とするのだということは分かった。


「許します。ですが、徴用ではなく買い上げと触れさせて下さい。支払は隠岐殿に命じて下さい」

「はっ」

その言葉で新三郎は腰を浮かせ、中腰で止まった。


「御所様」

「うん?」

「りょう……ようじょ、療養所で、母と妹に会いたいです」

中腰で、すがるような目で良之を見上げている。

その新三郎に押され、良之は、

「じゃあ窓の外からならいいかな。新三郎、この狩衣に着替えて行きなさい」

良之は<収納>から、真新しい純白の狩衣を新三郎に渡した。

「あ……ありがとうございます!」

「アイリには、それを着た上で、俺からの許可があるといってみたら良い。中には入れてくれなくても、外からだったら会わせてくれると思うよ」

あわてて療養所に走ろうとする新三郎に

「おい、伝令は良いのか?」

と良之は声をかけた。

慌てて新三郎は方向転換し、高山へと駆けだした。




辞書で竹矢来を調べると、時代劇で関所などを取り囲む竹柵の絵が出てくるだろう。

要するに、通行を阻害するための仮設の壁に近い。

古川と広瀬は距離が近い。

信長は、一気になだれ込ませるのを防ぎ、敵の侵攻直後に時間を使わせる戦略として竹矢来の構築や堀の掘削などを行わせている。

当然こうした動きは、古川以北の姉小路の神経に障る。

敵として認識していることを態度で表明しているからである。


織田上総介信長という人物は、あまりに桶狭間の印象が強すぎるので誤解されがちだが、その生涯において、兵力や兵站の準備が整っていない時、勝率が低いと思われる時点において、戦を無理強いしたことはただの一度も無かった。

この飛騨に国に来てからの信長の初陣の条件。

それは、一兵たりとも領境を越えさせないことである。


現在、この土地では、警察という良之が創出した常備兵と、信長が指揮する軍隊という組織のふたつが治安活動をしている。

信長には実に効率の悪い制度に思えて仕方ない。

これだけで8000もの非生産業の戦闘職集団を、25000ほどの人口で養っている。

約、三人で1人を食わせている計算になる。

この25000人というのは、老人や乳幼児も含まれている。

さらに言うと、工人や鉱山夫、人夫などの農業ではない労働者もだ。

食糧自給率で考えれば、実際はもっと厳しいことになっているだろう。


だが、不思議なことに良之という公卿は、これだけの人数を食わせるためにどこかから金を生み出しては、その元手でさらに様々な産物を工業化させている。

信長が望めばその全てについて喜々として説明してくれるが、どうにもある時点から彼には全く良之のいう事が理解出来なくなる。


鉱炉の排煙からどうして戦略物資の硫黄が出来るのか。

水につけた銅がどうして片側で純銅になり、片側で出来た泥から金や銀が取れるのか。

さっぱり分からないが、ある時点で信長はそれでもいいと思い始めた。


この飛騨の豊かさというのは、尾張という、この時代で屈指に豊かだった国の、その中でもっとも豊かだった家に嫡男として生まれた彼から見ても、この飛騨の庶民の豊かさはちょっと尋常では無いと思う。


その豊かさを生み出しているのは、間違いなく良之だと思う。

その彼が、何を根拠にしているか知らないが、専門兵と警察以外は全て武装解除をせよと指示した。

ならばそれは、おそらく何らかの将来像を持って居るのだろう、と信長は思う。

ならば自分の為すべき事は、それを軍事面で支えることだろうと思う。


「下呂、木曽から500ずつを広瀬に、平湯、神岡から500ずつを梨打に配備させろ。おそらくもうじき、はじまる」

信長は命じた。


ここ数日、竹矢来を組んだ村境にちらほらと物見がやってくると草の者達が報告している。

国府の真ん中を宮川が流れる。その西岸の広瀬にせよ、東岸の梨打にしろ、姉小路の手の者は進軍こそしていないが、そろそろ準備を始めたことには間違いないだろう。




平湯と神岡からは動員翌日。

下呂からは2日、木曽からは3日で動員兵が各拠点に集合した。

高山の兵はすでに広瀬と梨打に分けており、一拠点あたり1500ずつという布陣になっている。

9月頭に堺から届いた種子島によって、ついに今回動員した部隊は1000挺ずつの種子島を装備することになった。

警察の500挺には手を付けず、さらに任地に残した守備隊にも半数の種子島を残している。

二条の所有する種子島は、4500挺にも達する。


信長は、頃合いと見て良之にも出座を願った。

自身は広瀬に、長尾虎を梨打の総監に廻した。

得体の知れない女だ、と信長は虎のことを思う。

御所様への押しかけ女房だという。だが、実際は越後の景虎と畜生腹の妹だという。

軍隊の指揮経験もあり、しかも初陣で越後の豪族たちをさんざんに打ち破ったという。


広瀬には種子島の指揮に滝川彦右衛門が。梨打には下間源十郎がすでに付いている。

信長は、小者の指揮のため、自身の軍には池田勝三郎。梨打には竹中重元を送り込んでいる。


良之は、その日の夜には広瀬城に入った。


「上総介殿。ご苦労様でした」

「御所様。かたじけない、が、本番はこれからです」

「ああそうか……。動きますか?」

信長は暢気な良之に苦笑していた。

さすがにこのあたりが京のお公家様だなと思う。

実際は、平成生まれの日本の大学生である。

まあ戦慣れしていないという事では、京の公家より上回っているかも知れない。彼は、喧嘩さえしたことがないのだ。

「上総殿。戦の前にひとつ言っておきたいことがあります。というか相談です」

良之はふと、戦国映画をみて不合理だと思っていたある行動について、彼にこの際相談したいことがあった。

「討ち取った敵の首を取るのって、禁止できますか?」


人間の頭の重さは、体重の1割くらいだという説がある。

実際は年齢や体格でだいぶ違ってくるのだろうが、成人男子の場合、約5kgにはなるだろう。

そもそも、首を取ろうと思えばそこで戦線を離脱して脇差しなどで死体から切り取ることになる。

そして、切った首を自分の帯にぶら下げて次の敵を探すことになる。

進軍は遅くなり、統率は乱れ、メリットが無い。


この首を取るというのは、相手の地位にもよるのだろう。

大将首は高い、などといったように、恩賞に直結するからだ。

また、出世や所領の加増など、今後の評価にも直結するので、首を盗んだり、仲間同士で首を争ったりというような行動さえ起こす者達がいるとも聞く。


「活躍したら評価をするのは当然ですから、それは否定しませんが、戦働きと首の数は別の話です」

良之はいう。

この問題については、信長も戦場でかつて同じ事に気づいていたので、良之の指示を奇貨として、全軍に取り入れようと思った。

「次に、略奪の禁止です。略奪をされると、勝ってもその後慰撫が大変です」

戦った後、その所領を統治下に納めるのであれば、略奪や放火は行われては困る。


この時代、攻め手が放火するのは当然の戦略だった。

遮蔽物が多いと伏兵の危険が増す。

大軍勢で攻めるのにも不都合が生じる。

そして、敵の心理面を、城下の焼き払いは効率的に痛めつける。


「その辺は、手間がかかっても徹底させて下さい」

良之は厳命した。

放火、打ち壊し、略奪や非戦闘員への暴行は一切を禁じる。

百姓でも、武器を持って戦おうとした場合の反撃は認めるが、老人や女子どもといった、無抵抗な存在には、一切攻撃を禁じる。

信長はひとまず了解し、その旨を全軍に触れ出させた。




果たして翌日。

姉小路軍は動いた。


「いいか、敵があの竹矢来を越えたら攻撃開始だ。一切容赦するな」

種子島隊の司令は滝川彦右衛門である。

彦右衛門は1000挺の部隊を甲と乙に分け、二隊で交互に発砲する組陣を敷いた。


「進めえ!」

古川二郎が、姉小路兵に号令を出したのは、兵士達の朝餉を済ませた半時後のことだ。

竹矢来が組まれている道を、兵たちは槍を担いで通る。

やがて、その竹矢来の二層目――道を完全にふさぐ形で段になっている部分で左右に広がったところで、彼らの命運は尽きた。

「撃てえ!」

怒号が竹矢来の向こう、畑のうえに建てられた屋根だけの建造物のあたりから響く。

およそ距離は50m。30歩程度前に伏せていた種子島隊の連射がはじまった。


勝負はたった4連射で付いた。

古川二郎と120人の古川兵、そして小鷹利兵130は、飛来する2000発の鉛玉によって沈黙。

良之の指示通り、首取りを控えた全軍は、討ち取った者達の中に潜む生き残りを探し、また、遺体を整理して道を空け、発見した数人の生き残りを捕縛し広瀬城へ送る。

そして、信長の号令で全軍、古川城へと向かった。


ほぼ同刻。

国府目指し進軍していたむかいの110と内ヶ島の重臣山下大和守の手兵200ほどが南進していた。

こちらは、下間源十郎の仕掛けが早く、50ほどの兵を討ち漏らしたものの、向の大将を討ち取り、長尾虎によって全軍が北へ向けて進軍中である。


主君と、ほぼ全兵力である働き手が全滅した古川城は降伏。

信長はこれを200ほどの手勢で接収し、さらに北進。姉小路高綱の籠もる百足城へと到着した。


「じゃあ、軍使を派遣して降伏勧告しようか? ……姉小路には帝から文も預かってるし」

「御所様、俺が行ってきます」

小林新三郎が名乗り出た。

彼は、良之にもらった真新しい真っ白な狩衣を着用し、馬に乗って良之に従っていた。

「わかった。姉小路中将には、京で新しい邸宅と禁裏での奉職を用意するからと伝えてね」

良之の言葉にうなずくと、新三郎は紫の袱紗に大事に包まれた手紙を預かり、馬を百足城に進めた。




武装していない一騎の狩衣姿の少年が、たった1人で城へと登る表道を騎乗でのんびりと進んできた。

「京の帝よりの文を持ちました!」

その言葉を受け、1人の老人が、百足城の城門わきの潜り戸から現れた。

「これはご丁寧に」

新三郎は、紫の袱紗を押し戴いてから老人に渡す。

「二条御所様は、姉小路中将様の京での奉職をご用意いたすと仰せです」

「それはそれは。まずは主にこの文を届けますゆえ、今しばらくお待ちを」

老人はその袱紗を受け取ると、再び引き返し潜り戸に消えた。



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