第39話 天文20年冬期 5
「ところで紹鴎殿。宣教師トーレス殿に作物の種や家畜を。倭寇の五峯殿に明の辰砂を依頼しましたけど、対価は錆の顔料と水晶、翡翠、ガラスビンで足りると思いますか?」
「どうですやろ? 一時に出すと値が崩れますよって」
「分かりました、じゃあ新しい宝石を作りますんで、それを市場に流して様子見てもらえますか?」
「……今度は何を作らはるんで?」
「
ルビー人造の歴史は古い。
フランス人科学者オーギュスト・ヴィクトル・ルイ・ヴェルヌイユによって1902年には実用的な合成ルビーが産声を上げている。
彼の製造法は、種になるルビーの微結晶の上に、溶解させた原材料を降らせて結晶を育てる方式だった。
その後、様々な手法が研究され開発された。
良之の時代には、スタールビーやスターサファイアまで人造され人気を博していた。
一般に、ルビーの組成は98%のアルミナに2%の酸化クロムが混入しているものが上質とされる。
これよりクロムが少ないとピンク色になるが、ピンクダイヤモンドと違い、価値が下がってしまう。
良之は、皮屋に納屋(倉庫)をひとつ用意させ、そこで錬金術によるアルミナとクロム溶解で作り上げたルビーを積み上げた。
ひとつサンプルを作ると、あとは材料ごとの複製で仕上げていく。
あっという間に、10トン近いルビーが完成した。
同じように、アルミナに鉄とチタンを微量含ませて精製してみる。
ブルーサファイアである。
これも10トンほど生成して置いた。
全て5カラットである。
ひとまず宝石を作り終わったあと、良之はふと高額商品について思いついた。
ウルトラマリンと呼ばれる顔料のことである。
素材は
色素成分はケイ酸ナトリウム、ケイ酸アルミニウム、硫黄の錯体である。
日本では原材料が採れないため使われなかったが、西洋ではシュメール文明やエジプト文明にまでさかのぼることが出来る。
合成するための素材は、良之の<収納>に、全部ある。
だが、この色素は成分通り、毒性がある。
良之は、以前に作った石英ガラスのビンの中にウルトラマリンを生成し、コルク栓を錬成して全て封をしてみた。
ビン一本あたり10g程度だがとりあえず1000本ほど作った。
そして、せっかくなのでその一本をサンプルとして紹介文を付けて平戸の宣教師トーレスに送ることにした。
「とりあえず、青色顔料作ったけどこれは毒性あるんで一般売りしないで。あと、南蛮では同じ重さの金と同価値って言われるほどのものだから南蛮人以外に売らないように」
「承知しました」
紅玉と蒼玉の質と量に驚きながら、紹鴎は答えた。
「紹鴎殿。銅の針金、それも出来るだけ均一で出来るだけ細いものを探して、仕入れてもらえますか?」
良之は、発電機を作るための材料集めとして、紹鴎に依頼をした。
以前にも、水車の回転を利用したいわゆる水車引きによる銅の針金は、遅くとも14世紀には日本に存在したことに触れた。
京の名産品にも、針金細工がある。
針金細工自体は奈良期から発展がはじまったようであるが、この時代の銅線は、板銅を叩いて圧延し、手作業で針金に仕上げていたのかも知れない。
「銅の針金どすか?」
「ええ。白川衆に割り増しを払って奨励してもらっても構いませんし、広階親方のところで新しくはじめたい職人がいたら資金援助してやって下さい。とにかく、たくさん欲しいです」
「たくさんとは?」
「500両目(20トン弱)は欲しいですね」
「……」
紹鴎は、常識外れの発注に唖然としたが、おそらく頼まれたからにはやるしか無いと思いなおし、船尾の銅座に相談に行くのだった。
「御所様、久しぶりでんな」
急速に拡大を続ける堺の鉄砲鍛冶商の橘屋又兵衛は、良之の来訪を歓迎した。
この半年製造した鉄砲は、そのほとんどが良之の飛騨へと送られている。
その売り上げで表店を堺に構え、今や飛ぶ鳥を落とす勢いである。
鉄砲鍛冶町を堺の堀外に増築中で、現在堺でもっとも勢いのある商人の1人である。
「橘屋さん、無理言って本当にすいません」
「まあええわい。こっちも儲けさせてもろてるがな」
良之は橘屋にも、例の純鉄のインゴットを提供してみようと思ったのだ。
「飛騨の鍛冶屋にはもう使わせています。混じりけなしの鉄ですから、藁で焚かないと柔いんですが、逆に言うと鋳鉄には最高の素材になると思うんですが……」
「ほう、混じりけなし……ええやろ、使こてみよ」
「ありがとうございます。皮屋の蔵に納めておきますんで、行けそうならよろしくお願いします。それでこれからですが……」
「ああ、皮屋に聞いた。もっと欲しい、言うんやろ?」
橘屋は、今後の生産についても請け負ってくれたので、良之はもう一度礼を言って、橘屋をあとにした。
最後に、五峯に硫黄の約束をしたのを思い出した良之は、機密性の高い納屋を借り、そこで硫黄を錬金術で精製して納めた。
このあと良之は船で雑賀に向かう。
鈴木佐大夫の居宅に赴き、雑賀衆の派遣に礼を言い、さらに、紀州鍛冶にも純鉄のインゴットを提供して、そのまま船便で伊勢、尾張と向かった。
尾張で上陸し、那古野城に。
「ようおいでになった」
織田備後守信秀が一行を出迎えた。
備後とは一別以来だったが、すっかり太って見違えるほど元気になっている。
「体調はいかがですか?」
「おかげさまをもちましてな。はは」
備後は脂の付いた腹のあたりをさすりながら、その節は本当に命を救われました。
と頭を下げた。
名古屋城内で応接を受けていると、どたどたと足音を上げて上総介信長がやってきた。
「おお、御所様、ようおいでになった」
父親と全く同じあいさつをする信長に、
「これ、なんじゃその出で立ちは。服を纏わぬか」
備後守がしかりつける。
弓でも引いていたのであろう。片肌脱ぎのまま駆けつけたようだった。
「ところで御所様。聞きましたぞ。飛騨に一夜で城をお建てとか」
備後は愉快そうに酒を呷ってから、良之に話しかけた。
「まさか。周囲の国人に気づかれないようこっそり建てただけで、一夜じゃありませんよ」
良之は苦笑した。随分噂に尾ひれが付いているようだった。
良之は、元々無人だった平湯の地に小屋がけをしてから山方や黒鍬、飛騨匠といった職人衆を送り込み、外部からの労働力で一気に町を建てたのだと説明した。
「それにしても、一度も戦わず江馬、塩屋などの衆を味方に付けるとは……」
上総介が興奮気味に話す。
「それは、飛騨には元々人が多くないためですよ」
おそらく、この時代の飛騨には老人や赤ん坊までひっくるめても3万人に及ばないのでは無いかと良之は思っている。
神岡の江馬氏でも1000、丹生川の塩屋氏も同程度の動員数がいいところだろう。
そこに、銭傭いではあるが5000以上の働き盛りの男がたむろし、1000もの鉄砲を日々打ち鳴らしていれば、彼我の差を計算せざるを得ない。
「親父様! わしはこのまま御所様に付いて飛騨を見に行ってみたい」
上総介が目をぎらつかせて言い出した。
「む……御所様、いかがであろう?」
親バカか備後。良之は思った。
「え、ええ。それは構いませんが、嫡男ですよね? いいんですか?」
「こ奴が言い出したら止めても聞かぬ。ならいっそ、御所様に手綱をお預けした方が、後々どこにも迷惑をかけぬやも知れぬで」
はっはと備後は笑った。もうだいぶ酔ってるようだった。
「……」
良之とその従者たちは、翌朝、上総介が本気だったと知る。
すっかり旅支度を調えた信長は、左右に池田勝三郎恒興、丹羽五郎左衛門尉長秀、川尻与兵衛秀隆を従え、騎乗で待っていた。
信長の供として槍を担いでいるのは、まだ元服さえしていない前田犬千代だ。
「……よろしいので?」
見送りに出た備後守に改めて問いかける。
「なあに、飽きたら帰って来るであろうさ。それより、愚息のこと、お頼み申し上げる」
「は、はあ……分かりました」
仕方なく、半ば強引に一行に加わった上総介信長を連れて、良之の一行は美濃に入った。
「なに? 御所様と婿殿が?」
斎藤山城守利政は耳を疑った。
「はっ。二条御所様のお先触れが文を持って参りました」
「……」
山城守は文を読んだ。
曰く。
所用あり上京、春を待って飛騨に戻る。道行き、織田上総介殿の願いにより彼を飛騨に案内する。斉藤山城守殿は
斉藤山城守は慌てて家臣らに歓迎の準備をさせる。
それにしても、御所様は分かるが、なにゆえ婿殿が?
山城守は首をひねった。
一行が稲葉山城に着いた。
斉藤山城守自らが門外まで迎えに出て、一行を居館の大広間で歓待した。
「織田上総介信長でござる。舅殿にお会いできたのは恐悦至極」
「うむ。山城じゃ。よう参った。それはいいが、なにゆえ婿殿は御所様と同道なさって居る?」
「そのこと。わしは御所様の一夜城を是非みたい。あれは男の夢よ」
信長は斉藤山城守に、熱っぽくその夢を語って聞かせた。
本来この時代において没落の極みである公卿が、自身の知恵と才覚を持って一夜で飛騨に城を作り、周囲の国人を屈服させた。
それが真であれば、この目で見たいと思うのも、また男である、と。
「なるほど、かっかっか」
山城守は腹から笑った。
信長の思いを青臭いと切り捨てるのは容易だが、世は乱世だ。
ある種の命がけの戯れに本気で乗り出す行動力は、素直に感心できると山城守は思った。
同時に、自分もこの城を置いて御所様の一夜城を見てみたい。
その欲望がもたげている事に気づいてもいた。
そして、その感情は、斉藤山城守にとって最大の暗部をじくじくと痛ませる。
一同の歓迎の宴の最中。
1人の小者が山城守に耳打ちする。
「なに? 新九郎が?」
その一声にあまりに深い怒りが籠もっていたため、一瞬、宴に沈黙が降りた。
「……よい、通せ」
山城の言葉に小者は下がり、やがて、異装の男がのっしのっしと、広間を闊歩して入って来た。
大きい。
良之は彼の身長が2メートル近いんじゃ無いかと思った。
だが、その顔は、山城守の嫡男であれば未だ25才ほどのはずなのに、山城守よりよほど老けて見える。
良之を除く二条家の家臣は息をのんでいた。
上座に座る良之の前に新九郎義龍は胡座にかけ、両拳をついてあいさつをした。
「斉藤新九郎義龍と申す。御所様にはじめてお目もじいたす」
「二条三位大蔵です」
良之が返礼した時、陪席筆頭の位置に座っていた滝川彦右衛門が怒り声を上げた。
「山城守殿! 業病の者を御所様のお近くに寄せるなど! いかなる存念か!」
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