第54話 飛騨での内政 5
乗馬が初めての新三郎への習熟のため、数日は一行はのんびりと進んでいる。
今回の京都行きのルートは、あえて越中を通らず、下呂から苗木、明知、八百津から下り舟で津島。
津島からは舟を代えて、桑名、雑賀、堺、渡辺津。
渡辺津から馬を借り、大山崎から京に入る。
半月ほどかけ、一行は京に到着し、二条邸で休息する。
道中では、上総介信長の小者の前田犬千代と、良之の小者の新三郎が随分熱心に乗馬や槍の稽古で張り合っていた。
時折上総介やお虎御前も槍の稽古に加わるが、この2人の強さは別格で、少年たちはさんざんにつつき回された。
特に犬千代は、はじめお虎御前を女と侮ったため、一撃で昏倒させられ、慌てて千が治療する一幕があった。
二条邸で兄夫婦にあいさつを済ませ、2人の診察を千に任せて、良之は上総介、お虎と小者たちを連れて京を歩く。
皮屋に顔を出し、今井宗久に礼を言う。
「二条御所修復、随分頑張ってくれたそうで」
「関白様はあまりご熱心でおざらぬため、万事控えめになってしまいました」
宗久は恐縮して頭を下げる。
「俺があの屋敷に住んでた頃は、街のごろつきが『肝試し』といって邸内をうろついたり、庭の御池で月見をやられましたから。それに比べたら素晴らしい出来です」
実際、二条邸には新たな土塀が巡らされ、その周囲には堀も切られている。
京も良之が去ったあとをピークに治安が徐々に回復しつつある。
京都の奉行に入った松永久秀や、何度か京に上っては直接指示を出した三好筑前守長慶あたりの努力もあったかも知れないが。
良之は、朝廷にある程度豊かな資産力があったことで経済が活性化した効果だと思っている。
実際、禁裏の増改築は進んでいる。
そして、流亡した京の民たちも、そうした状況に誘われて京洛に戻りつつある。
かたぎが多く住むようになると、自然と街の治安は向上する。
言うまでもなく、住民たちの努力によるものではあるし、治安向上にはコストがかかるが、それでも、徐々に京の町にも平穏が訪れようとしていた。
良之は翌日参内し、飛騨開発のこと、棹銅や分銅の状況などを報告し、帝に5000貫の銭を献上した。
そして、本題である相談を帝に持ちかける。
帝のお手である御宸筆による「天文通宝」の揮毫を依頼したのである。
「前例のない事ではあります」
率直に良之は打ち明ける。
基本、日本の通貨のデザインは、明治以前に誰が行ったか分かっていない。
おそらく現場で名も知らぬ彫金師たちが彫ったのであろう。
金貨の大判には墨書で裏付けが書かれる事例があった。これは分銅の後藤家の当主による花押の署名だった。貴金属や宝石の鑑定書のようなものである。
良之は、天文通宝の四文字を後奈良帝に揮毫してもらい、それをデザインに取り入れようと考えた。
言うまでもなく、新規発行の通貨に対する価値の裏付けのためである。
棹銅や分銅を官許とし、全国に権威として広めているのに発想は近い。
京の帝の直筆からデザインしたとなれば、その通貨の信頼性が大きく向上する。
そう帝に熱弁した。
「墨を持て」
帝は良之の説明を聞き終わると、快く宸筆を良之に下された。
良之は一旦二条御所に下がり、帝の揮毫を、キャンピングカー内のプリンターでスキャンして、PCの画像処理で銅銭へとデザイン起こしをした。
表は天文通宝の四文字。穴は四角。裏面には、五三の桐を浮き彫りに仕上げた。
そして、秤で「銅7:亜鉛3」の真鍮を3.75グラム計って、そのデザイン通りに錬成した。
翌日、再び参内し、試作品を帝に献上。
勅許を得た。
いつも通り、奥の女御殿たちに、砂糖や塩、醤油や酒、油などを差し入れして屋敷に下がった。
そしてそのまま、京から堺へと急いで下った。
良之が嵐の様に京を去ったのには理由がある。
長居をすると、彼にとって不愉快な事が持ち上がるからである。
この時期、足利義藤将軍が京にいる。
室町上立売から烏丸今出川あたり、焼失した花の御所跡地に室町殿を再建している。
長居をすると彼から呼び出しがかかるだろう。
呼び出されれば、まず間違いなく名前に偏諱をされ、藤良か義之に改名せざるを得なくなる。
事情を聞いた上総介信長とお虎は、それを聞いて呆れた。
だが、本当のところ、良之は室町幕府とその政権が嫌いなのである。
室町幕府の脆弱性は、ひとえにその設立に根源がある。
足利尊氏が鎌倉幕府、継いだ後醍醐天皇から権力を奪取した背景には、彼自身の力ではなく、各地にあった地頭や国人などの与力によってだった。
東に走って武力を集結し鎌倉幕府を滅亡させ、西に逃げて九州の豪族を束ねて京を落とす。
その経緯で各地の地頭や国人に大きな権力を許し、諸国の守護大名として成長する余地を与えた。
一方で、自身の領地は少なく、故に自前の武力に乏しいため、三管領、四職などの武力や政治力に頼ることで権力を維持することになる。
都を落ちた前帝の後醍醐は吉野で南朝を興し、以降、室町幕府は三代義満の時代まで苦しめられることになる。
南北朝時代が終わり、権力が各守護家に集約させるようになると、やがて脆弱な足利将軍家の背景基盤として彼らをコントロールしようとする管領家が権力闘争を始める。
これが応仁の乱の引き金になる。
細川勝元と山名宗全による権力闘争は日本全土の守護大名たちも巻き込み、11年に及ぶ期間に、両軍10万以上の兵が動員された大騒乱状態になった。
京の町はほぼ全土が焼失、のみならず、日本各地でも親子、兄弟、叔父と甥などが敵味方に分かれて権力争いを始めるといった状況に陥った。
細川を東軍、山名を西軍と称した。
結局、最後は山名の西軍がわずか一日という時間で解散、四散して応仁の乱は勝敗が付かないまま終わったが、この間の疲弊によって、各地の守護大名は権力を失い、山城国一揆、加賀一向一揆などに代表される反権力闘争や、守護代、地頭、国人らによる国司、守護大名など権力層への下剋上や独立運動が日常化するようになる。
良之は、こうした諸悪の根源が、実力もないくせにお飾りの権威を持った足利家の責任だと思っている。
不幸なことに、二条家の伝統として、足利家より偏諱の一字拝領が伝統となっている。
だが、せっかく兄の晴良が晴の字を拝領していることもある。ここは逃げるに越したことはなかった、ということである。
渡辺津から堺への船旅の中、良之はそんな話を、上総介やお虎御前、お付きの小者たちにのんびり語ったのである。
聡い上総介やお虎は、このときすでに良之の本音に気づいたものと思われる。
彼は、およそ室町的な価値に一切の値打ちを認めていないのである。
だからこそ、朝廷から飛騨国司は拝命しても、足利将軍から飛騨守護職を受けようなどとは夢にも考えて居らず、それどころか、将軍家への敬意さえ持ち合わせていない。
このことは、ある種の危険性を孕んでいる。
傀儡に近いとはいえ、今このときでも、足利将軍家には一定以上の権力が存在するのである。
石山に上陸し、証如にあいさつをして、寺内町で取引などを行って堺へと去る。
堺でも、飛騨や木曽で必要になる様々な物資を調達した。
一冬分の食料品に加え、鍬や鋤、釘などの金属製品も根こそぎ購入した。
また、馬の轡や鞍、雑兵用の鎧なども、堺の在庫全てを購入した。
そして、街に在庫する鐚銭もありったけを金銀や永楽銭で両替して引き取った。
すでに鐚銭を鋳つぶせる自溶炉を入手しているためである。
鐚銭は金1両あたり5貫以下と、徐々に値が崩れだしている。
永楽銭は安定的に1両あたり1貫という高値で全国的に流通している。
言うまでもなく質の高さがその価値の違いである。
武野紹鴎から、遠里小野の状況を報告される。
紹鴎が集めた国内産の菜種から、それなりの量の油を絞ることが出来た遠里小野の油座は、やっと自信を回復しつつあるようだった。
良之のもたらした菜種を近郊の村々で栽培してもらい、生育も良好なようである。
そして今回のもう一つの目的地である船尾に向かった。
広階の親方の屋敷で応接を受けた後、良之は本題を切り出した。
「私の跡継ぎをですか?」
「ええ。俺に預けて下さい。その際、10名以上、将来のれん分けが出来るくらいの実力者を選んで、付けて下さい」
良之は、現在飛騨開発のために手一杯である飛騨の鍛冶師や鋳物師をあきらめ、自身の手中で、科学教育をしつつ、いつか自分がいなくても技術を伝播出来る人材を創出する方針に換えようとしている。
そのことを広階に伝えると、彼は大いに興奮した。
そして、手元には次男だけ残し、長男、三男、婿養子2人、そして彼らの弟子を飛騨に送ることを約束してくれた。
良之は彼らに充分な路銀を渡し、飛騨への旅に出させた。
「これは見事ですな」
良之は、帝に献上した天文通宝のレプリカを何枚か錬金術で作って置いた。
その1枚を広階親方にプレゼントしたのである。
「これは先に御所様に頂いた『五円玉』と同じ
「そうです。銅7に亜鉛3の真鍮です」
「……きれいなもんで御座いますなあ」
広階は丁寧に油紙でくるみ、袱紗でくるんで桐の小箱にしまった。
「いよいよ鋳銭をはじめなはりますか?」
「ええ。予想以上に飛騨で人件費がかかり出しましたし、とりあえずは鋳物で作ります」
良之は、以前ちらっとオートメーションによるプレス打ち抜き工法による造幣局式の通貨製造の話を親方に聞かせたことがある。
さすがに、あまりに奇想天外すぎて、このときの親方には理解を超えてしまっていた。
「左様ですか……それで職人を?」
「それもあります。一番大きい理由は、やっぱり後継者育成ですけどね」
「後継者など。御所様はそないお若いのに」
広階は苦笑した。
良之は、船尾の蔵に納まる限り、美濃で回収した錫砂を納めて去った。
その分量、およそ40トン以上であった。
広階親方は、その精錬にも追われる羽目になる。
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