第37話 天文20年冬期 3


「南蛮商人にお会いなさるなら」

と、武野紹鴎がいくつか交易にかけるおすすめ物資をリストアップしてくれた。

良之の心が動いたのは、丹である。


丹、水銀の事である。硫化水銀、つまり辰砂は、国内には希少な鉱物資源だ。

国内において最も多く産出するのは、伊勢の多気から大和の宇陀を直線に結んだ線状にある一帯で、これは、いわゆる日本列島の中央構造線とほぼ一致する。

中国の市場においても、いつの時代であれ丹は高額だった。

三国志時代に関羽の治めた武陵の一帯が、中国における辰砂の一大産地だ。

山肌を削っても削っても、赤い土が現れるほどの露天鉱で、世界的な産地である。

元江(正しくはさんずいに元)を下るとやがて長江に合流し、上海に至るこの産地は、悠久の昔から川舟で大いに辰砂を輸出していたことだろう。


辰砂は国内では朱砂と黒砂で産出する。

黒い方は色素的な優位に乏しく、水銀鉱としての価値以上に値打ちは無い。

赤い方は、神社仏閣の丹塗りの色素や朱肉といった用途が大きい。


他にも生糸、絹織物、硝石、鉄砲などが候補品に挙がっている。

それらはあまり良之の関心を惹かなかった。




12月4日。

良之、フリーデ、アイリと木下藤吉郎、江馬右馬允之盛、長尾虎、望月千の7人が、堺発博多行きの貿易船に乗り込んだ。

石山、渡辺津あたりでは上陸しなかった良之は、姫路では上陸。

この時分の姫路港は飾磨津と呼ばれていた。

粗銅の棹銅を買い占め、純銅の棹銅を売り、余剰食糧の類い、そして塩を買った。

次が玉島湊。

この頃の倉敷は、後に宇喜多氏がはじめる大干拓による児島などへの接続は無く、多島海の風光明媚な風景が広がっていた。




赤馬関は、古来馬関と呼ばれる。下関、という呼称もある。

下関に呼応する上関は竈戸関である。

関という名前から分かるように、どちらの関でも通行税を徴収した。

その上関の海軍の長が、能島村上氏だ。


下関は大内氏によって栄えた港だが、同時に、日明貿易や対岸の門司への物流路という事もあり、古くから富を蓄えた。


良之は赤馬関には上陸し、下関屋でいつものように大商いをした。

粗銅を買い純銅を売る。そして、食料を蔵ごと買い上げる。

このときの公卿を、下関屋の主、佐甲藤太郎は深く記憶した。

「あれは、こないだ討たれた二条様の御落胤であります」

手代たちが集めた情報によって正体を知った。


下関屋はこの時代にはすでに堺相手に大商いを行っている。

当然、すでに「二条分銅」「大蔵分銅」などと呼ばれる官許分銅も導入していた。

また、すでに官製の棹銅も赤馬関では数多く見られるようになっていた。

そうした施策の話題の主だと知り、佐甲は慌てて追ったが、すでに船は、博多に向け出てしまっていた。




この頃の博多は、大友修理大夫義鎮よししげが領有している。

言うまでも無く、陶隆房の謀反により空白化した九州北部を電撃的に掌握した裏には、隆房との約定があってのことだろう。

ちなみに、この時代の博多は、まだ河川の付け替えなどが行われていない元寇以降の状況そのままで、まさに水の都というのにふさわしい。


良之たちは上陸後すぐ、大商家の神屋を訪ねた。

日明貿易、日朝貿易で財をなしただけあり、贅沢品、嗜好品の在庫が凄まじい。

そして、彼らが扱っている棹銅は、南蛮吹きがされている。

「これはどこの銅ですか?」

手代に聞いてみる。

「石見産と聞いています」

なるほど、と良之は思った。


石見銀山を神屋が得るきっかけは、近隣の銅山の採掘権を得たことだったらしい。

3代前の神屋寿禎は、南蛮吹きを学ぶため中国の現地の冶金場に潜り込み技術を学んだ。

そして帰国時に優れた職人2人を引き抜き、日本に連れてきている。

その寿禎が船から山を見て、銀の輝きに気づいたとされる逸話は、この時代でも商人の間では有名だった。


神屋が管理する石見の鉱山では近隣の鉱山も併せると金、銀、銅、鉛が産出されている。

非常にバランスのいい鉱山経営だっただろう。ことに、南蛮吹きをマスターしたあととなれば。


ひとまず、現当主神屋紹策にあいさつをし、銀で金を買ったり、棹銅を買い上げ、代わりに純銅製の棹銅を売却したり、砂糖や小麦粉を購入した。


神屋紹策には、ひとつ依頼があった。

「紹策殿。『燃える石』はご存じですか?」

「はて?」

「筑後と肥後の国境、三池のあたりで採れる黒くて燃える石のことです。他にも、筑前と豊前の国境、香月と呼ばれるあたりにも多く産します。これを採取し、飛騨や堺に輸出して欲しいんです」

「燃える石……」

「石炭、といいます」


良之は出来るだけ詳しく石炭の特徴を話した。

もっとも、現地に行けばすぐに分かる。この当時、地元の人間たちは燃料に使っていたのだ。悪臭があるので屋内の煮炊きには向かないが、屋外であれば、露天でただのように転がっている石なのである。

「分かりました。少し調べさせていただきましょう」

「ではひとまず手数料という事で、100両ほどお納めいたしましょう」


もう一つ、神屋と良之の間で、大きな取引があった。

「官許にございますか?」

棹銅を官許品に定めたことを良之は告げた。


「神屋殿は、もちろんわが日本の銅に、銀が含まれることはご承知ですよね?」

無論である。

神屋が貿易商から貴金属の鉱山を預かるに至った秘伝中の秘だ。

「俺は帝に奏上し、この棹銅から海外に銀が流出していることを問題視し、これらを南蛮吹きで精製してからで無いと国外への持ち出しを許さぬ勅令を発給していただきました」

神屋紹策の目の色が変わった。

棹銅は最も大きな明・朝鮮・南蛮への輸出品目だからである。

「先ほど店頭で買い求めた神屋殿の棹銅ですが、きっちり南蛮絞りにて施されて居りまして、品質に問題はありませんでした。ですが、官許の証である五三の桐の紋が打たれておりません」

当然である。現在この打刻が許されているのは、堺銅座の広階一門のみだ。

「そこで、当方から検査人を派遣し、神屋殿がお作りになる棹銅の勅許印を打刻することを提案します」

「なんと……」

「もちろん、正式に帝より勅許を授けていただきますゆえ、そうなれば棹銅に関しては神屋殿は御用商のお墨付き、となります」

紹策は暫し黙考した。いいことばかりでは無い。勅許、検査人の受け入れとなると、おおかた何らかの費用を要求される。

棹銅の利潤が減るのである。

「して、その対価はいかほどになりましょう?」

「勅許に対しては幾ばくかの心付けをお願いします。検査人と打刻の手数料に関しては、派遣に1人年100貫文。別に作業賃1人あたり年100貫文、でいかがでしょう?」

それを5人。一年に一千貫文である。

紹策はほっとした。それで天下御免の資格と御用商の看板が手に入るのであれば、安いものである。

「承知いたしました。御所様には何卒よろしくお手続きいただきますよう、お願い申し上げます」

紹策は即断した。

こうして良之と神屋の初会合は終わった。


この時代の博多には、博多屋という酒卸商もある。

博多屋は酒以外に、大名貸しと呼ばれる貸金業で大きくなった。

ここにも一応顔を出し、銀で主に鐚銭を買い上げた。

博多屋は大いに喜んだが、良之は日本の東西の金銀銅の為替差を大いに利用しているので、博多屋が思うほどの不利益は被っていない。

むしろ、よそに比べても格安で鐚銭を入手出来て良之自身にもメリットが大きい。




そして、ついに良之たちは、今回の目的地である平戸へ向かう。

博多から西に航路を取りおよそ一昼夜。

途中で荒れた場合は唐津で潮待ちをするが、幸いにもこのときの航海は順調だった。


平戸はこの時点で、南蛮貿易の拠点のようになっている地域である。

倭寇の海賊王として名高い五峯、中国名・王直が平戸に住み着いて、やがて平戸にポルトガル人を紹介したのがそもそもの馴れ初めだった。

やがて、昨年天文19年にはフランシスコ・ザビエルが平戸に訪れ、ここで教会を開いた。

領主は松浦肥前守隆信。元服当時は主筋だった大内義隆から隆の字を偏諱されている。

ザビエルの斡旋によって、これ以降毎年、ポルトガル船の来訪があり、平戸は大きく栄えることになる。


平戸入りした良之はまず松浦肥前と謁見した。

松浦肥前は享禄2年(1529年)生まれなので、良之と同い年である。

肥前は、この京から来た貴人の来訪を喜び、大いにもてなした。


良之は肥前に勅許棹銅のサンプルと官許分銅を一セット贈った。

そして、度量衡のうち目方の全国統一政策と、棹銅による銀流出防止の政策を話して聞かせた。

棹銅の検品について、肥前は快く承知してくれた。


居城を辞して次に向かったのは、コスメ・デ・トーレスの住む教会である。

土地の大工職人が理解出来る範囲で精一杯に工夫して建てられた南蛮好みの建築様式の教会は、不思議と周囲の建築物と馴染みながらも、独特の存在感を主張していた。


「トーレス殿は居られますか?」

良之は教会に入って、ベンチに座る若い男に声をかけた。

「俺は京から来た二条三位大蔵卿といいます。トーレス殿にお願いがあって来ました」

「はい、少々お待ちを……」

男は盲目らしく、ベンチを伝いながら礼拝堂の傍らの扉に消えた。

しばらく待つと、黒衣の宣教服に身を包んだ外人が現れた。

「私がトーレスです」

ありがたいことに<自動翻訳>が働いた。


「京の公卿、二条三位大蔵卿と申します。はじめまして」

「二条様、スペイン語がおわかりなのですか!」

トーレスは驚いて目を見張った。

「ええ……まあ」

実際は英語ならなんとか、ドイツ語はかじっただけである。

「実はトーレス殿に折り入ってお願いがあってやってきました。今お時間頂いて構いませんか?」

「構いませんとも、さあ、ここでは落ち着きません。奥へどうぞ」


良之はまず謝意を告げたあと、早速本題に入った。

「堺へ輸入品、ですか」

「ええ。ヨーロッパや新大陸からの作物の種、苗を私は欲しています。もちろん、運んでいただく労力に見合う品をご提供いたします」

トーレスは、良之の来訪が宗教的な理由で無かったことに落胆はしたが、隣に控えるロレンソ了齋が

「かなりの貴人です」

と耳打ちをしたため、気を取り直してメモを取った。


トマト、トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、唐辛子、小麦といった食料産物。

セイヨウアブラナの種は、遠里小野の製油業のために依頼した。

それに牛、豚、ニワトリといった家畜。

生きた蚕と桑の木、綿の種など繊維素材である。


「トーレス殿。この国の民が何を主食にしているかご存じですか?」

「米です」

トーレスは即答した。

「そうです。この国の民は稲作に適さない土地にさえ米を植えようとする。だから飢えるんです。たとえばジャガイモは寒冷地にも育ち、サツマイモは火山灰で出来た痩せた土地でも収穫できる。トウモロコシは強くて、水害の多い土地でも育つ。まあ全部程度問題ですが」

「なるほど」

「トーレス殿がもし、今後飢えた民を不憫に思われたなら思い出して下さい。おそらく彼らは必死で米を作ろうとしている、と」


良之は、トーレスのために金と銀で併せて二千両分用立てた。

無論、依頼した品を堺へと届けてもらうためである。


トーレスは良之と宗教論をしたかったが、彼は

「俺は、いかなる神も仏も信仰していませんしするつもりもありません」

ときっぱり謝絶されたため、あきらめた。

それにしても、無神論者とは珍しい、とトーレスは思った。

この国の人間は多かれ少なかれ神仏に頼って生きている。

トーレスは良之に潜む深い知性と、その奥のうかがい知れない何かを感じ、記憶した。

おそらく彼なりに、この時代の人間では無い良之の異常性に触れたのだろう。


「ところで、この地では牛か豚の肉は食べられますか?」

良之はこの旅行のもう一つのテーマである「肉」を欲した。

「いえ、私も日本に来て、この地の人々と同じように食生活を改めました。食肉は一切断っております」

良之はショックを受けた。それをトーレスは不思議そうに眺めた。

「もし、二条様は肉が食べたいのですか?」

「ええ。一度挑戦しようと思いまして」

では、ということで、トーレスは良之を五峯に紹介した。



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