第56話 飛騨での内政 7

良之は、恩師の言葉を思い出している。

「工業は、環境破壊だ」

それは人類史の現実だ。

ギリシャ・ローマは冶金の歴史だが、冶金は森林を失わせる。

失った森林を再生させず、その後農地化を推し進めたため、その後、砂漠化した。


日本でも、無数の公害事件を起こしている。

リン石鹸の排水による富栄養化も工業の責任とするのなら、1970年代の日本は、排煙、排水、そしてゴミや土壌汚染などで、日本は激しく汚染された。


富山のイタイイタイ病、九州の水俣病、栃木足尾の鉱毒事件。

他にも、硫化ガスによる川崎・四日市喘息など。

企業体が起こした公害の爪痕も、残した。


日本という国家は、地球上の奇跡的なバランスで環境が回復していく。

本来、全国土の6割以上が砂漠化してもおかしくない緯度にありながら、温暖で高湿多雨な環境にあり、四方を海で囲まれた環境のため、世界的に見ても回復力の高い自然に恵まれている。


およそ40年以上の時を経て、日本の汚染などのダメージは良之が大学生になった頃の平成ではだいぶ回復を得ていた。

だが、良之にはそうした工業史の中の暗部に付いて、どうしても考えざるを得ないのだった。




神岡には、2箇所の大鉱山がある。

二十五山の西麓を基点にした栃洞鉱山と、池ノ山北西に広がる茂住鉱山だ。

茂住は、神岡よりむしろ猪谷に近い。


神岡の集落は、江馬家の居宅――籠城時に籠もる城とは別に、日常生活を営む屋敷が、この時代には一般的で、籠城する城郭を「詰め城」とよぶ――神通川の上流で高原川と呼ばれる河川のほとりにある。

その集落の高原川の下流部に、鹿閒と呼ばれる地がある。

藤吉郎が、窯を建てたのはこの地だった。


――やはり藤吉郎は良いセンスをしている。


良之は思った。

藤吉郎にはセンスがある。

後年、本来の時代の流れでもし彼が羽柴筑前守秀吉になっていれば、天才的な土木センスで攻城戦を行ったり、難攻不落な城郭を創り出す人物である。


良之も、この鹿閒の地に神岡の鉱炉を創るつもりである。


平金と神岡の鉱質の違い。それは平金が銅を多く産出するのと比較し、神岡は銀と鉛を中心に出す事にある。

どちらも石灰質に硫化水素が浸出して生成したスカルン鉱がメインであるため、生まれる金属は似通ってはいる。

金銀といった貴金属と、銅、鉛、亜鉛、それにヒ素、カドミウム、アンチモンなどである。


鉱山が鉱毒を出すメカニズムは大きく分けて三つある。

一つは、坑道を掘削する時にわき出る地下水。これらはそもそも有毒な鉱物を洗って毒性のある水であることが多い。

もう一つが、低価値鉱石の廃棄場。いわゆるズリ山である。

石炭鉱山の場合は、ボタ山と呼ばれる。

そして、精鉱施設から出る排水。

この三つが、主に警戒せねばならない鉱毒対策になる。

二十五山の脇にある沢にダムを付けさせたのは、このダムによって、鉱毒を沈降させて上澄みだけ排水するための工夫になる。

旗鉾で沈殿池を指揮していた黒鍬衆に依頼して、鹿閒の里にも二つ、沈殿池の作成を頼んだ。

こちらは、万一に備えてのものである。

こうした準備の後、良之は、鹿閒に平金と同一タイプの自溶炉を作成した。




良之と比較して、人夫や職人頭への技術移転が卓越してうまいのがフリーデだった。

彼女はすでに、分溜塔1号機での木酢液精溜について、自分の管理下を離して職人たちに任せている。

分溜のターゲットはメタノール、フェノール、そしてクレゾールである。

残りの有機成分とタールは再び集積され、肥だめの衛生剤に提供された。


フリーデは良之の指示通り、鹿閒で二号分溜塔の建設に入っている。

ここでのターゲットは原油の精製である。


フリーデは、自身の世界で石油の分留は学んでいる。

彼女の世界において、原油精製のターゲットは灯油と軽油までで、ナフサを分溜して出来る強揮発性で引火爆発性のあるガソリンなどは用途がないため廃却されていた。

今回は、良之の指示によりこのガソリン(ナフサ)収集のための分溜棚と、排気ガスの脱硫装置を取り付けている。

原油の分溜による残滓は、自溶炉で焼却される。


木酢で取れるクレゾールとナフサの再分溜で取れるベンゼンは、くみ取り便所における代表的な殺虫剤として利用できる。うじ殺しである。

ベンゼンに塩素分子を結合させたジクロロベンゼン、それにクレゾールとメタノールを配合する。

これで、夏場に庶民を悩ませるハエの問題に、一つの解決法が提供されることになる。




平金、神岡の二基の自溶炉が稼働したことで、良之の元には、金銀銅、鉛、亜鉛が納入されるようになった。

電気精錬は良之の思った以上に高成績を収めている。構造が単純すぎて良之にとっては不安だったが、実用化が可能と判断し、両方の自溶炉に併設し、電解精錬工場を各80浴槽ずつ建設した。


電解精錬によって純銅化された陰極棒は、再度溶解され、新しい陰極棒と純銅のインゴットとして鋳銭場へ納品される。


陽極の溶けて痩せた粗銅は自溶炉へ戻され、再度粗銅として鋳直される。

各陽極側に沈殿した陽極泥は、現状では工業化するよりも良之によって必要資源を分離抽出した方が手っ取り早い。


陽極泥からは金、銀、銅残滓、テルル、ビスマス、セレン、白金族が回収できる。

残りはケイ素やアルミナなので、これらも良之は分離回収する。


この工程については、フリーデの弟子であった山科卿の娘、阿子が良之について修行をした。

結果、彼女は完全に錬金術と魔術を用いた良之の陽極泥分離をマスターし、それを又弟子たちに広める手伝いをしてくれた。


そこで良之は、自溶炉工程で生成する銅と鉄、ケイ素以外の酸化物などのカラミからも阿子たちに元素抽出してもらうことにした。

専用の工房がある酸化錫は下呂の工房に輸送し、残りのビスマスやアンチモン、ヒ素、カドミウムなどを抽出して倉庫に収めさせる。




天文21年八月一日(1552年9月19日)。

隠岐大蔵大夫は、良之に命じられた、国に充分な食糧を供給するための取引について、斉藤道三入道に与力してもらいつつ、各商人に発注を行っていた。

米の収穫期を迎え、各地方の商人たちは活発化する。


また、換金用に余剰な作物を収穫している地域では、米の相場が下がるために、これからの季節が米を買い入れるのにもっとも適したシーズンになる。

東海地方の米は津島の伊藤屋、近畿の米は京と堺の皮屋。

越後と出羽、加賀では代理店を越後屋に依頼する。

越中は塩屋に担当させる。


飛騨でも今期の農業が終わった世帯が増え、冬期の収入源として、良之がこの年にはじめた各種の産業に従事する労働力が増加している。

在宅で出来るのはマッチ、タービンやモーターのコイル巻き、各種木工細工の箱作りなどだろう。

今年は一部の山方衆に、翌年以降の種になる桑と蚕を増やしてもらっている。

こちらが軌道に乗ったら、糸つむぎと織機を作る必要がある。

生産量の問題もあるが、当初は人力の足踏み式などからはじめたら良いだろうと良之は思っている。

コイル用の膠被膜はそれなりにうまくいっているが、もし将来的に原油の精製から合成ゴムやビニル基などの加工がうまくいくなら、それらによる被膜処理に移行したいと良之は考えた。


良之は養蜂業が欲しい。蜂蜜と蜜蝋のためである。

だがこれらについては彼には全く知識がない。

養蜂業の遠心分離機については、一度ネット動画で見たことがある。

良之が作った石膏の遠心分離式脱水機のオリジナルである。

ドラム缶の口にはまるサイズの取っ手付きのローテータを作り、人力で回転させて、巣箱から蜂蜜を飛ばして収穫する物だった。

要するにあのサイズの木箱を何段か組み合わせ、箱にしておいて、女王蜂が定住すれば、そこにコロニーが出来るのだろう。

箱については、飛騨の匠たちに依頼すれば作ってもらえそうだ。

問題はやはり、ミツバチだろう。


良之は、設計図とその仕組みを匠に相談し、ひとまず巣箱だけ、いくつか試作してもらうことにした。




この収穫期が終わると、飛騨で良之に従った国人たちの領地への警察を普及させる必要がある。

百姓たちから武力を奪うのと引き替えに、常在兵力による治安維持と、訴訟のシステムを確立させる。

もちろん、刀狩りを行う際に、一揆などを起こさせないための備えという側面もある。


警察を置く地域は、猪谷、神岡、平湯、旗鉾、尾崎、高山、国府、小坂、下呂、そして木曽。

一拠点あたり300人。100が番勤、100が休日、100が訓練の番勤制である。

一拠点あたり50挺、計500挺の種子島が配備され、訓練日に射撃訓練が行われる。


兵が駐屯するのは神岡、平湯、高山、下呂、木曽の五拠点。

一拠点あたり1000人の常在兵、一拠点あたり600挺の種子島を置き、常在兵たちは各兵科ごとに訓練を行う。

また、必要に応じて受け持ちエリアの出動をする。


割り振られない未訓練や能力の劣る兵力は、平湯にて訓練を行い、以後、各拠点に割り振られる。


各警察には基本的に、元・土地の国人や豪族が割り当てられ、署長とする。

飛騨全軍の指揮官に織田上総介信長。

副官に、長尾虎。

参軍に、望月三郎、滝川彦右衛門、下間源十郎、池田勝三郎。

神岡司令に服部半蔵正種、高山司令に千賀地石見守保長。

下呂司令に丹羽五郎左、木曽司令に柴田権六を据えた。

各司令の下には数人の副官・参軍を置き、それらは元の領主の師弟、親族から推薦者を選んで置いた。

土地勘の問題、トラブル時の折衝、民との融和など、彼らには複数の役割が求められた。


ここに名の挙がらなかった者達は皆、文官となった。

飛騨国司の代理は隠岐大蔵大夫。副官に斉藤道三入道。


この軍政を決めて、借り続けていた紀伊の傭兵たちは、契約終了となる。


「御所様」

鈴木孫一が改まってあいさつにやってきた。

「実は、500ほどの者が、この期に紀伊を離れ、この地で暮らしたいと申し出ております」

孫一によると、主に独り者の身で、この地の豊かさに惹かれたり、あるいは、この地の女と関係が出来たりという理由で、離れがたく思っている者達がいるという。

「それはありがたいんだけど……お国の方では大丈夫なの?」

傭兵の引き抜きという事になる。良之はそれを心配した。

「その辺は問題ないように運びます……ですが、やはり若干の金が入り用になるかも知れませぬ」

たとえば、頭筋への契約残金、個人的な借財の代理弁済などである。

供与されている種子島も、返却するか買い上げるか、決めねばならない。

「分かりました。そのあたり、全て孫一殿に一任いたします。費用は皮屋あてに請求して下さい」

「……ありがたき幸せ」

「紀伊衆の認知は蟹寺城にしましょう。司令は……」

「そのことですが、御所様……。私をお雇い下さいませぬか?」

孫一は思い詰めたように言った。

「それは……まずお父上のお許しを得てから、ですよね?」

「もちろんです」

「分かりました。お許しがあれば、願ってもないです。ぜひ」

この少年は、紀伊衆からの尊敬と信頼が厚い。

それは、一朝一夕に得られるものではないのだ。

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