第14話 堺へ 4

「堺への船便を用意いたしました」

翌朝。上野法橋が、60人に馬20頭という良之の一行のため、本願寺から堺港への船を手配してくれた。

「これはありがたい。なんとお礼を申せば良いか」

隠岐が深々と頭を下げる。

そろそろ一行の疲れはピークだ。

良之自身も全く顔色は変えないが、実は尻が痛くて仕方ない。

さすがに、臣下たちが必死に耐えてる中で、無理矢理乗馬させている良之自身が痛いなどといってはいられなかった。

乗馬はとにかくつらい。騎乗の時間が延びれば伸びるほどだ。


石山本願寺から堺への船旅はさほどの時間ではない。一行は、のんびりと楽しませてもらうことにした。




乗り降りと船上、あわせて三時間。

石山から堺への船旅は快適だった。

海上からみた大阪の地は美しかった。そして、堺。

今まで京、山崎、大阪、河内とこの時代の都市をみてきた良之だったが、そのどれにも似ていない絢爛な都市に思えた。

「隠岐、堺の町は豊かなんだな」

「……さようです。京より建物が美しい。いらかが黒く輝き、倉が抜けるように白い。あれは、富の色でございましょう」

甍というのは、屋根のことだ。良之にとっては、鯉のぼりという童謡で聞いたことがある程度の古い言葉だ。


甍の波と雲の波 重なる波の中空なかぞら

橘かおる朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり


確かに、あの歌のように屋根と瓦がまるで波のような都市だ、と良之は海から望む堺の景色をずっと見上げている。


ところで、海から入った良之が気づいていない堺のもう一つの特徴がある。

それは、環濠都市であることだ。

南北に細長い一帯はサツマイモのように地形が不揃いで、北側が細く、南に向かっていびつに太くなっている。

自然の地形を利用しているためで、掘られた環濠も地形に沿って凸凹に蛇行している。


現代人が古地図で想像している堺は、良之が今見ている堺とは別物である。


太閤秀吉が全て堀を埋め整地し尽くしたあと、堺の町は大坂の陣で全て焼け落ちた。

そののちに、再び大規模工事を行って直線的な堀を新しく開削して出来た江戸時代以降のものだ。

さらに第二次大戦後、海へ海へと埋め立て工事が行われ、もはや往事の面影は、一切堺には残っていない。


環濠都市に話を戻すと、室町期の都市は、富を守る必要のある都市になるほど、空堀や人工的に付けられた河川によって防御されている。

代表的なのがこの堺だが、良之が光応寺蓮淳を治療しに向かった近松山顕証寺なども、寺内の町ごと環濠で包まれていた。

一般に、本願寺の勢力下にある一向宗の都市は全て環濠都市であると言って良い。

それは、一向宗にはそのような教養のある知識層があり、それを実現させる富があり、そして実行する指導力と労働力があることを物語っている。


堺のこの時代の環濠は、一見すると人力で掘削したのではなく自然に成立した河川を改修して堀に使っているように見える。

後に騎乗で堀を越え橋を渡った良之が、これを環濠と見抜いたかどうかは、わからない。


堺に上陸した良之主従の一行は、まず到着のあいさつのために小者を各所に派遣した。小西屋弥左衛門、日比屋了慶、武野紹鴎、津田宗達、田中与四郎などである。

彼らには、山科卿や二条家・九条家、本願寺の法主証如や奏者上野法橋らから紹介状などをいただいている。良之はそれらを一通一通、別の先触れの小者に託して走らせたのだ。

20頭近い馬を世話したり、馬を担当する小者をおける宿屋は限られる。

金さえ積めばどこにでも宿が取れる侍身分たちと違い、小者たちの宿はしっかり押さえる必要がある。

そちらについても隠岐が別に小者たちを走らせ情報収集に努める。


小者と共に駆けつける中年男が現れた。

「皮屋の今井と申します。少将様にはお疲れのところ大変お待たせいたしました。あるじの紹鴎も宅でお待ちしております。どうぞお運び下さいませ」

良之とフリーデ、アイリ。そして2人の従者に指定された千と阿子は、後を隠岐に任せて皮屋の番頭然とした今井という男に導かれて、彼らの店の裏手の庭に案内された。

「お供の皆様はこちらにどうぞ。少将様、主が茶室で、御一服差し上げたいと申しております」

「承知した」

良之だけ、庭の一角に建てられた数寄屋の茶室へと向かった。


――ああ、これは。


良之が茶道が嫌いな理由のひとつである、潜り込まねば入れぬ躙口にじりぐちの茶室だった。

実用性を全く無視し、四つん這いにならないと茶室に入ることの出来ないこの構造は、良之には全く悪趣味にしか思えない。

しかも、こんなものを潜るためだけにも作法がある。

やむなく扇子を懐から取り出し、幼い頃に習った所作通りに中に入って、待ち構えていた亭主に、真行草でいうところの真の座礼をする。

「お招き、ありがたく」

まったくありがたがっていない表情で完璧に作法をこなす。

そんな良之を亭主は愉快そうに眺める。

「ようおいでくだされました。紹鴎でございます。さ、まずは甘いものでも」

仕方がないので懐紙を取り出し、一枚だけ反対に折って、その上に茶菓を取る。

有平糖という名前の菓子だ。この時代では作れる職人もそう多くない。そもそも、砂糖自体が南蛮商人か中国商人から輸入せざるを得ないものだからだ。

一方の紹鴎は、明らかに茶席を好んでいないように見えるこの青年が、なぜここまで完璧な所作を見せているのか気になって仕方がなかった。

武野紹鴎。

茶の湯において黄金時代を作り上げた天才芸術家である。

千利休、今井宗久、津田宗及を筆頭に、数え切れない一級の茶人を輩出し、彼らの孫弟子まであわせれば、現時点でもこの時代の文化活動において比較対象がないほどの文人といえる。


茶筅の音が止まり、良之に茶碗が供される。

それを相変わらず完璧な所作で喫するが、全く心がそこに無い事に、紹鴎はむしろ強く感心した。

飲み口を指でぬぐい、懐の懐紙で清める姿まで、いちいち堂に入っている。

これで心がこもっていないのだ。いっそ清々しいほどだった。


「少将様は、お茶がお嫌いどすか?」

「いえ、お茶は好きです。紹鴎殿のお茶はほのかな甘みもあって大変美味しかったです」

「ほな、茶道がお嫌いどすか」

「ええ。まず茶室のにじりが嫌いです。あれは、客人に土下座姿で這いずり回らせるのを亭主がみて喜ぶものでしょうな。次に、所作を細かく付ける姿が押しつけがましくて嫌いです。お前のために心を尽くしてる。そう見せつけるためとしか思えません。最後に、茶菓や器や掛け軸や茶道具や花について、ウンチクを傾けたり知識をひけらかしたり、値打ちを誇っている姿は、一期一会どころか、この世の欲得の餓鬼をみる思いがします」

あまりに辛らつな言葉でありながら、いっている本人はまるで、般若心経でも唱えているような口調で、表情だった。

「それほどお嫌いやのに、少将様はなぜ、お茶の心をご理解なさってるんどすかな?」

「ある時、お茶の席に呼ばれる機会を得ました。何度かお時間をいただき、所作のみは覚えました。単に要領が良い子供だったのでしょう」

ふと表情を崩し、良之はいった。

「紹鴎殿のお茶は素晴らしかったです。あの躙口さえなかったら、とても幸せな気持ちになれたと思います。帰りもあそこを通るかと思うと気が鬱屈しますが」

いいながら良之は、もしかしたら自分は閉所恐怖症気味なのかも知れない、と思った。

「ああ、そうか。もしかしたら俺は、狭いところが怖いのかも知れません。紹鴎殿はそういう性質のことを聞いたことがありますか?」

「もちろんどす。それは失礼仕りました。もしお許しいただけるなら、次は広い場所で献じとうございますなあ」

「ありがとうございます。そう言われれば、俺は野点の雰囲気は大好きだったかも知れません。先ほどのような毒舌は一度も吐いたことがなかったです」

「ほっほ、率直な御方や」


ひとまず茶席を終わらせ、紹鴎の招きで、躙口ではなく茶道口から良之は屋敷に戻る。

良之たちを迎えに出た今井が、フリーデたちをもてなしていた。

「旦那様、少将様、いかがいたしました?」

茶道口から現れた2人に今井は目を丸くした。

「御不興を買うてしもうてな」

「えっ?」

冗談たわむれですよ」

紹鴎の言葉に驚く今井に良之が耳打ちした。


「そうでしたか。ならよろしければ当家に逗留なさるがよろしいでしょう」

馬の世話がある小者たちとは別に宿を求めたいと相談した良之に、紹鴎はいった。

「20名ほどのお侍でしたら問題おまへん」

さすがはこの堺を牛耳る会合衆の一員というところであろう。

「ああそうや、少将様、改めて紹介しときます。これはうちの娘婿」

「お婿さんでしたか。恰幅の良い方なので番頭さんかなと思ってましたが」

「ほっほ。番頭言うても道楽の方で」

紹鴎は、茶筅を振る手つきをして見せた。

「今井宗久と申します」

改めて名乗り、頭を下げた。

「そうだ。宗久殿。うちの若い衆に指導をしていただけませんか?」

「指導ですか?」

ちら、と宗久は紹鴎をみる。紹鴎は微笑みながらうなずいた。

「わたくしでよろしければ」

「良かった。後で隠岐に話をさせます。いつまで堺にいられるか分かりませんが、みっちりしごいてやって下さい」

「ええ経験になるやろ。人に教える言うんは、自分を教えることにもなるさかいな」

紹鴎が話を拾って締めてくれた。


やがて、隠岐が汗をかきながら紹鴎の邸宅にやってきた。

「宿屋町から堺を出ますと、本願寺様の別院がございます。こちらで小者と馬、お世話になれるとのことです」

「ご苦労様。あ、そうだ隠岐。紹鴎殿のお屋敷で俺たちは全員逗留させてもらえることになった。いつまでいられるか分からないが、全員、今井宗久殿にお茶を習うといい。費用は全部俺がみる」

「茶道、でございますか?」

「うん。やっておけ。役に立つかも知れない」


なぜ戦国期にお茶が流行したのかまでは知らないものの、良之も当時茶道が大流行し、彼が育った時代まで綿々と引き継がれていたことを知っていた。

今回隠岐が頑張ってかき集めた人材は、貧家のものや次男坊以下が多いので、お茶の修行まで手が回らないで居た者も多い。


「承知いたしました」

首をひねりつつも、主の指示通りに隠岐は手続きを進めるのだった。




ほかの全員を紹鴎邸で休ませつつ、良之はフリーデとアイリを連れ、堺を歩いた。

ちなみに千と阿子にはゆっくり休むよう申しつけ、隠岐と共に屋敷に残した。

案内は宗久が受け持ってくれた。


まず、良之は堺における主要な取引を行っている問屋とその製品を調べて歩いた。

堺の代表的業種は納屋、つまり倉庫業だ。

次に、米、魚などといった食品。

そこからが加工業になる。

皮革原料生産から加工販売まで。

染料と繊維、反物、そして衣服の生産まで。

鉄、銅による鍛冶や鋳物の製造。

木工製品や紙製品。

それに、製油と販売。

酒、味噌、干物などの加工品。

最後に、輸出入だ。

相手は、明、朝鮮、そして最近は南蛮人と呼ばれるポルトガル人・スペイン人、紅毛人と呼ばれるオランダ人、イギリス人。


港とその周辺には納屋が多い。

納屋というのは倉庫のことだ。転じて倉庫業から派生した全てのビジネスを象徴する単語になった。

荷の出入荷への場所と労力の提供。帳簿作成と管理。集金や支払の代行。そして信用付託のための名義貸し。

さらには新商品の開発や営業まで、納屋は行っている。

良之からすれば、総合商社、とおもわれた。

また、納屋は専門問屋への卸しに加え、町域の維持管理、防衛兵の雇用、堀や柵の維持といった運営も手がけていた。


翌日は、堺周辺の職人・工人の集落を訪ねて歩いた。

案内は、皮屋の手代で百舌鳥という集落出身の五平という男だ。

それなりの距離になるので、良之・フリーデ・アイリは騎乗。

小者2人ずつをつけ、五平には徒歩で案内してもらう。


百舌鳥村には天才的な鍛冶師がいる。

鉄砲又こと、橘屋又三郎である。

見学を依頼すると、徒弟はうさんくさげに良之を凝視していたが、やがて同行の五平に気づくと鍛治屋敷の中に消えていった。

「皮屋さんの案内なら」ということで、鍛冶場の中を覗かせてもらえた。

彼らとしても秘中の秘であろう工房だったが、実際のところ、何一つ良之の想定を越える行程は存在しなかった。

むしろ良之が興奮したのは、村の外れに積まれたのろスラグだった。

「これ、もらっていっていいですか?」

案内してくれた徒弟は、

「のろやで? 使い道なんかあらしまへんで」

といいつつ、許可した。

その瞬間、数トン以上は間違いなくあったはずののろが、目の前から消えて、徒弟は腰を抜かした。


その足で、良之たちはさらに東に向かった。

仁徳陵を越えさらに東。金田という村にたどり着いた。

ここには金屋や鋳物屋が軒を連ねている。

ここでも同じように工房を見学させてもらい、帰りにカラミと呼ばれる廃棄物をごっそり<収納>して去って行った。

御所ごせはん。一体あの手妻はどのような種があるのでしょう?」

恐ろしげに五平は馬上を盗み見た。

「陰陽師って知ってる?」

「へえ」

「似たようなもの」

「はあ」

「鬼退治や悪霊退治が出来るんだから、のろやカラミだって消せるよ」

「……そないなもんでっか?」

「そ。そないなもんや」

良之はそんな風に煙に巻きながら堺に向かって引き返していった。


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