第60話 暗雲 4
越中の神保が、岩瀬港の二条家の資産を没収し、越中からの物流を凍結した。
慌てて落ち延びた塩屋筑前守秋貞の報告に、良之は、まずは彼の無事を喜んで塩屋を安心させた。
続々と草による報告が良之やその官僚たちの許に届いてくる。
「御所様。要するに、神保は山下大和守の旧領を取り戻すという建前で、飛騨の覇権を狙っているようです」
望月三郎が、草の報告をとりまとめ、報告した。
飛騨の泣き所。
それは、食糧を自給できないため、多くの物資を他国から輸入しなければならないにもかかわらず、四方を山に囲まれた陸の孤島のような地勢であることだった。
良之は、美濃の郡上八幡から白川を抜けて加賀に抜ける陸路の閉鎖は行っていない。
この道は、越前の朝倉と対立する加賀の一向宗にとっては、欠くことの出来ない陸路だからである。
代わりに、加賀の吉崎や小松から白山越えで白川にやってくる荷を奨励してもらってはいるが、この白山越えは難所と言って良い。
将来を見越した時、白山越えが主要な物流経路として発展することはあり得ない。
美濃の苗木から下呂を経て高山に至る物流路も、木曽川の舟運を活用してなんとか拡張しようと美濃や尾張の木曽川衆や、東濃の遠山氏に協力してもらって頑張っているが、あまりに陸路が長すぎるため、非効率なのは否めなかった。
つまり。
越中の港を封鎖されれば、飛騨は暴発せざるを得ないのである。
この頃。
武田は従来の南信政策を見直していた。
腰の据わらない無能な高遠頼継を甲斐に呼び出し切腹させ、代わりに保科弾正忠正俊を城代に据えていた。
離反を繰り返す伊那衆を睨んでのことである。
良之は、木曽が二条家に臣従した経緯と、武田との競合の意思がないことを書面にして、武田当主の晴信へと送った。
また、美濃の斉藤義龍には、郡上と向牧戸間の国境について、分国法通り飛騨と美濃の境としたい旨、書簡を送っている。
さらに、長尾家には、越中神保氏による資産略奪について触れ、富山城を攻めることについて打診した。
最後に、神保氏には詰問の書状を送りつけ、岩瀬での略奪について損害賠償を要求し、これを以て、二条家の大義名分とした。
この際、良之は京の兄、二条関白に依頼し、越中守に追任されている。
武田、長尾、斉藤の各家から返書があった。
各家からの返信はおおむね、色よい返答だった。
長尾家は、越中常願寺川から東を二条家に要求し、その代わり、神保の重臣寺島家など在地の国人への攻略を、椎名家と長尾家の軍によって引き受けると言ってきた。
越中を押さえるにあたって、ひとまず良之の課題は富山の制圧と海運基地の岩瀬港であり、神通川舟運の保全である。
長尾家の申し出を受け入れる旨の使いを再び返した。
良之と信長は、下呂の丹羽配下1000と木曽の柴田配下500を徴集。
猪谷の服部半蔵配下1000、白川の千賀地石見守からも500を出させた。
他に、望月三郎に忍び衆・山方衆・黒鍬衆の1000を統率させ、支援部隊とさせ、池田勝三郎に平湯の訓練兵から成人のうち1000を率いさせて、兵站部隊とした。
フリーデとアイリ、千、阿子には、100名ほどの衛生兵を統率させる。
姉小路攻めで有用性が実証された迫撃砲は、20人に増やされ、滝川彦右衛門が直接指揮している。
平湯の鉄砲鍛冶、鋳物師に構造を設計図で示し、砲身やりゅう弾、火炎弾の研究をさせているが、こちらは未だ実用化の精度には至っていないため、良之が暇を見ては錬金術で作っている。
天文21年9月22日(1552年10月11日)。
払暁に進軍。
以前より猪谷の状況に恐怖を抱いていた楡原城は降伏、開城。
城生城は籠城。抵抗の構えを見せたため、迫撃砲で殲滅。
この様子を見ていた近隣の豪族たちは逃散した。
城生より神通川を渡河し、飛騨街道を北進。
途上の上熊野城の二宮氏が降伏したため、この城下で一泊する。
翌朝、二条の軍は北上を再開した。
蜷川を超え、土川を渡河。前にある太田川を挟んで、ついに神保軍と会敵した。
神保は、前日の城生城からの伝令で急ぎ全軍招集。
約9000の手勢を6段の魚鱗陣に組み、太田川北岸に陣を張っていた。
対する二条軍は
先行する迫撃砲20名の指揮を滝川彦右衛門。その後を下間源十郎の指揮する鉄砲2000が進み、左翼に柴田権六の弓・槍隊、右翼に丹羽五郎左の同じく弓と槍隊が護衛する。
総司令織田上総助と副将長尾虎は、最前線にいる。
そして、二条藤の大幡を掲げた二条良之も。
鉄砲隊2000は、急ぎ横陣へと組み替える。
1000の二列横隊。
「彦、炸裂弾使用! 敵陣の真ん中目がけて撃て!」
良之からの命令一下、まだ陣構えも整わない二条軍から、迫撃砲が打ち上げられていく。
5町(500メートル)以上の距離がある二条軍から続々と打ち上げられる炸裂弾は、神保軍の魚鱗の中心で次々に炸裂し、二条軍の2倍の兵力であった神保軍の兵卒を次々に殺傷していく。
神保軍の将兵は渡河の構えを見せたものの、下間源十郎の号令で一斉射の試射をした轟音に浮き足立って、潰走をはじめた。
特に、先方を受け持たされた国人層の離脱は迅速だった。
中衛の凄まじい被害と前衛の潰走を見た神保長職は逃げに逃げた。
富山城には戻らず、15kmの西方にある増山城まで一気に逃げ、ここで籠城した。
主君に放置されてしまった富山城は、城将水越勝重が降伏、開城された。
付近の国人層も、水越からの伝令によってそれぞれ降伏。
崩壊して放置された神保の死傷兵のうち、軽傷なものはフリーデと阿子によるポーションで治療。
重傷者はアイリと千によって治療させる。
武装は全て没収し、遺体は、近隣の寺へと運び、弔いを依頼した。
これらの戦後処理は、近隣の国人たちに人足を出させた。
富山で一泊し、翌日には、水越に案内させ、増山城へと軍勢を動かす。
水越勝重。越前守を私称している。
彼は神保家の重臣で、富山城の縄張りをしたことで知られている。
「越前殿。恭順する国人には、身分の保証をしますので、全国人衆に書状を送って下さい。神保も、降伏すれば、当家の家人として家門の存続を許します。その旨、使いを出して下さい」
良之に命じられ、水越は増山城とその支城へと軍使を送り、併せて、砺波
進軍後、
増山城からは、軍使として寺島三郎、小島六郎がやってきた。
それぞれ、主君の助命と恭順の意を示したので、小島を城に戻し武装を解除させ、織田上総介によって、制圧させた。
常願寺川――この時分は
対岸を窺っていた長尾景虎は、予想以上に素早い二条軍の侵攻と、その後の手際の良さに舌を巻いた。
長尾景虎は、控えめに見積もっても二条軍は倍以上の兵力を持つ神保軍に苦戦すると読んでいたし、籠城した神保を包囲して攻城すれば、やがて神保配下の国人衆の後詰めによって彼らは苦境に立たされるだろうと読んでいた。
そうなれば常願寺川を渡り、神保の国人の城郭を攻略し、後々の領有権を二条に認めさせるつもりだった。
だが、「凄まじい新兵器」によって緒戦から神保軍は壊滅。その後神保当主は大逃げに逃げて増山城に籠城したが、家臣たちの説得によって降伏してしまったという。
神保軍9000のうち、死者2500、重傷者150、軽傷者1200。
国人の率いる軍勢は四散し、富山城に逃げ込んだ手勢1200は水越の開城に従って降伏。
残りの国人たちも、続々と富山城に向けて臣下の礼を取りに向かっていると聞く。
「どのような兵器か?」
景虎は、自らの手の忍びに報告させる。
「空を飛んで5-6町も離れた敵に降りかかり、爆裂して敵軍を殺す兵器に御座います」
それら新兵器を守るのは5000の兵で、うち2000には種子島を持たせているという。
忍びは、絵図にして迫撃砲の解説をする。
「筒に落とした火矢のごとき兵器は自ら飛翔し、この火矢によって、爆裂するもの、放火をするものがありました。籠城した城生城の斉藤はこれにより全滅。生存者は御座いませぬ」
「御所様の手勢に死傷者は?」
「御座いませぬ」
「……」
敵の矢玉が届かぬ距離から迫撃砲の攻撃は開始され、半刻も要せず殲滅できる、と忍びは報告し、消えた。
越中のうち、能登の畠山の家臣が領有する北西部を除き、良之の領有する土地になった。
この当時、おそらく人口は七万強。
移民を加えても三万五千といった飛騨の2倍の人口を持っている事になる。
割合スムーズだった飛騨の統治に比べ、もちろん難易度が上がってくる。
9月26日。
良之は富山城に入り、戦後処理を行うこととした。
神保右衛門尉は富山城に置いた。
その他の国人は全て所領に戻し、治安維持と防衛にあたらせる。
織田上総介は、放生津に1000、増山城に1000、富山城に1000を置き、残りを飛騨や木曽に返す。
放生津には服部、増山城には明智光安、富山城には自身と長尾虎を置き、3拠点にはそれぞれ種子島を500ずつ配した。
良之は、越中で彼に従った全ての国人に検地を命じ、この年中に完了した所領には、翌年の年貢を四公六民にする約定を出した。
同時に、戸籍も改めさせ、金沢城下に結核やハンセン病、天然痘などの療養所を設立し、フリーデやアイリたちに運営させた。
ハンセン病は伝染力が脆弱なので隔離の必要は無いのだが、在所で差別の火種を生むため、彼らの安全のため集めさせたのである。
すでに平湯でノウハウを蓄積していた医療チームは、迅速に体制を構築し、良之の希望に応えた。
感染した病人の身体の菌を殺す薬は、現状良之にしか錬成できない。
だが、結核・天然痘・ハンセン病によって害された肉体は、アイリたちの回復魔法や、フリーデたちのポーションが効果を発揮する。
どの保有菌も、約半年程度の治療で駆逐出来る。
そしてその間の食事や寝所など、生活にかかる全てが保障されるし、治療後は健常者としての社会復帰が見込まれる。
二条家の勢力圏には、ついに10万人以上の住民が確保できた。
アイリもフリーデも、積極的にリクルートをはじめ、それらを一番弟子である千と阿子に託した。
彼女らにもそれぞれ10人程度の教頭になる人材が所属していて、実際はその下に配属される。
最初の計20人の教頭たちは、すでにアイリ、フリーデ、千、阿子の手を離れるくらいに魔法や錬金術に知識を深めてきている。
今後は、彼ら彼女らによって、魔法による医術は発展していくだろう。
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