第15話 堺へ 5
そんな風に、日中はとにかく少しでも情報収集をして過ごしていた良之だったが、ある日の朝、激しいケンカに遭遇した。
ケンカといっても、どうやら10人以上に1人が一方的にやり込められているようだ。
だが、多人数のほうがいう事がだんだん剣呑になって来た。
「今度っちゅう今度はゆるさんで彦。簀巻きにして海にたたっこんだるわ」
「おうやれるもんならやってみい」
ろれつの回っていない啖呵を返してはいるが、明らかに相手のヤクザ者達は本気だった。
よっててたかって殴る蹴るを繰り返した後、本当に筵と縄を持ち出してきた。
「まちなさい」
誰も止めようとしないので仕方なく、良之が歩み寄った。
「けっ!……な、なんや?」
怒りにまかせて振り返ったはいいが、そこには身分の高そうな公卿がいて、ヤクザものは一瞬ひるんだ。
「この者が何をしたのか知らないけど、おおかた理由は金でしょ?」
「せや。こんだ阿呆は金も持たんと賭場に入れ込んで、傭い先から借りた返済の金も昨夜張り込んで、無一文になり腐りおってん。傭い先も始末におえんで召し放ちになりおってからに開き直りよって」
「やかましわ! さあ殺せ!」
見た感じ、身体もしっかりしてるし頭も悪くなさそうだ。
「あんた、名前は?」
「彦右衛門……滝川彦右衛門」
「そう。もし良かったら俺が立て替えてもいいけど、一体いくら借金あるの?」
「ごっさん、やめときや。こういう手合いは、人の情けも分からんと、またやるで?」
どうやら周囲の者達も、このヤクザものを止める気がないようだ。
「で、あんたらにはいくら貸しがあるの?」
「せやな。積もり積もって120両や」
「おうふざけんな!」
「分かった。払うからこの彦右衛門を連れて皮屋まで来てくれ」
そう言うと、ヤクザものと彦右衛門を連れ皮屋に戻り、隠岐から120両出させて彼らに支払った。
「証文はあるの?」
「おう」
金を受け取ると気味が悪くなったのか、素直に証文を良之に渡すと、ヤクザ者達はそそくさと去って行った。
「お公家様、かたじけねえ」
「あー、彦右衛門。傭い先にも、もしかして借金、ある?」
ヤクザものに解放されて皮屋の土間に転げた彦右衛門は、こくりと頷いた。
隠岐を走らせて勤め先の納屋衆に返済をさせ、証文を二通受け取ると、
「で、どうする? この金、どうやって返すのかな」
まだ土間にへたり込んだままの彦右衛門に一応聞いてみる。
「お公家様、ではこう言うのはどうだろう? 飯だけ食わせてもらえればそれでいい。俺を雇っちゃくれねえか?」
「冗談じゃありませぬ。このような無法人、少将様の名に傷がつきます!」
隠岐がついに怒り出した。
「伊勢屋さんから事情は聞きましたが、そらひどい話でした。飲む打つ買うで暮らしも乱れ、せっかくの鉄砲の腕も近頃すっかり錆び付いて……」
「鉄砲の腕?」
「へい。なんでも元はどこかのご領主の出だったとかで、弓矢や鉄砲やらの修行は人並み以上に励んだそうでして……。ただ、なんや国元で諍いごとを起こし、親戚を殺して堺に落ちてきたやら……」
「ふーん。じゃあこうしようか彦。今から一挺鉄砲と玉薬を買うから、それを自分1人で準備して、的に当たったら雇う。どう?」
「……やる」
「よし、じゃあアイリ、彼のけが治してくれる?」
なんとお人好しな、とアイリはため息をつきつつ、このぼろぼろな男を治療した。
「な、なんだこりゃ」
「治療術だとおもってよ。それより、早速始めようか」
良之は、野次馬をしていた今井宗久に「鉄砲と玉薬を用立てて下さい」と頼んだ。
すると奥から
「いえ、当家の用品をお貸ししましょう」
と紹鴎が現れて、奉公人に指図して一挺貸してくれた。
堺らしい、といえるのは、堀を出てすぐのあたりに射撃の訓練地があることだろう。
柵で囲って余人が入れないようにしているものの、意外と見物人が見やすい場所にあった。
しっかりとした的もあり、的の後ろに土塁もあるので流れ弾の心配はないようではあった。
おそらく鉄砲商人のデモンストレーション用だろうと良之は思った。
「では30歩でいかがか?」
鉄砲を持ってきた皮屋の奉公人が彦右衛門に聞いた。
彦右衛門は無言でうなずくと地面に直に座り、胡座をかいて種子島に玉を詰めている。
30歩、徒歩で言うと、右、左と足を進める。ふた足で1
30歩は今で言う約50mといったところだろうか。
手際はいい。
黙々と装填し、火縄に口火を付け、準備が終わると片膝たちになり、照準を合わせたかと思うと、あっけなく撃った。
弾は見事に的に当たった。
「たいしたもんだ」
奉公人は彦右衛門から種子島を返されると、手入れを始めた。
「彦右衛門」
「……はい」
「召し抱えよう。ただし、これからしばらくは旅の空だけどそれでもいい?」
良之が聞くと
「それは楽しそうだ」
とうなずいた。
早速彦右衛門の身なりを隠岐に整えさせる。
彼自身は慣れない狩衣の青侍姿に戸惑っていたが、少なくともヤクザと見分けのつかないような傭兵姿よりはよく似合っていた。
腰の刀と槍を用意し、彼のための鉄砲も誂えることにした。
だが、普段は良之が預かり<収納>しておくこととした。
隠岐は未だに少し不満のようだったが、約束は約束として、文句を言わずに受け入れていた。
その日の日没ごろ。
小西屋から言付かった望月三郎が皮屋の邸宅に訪ねてきた。
「戻りました」
平伏してあいさつをする三郎の後ろには、2人の武家姿の男たちが控えている。
武家姿というのはこの時代、鎌倉期の武家姿である直垂をさらに簡素化させ、不意の襲撃にも即応できるよう活動的な意匠が取り入れられている。
ちなみに三郎は正式な良之の臣下なので、狩衣姿のままだ。
「こちらは伊賀の服部半蔵殿。そして、こちらは千賀地石見守殿です」
2人は紹介され、平伏する。
「服部殿は三河の松平清康公、および御嫡男岡崎三郎広忠公に仕えましたが、主家に不幸が相次いで起きたため帰郷なさっておりました。千賀地殿は、この春まで将軍家にお仕えなさっておりましたが、三好家に京を追われ、近江の地で先公が亡くなられたのを機に、やはり帰郷なさっております」
「そうか。よくお越しになりました。俺は二条三位少将です」
良之の後に隠岐が
「直答を許す、お顔を上げられよ」
というと、2人はおずおずと顔を上げた。
「このたびは遠路良く来ていただきました。俺はこの先、紀州から東国を廻り、飛騨で国司を務めるつもりです。お二方は、それをご承知でここにお越しになられましたか?」
「はっ」
服部と千賀地は頭を下げる。
「すでに服部殿には粒金300両、千賀地殿には200両を手付け金として納めました」
三郎が答える。
良之もうなずく。
「お二人は
そう言ったあと良之は、三郎に、
「三郎に相役を付けます。滝川彦右衛門」
良之が呼ぶと、隣の間から
「はっ」
と彦右衛門が入って来た。
三郎の顔を見て固まった彦右衛門と、その彦右衛門をびっくりした顔で見上げる三郎。
「なんだ、二人とも知ってるのか?」
良之が声をかけると
「え、ええ。滝城の御嫡男でいらっしゃいます」
と三郎が言った。
「おやめ下され三郎殿。やつがれはすでに勘当の身」
彦右衛門は一回りも若い三郎に恐縮する。
――まあ、あれじゃあなあ。
良之は、出会った時に彦右衛門を思い出して苦笑した。
どうやら、服部や千賀地の二人も名前を知ってるようだった。
「悪事千里を走る。ってことか。彦右衛門。何をやったの?」
良之が聞くと
「そ、その話はまた追々。それより相役とは?」
「うん。二人には俺の馬廻りにいてもらう。二人も知ってると思うが今はフリーデとアイリがいるが、二人とも異人で言葉が話せない。もう一人、おっつけ石山から来るけど、下間虎寿という少年を雇った。彼も三郎と同じくらいの年回りだから、彦右衛門がしっかりしてくれると助かる」
「はっ。粉骨砕身にて」
「お酒は控えるようにね」
「……はっ」
一瞬間があった。未練は断ち切りがたいのだろう。
「ところで、服部殿と千賀地殿。お二方はどのような形で今後お仕え下さるんですか?」
「どのような、と申されますと……」
代表して服部半蔵が聞き返す。
「俺はこのあと、紀州から大和、伊賀、伊勢、尾張と巡って東海道から甲州に行きます。そこから信濃、越後、越中から飛騨に入るつもりです」
各自、頭でその経路を追う。
「現在供回りは60人ほどです。あと40人くらい欲しいと思います。これでも三位少将ですしね。そこで、出せるならお二人に20人ずつ出して欲しいのですが……例えば、お二人が領地に残りたいと言うのであれば、名代を出して下さい。もちろん、ご本人が加わってくれても構いません」
「なるほど……それがしはお供仕ります」
服部半蔵は即答した。
「承知仕りました」
千賀地石見守も、しばらく悩んだあとで、頭を下げた。
「少将様。望月荘から20人ほど、馬廻りの事が出来る者達を呼び寄せております」
「わかった。じゃあお二方は10名ずつお願いします。遠路の旅になりますから、京やそれぞれの里に
「武芸の方はいかがでしょうか?」
千賀地が聞いた。
「無理に揃える必要はありませんが、おそらく飛騨に入れば現地の土豪と対立することは考えられます。ですので、人数を集めるのはそれ以降、という事になるでしょう」
「あの。例えばその10名の定めのほかに、われらが独自に配下を引き連れても構いませぬか?」
服部が言う。
「それは構いませんよ。あくまでこの人数は、俺が道中の費用を全部面倒を見る人数です。皆さんが自分の給料から家人を雇うのは全然問題ありません」
「なんと……費用を全部とおっしゃるが、それはどこまで……?」
良之の答えを聞いて千賀地も問い直す。
「全部ですよ。手取りの給料も含めてです」
「つまり、その上で我らの禄も払っていただけると?!」
「そうです。そうしないと皆さんも、里を守るもの。出て働くもの、両方を養えないでしょ?」
これには、その場に居合わせた全員が驚いた。
「人は財産です。どんどん育てて下さい。皆さんの里の出身者の出来が良ければ、どんどん報奨を出します」
良之との話のあと服部と千賀地は、隠岐の元で人数と諸経費その他を詰めて、帰って行った。
彼らが伊賀から人数を連れて戻るまで、もうしばらく良之たちの堺逗留は続く。
「少将様。俺もみんなと同じように手下を雇って来ていいか?」
服部たちが帰ったあと、彦右衛門が言い出した。
「構わないよ……じゃあ俺が費用を全部面倒見るのが10人。あとは働きを見て自分で出せばいい。もっとも、早く借金返してもらわないと困るけどね」
「少将様。それがしももう一度里に戻り、自前の者を用意したいのですが」
「いいよ、行っておいで。どうせなら彦右衛門と一緒に廻ってきたらいい」
良之がそう言うと、彦右衛門と三郎は顔を見合わせてうなずき合った。
良之は、出来れば堺に拠点が欲しかった。
しかし、何日もかけた調査の結果、かなり厳しいということが分かった。
ひとつには、公卿であり国司である良之の身分が、この地の会合衆たちにとっては邪魔になる。
応仁の乱以降、めまぐるしく権力構造が変化する中で、堺衆たちがやっと出した答えが自治都市という形だったのだ。
そこで、営業を委託する形で富を分配する代わりに、リスクを背負ってもらえる商人。
腹を割って信用が出来るパートナーを探すことに切り替えた。
「紹鴎殿。俺がこの町で商家を持つのは、やっぱり難しいでしょうね?」
良之は夜、武野紹鴎に時間をもらって相談することにした。
「……そらまあ。少将様がお公家を辞めなはれば別ですが」
紹鴎も、かつて親子そろって武士を辞め、やっとの思いで今がある。
良之は紹鴎からみても少し異常な公卿ではあるが、それでも片手間で何とかなるとは到底思えない。
「実は、俺は将来、飛騨で国司をしながら新しい銭を生産する気でいます。今のこの国が荒れて乱れているひとつの理由が、国の力に銭が追いついていないからなのです」
「……ほほう」
「銭の量が追いついていないから、庶民が働いても豊かにならないのです」
「それはまあ、なんとのうは分かりますな」
さすがに紹鴎は商人だけあって、世の上から下、それこそ公卿や大名や貧民までを知り尽くしている。
「この天下の富が明や南蛮に流れているのも問題なのです」
「といいますと?」
「棹銅です。紹鴎殿は、明の商人がこの国の相場より随分高く棹銅を買い上げていることはご存じですよね?」
ご存じどころではない。紹鴎の商いのひとつである。
うなずいてみせると良之は続けた。
「高く買うはずなのです。日本の棹銅には、吹き直しただけで余計に払った額を超える銀が出るんです」
「な……!」
「明の職人は日本の棹銅から銀を取り出すことは出来るようですが、金までは分離できていないようですね。ただ、そういう理由で今、日本の富がどんどん明や南蛮にだまし取られてるようなものなのです」
「それで、少将様は何をなさりたいんですやろか?」
「俺は、棹銅から金や銀やその他の金属を分離する技術を知っています。可能な限り精製した銅を棹銅として、朝廷の勅許印を打刻して共通化させたい」
「……それをわてに話してよろしゅうおましたか? 堺の商人たるもの、そのお話だけで少将様のお力を借りずとも、自分の力でいつかやり遂げまっさかい」
「紹鴎殿が俺の力なしに出来るというなら、是非お任せしたいですね。俺は、日本から本人たちの知らないところで富が流出してるのが許せない。止めてくれるならいくらでも」
「ほほう」
「もちろんこの話は帝も関白もご存じです」
紹鴎はじっと何かを考えていたが、
「この話、わてがお断り申し上げたらどないなさいます?」
「天王寺屋か
天王寺屋は津田宗達、魚屋は田中宗易。どちらも彼の茶の門人でもあった。
堺衆の規模としては、もしかしたら天王寺屋が一番巨大かも知れない。
「……分かりました。お手伝いいたしましょう」
紹鴎の顔には、正直半信半疑だ、という表情がはっきり浮かんでいる。
「どうです? 論より証拠。一度やってみましょうか?」
「その方がありがたいですな」
良之もうなずいた。
「では、いくつか用意して欲しい材料と、鋳物工場、それに職人が必要です……」
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