第24話 旅の空 5 -駿河-


多指症。

木下藤吉郎の場合、右の親指が一本多かった。

彼が藤吉と呼ばれ、針売りをしていたことと、この多指症であった事でいわれのない差別といじめを受けていたことで、偶然良之は彼の正体に気がついた。

彼のことを六つ指と信長が呼んでいたことは有名だったし、同時代のフロイスなどにも記録があった事は、歴史にさほど詳しくない良之でさえ雑学として知っていた。

良之の時代でも多指症はさほど希少な症状ではなかった。

1000人あたり2.6人とかそんな感じだったと良之は記憶していた。

その多くは乳幼児期に整形手術が行われ、問題なく生育している。


良之は藤吉郎と語らって、やはりこの多指症が彼の心に影を残していることを知った。

もうじき、尾張を立って三河から駿河に向かおうと考えている良之にとって、のんびりしているこの時期に藤吉郎の整形手術を行ってしまいたいと考えていた。


「アイリ。藤吉郎の指だけど、君たちの魔法で治療は可能?」

良之は、アイリに相談してみた。

「多指症は、物理的に切って傷口を塞ぐ方法での治療となるでしょう」

アイリは答えた。

「じゃあ、切れば可能なんだね?」

「問題はありませんが、その……麻酔がありませんと、切るのは相当痛いと思います」

実は、この時代にはまだ麻酔薬がない。

「フリーデ、麻酔薬は作れる?」

「……残念ながら、習ったことがありません」

「あの、御所様。痛いのは一瞬だら、わしゃ辛抱出来るで」

「うまく斬れる人がいたら一瞬だけど、斬れなかったらかなり痛いと思うよ?」

「滝川様に切っていただきてえだ。滝川様だったら、いてえのがまんする」

「やだよわしゃ。勘弁してくれ」

いきなり振られて彦右衛門は顔を背ける。

「なら望月様」

「勘弁して下さい」

「なら、御所様は……」

「刃物なんか持ったら、自分を切りそうです」

どこかから「確かに」という声が聞こえた。


ノートパソコンの辞書で調べてみる。

麻酔の成分はリドカインと言うらしい。リドカインを分子辞典で調べる。

C14H22N2O.ClH。

塩素以外は常在の元素で、塩素も塩から取り出せる。

考えているうちに作ってしまえ、とリドカイン塩酸塩を作ってみたが、問題は注射器だった。

いろいろ悩んだが、別に工業製品を作るわけでなく、藤吉郎のためだけに錬成すれば良いのだと気づき、辞書で注射器の映像を見て、シリコンガラスでシリンジを作成。

ゴムもビニルメチルシリコンゴムを化学式連想で錬成し、シリンジに成型した。

針は純鉄で錬成し、シリンジに直接取り付けた。

リドカインを2mg、10mlの純水に解きシリンジに注入。

その状態で<収納>に保存した。


問題は誰が切るか。

「滝川様」

「……」

藤吉郎はどうやら、滝川彦右衛門に照準を定めたようだった。

「わしはあん時、滝川様が怒ってくれて嬉しかったで、切らるんだら滝川様にお願げえしてえだ。しくじってもええで、お願いします」

「こりゃひでえ、御所様」

「俺からも頼みます彦。俺にはとても自信がない。本人のたっての願いですから、お願いします」

「……痛くても俺を恨むな」

「ありがてえ、滝川様」

藤吉郎は頭を下げた。

とりあえず手を良く洗わせ、新しいサラシで拭かせたあと。

「麻酔を打ちます」

良之は、藤吉郎に、作った麻酔注射で右手に少しずつ麻酔薬を注入していった。


――こちらの麻酔の方が、よほど痛かった。


藤吉郎には後々まで言われ続けた。


切るべき部分にマジックペンで赤線を引き、

「じゃあアイリ、彦、お願いします」

といって、良之も藤吉郎と同じように目を閉じた。

那古野の鍛冶師が打った小柄の中でもっとも切れ味の良いものを選び、藤吉郎の右手の親指を一本、彦右衛門はあっさりと切り取った。

すかさず、アイリが治癒魔法で皮膚を再生させ、あっけなく彼の整形手術は終わった。




「もう行きなさるか?」

織田備後守信秀は、名残惜しそうに良之に返答する。

「出来れば、雪が降る前に行けるところまで行きたいのです」

良之は、滞在中の好意に感謝する。

「一体、御所様は何しに行くのだ?」

上総介が率直に問う。

この少年はいつも率直だ。それが実に良之には心地いい。

実は、上総介の方も、このおよそ公卿らしくない平明さを持った青年のことをすっかり気に入っている。

父親の命を救われたと言うだけでなく、この少年の心を沸き立たせる何かを、この貴人は持っている。

それだけに、別れがたい思いがある。

「一つには、社会の状況をこの目で見ることです」

この親子に分かるように、良之は言葉を選んで語る。

「この世に何が足りなくて、このような乱れが起きているのか。どこを直せば、世の中は平和になるのか。そういうことを探しているのです」

「それは、この尾張でわしらと一緒には出来んのか?」

それは意外な言葉だった。

織田上総介という人物、つまり信長という人間が持つ印象は、良之にとっては超ワンマンの経営者であった。

うまくいっている時は良いが、精神に負荷がかかれば、部下に理不尽な追放や死を与える。

到底並び立てる人格ではないと思っていた。

「それは、俺がこの世をしっかり見て、考えて、そのとき答えが出てからの話です。その頃には上総介殿も、お父上の後見を得て独り立ちされているでしょう。その頃にまたお会いしましょう」

じっと上総介を見つめていた良之が、視線を備後守に移す。

尾張の虎と呼ばれた男も、良之にうなずいて見せた。


ちなみに、良之への武力脅迫へのツケは、ひとまず備後守が銭1000貫を立て替えて払った。

良之はさすがに固辞したが

「そういう名目でお支払いするだけ故、わしの心付けと思って受けてくれ」

と備後守が言うので、良之はありがたく受けた。

その代わり、手持ちから砂金1000両を京の二条家に届け「尾張の織田備後守から」とした。

数ヶ月後に二条関白より織田家に礼状が届き、彼らはそれを知った。




すでに旧暦9月も半ばを過ぎている。

良之は先を急いでいる。

那古野から刈谷、安祥、岡崎を抜け、一行は東海を東に進む。

豊川稲荷の名で有名な妙厳寺に宿を取ったところで、今川家からの使者が来た。

使者の先導で引馬、掛川、島田と宿を取りつつ進み、良之たちはなんとか9月中に駿府の町にたどり着いた。


良之は、噂に聞いた太原雪斎と逢うことを楽しみにしていた。

しかしこの時代、雪斎は京都妙心寺の住持として良之と入れ替わるように京に上ってしまっていた。

妙心寺とは、はじめて京の惨状を眺めた晴之の頃の彼が、わずかに見つけた再建中の寺のことだ。


後の徳川家康である松平竹千代もこの時分は駿府には居ない。三河吉田城あたりに居たと思われている。急いで通り過ぎたので、良之は顔を見損ねてしまった。


駿府の今川屋形に招待された良之主従は、当主今川義元、宿老の朝比奈、三浦、庵原ら、婚姻による親戚関係となっている関口などを紹介され、義元の嫡男、龍王丸などにも引見した。

さらにこの地の今川家商人司、友野屋に出向き、堺の町で展開中の錆顔料、水晶玉の営業をする。紀州の醤油についても2合程度の味見品を提供する。

それぞれのサンプルを渡し、どれも皮屋が売っていることを伝える。

また、朝廷が棹銅を官許品として今後規格化するだろう事。

全国統一分銅を定めるだろう事などの情報を提供しておく。

公卿のこうした情報提供は商人たちにとって馬鹿に出来ないものが多い。友野屋は良之に感謝し、幾分かの情報料を支払った。




駿府での滞在が長引いている。

今川家は、中御門との婚戚ということもあり、また、義元自身が幼少時より太原雪斎と共に京の五山で修行をした人物であることもあって、公卿に対する礼が深い。

朝廷に対する礼も大きい大名家なので、山科卿からも可能な限りご機嫌を取り持って欲しいと繰り返し依頼されていた。


後世、桶狭間において奇襲という形で織田に敗北したこともあってか、今川家とその家臣団は徹底的に無能扱いをされるきらいがある。

だが、良之から見たところ、文明度にしろ武将としての能力にしろ、この駿河国の臣は決して他国に劣っているとは思えなかった。

結果、ひとつき近く滞在するに及んで、季節はすっかり冬になってしまった。


この間、良之の家臣たちはすっかり今川家で師匠を見つけ、文武の修行に励んでいる。

アイリやフリーデも、お千や阿子たちに日本語を習い、反対に彼女達もフリーデたちの言葉を覚え、徐々に会話の壁が無くなりつつある。


望月三郎、下間頼廉、木下藤吉郎ら年少組は毎日競って寺に通い、四書五経を学んだりしているらしい。

そして、服部、千賀地、滝川らは、日々野山を駆けまわって鉄砲の訓練をしつつ、鳥獣を狩って帰ってきている。

それらを許す環境は、ひとえに駿府の豊かさから来ているのだろう。


駿河から甲斐に入るには、南部から身延を抜ける富士川沿いの街道がほぼ唯一の道になる。

そろそろ冷え込みも厳しくなり、良之もやむなく、甲州入りは翌年春まで待つ気になった。

この時代、実は地球的に小氷河期と言って良い期間で、今では想像も付かないが、甲斐にも大雪が降り、場所によっては人の背丈ほども雪が積もる。

だが、太平洋の海沿いはそれでも比較的温暖で、伊豆になら抜けられるようだ。


それなら、と良之は方針を変え、行く予定のなかった北条家の領地に入ることに決めた。

一つには、あまり今川と親しくなり過ぎることを彼が警戒したこともある。

今川は、織田がこの公卿に1000貫を贈呈した評判を聞きつけていた。

去るにあたって義元もまた良之に1000貫贈呈し、良之もまた、その金を実家である二条関白家に送るのだった。


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