第33話 初めての城 4

「それで、わしらは何をしたらいいのか?」

江馬が聞く。

「ひとまず今年は例年通り、税を集めてください。その後、検地・刀狩りをして下さい」

「検地・刀狩り……」

「治安は俺の兵が守ります。これを警察と言います。警護し、巡察する」

「検地はまだしも、刀狩りはどうでしょうな……」

「金を出しましょう。正しい金額で武具を買い取ります。どうしても手放したくない場合は、農地を手放し、俺の下で武家になったらいい」


「わしはどうしますかな?」

塩屋が愉快そうに良之に問う。

「あなたも今年は、例年通りの徴税。そして検地と刀狩りをお願いします。終わったら、是非やって欲しいことがあります」

「それは?」

「街道の強化、加賀、越中の国境への倉庫町の建設、そして、架橋です」

「橋?」

「商人には堪らない開発でしょう?」

良之が笑った。




良之は早速、平湯~一重ヶ根~神岡間の街道の整備を人夫と黒鍬衆に行わせ、匠には神岡ではじめる新住居建設の他、架橋にも参加してもらった。

橋というのは、戦時に敵にも利便性を提供してしまう。戦国期の領主は作りたがらないのが一般だが、良之は少なくとも領内には積極的に架橋するべきだと思っている。

要は、橋を渡られたくらいでびくともしない軍を作ればいい。

そう決めて次々に架橋を指示したのである。


製材を担当していた山方衆の中には、自領に帰らねばならぬ者も現れだしている。

労夫として訪れた加賀の門徒たちも、雪が降る前に故郷に帰る者達が出始めた。

だが、雪がこの地を覆って仕事がままならなくなっても、日当と食料は変わらず支払うという条件に惹かれ、この地に残ることにした労夫や職人も多い。

雪かきや建物の補修など、雪中にも仕事は多いのだ。


平湯は統治を隠岐大蔵大夫、軍事を千賀地石見に任せ、良之は兵1000を引き連れ、全側近と神岡に移った。


この頃、信濃で浪人や流民を集めていた虎御前が戻ってきた。

意外な人物を連れてきていた。

木曽左京大夫義在だ。

左京はすでに八年前には、嫡子義康に家督を譲り、隠居の身分である。

彼は自身の隠居地に集まった流浪の一族を多く匿っていた。

関東や甲信から、凶作、震災、戦乱で流民化した氏族の新田作りを許し、入居させている。

そうした流民たちの入植スカウトに歩いていた虎御前から話を聞き

「気があった」

という。

この頃すでに六十才近い。意気投合しただけで隠居の身がはるばる飛騨までやってくる訳が無い。

彼は彼なりに、二条三位大蔵卿の正邪曲直を見極めたいと思っていたのだ。


虎御前と木曽左京の連れてきた流民たちは多かれ少なかれ「代表者」的な側面を持っている。

代表と言うより、一種の偵察に近い。

安定した環境で飛騨への移住が出来るのなら、一族の代表が女房子どもまで総出で引っ越したいと考えている。

そこで、良之は彼らの案内を下間源十郎と木下藤吉郎にさせることにした。

神岡での長屋建築も、平湯と同規模で行われている。

つまり非生産従事者が五千人規模で常駐できる空室の確保である。

同様に、蔵も「江馬様の下の屋敷」と呼ばれる屋敷の周囲に建てさせる。

あとひとつきで、飛騨は雪に埋もれる。

誰もが必死に急いで工事に励んでいた。


源十郎と藤吉郎は一行を平湯まで案内した。

虎御前や木曽左京さえも、その大規模な公共投資に驚いている。

しかも、7000人近い「富を生まない」労働力を一時に集めて、それを食わせている良之の資金力に驚きを隠せなかった。


「黒鍬・金山衆、それに山方、猟師、皮職人は優遇します。鍛冶、鋳物師なども」

良之は一同に話す。

「武家も、働きを見て優遇します。当家のお家芸は鉄砲ですが、弓、槍、騎馬の能力も重視します」

その言葉に、喜色を浮かべる一団は、北条や武田に負け、彼らに与するのを良しとせず、本貫の地を離れた一族の者だろう。

「飛騨の地は農業に適しません。ですから翌年以降は換金作物を検討します。養蚕や絹糸紡ぎ、梅などです」

もちろん、家中で青物を育てることは奨励するしその土地は提供します。

良之はいった。

「女、老人には手工業を頼みますし報酬は払います。子供達は読み書き算盤、有能な子には四書五経など、様々な教育を与えます。学費は全て、俺が出します。基本、働かせないものと思って下さい」

「それは河原者や猟師、山方も同じですか?」

「同じです。俺は職種で貴賤を見ません。どんな仕事も人が暮らすのに必要ですから」


源十郎と藤吉郎による見学会と良之との説明会の後、早速一族郎党を呼びに走る者達が現れたが、慎重な者達はまず飛騨の様子を見て考えることにした。

早速、各組頭たちによって、人材の配分が行われた。


神岡の金山衆は、ひとまず全員鉱山や吹屋での労働を休止させ、道普請に狩り出している。

もちろん、賦役ではなく、報酬を正規の額支払う。

この休山の時を利用し、良之は神岡で出ているカラミなど選鉱後の廃棄物の回収を行った。




良之に、京からつなぎが来た。

周防・長門・石見・豊前・筑前といった巨大な領地を持った戦国大名、大内義隆が、家臣陶隆房の謀反により討ち死にした。

大寧寺の変と呼ばれる9月1-2日の間に起きた政変によって、良之の父前関白二条尹房と兄三位中将二条良豊も死亡、他にも左大臣三条公頼、権中納言持明院基規などもそれぞれ自害もしくは惨殺された。

また、これらに付き従っていた諸大夫や小者、女子どもまでが虐殺されたという。

帝や関白を筆頭に公卿たちのショックは深く、大変沈んだ状況に落ち込んでいると知らせがあった。

良之は出来れば京に戻りたかったが、飛騨の経営の端に付いたばかりで、現在ここを離れられないと判断した。

祐筆を総動員して、帝、関白、山科卿をはじめ、被害者たちの遺族にもお見舞いの書状を送った。

また、兄の関白にも、つなぎに2000両ほど持たせ、お見舞い金に使うよう言付けた。




すでに5日待ったが、内ヶ島からの連絡は来なかった。


良之は、大名と国人の関係を考え続けている。

「フランチャイズみたいだ」

大名が、である。


たとえば武田家。

フランチャイズを提供する「親」の事をフランチャイザーと言い、フランチャイズ提供を受ける「子」のことをフランチャイジーと呼ぶ。

フランチャイザー武田家は、長い年月をかけて同化した地域を直営店としている。

管理は自社の社員が行う。

これが家臣だ。


直系家族である武田信繁や信廉などは役員になる。

内藤や馬場や飯富などは、役付きの部長職のようなものだろう。


親族衆というのが居る。長年のフランチャイジーの中には、社長一族から嫁をもらったりして、本社のグループ企業的ポジションになっている国人が居る。穴山だったり、小山田だったりがここに含まれるだろう。


そして、所領を安堵されている国人。市河や高梨、武川衆など。彼らがフランチャイジーのようなものだ。

独立採算で武田の看板を掲げて営業している。

「フランチャイズチェーンのイメージ悪くなるから、略奪するな」

と命じて、彼らが親会社のいう事を聞くかどうかは結局のところ、収益性の問題である。

チェーン店の親会社が充分に食わせてくれていれば、独立採算制のフランチャイジーたちはきっちり働く。

だが、親会社の様子がおかしければ、グループ企業になっている穴山や小山田でさえ、徳川や北条、織田にフランチャイズを乗り換える。

いわんや所領を安堵した国人たち。

戦ごとに両陣営から誘いが来る。どっちに付くか考える。勝ち馬に乗れれば安泰で、負ければ最悪全てを喪うのである。


内ヶ島にとっては、独立採算でいた方が儲かると判断しているのだろうと良之は思った。

実際そうだった。

この時点で良之が知らない情報として、内ヶ島家が鉱山を三つ持っている事がある。

全て、主要産物は、金鉱である。


その上、白川は文化的には飛騨の中では特殊なポジションにある。

庄川流域の五箇山あたりの文化の源流となっている上、たとえ越中街道を封鎖されようと、この地の門徒たちが開いた加賀・小松までの道と、庄川をたどって越中・砺波平野まで下る交易路があるため、戦略的には意味が無い。

つまり、飛騨国内にある他領への依存度が元々低い。


塩屋のように元来が商人であり、その財力で国人化した者。

あるいは立地的に他の国人や周辺国の大名に影響を受けやすい江馬とは、内ヶ島はポリシーもスタンスも違う。


良之は、配下首脳陣との評定で「内ヶ島への接触禁止」を伝えた。

要するに「放っておけ」といったのだ。

良之に面会することを強要してはいけない。

それどころか、越中西街道を下る内ヶ島家の荷物も黙って通し、通行料も取るなと伝えた。

二条家では、内ヶ島をどうとも思っていない。その明確なジェスチャーを示すことを臣下たちに求めた。




良之は、今できる技術の積み重ねによってステップアップさせて工業化を成し遂げたいと思っている。

そのため、毎日鍛冶師、鋳物師、冶金師、山方衆、黒鍬衆、金山衆といった労働現場を視察しては、彼らの経験から生まれた知性を吸収している。

どの業にも、弟子にさえ見せない秘伝があるが、そこは強権で押し通した。

彼らは、はじめこそ嫌がったり気味悪がったりしたが、やがて、彼の知性に心服したり、本来貴人である彼が、一定の尊敬を持って卑人である職人に接してくれることに感激して、徐々に協力的になっていった。


良之は、まず電気を必要としていた。

金属を人類が制する上で、最初の武器が炎だったとするならば、最大にして最後の武器は電気だった。

電気精錬、電解精錬はもちろん、加熱、還元送風、加圧減圧、脱硫、吸排気。

それらの全てに電気が使われる。

電気産業において最大の発明は、モーターおよびタービンである。

どちらも本質的には、同じ原理で動く。

磁気とコイルによって電気が生まれ、その電気によって回転動力が生まれる。

だから、たとえ小型のおもちゃ用モーターであっても、回転させれば発電機になり得る。

モーターにしろタービンにしろ、必ず必要となる材料は二つ。

磁石と、銅線である。


銅線について鋳物師と話し合っていると、彼らによれば遅くとも14世紀には銅の針金が生産されていることを良之は知った。

生産方法は、水車による延伸である。


銅の棒を、砂時計の砂が落ちるくびれた部分――蜂腰ほうように似た工具に差し込んで棒を押しこみつつ、細くなった銅線を引っ張って巻き取ると、均一な細さの銅線が作れる。

ちなみに蜂腰だが、蜂の腰のくびれを表す言葉で、女性の腰の造形の美称でもある。

鋳物師はその工具を作ったことがあるらしい。


銅線の用途は、この時代の場合、宝飾品や法具、仏具の類いが主なようだ。加工素材に用いられるのだろう。


良之は、もし銅線が安定的に入手出来るようであれば、エナメル線、つまり被膜絶縁された銅線の制作は容易だろうと考えている。

絶縁性の高い素材を塗布して乾燥させ、乾燥後は曲げ耐性があれば良い。

エナメルの語源は、まさにエナメル塗料を塗布した事による。

量産の観点からやがて被膜素材はポリウレタン樹脂に変わったが、要は絶縁体であって巻き上げた時に銅線同士がショートしなければ良い。


磁石もまた、この時代に全ての材料と生産に必要な工具、装置がそろう材料だ。

酸化鉄とバリウムを焼結させ、ミクロン単位に粉砕する。それをセラミック焼成したあと、強い磁力線に晒すと永久磁石になる。フェライト磁石だ。

銅線のコイルと磁石、それに回転エネルギーがそろえば、戦国時代でも容易に発電は可能だ。

発電だけであればもっと簡単な方法もある。

この神岡で産出する鉛を精製し、平湯の南東にある硫黄岳から採取した硫黄で硫酸を作る。それを、二酸化鉛を陽極、純鉛を陰極にして電池を作ればいい。

鉛蓄電池は再充電が可能なので、発電機との併用も考えられる。


タービンさえ作れるのであれば、今のところ良之が必要とする電力量は水力だけで賄えそうだ。

それに、平湯なら温泉を、アカンダナ山なら地熱を使えば地熱発電所も可能になるかも知れない。


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