第25話 旅の空 6 -相模-
服部半蔵の配下に北条家へのつなぎを頼み数日。
北条幻庵名義による北条相模守氏康代返の書状が届けられ、これを機に今川家に暇乞いをした。
今川家では別れを惜しんでくれたが、良之は、どうせ越冬せねばならないのなら、この際箱根あたりで雪解けを待つ気になっていた。
天下の堅城といわれる小田原城も見てみたかったし、小田原もまた、駿府に負けない文化的な都市だという。
旧暦10月20日。
良之主従は駿府を発った。
蒲原、吉原と宿を取り、沼津に入った。
「なんだこれ!」
沼津を流れる狩野川の河川敷を良之は、ついいつもの癖で砂金取りにいそしんでいると、取っても取っても砂金溜まりが見つかる。つい興奮状態で足を止め、一心不乱に収穫を始めだした。
ついに主従の歩みはほとんど停止状態に近くなった。
「今日の宿の予定は?」
良之が聞く。隠岐大蔵大夫は
「三島でございます」
と答える。
「変更。この川をさかのぼるよ。どこかに宿はある?」
先触れを務める服部の手の小者が
「北条寺がございます」
と報告したので
「じゃあそこに宿を取って。俺の供回り以外は先行していいよ」
と言うと、再び馬上から錬金術での砂金取りに没頭し始めた。
こうなると隠岐も言われた通りにするしかない。
馬回りの藤吉郎、近習の下間、それにフリーデとアイリ、諸大夫格の服部と滝川を残し、残りは先行し北条寺を目指した。
北条寺ではいきなり現れた公卿の家臣に困惑し、韮山城に届けた。
韮山城でも扱いに苦慮したが、
「お公家様なら小那温泉がよろしかろ」
となり、小田原へ早馬を出すと共に一行を長岡温泉郷に案内した。
隠岐は手早く一行を分宿させ、本人は急いで良之のもとへと引き返した。
ところが、隠岐が良之を見つけたのは、柿田川と狩野川の合流地点を少しさかのぼった湯川あたりだ。
「御所様、急ぎませんと、日が暮れてしまいます」
隠岐は良之を案じてしつこく急かすが、良之は全く隠岐の言葉に耳を貸さず、一心に砂金を集めている。
ついには、川岸に立つ蔵六寺のあたりで日没を迎えてしまった。
やむなく一行はこの寺で宿を借り一夜を過ごすが、翌日からも良之は砂金取りに夢中でなかなか進まなかった。
やっと3日かけて従者たちの待つ長岡に到着。
ところが、良之はさらに上流に上ると宣言した。
「この上には?」
「修善寺温泉があります」
隠岐は一同を再び指揮して修善寺へ。
一方良之は大仁あたりでかなり時間をかけ4日後に修善寺に到着。
数日のんびり温泉を楽しんだあと、また家臣たちをほっぽらかし、山に登ったり川をさかのぼったりを繰り返していた。
さすがに退屈をもてあましたか、藤吉郎が
「御所様、そんなに砂金が取れるのですか?」
と聞いた。
「うん、すごいぞ藤吉郎。もう5万両は集めた」
「ご! ……」
5万両。約850kgである。
修善寺のあたりは後に大仁金鉱が見つかるが、この時代、北条氏はまだ気がついていなかった。
その一帯を洗って流れた狩野川には、砂金が多かったのだろう。
この時代の伊豆半島は、まさに黄金の国だった。
一般に、金という物質は火山や温泉の多い地域に多く産出する。
地底のマグマ活動などで高温、高圧条件に熱された水は、周囲の金属を溶解させ内包しつつ、地下岩盤の割れ目を探して浸透していく。
やがてそうした岩の中で結晶化した金属が、長い時間を経て地上に露出するのが、鉱脈である。
特に、火山帯で多く存在する塩素や硫化水素の雰囲気下では、地下資源は化合物を作り、石英質の岩盤の中で鉱物資源化しやすい。
伊豆や佐渡の金山、飛騨の銅や鉛と言った、産地に特徴的な鉱物資源は、その近辺に存在する火山や温泉と、決して無縁ではない。
家臣たちを隠岐に任せ修善寺に残し、すでに良之は天城に分け入っている。
船原川という支流を遡上していくうち、フリーデが辰砂を見つけ、良之に収集を頼んだ。
辰砂、朱の原料であり丹とも呼ばれる、水銀の原料、硫化水銀である。
フリーデにとって、この世界に来たことの難点が、新たな水銀が手に入らないことだった。
だが、わずかながらも有望な量の辰砂が露出しているのを見て、彼女は柄にもなく興奮した。
良之も、彼女が触媒として水銀を使っている事を知っているので、指示通りに収集した。
船原川を尾根まで遡上すると、分水嶺を経て、さらなる伊豆の金鉱床地帯に出る。
すなわち、土肥である。
このあと4日くらいかけて土肥川を下った彼らは、土肥の港から船で再び沼津まで送ってもらい、再度船原川沿いに砂金を集めつつ遡上していくのだった。
ひとつき近い時間をかけて良之はやっと満足したようだ。
従者たちの待つ修善寺で数日たっぷり骨休めをしたあと、小田原へと向かった。
修善寺から三島にでて、箱根を越えて小田原に。
小田原では、応接掛の幻庵が、一向に来ない良之を待ちわびていた。
「いや御所様には随分伊豆がお気に入りのご様子でしたな」
幻庵に言われると、良之は満面の笑みで
「伊豆は本当に素晴らしいところですね!」
と返されたので、すっかり幻庵も毒気を抜かれてしまった。
先の返信で北条相模守氏康が多忙、といっていたのは、関東管領山内上杉家の平井城を攻めていたからだ。
この時期、攻略はならず北条軍は撤退。氏康は小田原に帰城していた。
良之は、春までの小田原滞在を氏康に願い、これを許された。
良之の臣下たちは、小田原でもそれぞれ、文武の師範を探しては教えを受けている。
一つには、こうした教育を「経費」として良之が認めたこともある。
さらに、乗馬が出来る者は次々と騎乗を許され、地位が上がった。
小者たちはこぞって乗馬を習い、牧場の荘出身の望月三郎に認定を任せる。
認可されると正式に青侍になれた。
リーダー格の望月、服部、千賀地、滝川、下間の下に組織され、給金はリーダーを通して支払われる組制度が始まっている。
別格として、京の諸大夫や青侍は隠岐の下で組織され、公家の諸法度や作法などを各組に教授するなど、良之の配下の質を向上させる役割を担ってくれている。
また、フリーデやアイリにも、その下の千と阿子が組頭になり、若手の小者を中心にした良之の親衛隊的な組織を作り上げている。
良之自身の小者頭は木下藤吉郎で、彼もすでにその人柄を活かした組織構築に、非凡の才を見せ始めている。ちなみに、小者頭とはいえ藤吉郎は、すでに騎乗の身分になっている。
問題もあった。
この時代、さすがに300を越えた武装騎乗の一団が歩き回るのは穏やかではない。
どうしても戦闘や略奪を警戒されるし、良之たちのように、武家の庇護下を利用して旅をする上で、いらない摩擦を生む可能性もある。
そこで、ある程度の実力が身についた臣下たちは、それぞれ伊賀、甲賀の里に送り、さらなる修行をさせることにしていた。
彼らは銭侍なので必ずしも新田を開墾する必要はないが、希望者にはそれを許していたし、中には、その里で相手を見つけて婚姻する者達も現れたようだ。
里の者達にも良い刺激になり、新たな仕官希望者も増えているという。
良之は、騎乗60。それに従う小者は一騎に付き2人の180人を上限に、各組頭に自由に編成を任せている。
また、砂金集めで得た豊富な資金を背景に、里に戻した臣下たちの生活も保障している。
この冬、良之は小田原鍛冶の見学をしたり、鋳物師に工房を借りて、京都で収集した、滅んだ寺社からの金属製品の精製といった作業を行っている。
幻庵を相手にした連歌や茶道など文化交流は、主に隠岐や、良之の祐筆などに任せている。
良之は、小田原でも商人司相手の営業を行う。
小田原では、顔役を漢方の欄干橋虎屋が務めている。
ここでもいつものごとく、水晶玉と錆顔料、そして醤油のサンプルを提供。
京・堺の昨今の話題を提供しつつ、棹銅の宣伝も行う。
魔法と錬金術の併用による元素単位の抽出は便利だが、良之以外の人間で、生産業として成り立つほどの生産量が上げられないのは大問題だった。
結局のところ、大量生産を行おうと思えば工業化せざるを得ないし、そうなれば人手がかかる。
良之は、すでにその問題を銅座の一件で悟っている。
詰まるところ、こうやって錬金術で金属を採取したり精製したりしているのは、将来のための軍資金稼ぎである。
小田原の良いところは、一キロも行かないで砂浜があるところだった。
良之は、砂浜から将来のためにアルミナを抽出しては<収納>している。
日本の砂に含まれているアルミナは、3%ほどだろうか。
業として精製したらとてもではないがコストにあわないが、錬金術で集めて歩く分には、100%純粋な物質として得られるので、問題はない。
ただし、この時代にアルミニウム工業を発生させるためには、中国か東南アジアからボーキサイトを輸入せねばならず、それは現実的には難しいだろうと良之は思っている。
アルミナにはいくつかの非常に大事な用途がある。
一つは、触媒。
大気汚染を防ぐためには脱硫装置が必要であり、脱硫の触媒としてアルミナは優秀だった。
次に、高温の坩堝。
アルミナによるセラミックス坩堝は、高温に耐えられる。
そして。
爆薬としてアルミニウム粉末は有能なのである。
ほかにも、サンドブラストのメディア(媒体)としても使われる。
錬金術で集めるんだったら砂礫の状態がもっとも集めやすい。
せっかく海岸線に近いところで春までの時間をつぶすからには、これを有効活用しない手はないと良之は思っている。
また、砂金を錬金術で精製し、純金の粒に換え、それを小田原城下の金屋で銀や銅銭、または棹銅と交換をしたり、この季節には安価になる米の買い付けをしたりもしている。
どれもあまりハデに行うと北条家に迷惑をかけるため、それなりに遠慮しながらではあるが。
また、小田原では麻や木綿、絹と言った布地を大量に買った。
鍋や釜、乾燥させた薪炭なども200人の炊事が出来るほどの量を仕入れておいた。
この時代の旅行は、道中でトラブルがあると最悪、野宿をせねばならない。
そうした場合の備えである。
良之とその配下の首脳陣はキャンピングカーで寝泊まりできるが、200人近い諸大夫や小者には、さすがにそうした環境までは用意できない。
せめて、テントを作って、あるいは幔幕を張って雨風や夜露を凌がせてやりたかった。
また、この頃、小田原の染め物屋で、二条藤の旗を二本作らせた。
戦闘行列ではないと通行人や国人豪族に分からせるためである。
この旗を先頭に掲げて歩く事で、少なくとも家紋から行列の主を理解してもらえないかという配慮だった。
伊賀・甲賀のネットワークによる情報伝達は今のところうまくいっているようだ。
通行した都市で、甲賀や伊賀の小者たちが数名ずつ消え、かと思うと新顔が補充されている。
どういう手管か、彼らはうまいこと町屋を借り、口入れ屋や世話人を介してその町に住み着いている。そうして、良之から出る俸禄で裏工作をしつつ、新しい連絡網を構築している。
それは素通りした三河や遠江などでも行われていたようだ。
遠里小野の
五三の桐の御紋、二条紋下がり藤の家紋を打刻したサンプルも届けられた。
現在のところ、おおよそ80両目=300gに鋳込まれているという。
皮屋を通じて二条家にも届けられ、朝廷にもサンプルが献上されたと報告が京からも届いた。
京・河内・堺の鋳物師たちの供給素材としてすでに需要が発生し始めている。
親方から、別の鋳物師のファミリーを引き込んで良いかという打診があった。
情報漏洩を防ぐ方策を万全にとる事を条件に、良之はこれを許可した。
素材の粗銅購入は皮屋だけではすでに追いつかず、天王寺屋、魚屋、小西屋などにも発注をしているそうだ。
また、日比屋など博多の商人に顔の利く会合衆にも仕事を回している。
それらの原資は、灰吹きによる産銀と皮屋への委託商品で充分賄えているようだった。
皮屋からは、京で戦があったために人手の確保に苦労はしたが、船尾の干拓・埋め立てがはじまったことを知らせる書簡が来た。
また、錆顔料は木工職人、染色職人、陶芸職人といった職人たちに好評であり、彼らに顔料を提供する卸たちがこぞって買い上げている。
また、純度の高さから明国人も買い上げていると聞く。
水晶玉も、小玉は仏具商が数珠用にまとめ買いをしている。
大玉は、南蛮商人も関心を示していて、上々の売れ行きのようだった。
良之は電子秤を持っている。
工業精度のものではなく、キャンピングカーのキッチン用の物だ。
これで純銅300gを計って、円柱形の棹銅を錬成した。
これを原型として、<収納>されている銅を錬金精錬して純銅の棹銅を大量生産した。
箱根の木工師に、これを200本収納できる木箱を量産させ、小田原から船で堺へ送らせる手配を付けた。
小田原にある粗銅を買い占めつつ、純銅の棹銅を売却した。
箱根の木工細工師たちは良之の特需に沸いて、総出で生産を請け負ってくれた。
600ケースほどが完成したので、それに一箱200本ずつ詰めて、全て皮屋へと輸出した。
一箱60kgのこのケースは、やがて共通規格化されていく。
ところで、良之が錬金精錬したこの棹銅を見て、広階親方は衝撃を受けた。
そしてこれを素体に鋳型を作り、出来るだけ近い棹銅を作ろうとがんばったらしい。
だが、結局はそんな手間をかけると需要に追いつかないため、やむなく従来通りの鋳型で妥協した。
この時代の棹銅は、まるで天然の山芋のように不格好な物が多いのだった。
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