第38話 天文20年冬期 4


五峯の居住地は平戸城の西い小高くそびえる、勝尾岳と呼ばれる岡の東麓にあった。

まさに平戸港を抱える西の岸壁沿いであり、海運・海賊にとっては一等地だっただろう。

良之は、倭寇の親玉であり、常時兵力二千を養う五峯――王直の居住地があまりに平戸城に近いことに驚いた。

それは裏を返せば、松浦氏にとって、彼らがいかに貴重な存在かの裏付けでもある。


五峯は六十近い老境にあった。良之から見ると、いわゆる中国人の大人たいじんの風がある男で、これが史上に悪名高い倭寇の親分とはとても思えないほどだった。

「肉が食いたいとか。良いでしょう、心ゆくまでご飲食なされよ」

五峯は気さくに応じてくれた。


最初はおっかなびっくりで料理を眺めていた望月千や木下藤吉郎、江馬右馬允は、大喜びで食事をはじめた良之やフリーデ、アイリと、それに釣られて一口食べたあと、夢中で食事を続ける長尾虎たちに押されておずおずと獣肉の料理を食べ、そのうまさに驚いた。

ラードで揚げた鶏肉やごま油で炒めたチャーハン、それに肉まんじゅうなど、現代人である良之以外の全員は、おそらく、人生ではじめて食べる食事ばかりだっただろう。

だが、その誰もがその美味に酔いしれた。


食事の礼に、良之は五峯に水晶玉を献じた。

五峯はその水晶玉をすでに知っていたが、改めてその宝玉としての出来に固唾をのんだ。

「二条様。お聞きしたいんだが、何か明から取り寄せたいものはあるか?」

「丹が欲しいです。堺の皮屋に輸入してもらえればありがたいですね」

「皮屋か。この水晶も確か」

「ええ、そちらで求めていただけますよ」

良之はふと思い立って、翡翠も五峯に渡した。

「他にも翡翠なんかがあります。あとは、硫黄ですかね」

「硫黄?」

五峯は日本には硝石が無い事をよく知っている。また、反対に硫黄の産地であることもよく知っていた。

「そうか、一度皮屋には顔を出そう」

五峯は約束してくれた。


「あとは、精肉職人や畜産の出来る人材が欲しいですね」

「ほう」

日本人はあまり畜産を好まない。珍しい貴人だと五峯は思った。

「やっぱり、塩漬けじゃない肉はうまいですからね」

「なるほどな。良かろう、考えておく」

「それと、なんと言っても料理人ですね」

「ははは、それはそうであろう」


五峯との面会はスムーズに終わった。

五峯に食事の礼を言って、良之は平戸城下に戻っていった。




「御所様、あの食事はうまかったですなあ」

藤吉郎は夢見心地でいつまでも言い続けた。

「ああ、2年後くらいまでにはなんとか、飛騨や堺であれをいつでも食べられるようにしたいんだ」

「2年もかかるのかい?」

聞き耳を立てていた虎御前が残念そうに言う。

「もっとかかるかも知れないよ? 牛や馬を赤ん坊から一丁前に育てるのに似てる。これはそういう話だからね」

「……なるほどねえ」

虎御前や千は軍用馬を知ってるので、そのたとえには合点がいったのだろう。

「あの唐揚げは、ニワトリが手に入れば1年くらいで食べられるかな? ただそっちも、種になる親から育てないとね」

「ああ、あの唐揚げも実においしゅうございました!」

藤吉郎の瞳は輝いた。

「みんなに知っといて欲しいんだけど。あの食事は美味しいだけじゃ無いんだ。身体も大きく強く育つ。美味しいって感じるってことはさ、それだけ身体に必要な栄養があるってことなんだ」

良之の言葉に一同うなずく。

「ああいう食事を取っていると、長生きにもなる」

しし食い、などといいますもんなあ」

藤吉郎が相づちを打った。


畜産に関わる技術的課題は、五峯に技術者の斡旋が頼めればおおかたは解決する。

問題はやはりこの当時の人間たちの倫理的忌避感だろうと良之は思う。

これについては、同じく宗教的・倫理的な差別に詳しい皮屋・武野紹鴎に相談してみようと良之は思った。




平戸での目的であった宣教師コスメ・デ・トーレスとの面会や輸入品の依頼も無事に終わり、その上、松浦氏や五峯とも知遇を得られて、良之の九州訪問はほぼ成功と言って良い状況だった。

そこで、良之は帰りの便を曲げて、豊後府中に大友氏を訪ねてみようと思い立った。


この時期から数年後には、大友は九州随一の領土を得て、九州探題にまで登り詰める。

それより増して、この地に教会を建て、独自の南蛮貿易を始める。

知遇を得ておくことは、今後の良之にとって無駄では無いという判断だった。


大友修理大夫義鎮。

享禄3年生まれなので、やはり良之と同年配という事になる。今風に言うと一年年下である。

良之がこの地に飛ばされた頃に「二階崩れの変」という暗殺を伴う政変によって大友氏を継いだ。

そのすぐ一年後には宿敵の大内氏も「大寧寺の変」で混乱する。

大寧寺の変で、二条家の前当主二条尹房・二条良豊も巻き添えで死去したことについては以前にも触れた。

良之が訪れようとしているこの時期、主家を葬った陶隆房は、大友家の次男で義鎮の実弟ある左京大夫晴英を大内家への養子へ迎えるための準備をしている。


修理大夫義鎮は陶隆房を信用も信頼もしていなかったようだ。

この実弟の養子について、彼は最後まで反対していた。

だが当の晴英自身が「自分は大内に入りたい」と主張したため、やむなくこれを許すことになった。


大友家の府内館に到着した良之は、そこで、自身の父と兄を虐殺した陶隆房と遭遇している。

実際はついに一度も面識が無かったかりそめの家族ではあるが、良之はこの事を以て、陶隆房との面会を拒んでいる。

隆房は、翌年3月に晴英を迎える事に決め、周防に戻る。

このとき、晴英から偏諱を賜り「陶晴賢」と改名。




大友の兄弟と良之は府内館で面会した。

まずは形通りのあいさつを済ませ、早速、良之は官許分銅と棹銅について2人に話し、それぞれにサンプルとして提供した。

また、修理大夫義鎮には、彼の領地である筑豊や三池の地の石炭について詳しく話し、神屋に堺の皮屋宛てに出荷を依頼したことを伝え、これに許しを得た。

「石炭、というのはそれほど有望ですか?」

修理は深く関心を持ったようだ。

「そのままでは臭くて煮炊きには使えません。明にはここから臭みを取り除く技術があり、庶民も炭の代わりに使っていると思います。こうした技術さえ輸入できれば、将来無くてはならない産業になるでしょう」

良之は惜しみなく情報を伝えた。

実際問題、もし大友がコークス生産までやってくれるならそれに越したことは無い、程度に良之は考えている。


美濃や飛騨にも炭田は無い事は無い。

ただし、いわゆる黒炭ではない褐炭・亜炭と呼ばれる品質のもので、良之が望むコークスの材料にはほど遠い品質だ。

九州の三池や池島の石炭は、その点では精製次第で製鉄に使えるコークスになり得る。

ただそのためにはある程度の開発が必要だから、大友が乗り出してくれるならそれで良かった。


大友家も倭寇であり明国人である五峯とは面識もある。

この情報をとてもありがたがり、良之に石炭においての協力を約束した上、銭一千貫を与えた。

良之はその金を、いつも通り京の二条関白家へと送付し、後に感状を贈ってもらった。


大友家を辞したあとで府内でも良之は豪商を巡った。

府内の商人司は仲屋乾通だった。

仲屋にも、分銅と棹銅について伝え、良之の手持ちの分銅を実費提供した。

また、在庫の棹銅のうち、桐紋刻印の無いものを純銅製の棹銅と交換し、さらに求めに応じ、2000本の棹銅を提供した。

また、ここでも金銀で鐚銭を買い上げた。


そうこうするうち、豊後で天文21年の正月を迎えた。

良之は堺行きの船を求め、豊後を去った。




ぼんやりと武野紹鴎別宅で正月を過ごした良之は、紹鴎に精肉業に付いてのアイデアを語って聞かせた。

「技術が無いわけではおまへん」

屠殺業については、紹鴎がはっきり断言した。

屠児、などと古語に言う。

畜産も、無いでは無い。

阿波の三好家では、公然と肉食をしているという。

戦争で人を殺して置いて、今更肉食の汚れなど気にしない、という事のようだ。

一方で、やはり公家文化の根強い京では、歴代の帝のうち、何人もが肉食を禁じる勅令を出している。

公家社会は汚れを気にしたが、にもかかわらず禁令を出すということは、それだけ肉食は京にあっても行われていた、と考えるべきなのかも知れないと良之は思った。


「分かりました。とりあえず南蛮人から牛、豚、鶏の輸入を皮屋さん宛に行ってきました。それらを増やして、安定的に供給出来るよう、取り組みたいと思います」

「そんなら、一度彼らの長に会うて見たらどないでっか?」

よほど考えた後で紹鴎は言った。

さすがに、公家と引き合わせるのは紹鴎といえど、判断が難しかったのだろう。


河原者。

古くからそう呼ばれている。

屠殺には洗浄のために大量の水を要し、さらに皮のなめし、膠生産にも清浄な水を要する。

彼らが水辺に居を求めたのは、単なる被差別だけでは無かったであろう。

良之を引き合わせるにあたって、紹鴎は秘密主義に徹した。

良之自身に差別意識が無かったとしても、悪意のある流言でも飛ばされてはいけない。

良之も理解し、従った。


堺からわずか一里。南に下った里に良之は案内された。

甚八郎と名乗った頭は、紹鴎とは縁が深いようだった。

なめし革から革製品の仕上げを行う職人集団のようだ。

人によっては耐えきれないような悪臭がする場所であるが、良之はさほど気にもせず、紹介が終わったあと、いきなり交渉を始めた。


「なるほど。要するに食用にするには生きたままつぶさなきゃなんねえ、って訳だ」

頭はうなずいた。

「そいつぁ古今、変わんね。鷹の餌にしてもそうだ。わしらも死んだ家畜は食わねえ」

衛生観念として、屍肉の危険性を経験則から知っているのだろう。

良之は彼らの知識に安心した。

「まずは堺で家畜の数を増やし、いずれは飛騨で食肉生産と皮、膠、灰の生産を行いたいと思ってます。その時には、飛騨に移り住む職人も必要になるでしょう」

「御所様は、穢れは気になさらないので?」

頭は不思議なものでも見るように良之を眺めた。

「俺個人で言えば、全然気にしてません。部下たちのなかには残念ながら、気にする者達も居るでしょう」

良之の言葉に頭はうなずく。


仏教の中にも、穢れを非常に厭う宗派と、そうでない宗派がある。

たとえば、法華教が商人に指示されたのは、金銭というある種の現世利益に関わる職業である商人にとって、それでも救いを認めたからだと言われる。

同じように、猟師や彼らのような屠殺業の者達にとっての救いになったのが一向宗である。

生き物を殺した穢れを持つものであっても、阿弥陀仏は救済する。

そうした思想が、根底にある。


やれやれ。

肉が食いたいだけでも一大事だ、と良之は改めて思う。

彼のかつて暮らしていた世の中は、スーパーにでも行けば毎日店頭に、何百キロもの精肉、鮮魚が並んでいたものだった。

それらを、特に誰も意識せず購入し、家で調理して食べていた。

それがどれだけ恵まれていたか、良之は思わずにはいられない。


ひとまず、畜産のことについては甚八郎の頭は承諾してくれた。

牧場の整備や人件費にと、良之は200両を頭に託した。


「ところで頭。牛や豚や馬の脂って、どうしてます?」

「脂は、膠を煮る時の焚きつけに使っているが?」

「そうですか。ではこれから言う方法で、今後は精製して欲しいんですが」

良之は、脂を水で煮だし、再度冷やして固める方法を細かく説明した。

「……わかった。しかし脂など、なんに使うんだ?」

「石鹸を作るんですよ」

石鹸、という言葉に驚いたのは頭では無く紹鴎だった。

「なんと! 御所様は石鹸の作り方をご存じでいらっしゃるのか」

「ええまあ」

石鹸は、良質な油脂があれば比較的簡単に作れる。

この時代であれば、食用に適さない海藻あたりを猟師に頼んで大量に買い付け、それを焼いて灰にする。

その灰と油脂を大釜でじっくり煮て、鹸化した成分を固めればいい。

ただし、良之は容易に塩から水酸化ナトリウムを合成できる。

これは錬金術に限ったことでは無い。

塩化ナトリウム溶液、つまり塩水に通電し、陰極側の水だけを抽出すれば良い。

イオン交換膜だけは錬金術で作る以外に仕方ないが、それ以外の器具は、この時代に手に入る素材で充分生産できる。

「脂についてはわてが責任もって集めますさかい、是非石鹸の量産をお願いいたします」

石鹸は貴人や大名、豪商などといった富裕層に非常に受けがいいものの、輸入量はあまり多くない。慢性的な品薄なのであった。

「分かりました。なんなら頭の所から職人を出してもらえれば、飛騨に戻った時に作り方を仕込みますよ?」

「是非に」

紹鴎が頭に変わって答え、あっと気づいて頭を見た。

頭も苦笑しながら

「お頼みします」

といった。


今後の活動費について、足りない分は皮屋に請求してくれと言い残し、紹鴎と良之は帰路についた。



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