第32話 初めての城 3

紀伊・雑賀から銭侍で来てくれた顔ぶれは、なんと孫一がリーダー格だった。

「御所様、恩返しに参りました」

病で成長の遅かった孫一が無邪気に微笑みながらあいさつした。


紀伊の鍛冶師まで来ている。

言うまでもないことだが、紀伊の鍛冶師という事は、種子島の専門家という事で、玉薬の調合まで出来る。

そして、この時代の鍛冶師は、鍛冶場を自分で作れるのだ。


雑賀の鍛冶師に無理を言って、滝川彦右衛門と下間源十郎。そして彼らが見込んだそれぞれ5人の男たちを、この機会に徹底的に鍛えてもらう。

ハサミかペンチ、あるいはやっとこに似た鉛玉を作る工具を自作させる。

さらにそれで鉛玉を作らせる。

良之が火薬倉に大量に用意した硝石、硫黄、木炭を使って、玉薬の調合を覚えさせる。

そしてそれらを使って自分自身で射撃の訓練をさせる。

エリート教育である。


年が若く身体が出来ていない者達には、一日ごとに交代で読み書きと算盤を教える。

これは隠岐や祐筆、公家の次男坊以下の仕事である。

商家の心得のある者達には、良之が次々に満たす蔵の在庫を控えさせ、必要な時に、必要な場所や人に供給させる。

これは藤吉郎に天賦の才があった。皆ライバル心を燃やし競ったが、やはり彼に及ぶ者は居ないようだ。

藤吉郎のあとを付いて歩く小一郎もなかなかに聡い。

彼は藤吉郎の弟で、母や姉妹と共に、藤吉郎がここに連れてきていた。

決して出しゃばらず、藤吉郎のサポートをしている。


木下家の女性陣には、良之が昆布や鰹を使ったダシの取り方を教え、味噌汁を教える。

ダシを取り終えた昆布や鰹は、砂糖と昆布などで佃煮を作らせた。


フリーデたちには、ここに入る者達の健康診断と寄生虫の駆除を任せている。

良之は、まずはここから寄生虫のない社会を目指したいと思っていた。




堺からの荷が、岩瀬港経由でやってきた。

こもにつつまれ、さらに油紙で丁寧に梱包された種子島だ。

「五百挺用意できました」

得意気に語る皮屋の手代頭たちを労い、温泉とごちそうを振る舞って帰らせる。

望月三郎、服部半蔵、千賀地石見、滝川彦右衛門、下間源十郎の組頭たちに、それぞれ百挺ずつ与え、鉄砲隊を編成させる。

平湯の建設ラッシュは佳境だが、防衛力の強化もまた急務になっている。

そろそろさすがに、この派手な建設ラッシュに近隣の豪族たちも気がつき始めたのだ。


江馬常陸介は、神岡の国人、時盛の嫡子で、以前に会っている。

このとき18才。

高原諏訪城を拠点にする左馬介江馬時盛は、例の風変わりな公卿が神岡を通過して東に消えて以降、領内を通過する庶民、領内から銭仕事で雇われ東に消える農民や猟師や山方衆や大工。そして、京や堺や敦賀あたりから大量にやってきては東に去って行く物資を薄気味悪く見ていた。


神岡を南北に通る街道を越中では飛騨街道といい、飛騨の人間は越中街道と呼んでいる。

これは飛騨の人間にとっての生命線のような街道で、食糧自給率の低い飛騨に、海産物や糧食を運んでいる。

神岡には、東西二本ある越中街道の東街道が通っている。

この道は元来通行量が多いのでまだ分かる。

だが、神岡を基点に東へ向かう道は、行く先には、一重ヶ根という人口三百にも満たない山村があるだけだ。

当然国人など存在せず、戦の時には神岡に編成され村長が率いている。

その先には集落など存在せず、無人の荒野が飛騨山脈に囲まれ、その先の信州でも似たような状況である。

ではなぜそんな原野に道があるのか。

鎌倉時代に飛騨に入ったのが鎌倉方で、地元の人間たちを賦役に徴発して、いわゆる鎌倉街道を作ったからである。

使いもしないのに三本も作った。

そのうちの、上ノ道が、いま神岡と一重ヶ根を結んでいる。一重ヶ根から平湯までもわずかに痕跡として残っていたが、通る人間のいない道などものの2年で草に埋もれる。


室町期に入って、飛騨と信州は没交渉となった。

当然鎌倉道の事など忘れ去られ、土砂崩れなどで切れるに任せたまま放置されている。

現在信濃の者が飛騨に入ろうと思うなら、美濃に向かう木曽道から下呂、もしくは不便な山道を通り高山に入るしかない。


常陸介は、一重ヶ根をまず調べた。

村人たちも、道さえない(と思っている)平湯に消えていく人間や物資に首をかしげていたが、誰1人近寄っては居ないようだ。

村人に道案内させて騎乗の常陸介は一重ヶ根から東に登っていく。

そこで、道をふさぐ随分と立派な関砦を発見した。


常陸介が騎乗のまま関の中に入ると、槍を持った小者たちが駆け寄ってきた。

「江馬常陸介と申す。この砦はいかなる御仁の所有か?」

常陸介は駆け寄った小者に訪ねた。

「二条三位大蔵卿様の湯治宿でござるよ」

この関の番頭である中村孫作が答えた。

孫作は滝川の組配下で、血縁があるらしい。

「御所様には先日お目にかかった、是非お会いしてお話を承りたい」

常陸介が言うと、孫作はうなずいて、「こちらへ」と案内した。


鎌倉道は神岡から一重ヶ根まで緩やかに南東に上り坂で進み、この関のあたりから若干下りつつ南に進む。

下りきったあたりで平湯川を渡ると、すぐに、高山から伸びる鎌倉道と合流する。

常陸介は、川に立派な橋が架かっていることにも驚いたが、それ以上に、急な角度を付けた切妻屋根の長屋の数に驚いた。

しかも、屋根という屋根が銅葺きで、赤々としたいらかを大地に敷き詰めている。

いったいどのくらいの規模の人間がここに居るのか。

そして、どれほどの富を散じたものか。


「江馬常陸介? ああ」

お通ししろ。と良之は伝令に伝える。

やがて、供回りも連れず1人で常陸介が母屋に通される。


「ようこそ、常陸介どの」

良之は、母屋の入り口から一番近い部屋、謁見室らしい間で常陸介に会った。

謁見室の片側は障子が開け放たれ、随分凝った枯山水の庭が広がっている。

いわゆる「お庭番」が控えているような庭である。

さすがに妙に恐縮しつつ、常陸介は下座でひとつあいさつしてから良之に尋ねた。

「御所様、これは一体いつの間にお建てになったのですか?」


「まえに、あなた方の城にあいさつによったあと、ここの温泉を見つけたんですがね。まあ常陸殿もご存じと思いますけど、ここって無人の原野だったでしょ?」

「ええ」

最後に見たのはいつだったか常陸介もわすれたが、それでもここが人通りさえない寂れた荒野だったのは知っている。

「で、まあ俺もこう見えて金は一杯あるんで、金に飽かせて温泉宿を作った訳ですよ」

良之がそう言うと、温泉の源泉を挟んだ反対側に作られた訓練場から、凄まじい炸裂音が山々にこだまするように響き渡った。


「な、何事ですか!」

「ああ、種子島の訓練です」

「種子島?」

「鉄砲ですよ。ご存じですか?」

もちろん常陸介も知っている。

「しかし、種子島ではあんな音はしないはず……」

「ああ、あれは八百挺で一斉射撃の練習をしてるんです」

「八百……一斉」

「見学して見ますか?」

「是非!」

というわけで、常陸介を連れて、練兵場にしている北部の荒れ地へと彼を連れ、良之は移動した。


この時分の種子島は、連発が効かない。

砲身を冷まし、すすを綿棒で掃除し、やっと薬籠め、玉籠めを済ませて撃つ。

「必ず、耳を指で塞いで下さい」

良之の指示通り、常陸介は耳を塞ぐ。

大声で指揮を執る滝川彦右衛門に従い、八百の銃兵は統率の取れた動きで、片膝立ちになり、構え、撃った。

今回の訓練は約百メートル(55間)くらいのようだ。彦右衛門や下間源十郎あたりだと、すでに100間(200メートル)の遠当てで外さないらしい。

だが、今訓練中の銃兵たちは、さすがにまだまだ修行が足りないようだ。

半数近くが、的を外している。


「……」

だが、常陸介には、今でさえ衝撃だった。

これがもし、我が城に殺到したら……。

どうしても考えずにはいられなかった。


食事と温泉を振る舞われて、常陸介は帰宅した。

寝ても覚めても、あの公卿の軍事力が頭から離れず、常陸介はついに、父江馬左馬介に相談することにした。


「お通しして」

三日後。

江馬親子が訪ねてきて、

「鉄砲の修練を見せて欲しい」

といった。

無論良之は彼らを伴って、練兵場へ向かい、滝川彦右衛門たちに準備をさせて、その訓練の様子を存分に見学させた。


「御所様は、この兵力をいかにお使いになられますか?」

思い詰めた表情で、江馬左馬介は切り出した。

「俺は帝から、飛騨国司に任じられました。この意味、分かりますか?」

「なんと! では姉小路家は?」

「本人にはまだ伝えておりませんが、これまでの朝廷に対する不義理の状況では、移し替えになるでしょう。あの様子では、他国の国司に任じられても、統治など出来ますまい」

まあ京に上るなら邪魔はしませんが。

と良之は冷たくいった。


国人、という立場にある江馬家にとって、二条良之の国司宣言は重大な意味を持つ。

姉小路が没落してるのは、ひとえに名目のみの国司であり、有力国人の庇護で家を保っているに過ぎなかった。

ところが、良之は違う。

江馬親子が見たところ、すでに彼は1500以上の兵力を持ち、そのうち八百には、未だこの時代では普及も進んでいない「種子島」を装備させ、射撃訓練まで行っている。


問題は、江馬家がこの地に巨大な城郭とすら言って良い「平湯御所」があると気づいたあとも、神岡を通ってこの地に入ってくる人数が1000以上になるという事である。

そして、彼らを寝泊まりさせ、充分に食事も提供しているという。

多くは職人や労夫だったが、明らかに武家として雇われていると分かる者達も居て、彼らは弓や馬などの訓練をし、希望者は鉄砲を無制限に撃たせてもらえている。

一体ここには、今何人くらいの人間が居るのか。

「さあ、5000人以上になってるようですが」

こともなげに良之は答えた。


驚くのは、その物資の量だった。

良之の母屋の周りにはぐるりと一周土蔵が並んでいる。

そこに荷車で連日荷物が届いては運び込まれている。

その全ては富山の岩瀬港経由で越中東海道を通ってくる。

もはや今の時点で、もし江馬家が支配下国人を総動員しても、勝てないかも知れなかった。

江馬親子は呆然と神岡に戻り、やがて、支配下の者を全員集め、評定を行った。

「戦いもせず、下るのか?」

河上や脇田といった重臣たちは色をなしたが、

「では自分の目で見てくるがいい」

と左馬介に言われ、憤慨して平湯に視察に出向いた。

翌日の評定では、一同、音もなかった。


この当時、内ヶ島と塩屋は江馬の家臣ではない。どちらも国人として江馬と協調はしているが、仮に戦などの重大事があった際には、その時々で参戦か傍観かを決める権限があった。

彼らを招き

「当家は二条三位大蔵卿に臣従する」

と宣言した。

塩屋も内ヶ島も驚いてその真意を尋ね、自分たちもと平湯にその真偽を質しに行った。


「御所様、江馬、内ヶ島、塩屋の三家から当主が参っております」

隠岐が母屋で言上した。

「お通しして」

謁見の間に行くとすでに江馬左馬介時盛、塩屋筑前守、内ヶ島夜叉熊とその後見豊後守が下座に控えている。

それぞれの名乗りを受け、良之もあいさつを返す。

「ようこそおいで下さいました」


三者は左馬介を代表に、臣下の礼を取るので所領を安堵して欲しい旨を言上する。

じっと考えていた良之が、やっと口を開いた。

「皆さんは、全て領地を俺に返納し、代わりに、今と同じ身分と、年貢の代わりに銭で受け取ることで仕える気はありますか?」

良之は、この時代の統治がひどく不経済で、不合理で、不安定だと感じている。

この時代の京に飛ばされて以来、良之は近畿・東海・甲信越、そして越中飛騨と見て回った。

「領地の経営は、大変でしょう?」

良之は切り出す。

「俺は、戦や領内の警護は、専門の軍人に。農業は農家、商業は商家、工業は職人に専業させて、それを監督する公務、と、生き方を決めて欲しいと思ってます」

「理屈は分かります。が、それはかつてうまくいきませんでしたな」

塩屋が言う。

彼は出自が商人で、越中や加賀と飛騨を結ぶ食糧の供給で巨万の富を稼ぎ、各地の国人に金を貸しては、その形に城や領民を受け取って国人化している。

だから今の良之の話は実体験として理解が出来る。

「建武の新政のことですか?」

「その通りです。結果、国は南北に別れ乱れに乱れ、未だにその頃の傷も癒えず、親子兄弟が敵味方で戦う風習を残しました」

良之はしょせん大学受験で必要となる丸暗記風の日本史程度の知識しかない。

受験用日本史の知識というのは、役に立つようで居て、こうして実際使おうと思えばなんの役にも立たない。

あの教育には、人間哲学とか、政治史の背景などが一切ないからだ。

だが、ここでは少なくとも、良之が自分自身で見て、研究したためにいえることがいくつかあった。

「あの頃は結局、無理だっただけです」

「では、御所様にはそれがおできになると?」

塩屋筑前はなかなか鋭い男だった。

「結局、『貧しいから戦う』って人間を減らせば、戦の半分以上はこの世界からなくなります」

いきなり良之が言い出した。

「そして、『飢えるから戦う』って人をなくせば、残りは、後世に名を残したいとか、戦いの中でこそ自分が輝くとか、そんな人間だけが残るでしょう。随分それでも平和になります」

「……」

一瞬思考が止まったような国人たちのうち、最初に反応したのはやはり塩屋筑前守だった。

「どうやったらそんなことが出来るのですか?」

「貧しいのは、まず通貨制度と商取引を安定させます。次に工業生産力を上げ、最後に、教育です」

「飢えるのは?」

「農業、水産業、畜産業を向上させればいい。そして、戦争が無くなれば、田畑を焼かれなくなる」

「……なるほど。いってることは分かります」

「……わかるのか?」

塩屋に江馬が問い返す。

「理屈は分かる。だが方法が分かりませんな」

「通貨の方は、新たに銅銭を作ります。それも大量に、安定的にです。商取引は、まずは全国の分銅を統一させます。どちらも、もう準備ははじめています。もう一つ、棹銅を官許にしました。こちらも、徐々に浸透していくでしょう」

加賀や越中と取引をしている塩屋は耳が早い。それらはすでに知っていた。

「軍事の方は、これはもう仕方ないです。戦わねば分からない相手も、どうしても出てくるでしょう。そういう場合は、戦うしか無い」


「それが、御所様が揃えている鉄砲ですか?」

江馬が聞く。

「そうです。今年はこのまま行きますが、もしあなた方が本当に俺の事を信じ、領地を俺に差し出して臣下になってくれるのなら、一年で、どこにも負けることの無い軍隊と、飢えることの無い国を作ります」


論より証拠。

良之は、邸内の蔵という蔵を開けて、4人に見せた。

どの蔵にもうずたかく、米が、塩が、味噌が、干し魚が、野菜が積み上げられていた。

「ここに集まってる兵や労夫たちは、誰1人農作業をしていません。食料は俺が提供し、そのほかに銭で給料を支払います」

彼らは、商家を持つ塩屋以外は全員、国人の支配層でありながら貧しかった。

「わしは従う。これほどの力を見せられては、戦っても負けるし、戦う前から負けている」

江馬はため息混じりに、そういった。

「……やれやれ。わしも商人として日の本に誇れると自負していましたが……この蔵を見せられては、力の差は歴然。何より、御所様の展望はおもしろい。一緒にその先が見てみとうございます」

「わしらは、一度持ち帰り、衆議にかけたい」

内ヶ島家は、そう言って辞した。


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