第23話 旅の空 4 -尾張-


「津島を見に行きたい」

良之は上総介に頼んだ。

「勝三郎に案内させよう」

上総介は即座に、自身の乳兄弟として物心つく頃からかわいがっている池田勝三郎を付けてやった。

お供は、フリーデとアイリ、望月、滝川の4人のみである。


「津島のどちらに参られるので?」

勝三郎は、騎乗のみの一行で、良之に馬を寄せながら訊ねた。

「伊藤屋という問屋さんに向かって下さい」

伊藤屋は、信秀が勝幡時代に従わせた津島の名商だった。

堺の皮屋や天王寺屋と縁がある。

「では、駆けます」

勝三郎は鞭を入れ、馬を飛ばした。


異人の2人があまり乗馬がうまくないが、意外にも良之は器用に馬を扱っていた。

公家の中には、ある程度武芸に秀でた人材がいることを勝三郎は知っていた。

おそらく、山科卿あたりがこの地に滞在した時に語ったのだろう。

だが、青白い公達に見えていた良之が、結構侮れないかも知れないと思えたのは、その巧みな手綱さばきからだった。


約4里を駆け、馬を勝幡城に預けて休ませ津島に向かう。

伊藤屋には皮屋からの文が届いたせいもあり、主自らがあいさつにたった。


その帰り道。

津島の町外れで、その少年と良之は出会った。

少年の名を、藤吉郎という。


伊藤屋に出入りする百姓の子どもは多い。

小者を売り歩いたり、力仕事を手伝ったりして駄賃を稼いで家計を助けるのだ。

藤吉郎は針を売って歩いた。

幼い頃から父親と折り合いの悪かった藤吉郎は、自分で稼いだ金を少しずつ貯め、いずれどこかで仕官をしようと頑張っていた。

藤吉郎には先天性の多指症という変異がある。

そのため、薄気味悪がられたり、明確な差別を受けたり、いじめを受けたりもした。

もしかしたら父親との反りが悪かったのも、このせいかも知れない。


この日も、藤吉郎は精算のため伊藤屋に向かう道すがら、地元の悪ガキどもに道をふさがれ嫌がらせを受けていた。

顔に微笑みを浮かべじっとこらえている藤吉郎に、やがてガキどもは焦れたか飽きたか、立ち去るそぶりを見せた。

ガキどもに散らされた針売りの道具箱を地面に座って丁寧に片付けている藤吉郎に、やがて悪ガキどもは石を投げ出した。

これはさすがにやり過ぎだった。

年かさの悪ガキの投げた石が藤吉郎の額に当たり、藤吉郎は倒れたまま動かなくなった。

「にげろ!」

さすがにまずいと悪ガキたちは逃げようとしたが、藤吉郎を倒したもっとも年かさのガキはつまみ上げられ、顔の形が変わったかと思うほどしたたかに殴られ、道に転がった。

激しい怒りに満ちた顔で、その男は残りのガキどもに怒鳴った。

「こいつは預かっとく。親に伝えよ。返してほしくば、あれの治療費を持ってこいとな」


「彦右衛門殿、また酔狂な……」

勝三郎が苦笑した。

「ああいうのは、許せん」

滝川は、未だに怒りで震える拳を開くと、伸びた悪ガキをひょいと担いだ。

「……アイリ、あの子、診てやって」

良之の指示で、アイリは藤吉郎の治療を始めた。


「ところで、勝三郎殿は彦と顔見知りなんですか?」

良之の問いに

「ご存じなかったのですか? 彦右衛門殿はそれがしの親類筋にあたります」

驚いた顔で勝三郎は良之と彦右衛門を代わる代わる眺めた。

「知らない。そういえば俺、彦のこと何にも聞いてなかったなあ」

その言葉に、望月三郎も池田勝三郎も呆れた顔をした。

「堺の町で、博打に負けて簀巻きにされるところを助けて、その借金の形にこうやって仕えてくれてるんだ」

「ああ! 御所様それは!」

「まったく、滝川彦右衛門ともあろう御方が、何をなさってるんです」

勝三郎はその話を聞いて、ついに怒り出してしまった。

「面目ねえ」

両手を合わせて彦右衛門は勝三郎に詫びる。

「……このこと、誰にもいわんでくれ、な? な?」

そうやって勝三郎に詫びているうち、剣呑な雰囲気で、津島の町から武装した男たちが20人ほどやってきた。

「勝幡の城に知らせねばなりません。御所様、ひとまず御免を」

勝三郎は表情を変え、1人離脱して勝幡城に走って去った。


藤吉郎は頭部に投石を浴びて昏睡したが、アイリの治癒魔法で回復した。

うっすら目を開けると、男装姿の異国の女が自分を介抱してくれていた。


――天女みてえだ。てことはわしは死んだのか?


藤吉郎は、痛みも苦しみもなくなった状態の中、ぼんやりと思った。




津島の町から現れた男たちの中には、武器を持った者も居た。大刀や薙刀である。

望月三郎は、懐から細竹で作った笛を取り出し、ピイッと短く吹いた。

すると、5人ほどの郎党が変装を解いて現れ、武器を用意し始めた。

商人姿の男は担いでいた荷をほどき、四つほどに分割された薙刀を組み立てた。

「滝川様、お使いになりますか?」

男はその薙刀を彦右衛門に手渡す。

「かたじけねえ」

にやり、と彦右衛門はそれを受け取り、ブン、と振った。

その姿に、ほんの一瞬、町から来た男たちの足がすくんだ。

人数は少ないが、相手はただ者ではないと悟ったのだろう。


藤吉郎に石を当てた悪ガキは、彦右衛門から三郎が預かり、彼が懐から出した縄で後ろ手に縛り上げられている。

フリーデは、すでに懐から試験管を取り出し、構えていた。

望月の手の者は、変装姿だったために長物は持っていなかったが、代わりに、独鈷杵どっこしょや鎖鎌といった暗器を手にして、三郎の前に横一列に並んだ。

その5人の前には、凄まじい殺気を放つ滝川彦右衛門。


「うちのガキをけえしてもらおうか?」

あまり素性の良くなさそうな男が、薙刀を地面にどんと突いて怒鳴り声を上げた。

「そうはいきません。その子どもは、石を投げてあの子どもを殺しかけました。うちの従者がそれを治療しましたので、治療費を頂きましょう」

良之が答えた。


「なんでえ、六つ指の藤吉じゃねえか、ばからしい」

父親が言うと、その男たちは一斉にあざ笑いだした。

「そんなヤツに医者を使うなんざ、あんたらも酔狂だね」

後ろの子分のような若造も叫んだ。

「で、治療費はいくらだい? 額によっちゃ仕方ねえ、払ってやる」

さすがに、良之もこのふてぶてしい態度に腹が据えかねた。

「10両もらい受けます」


「10両だと? はは、10両!」

「藤吉のヤツを見てみろよ、ぴんぴんしてやがる。腕尽くで取り返したっていいんだぜ」

「おう。数はこっちが上だ。皆殺しにしちまおうぜ」


「三郎。あいつらなんなの?」

良之は小声で三郎に聞いた。

「津島の傭兵でしょう」

「たち悪い連中だなあ」

「食い詰めものですから」

なるほどね、良之はうなずいた。こういう時代なだけに、荒事を町で起こされた時のためにこういう手合いを飼っているのだろう。

そういえば、まさに堺で飼われていたのが、滝川彦右衛門だった。


状況から見ると、藤吉郎に石を当てた悪ガキは彦右衛門に殴られ、ひどい顔になっている。

対する藤吉郎は、アイリが治療したため、頭部のダメージも治り健康そのものになっている。

「なんかこっちが悪者に見えそうだよね」

良之は苦笑した。

「アイリ、悪いけどこいつもついでに治しといてくれる?」

良之に言われ、アイリは悪ガキの顔を治療した。


……すげえ。

藤吉郎は、アイリが治療した悪ガキの顔がみるみる元に戻るのを見て驚いた。

本物の天女様だ。

藤吉郎の中で、すでにすっかりアイリは天女として信仰の対象になっていた。


じりじりと津島の傭兵たちがこちらに近づいてくる。

それだけでなく、町中からさらに、武装した男たちが駆け寄って、その数を増やしていた。

そこに、

「なんの騒ぎです?」

と、現れたのは、先ほど良之たちがあいさつに行った伊藤屋だった。


「御所様これは一体どうされた事ですか?」

伊藤屋は剛毅にも、この対立した二つのグループの真ん中に歩み出てきた。

良之は、今縛られて座らされている悪ガキの藤吉郎に対するいじめからはじまった騒動を話して聞かせた。

伊藤屋はため息をひとつつき、

「承知いたしました。藤吉の治療費はうちが払いましょう」

といった。

「いかほどで?」

「治療費は10両。別に手打ち金として、津島の町から1000両頂きましょう」

「……何をおっしゃいます」

伊藤屋は目を丸くした。

「じゃあ2000両」

「……」

伊藤屋はどうやらまともに取り合っていないようだったが、

「そんなに出せるとお思いですか?」

と良之に聞いてきた。

「どうでしょう? ただ、武器で脅されたとあっては黙っておけません。この上は、備後守と語らった上で、織田家の兵を借りてこの町を攻め滅ぼそうかと」

良之は本気だった。少なくとも、本気でそう言っている。

そこに、勝幡城に駆け戻った勝三郎が戻ってきた。

城兵200ほどを武装させて引き連れてやってきた。

町の用心棒たちは驚き、三分の二以上が逃げ散っていった。


「伊藤屋さん。番犬を飼うのはいいけど、躾もちゃんとしたほうがいい。町の子が、いじめでよその子を殺しかけても親が薙刀持って出てくれば許される。そんな町は、焼き払うに限ります。そうは思いませんか?」

「……」

伊藤屋は返す言葉がなかった。

「二条三位大蔵卿藤原朝臣良之。津島の町に殺されかけた事、一生忘れません。このこと、織田備後守にもきつく叱り置きます」

「いや何卒その儀は……」

慌てて伊藤屋は道に座って良之に詫びた。

「では伊藤屋さんに免じて、今回は水に流しましょう」

けろっと良之は言い残し、城兵たちに護られながら去って行った。

あとには、後ろ手に縛られたままの悪ガキと、道にへたり込んだ伊藤屋だけが残った。


「ところで藤吉。あれじゃあもう津島に出入り出来ないと思うけど、今後どうしようか?」

良之は、あの場から連れ去った藤吉郎に聞いてみた。

「……」

困った顔で藤吉郎は黙り込んだ。

「いっそ、俺の小者として働いてみる?」

「えっ?」

その場の一同は皆驚いた。


ちなみに、言うまでもなく良之はこの少年が木下藤吉郎、後の羽柴秀吉だと気がついていた。

「あ、あの」

藤吉郎は目を白黒させながら良之を見上げた。

「ひとまず1両あげるから、家に帰ってよく考えなさい。俺たちは今夜勝幡城に泊まるんで、仕える気になったらおいで」

そう言って、藤吉郎に永楽銭を一貫目手渡す。

「三郎。阿呆どもが悪さをするかも知れない。今夜は彼の家を手の者に見張らせてくれ。もし危害を加えそうなら、斬り捨てろ……いいですよね? 勝三郎殿」

「あ、ああ……」

正直、1人の百姓の子どもになぜ良之がここまで肩入れするのか誰にも分からなかった。


幸いにと言うか、尾張中村の彼の実家は、その後も問題なかった。

言うまでもなく、藤吉郎が京の公卿の家臣に取り立てられたことと、津島の伊藤屋を筆頭に町人たちが町の傭兵たちを締め上げたからである。

伊藤屋が支払った治療費10両は藤吉郎に慰謝料として手渡された。

彼はその金を実家に残し、良之の小者として、旅に加わることになった。


翌日には良之たちは那古野城に引き返し、事の次第を備後守と上総介親子に報告した。

備後守は真っ赤になって怒り、危うく飛び出して行きかねない有様だったが、それは良之が止めた。

「おそらく、津島の町衆が和解金でも持ってくるでしょう」

良之がさんざん脅したことを話すと、上総介が愉快そうに笑い、それで備後守も怒りを緩めたようだ。

「それにしても、町方のああしたならず者は始末に悪い」

備後守は、腕を組んで考え込んだ。

「ただ、町方にも言い分はある。強盗やら火付けやらから財産を護らねばならぬゆえ」

上総介がぽつりといった。

確かに、それがこの時代の真実だろうと良之も思う。


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