第12話 堺へ 2
以下余談。
この2人の兄弟が生まれ育ち、教養や武芸を磨いた故郷がここ、大山崎であることは前に触れた。
この、淀川を挟んで西岸に存在する丘陵地帯は、別名を西岡とも呼ぶ。
丘陵は古くから城郭として利用された。
交通・物流の要衝であるという事は、軍事的な拠点でもあることを示す。
この岡の名を「天王山」という。そして、その天王山の頂にある城が山崎城である。
現代人には、山崎城より天王山という単語のほうが分かりやすい。
テレビのスポーツキャスターが最終決戦のことを天王山と呼称するからだ。
いずれかの時期に視聴者はその呼称の意味を知るようになる。
つまり、天下分け目の明智光秀と羽柴秀吉の決戦で戦場となったことに由来する事を理解する。
大山崎とは元来そうした戦略上・歴史上重要な立地にある。
軍事力としての山崎城を麓から睨みつつ、石清水八幡宮や離宮八幡宮の権威を嵩に着て、古来、大山崎油座に属した商人達は自らを「神人」と呼んだ。
大変な自尊心といえる。
気に入らないことが少しでもあると彼らは石清水八幡の放生会で御輿を京の都まで運び、禁裏や将軍の居城である花の御所の正門前にその御輿を放置し立ち去るという方法で脅迫をした。
似たようなことを奈良興福寺や比叡山延暦寺も年中行っている。
強訴、という。
最初は寺社の権威を背景に行われていた強訴は時を経るごとに凶暴化して、ついには各宗教勢力は武力を背景にした恐喝団体としか言いようのない状況に陥っている。
そうした中で育ったこの土地出身の長井豊後守・斉藤道三親子や松永久秀・松永長頼兄弟のような人材が、時に朝廷や幕府の権威を全く軽視するような言動を取るのは、その土地がもつ雰囲気というものの発露なのかも知れなかった。
彼らはその人間性の成長の中で、
「権威があるから尊い」
のではなく
「武力があるものが権威さえ牛耳る」
というこの時代の真実を冷徹に見抜き、体現しているのかも知れなかった。
良之に松永弾正忠久秀は言う。
「この甚介、我が弟ながら武辺者にて主君の覚え我をも上回る男。少将様には、お心にお留め頂ければ我が松永の誉れとなりましょう」
「承知した」
「……というわけで、この甚介が居ります故こちらのことは問題ございませぬ」
そう言うと弾正は、用意させた馬に乗ると、良之主従の一段に加わり、良之の横で馬を進めた。
呼び出された上に一言も発する前に放置されて甚介は呆気にとられていたが、公然と盛大に舌打ちをして、兄に変わって三好軍駐屯のための指図を取るのだった。
「弟さん、怒ってましたがいいんですか?」
「なあに、あいつは事務方の仕事が嫌いなのです。出来ぬ訳ではないのでやらせておけば良いのです」
良之の問いに弾正は暢気に答えた。
弾正は言葉には出さないが、実は、良之の一行がこの先で三好軍と接触する時、万が一にもゆすりたかりや狼藉といった目に遭わされることを警戒しているのだった。
三好軍本体の士気は高く、練度やモラルも悪くはない。
だが、そうかといって問題のある雑兵が居ないかと言えば、それもまたそうでもない。
国人・豪族層、つまり三好家が管理していない土豪などが率いる軍は略奪目当てで参加する者も居る。
三時間ほど淀川沿いを騎乗と徒歩の一団は下った。
前方からかなりの大群が良之たちの進路を逆行してくるのが見えた。
双方の先触れの小者が駆け寄ってなにやら話す。
やがて先触れたちが良之たちの許へ駆け寄ってきた。
隠岐が先触れに話しかけようとするのを制し、松永弾正が
「我は松永弾正忠。こちらは二条の三位少将卿でおわす。急ぎ戻り筑前守様にお伝えせよ。卿は堺へ下られるので、我が山崎よりお供つかまつって居る」
先触れにとっては、公卿はともかく弾正忠でさえも雲の上の存在に近い。
三好方の先触れはその言葉を受け慌てて自軍に駆け去った。
「弾正殿、かたじけない」
隠岐が主に変わって礼を言う。
「なんの。ご同道したのはこれが目的ゆえ」
弾正は答えて、良之主従に先を急がせた。
引き返していた先触れが再び姿を見せ
「筑前守様より、二条少将様にご挨拶をしたいと言付かってございます」
と弾正へ言上した。
弾正は良之に視線を送る。良之はうなずいて見せた。
良之と三好筑前守が出会ったのは、
このあたりは現在では寝屋川市になっている。
この時期は京大阪を支える穀倉地帯だ。
三好長慶の父元長が、その領有権を狙う三好政長の陰謀により一向一揆に追い詰められ自害したあと、公然と政長によって略取された河内十七箇所と呼ばれる荘園地帯である。
行軍中でありながら、三好筑前守は幔幕を張り、床几を並べて良之を出迎えてくれた。
「行軍中なれば、ご無礼の段平にご容赦を」
「もし足止めをしてしまったのならお詫びします」
筑前守のあいさつに良之も詫びで返す。
「二条少将です。このたびは弾正忠殿にお世話になりました」
松永弾正に水を向けると、弾正は
「少将様は堺へ下向の途にてご縁あり、道案内を仕りました」
と報告する。
三好筑前。諱は長慶。
わずか11才で元服すると、その軍事的な才能を一気に発揮し、周囲の同族と国人などを良く束ね、17年足らずで当時の日本最大の版図を治める大大名に成長した。
良之と遭遇したこの時期には、未だ肩書き上は細川家の陪臣であるが、実情はすでに戦国大名として主君であった細川晴元、細川氏綱を凌いでいる。
良之の前に並ぶ左右にも、十河民部大輔、三好孫四郎、その長子弓介等が控えている。
十河は鬼十河と言われた一存で、長慶の実弟である。
「弾正殿にお聞きしました。京の街をお護り頂けるとのこと、ありがたく存じます」
良之は床几に腰掛けたままで軽く頭を下げる。
「都を騒がすのは不本意なれど、兵火を以て侵略を志す敵があれば致し方なく」
筑前はそう答えた。
話によるとこの頃の筑前は28才くらいのはずだが、良之の目には随分と疲れた男に見えた。
その後、筑前の配下、といっても身内だが、1人1人を紹介され、それぞれとあいさつを交わした後、良之は出立した。
「時を失いました。今宵は石山にて宿を求めましょう」
大宮八幡宮で休息を取るため立ち寄った際、隠岐が良之にそう告げた。
「任せる」
良之の返答を受けて、隠岐は先触れに小者を走らせた。
石山。
山科にあった本願寺が堂の一つすら残さず焼け落ちたあとの天文2年、本願寺の本山として開発がはじまった。
以来、数度の敗戦はあったが順調に城郭と寺内町の拡大は続き、17年目を迎えるこの時期には、国内で並び立つものがないほどの大城郭に成長していた。
この時期の宗主は10世証如。
先触れが戻った。
一緒に僧兵のような出で立ちの男たちが数人、同行してきている。
「申し上げます。本願寺より少将様ご来訪を歓迎するとのお申し出。これなる2人はご案内を仰せつかる由」
先触れは隠岐に報告をする。
続いて、僧兵が言上する。
「申し上げる。少将様におかれては、今宵法主よりご歓待を望む由言上いたす。御家中の皆々様には、宿坊にてお寛ぎ頂けるよう坊官が手配いたしたる由、安んじてお休み頂きたく」
「かたじけない」
隠岐が主に変わって返礼する。
戦雲が近づく京より、あるいは安全かも知れない、などと隠岐は考えている。
「では愚禿どももこれよりご同道いたす」
言われて、隠岐は顔を引き締め直し、うなずいた。
一時間ほどで石山御坊の寺内町が見えてきた。
驚いたことに、この頃はもうすでに、京より賑わっている。
良之はこっちの世界に来てから、焼けた京しか見ていなかった。
大山崎の賑わいも鮮烈だったが、本願寺門前町の豊かさもまた、良之にいろいろ考えさせることになった。
ここに来るまで、良之は心の片隅で本願寺を敵視していた。
なんと言っても、この国がここまで荒れた原因のひとつは、間違いなく宗教戦争の側面もあった。
歴史に強くない良之でもそのくらいのことは知っていた。
ことに、法華宗、天台宗、そして一向宗。武装して我意を通そうとした宗教家たちは、やがて政治権力に利用され、時にはそれを利用して、放火し略奪し殺し合った。
寺のような巨大建造物が焼かれれば、当然門前町にも延焼する。むしろ門前町こそ略奪され、灰燼に帰す。
そんな行いのため、上京も下京も未だに再建されず、焼け跡に黒々と炭化した柱の跡を残していた。
だが、この石山の町の豊かさを僧兵たちが守っていることも、一方では紛れのない事実だった。
やがて、僧兵たちに案内され、良之の供回りは宿坊へ、良之と隠岐、フリーデとアイリは御坊へと案内された。
「奏者
中年の青白い僧が四人を迎えた。
「二条少将です。このたびはお招きに感謝します」
良之は軽く礼をした。
「良之様……」
アイリが良之に耳打ちをした。
「失礼、奏者殿。もしお気を悪く為されなければ、貴方のご病気、治療させて頂けませんか?」
「はて? 病?」
「時々、おなかが激しく痛んだりしませんか?」
「……」
どうやら思い当たる節がありそうだ。
「手間は取らせません。なんなら今ここですぐ終わります。私の連れは方術が使えますので」
「なんと、方術とは……
「はい。ものは試し、と申します。ほんの少し座ってお待ち頂ければ、背中をとんとんと叩く間に終わります」
「はあ……」
上野法橋は不得要領にうなずき、胡座座りに腰掛けた。
その背後にアイリは廻り、治癒魔法で彼を癒やし、背中をとんとん、と叩いた。
「……これは」
上野法橋はついうっかり、人には隠していた症状の消えた胃のあたりを右手で撫でてしまった。
同じ症状で先年兄を亡くしていたので、自分ももはや長くない、と思っていたところだったのである。
「胃袋に腫瘍があったという事です。さぞおつらかったでしょう、もう大丈夫です」
アイリの見立てを良之が訳して伝える。
腫瘍、という単語が伝わるか不安だったが、良之には言語理解の魔法がかかっている。
先方にも意味が伝わったようで、上野法橋はなにやら神妙な顔をしておなかをさすっていたが、ふと気づいて赤面し
「これは、かたじけのうございました。同じ病にて兄を喪ったばかりでございます。どのような御礼を差し上げればよろしいのでしょう?」
と頭を下げた。
「そのお言葉だけで充分です。それより法主様をお待たせしては」
良之が言うと、
「さようでございますな。では早速」
と、四人を案内して庫裏に通した。
本願寺ほどの寺になると、内向きの来客用に対面室といった応接間がある。
四人はそこに通された。
やがて、一度奥に下がった上野法橋が、法主証如を連れて戻った。
「証如でございます」
「二条少将です。このたびはお宿をご提供いただき、ありがとうございます」
「今、法橋から聞きました。胃の腫瘍を跡形もなく取り除いて下さったと。誠に、感謝の念に堪えませぬ」
証如はそう言うと、客人に向け、深々と頭を下げた。
「少将様、厚かましく存じますが、よろしければ、法主様も診て頂けますまいか?」
心配そうな表情で上野法橋がちら、と証如を見やる。
「これ、尊きお客人に無心など……」
証如がたしなめる。だが、すでに良之はアイリに治療を命じた。
「法主様、すぐ済みますのでお気になさらず」
そう言うと、先ほどと同じようにアイリに治療を任せた。
「……これは、心地よい」
目をつぶって証如はアイリの術を受け入れた。
一方、上野法橋の瞳には、尋常ではない神気――実際は
「……」
アイリが良之に耳打ちした。
「法主様には、心臓に不安があったそうにございます。胸が締め付けられるような経験はありませんでしたか?」
「そういえば、この頃とみに疲れやすくなり、横になると脈が乱れることが……」
「なんと!」
言いかけた法主の言葉に上野法橋が驚く。
「あの、もう大丈夫だそうですので……」
良之は苦笑して、法主を叱り出しそうになる法橋を止めた。
「いやこれはまさしく、神医と呼ぶにふさわしい。ほんに有り難う存じます」
法主も手を合わせて頭を垂れた。
「少将殿。厚かましいことを承知でお頼み申す。このお医者様をお借りできますまいか?」
法主が意を決して平伏した。
「
「……」
良之は後ろに控えるアイリに通訳する。
「病なら癒やせるが老衰は癒やせぬと申しております。が、診もしないでお断りするのは人の道に外れる、と申しております」
「おお、それでは!」
「ですが、一人だけお貸しするわけにも参りません。ご覧の通り、異国の者ですから、俺が一緒に行かないと言葉も通じません。ですから全員で治療に向かうしかありません」
「それでは……」
「伺いましょう」
「なんと……なんと、かたじけない」
法主と法橋はそろって良之に頭を下げた。
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