第55話 飛騨での内政 6


天文21年7月。

いよいよ良之の指揮によって、鋳銭がはじまる。

船尾の銅座から、広階美作守親方の長男平太、三男小三太、娘婿の猪之助、彼らそれぞれの弟子、そして全ての者の家族を伴った一行がやってきた。

良之は早速、一同を旗鉾の長屋に住まわせ、そして10日かけて、3人に平金の自溶炉についてたたき込んだ。

その精錬のメカニズム、思想、危険性、品位を求める方法論などについてである。

電気炉や高熱炉が技術的な理由で使えない代わりに、良之には、豊富な燃料と錬金術が利用できた。

錬金術については、いまだ良之を継げる才能が見つからないため除外するとして、豊富な燃料については、その恩恵に良之はだいぶ救われている。

良之の時代にあっては、燃料代や電気代といったランニングコストが、製錬技術にとって常に一種の壁となってそそり立っていた。

逆に言えばそのことが冶金技術を大幅に進化させてもいるのである。


この3人は、船尾において南蛮絞りをマスターしているため、自溶炉についての理解が早く、良之にとっては即戦力になってくれた。

彼らに、それぞれの弟子への教育を任せ、加えて、職掌を決めた。

長男平太を総監督。小三太を平金監督。そして、猪之助を鋳銭監督にした。


平金の自溶炉は、回収非鉄金属のリサイクル炉としての側面を持たせている。

良之の<収納>に納められていた大量の廃寺からの青銅物や貴金属――屋根や焼失した金属物、高炉や仏具や灯籠、仏像の残骸など――を野積みにして、それらを鉱石やコークス、木炭などと一緒に自溶炉に供給し、溶解金属の抽出を行わせる。

それらを各工程ごとに異なった蔵に納めさせる。

この工程を、小三太に委ねた。


それまで木下藤吉郎が担当していた旗鉾の木炭、石炭、石灰の窯は、総監督である平太に移譲した。

これらが金属精錬や工学にとって以下に重要な技術であるかをたたき込まれた平太は、それぞれに自分の弟子を割り当て、さらに新しい弟子を求めてスカウトした。

この頃になると、フリーデが作っていた分溜装置が完成したので、これも平太の支配下として、フリーデを先生にして徹底的に仕込ませた。

さらに、一基目の分溜塔を作った職人全てに、二基目の建造を神岡ではじめさせた。

一基目の分溜塔は木酢液がターゲットだが、神岡に作る二基目は、言うまでもなく、直江津からの原油の分溜がターゲットとなる。

さらに、鋳物師や鍛冶師には、三基目のための部品製造も命じている。

石炭のコークス窯が本格稼働すれば、コールタールの分溜が必要になるためである。


良之は、平太に仕事を譲り身体の空いた木下藤吉郎に、神岡の谷に、谷を丸ごと使った沈殿池を建造させた。

一種のダムである。

木製の樋で沢の水を迂回させ、乾燥させた状態でダムを建造させる。

この時代にとっては、巨大工事だった。

藤吉郎は、良之の説明を良く理解し、放水口を備えたコンクリートダムの建造に取りかかった。

言うまでもなく、平岡にも石灰窯、石炭窯、木炭窯を作り、こちらも藤吉郎が差配した。


従来平金の自溶炉を担当させていた職人たちは、新たに下呂で良之が作った錫の精製炉に転属させた。

美濃の遠山氏が輸出する錫鉱石と、良之のストックしていた砂錫などを木炭やコークスによって精製・還元させる炉である。

本来は、クラッシャーによる鉱石の粉砕、比重選鉱、ロータリーキルンによる乾燥、酸やアルカリの溶剤、などの手法を用いれば効率性が上がるが、良之はあきらめた。

幸いなことに、錫に関してはこの当時の鋳物師たちには既存技術があるため、彼らに工房の開設などについても一任した。


そして、ここにも手持ちの砂錫を供給した。60トン以上はある。

それに、美濃の各鉱山からも、今後続々届くだろう。

彼らはおそらく、長い間、錫と格闘する事になる。




全ての器具、使う素材などをあらかじめ良之が用意していたため、猪之助が学ぶ良之式の鋳銭は、非常に簡単であった。

だが、作業性は容易であっても、求められる精度は厳しい。


良之がこの時代医導入した貨幣鋳造プロセス。それは石膏とハードワックスによる鋳造である。

まず、あらかじめ良之が用意した鋳型に、原油由来の固形パラフィンを流し込んで枝銭の型を作る。

この型を、水で溶いた石膏を流し込んだ木箱に差し込んでいく。

木箱はネジでかしめられているので、ネジを緩めると石膏が取り出せる。

この石膏を、上下逆にして緩やかな加熱が出来る小さな窯で低温で焼成する。

石膏を焼くことより、ハードワックスの型を解かして排出させる方が主目的である。

加熱することで液状化したワックスは、下に置いた容器で回収される。


焼成した石膏内部には、枝銭の形の鋳型が残る。

ここに、真鍮の湯を注ぎ、銭を作るのである。


湯が冷めた後、石膏を突き崩して中から枝銭を取り出す。

そして、枝銭から一つ一つ銭を切り出し、真ん中の四角い穴に、角棒を通す。

最後に、銭の周囲をやすり掛けして完成である。


鋳型に使われた石膏は、粉砕されたあと再度焼成することで石膏としてリサイクルできる。

ハードワックスも、夾雑物の割合が高くなるまでは再生して使える。

切り離した枝銭の余剰部分も、再度湯にされて再利用する。


一本の枝銭で86枚。これを10本生産できれば、日産860枚の生産力となる。

鋳型の場合、どうしても職人の熟練度によって、これより歩留まりは落ちてしまう。

良之は、一日8000枚を目標に掲げた。

1枚3.75グラム。8000枚で30kgである。


猪之助は青くなった。

現状では日産800枚でも荷が重い。

「弟子を鍛えて、その又弟子たちを育てたら良い」

良之は、飛騨や木曽から新たに鋳物師を目指す人材を求めて各代官に触れを出すよう命じた。

猪之助は、全ての工程を分業化し、弟子たちを配置してそれぞれのエキスパートを育成する方式を採らざるを得なかった。


良之が従来通りの銅銭鋳造、つまり鋳物砂を用いた方法を採らず、手間のかかるロストワックス法を導入したのには訳がある。

ひとつには、完成品の表面の精度が全く違うことである。

鋳物砂を用いた鋳物では、どうしても表層に砂による凹凸が発生する。

これらは、仕上げ職人によって均されるが、そこでどうしても作業時間がかかるし、仕上がりには限界もあって、職人間で品質にばらつきが出てしまう。

第二に、鋳物砂で鋳造した銅銭は、中央の四角い穴の精度が非常に悪い。

結果として、この部分のバリを仕上げ職人が細かいやすりで1枚ごとに修正せねばならず、これも結果として、多大な時間を要することになる。

そして、鋳砂法の最大の問題は、歩留まりの悪さである。

熟練した鋳物師が作る鋳物砂型と、修行中の若い衆では、クオリティが全く違う。

ロストワックス法にももちろん熟練が必要なのだが、最初から原型が用意されていて、一度鋳型を作れば砂切りの作業を必要としないため、ここでも大きな工程の短縮と、熟練の差を吸収できるのである。




平湯の自溶炉に技術的問題が発生した。

脱硝脱硫装置について、アンモニアが精製出来ないため、この炉は良之がいないと早晩操業が出来なくなることが露見したのである。

そして脱硫プロセスにおいても、夾雑物が雑多な上、毒性と危険性の高い精製物が生まれることも問題だった。

「確かになあ」

良之は錬金術と<収納>を使って、硫酸だろうと硫化アンモニウムだろうと非接触で取り出せる。

だが、このプロセスを人力で行うのには危険が伴う。この時代には防護服もガスマスクもゴーグルもないのである。


良之は、硫黄回収装置を作ることにした。

硫黄回収装置というのは、原油精製や精鉱、石炭のコークス化などの工業設備で発生する二酸化硫黄や硫化水素ガスを接触触媒で硫黄と水に分解する処理装置で、この反応をクラウス反応と呼ぶ。

触媒は活性アルミナや二酸化チタンで、良之の得意分野である。

言うまでもなく、こうした器具なども現状、良之以外に創れるものはいない。

だが、運用さえ出来る技術者が育てば、運用できる。


硫黄回収装置の技術的問題は、炉からの排気を可燃性ガスによって燃焼させる点だ。

装置の原理は、燃焼によって脱酸化。あるいは硫化水素から水素を奪い、硫黄の単成分化しつつ、触媒へと残留成分を送風させる。

触媒は、二酸化硫黄S02と硫化水素H2Sから酸素と水素を奪い、硫黄Sと水H2Oを発生させる。

メカニズムは触媒自体が保有する半導体的な性質である。

酸化チタンに至っては、紫外線によって励起された電子によって、水さえも水素と酸素に分解してしまうほどの酸化還元能力を持っている。


この触媒を通してコンデンサ、コンデンサから未反応分のガスをもう一度触媒に。

このループを2-3回繰り返す。

これでも凝集できなかった分については、再度燃焼炉に吹き込むか、石灰凝集で除去して大気放出する。


凝集された硫黄は、水と共にコンデンサから流して集められ、その後乾燥させてストックする。

硫黄は水溶性が乏しいため、この手法によって、硫化物を扱う良之のプラントなどでは、副産物として硫黄が精製出来るのである。

硫黄はこの時代、明や南蛮にも輸出できる鉱物なのだ。


早速、翌日からプラントの改築に取りかかる。

溜まっていた亜鉛やヒ素、カドミウムなどの鉱物、硫酸やアンモニア化合物など全てを回収する。

そして、プラントの付け替えを行った。


良之は燃焼ガスについては、妥協した。

錬金術でガスボンベ、バルブ、そしてノズルと点火口を生成した。

いずれ、原油の分溜が出来るようになり、電気が使えるようになれば、メタンガスなどが集積できるようになるだろう。


これで、硫酸よりは比較的安全に硫黄を集積できる。

そして、商品化が出来るようになる。


働いている鋳物師たちは、その工場のシステムがまるで理解出来ないでいた。

良之は聞かれれば必ず詳細に説明したが、彼の錬金術と同様に、もはやこの世界においては現状、オーバーテクノロジーなのである。


良之にとって、もう一つの課題だった銅精錬の工房も、いよいよ作成に着手した。

こちらは機能実証施設。銅の電解精錬である。


鉛蓄電池1セル。これで2Vの電圧が得られる。

銅の電解精錬は0.3ボルト。これを長時間維持させ、硫酸溶液下で、粗銅を+に、純銅を-極に取り付ける。

良之は6基の浴槽を用意し、並列に処理することで一基0.33ボルトとした。

電解精錬については、平太に仕組みをよく話して聞かせ、不要な人間の立ち入り禁止、状況の報告などを命じ、良之は神岡に移動した。


神岡では、木下藤吉郎が手際よく木炭、石炭、石灰などの窯を作りつつ、鋳物師に鉄筋鉄骨を、人夫にコンクリート用の石材集めを指示していた。

ダムを付ける立地を案内させ、良之は引き続き藤吉郎に全権を任せた。


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