堺へ

第11話 堺へ 1


京の町を出ると、手はず通り隠岐の指示で東寺に立ち寄る。

ここで、象徴である良之以外は全員が普段使いの狩衣に召し替えをした。

それぞれが自前の狩衣に着替えた。

全員に今回の狩衣は下賜ていきょうされるが、荷物になるので<収納>に納めてしまっている。

同様に、3台の荷駄も丸ごと<収納>に片付けてしまう。

良之や2人の異人の女達の実力を知らない家臣達は驚いて戸惑っていたが

「少将様やお付きの方々は異国の方術を修めておられる。方術とはそれ、いにしえの陰陽師安倍晴明のようなお力よ」

と得意気に隠岐が全員に説明すると、分かったような分からないような状態ながらも、「それは偉う御座いますな」などと何となく納得するのだった。

東寺を出ると、この日の目標は離宮八幡宮だ。




この地は、鴨川と桂川の合流地として水利を活用し古くから栄えた。

やがて、豊富な水量で摂津や堺からの水運が活発化すると、豊富な食料生産や富の集中によって好循環が生まれ、知識層によって様々な新事業が産まれていった。

油の生産もそのひとつだった。

大山崎の社司である何某がテコの原理で荏胡麻を絞ることを発明し、この製油の元祖になったと言われている。

この製油と原料の調達、そして販売。それらを一貫して権力を背景に独占することによって、中世以降、大山崎はかつてない繁栄を見た。

ひとつには、公家社会の権威である離宮八幡宮と、武家社会の象徴である石清水八幡宮という公武双方の尊崇の対象である宗教力を背景にして、朝廷と室町幕府に強訴を繰り返すことで、これ以上ないほどの利権を生み出したこともある。

だが、彼らの成功を、宗教を使ったゆすりたかりだけだとみるのは間違っている。

長年の富と努力は、この地に住む人間達に独自の知性と社会性を生み出させていた。

幼い頃から読み書き算盤をまなび、政治的圧力によって、この時代の庶民にとって侵しがたい権力であったはずの朝廷も幕府も屈服させ続けてきた。

そうして、畿内のみならず東国にまで大山崎の油座を遍在させ、人・モノ・カネの全てを押さえた。

そんな中から、良之でも知っている2人の戦国大名が登場した。

いずれも、梟雄と呼ばれることになるこの2人は、こうした大山崎の雰囲気と無縁ではないかも知れない。

1人は、美濃の斉藤道三。

もう1人は、まだこの時代には阿波の守護代三好長慶の臣であり祐筆兼武人である松永久秀である。

この2人を歴史に生み出したという一事をもっても、山崎という土地の当時の民心が偲ばれる。


話を旅の空の良之に戻す。

東寺を出た一行は九条大路を西に進み、羅城門跡から鳥羽作道を南下する。

鳥羽から久我に渡り久我畷こがなわてをさらに南下すると、目的地の離宮八幡宮にたどり着く。




「妙な公卿が来た?」

「へい。初めて見るお顔どすが、二条藤の紋の衣を着たはります」

「人数は?」

「騎乗20ほど、御徒が40ほどで」

公家にしては人数が多い。今時はどの家も困窮し、総数でもその四分の一出せるかどうかといったところだろう。

とはいえ二条藤という事であれば、今の関白家ということになる。ただし、前左大臣も次男の左近衛中将も周防当たりに落ちていって京にはいない。

「宿は?」

「離宮八幡様やそうで」

「会いに行ってみるか」

この会話の主こそが、この地出身の戦国武将、松永弾正である。


一行が離宮八幡宮に到着すると、なにやら物々しい雰囲気が周囲から感じられた。

「これは少将様よくお越し遊ばされました」

宮司らしき壮年の男が頭を下げ出迎えた。

隠岐とは顔見知りのようで、宮司はなにやらふたつ三つ彼と耳打ちを済ませると、祢冝達に命じて一行の馬を預かる厩へ案内したり、諸大夫以下騎乗の者達を休憩処へ案内したりしている。

「三好筑前守様御家中松永弾正忠と申す武人がお目通り願っているそうに御座います」

隠岐が良之に耳打ちした。

「許す」

良之は答えると、宮司が案内の先導を買って出た。

通されたのは宮司宅の茶室のようだった。


通された茶室は利休好みのにじり口があるものではなく、随分とおおらかな雰囲気のものだった。

案内した宮司が遠慮したため、家令の隠岐にも遠慮させ、良之は客座に座った。

一瞬悩んだが、あぐらで腰掛けた。

「三好筑前守家中、松永弾正と申します」

「二条三位左近衛少将と申す」

「京より参られたとか。お疲れで御座いましょう。お茶をお点ていたしましょう」

「待たれよ。まずは用向きをおたずねしたい」

正直、松永久秀相手に初対面で毒味もなしにお茶など飲みたくない。

その良之の腹が透けたか、弾正は苦笑して居住まいを正した。

「なれば。茶室なればご無礼の段、お許し頂きたく」

「許す」

良之はことさら身分の上下を意識してしゃべった。数日間、隠岐より

「少将様への侮りは、ひいては関白様、帝様への侮りへと通じます」

とさんざん習ったばかりだった。

「こたびの山崎へのご来訪、いかなご用向きで御座いましょう?」

「堺への下向の道行きの宿とした」

「なるほど……堺へはいかなるご用で?」

「後学のための見聞」

「……」

「こちらからもよいか?」

「どうぞ」

弾正はうなずいた。

「三好筑前守殿の家中がなぜ山崎に居られる?」

弾正は一瞬躊躇したが、答えることにした。

「少将様は細川京兆家が銀閣寺の裏山に城を築いたのはご存じですか?」


話せば長い。

だが、弾正は根気よく背後関係も含めて良之に解説した。


京兆家細川晴元は、お側衆としてかわいがっていた三好政長が、謀略を以て主家の主三好元長を滅ぼして私腹を肥やしたのを許した。

三好長慶は元長死後、阿波三好本家の家督を11才で継いで以降、強兵と戦術眼、そして政治交渉の巧みさをもって瞬く間に畿内を席巻し、やがて晴元に、政長が奪った本家の所領の返還を願ったが却下されたため暴発した。

すでにこの段階で主の細川家を凌いでいた三好家は苦闘しつつも徐々に勢力を伸ばし、ついに政長を打つことに成功。その結果、管領細川晴元と将軍足利義晴は京を失地し、近江の六角を頼って落ち延びるという事態になっていた。

更にこの年には、隠居して足利将軍家を嫡子義藤に継がせていた12代足利義晴を失っている。


「中尾城と称するその城に先月来、足利義藤と細川晴元が入城し、盛んに斥候を京に放っております。我らはこれを食い止め京の町を守るため、数日中に主・筑前守含めこの山崎に参集する手はずとなっております」

「分かった。そこに俺のような公卿がのこのこやってきた故、弾正殿は存念を確かめようとこの席を用意してくれたわけだな。お手数をおかけした。もし興が冷めて居らぬのなら、茶を一服所望する」

良之はあぐらを解いて正座に直した。

――ほう。

表情を変えずに弾正は心の中だけで感心した。

居住まいを正しただけで、今までとは桁の違う人物的な迫力がこの謎の公卿から発せられている。

弾正は茶を点てた。

そしてその公卿が茶を喫する様を注意深く観察し続けた。


茶道は良之の母の趣味だった。

良之は子供の頃からどこか醒めたところがあって、お茶の作法がお為ごかしに思えて仕方なかった。

茶菓はうまいが、それだけ取ってもさほどのものではない。和菓子屋に行けばいくらでも買えるものだ。

そして、抹茶など、現代人の彼にとって、別にどうと言った飲み物でもなかった。

ただ抹茶を飲むために相手が所作通り動くのをじっと待ち、やっと出てきたお茶をお辞儀してから飲んだり、お辞儀に3パターンの所作があったりと、馬鹿馬鹿しくて仕方がなかった。

それで、ほんの数回の講習で全ての所作を完璧に披露して以降、二度と茶道には関わらなくなった。

周囲にとっては難儀な子供だっただろう、と今にして思う。

決して茶の心などもとめていなかった。

ただ、与えられた課題を完璧にこなしたい。そんな自己満足のためだけに学び、やめた。


一方の弾正は、所作に美しさのあるこの公達に違和感を覚えた。

茶の喫し方がおかしいわけではない。

だが、どこかしら自分の知る茶の道とは違うような不思議な感覚だった。

「率爾ながら、お手前はいずれの師匠にお習いになりましたか?」

つい訊ねてしまった。

良之は苦笑して首を横に振った。

「結構を頂戴いたした」

茶碗を返し、頭を下げ、姿を戻すと良之はいった。

「明日、油座を案内させ、見終わったら堺に発ちましょう。油座には興味があるから立ち寄ってみたい」

「油座にご興味? それは……」

「ただからくりが見たいだけで、それ以上はなにもいらぬ」

「なれば今から見に参りましょう。明日は払暁から堺に下られるがよい」

そう言ってから弾正は

「我らがこの地に屯集すれば、もしや戦になるやも知れませぬ。雑兵も集まる故、ご無礼があっては相済みませぬ」

と意図を明かした。どうもこの公卿は、ものの道理を冷静に計れるようだと弾正は思ったのである。

「そのようにしよう」

案の定、良之が即座にうなずいたのをみて、いっそその思いを強くした。


その足で弾正は油座の案内を始めた。良之は驚いた。

「そなたは武家ではないのか?」

「山崎の地は庭のようなものでござる」

そういうものなのか、程度にしか良之は気づかなかった。

やがて2人は圧搾機のある搾油場に入った。

弾正にとってはこの若い公達に、少しいいところを見せた気分になる瞬間だった。

だが意外なことに、良之はそれをちらっと見ただけで、

「分かった。弾正殿、案内お世話になった」

といったのである。

一目見ただけで、実作業も見ていないのに理解したのか、さもなければどこかですでに見知っていたのか。

「……少将殿は、一目見ただけでこれが何かおわかりなのか?」

「搾油機だな。そこの棒に職人達が力を込め、そこに荏胡麻を袋か何かに詰めて押し込んで絞る」

「……どちらかでご覧になりましたか?」

「いや、そうでもないが、大体そのようなものだろう」

原始的だが効率はよい圧搾法だ。鉄がふんだんに使えれば更に荷重がかけられるようになるし、酸やアルカリの薬品が使えるようになれば精製も出来るようになるだろう。

「絞った油は紙で漉して溜め、澱を除いて上澄みをすくい取るのか?」

「なぜおわかりに?」

反問されてしばらく良之は中空を睨んだあと

「人のやることだから、理由がある。その理由から考えれば、何となく、分かる」

と答えた。


弾正はショックを受けた。

実際彼の言う通り、仕組みを見て推測すれば、頭の切れるものには見通せるだろう。

だから、この公達がほんの一瞬で油座の仕組みを全て見通した事は、驚くべき事ではあるが恐るるまではいかない。

こうした人間を弾正は何人も知っているからだ。

例えば紀州の鉄砲鍛冶などにもそういう類いはいて、南蛮渡来の種子島を見て、ひとつきとかけずにもう模造してのけていた。

そしてすでに、弟子どもを指図して量産まで始めている。

ではなぜ自分は衝撃を受けたのか、弾正は頭に登った血を沈めながら考える。


――おそらく、この公達は……


そうではないと思ったのだ。

どちらかというと、なにもない時代にこの圧搾機――長木を創り出したそれのような存在なのだ。

だが、この弾正も並の男ではなかった。この瞬間、たった一瞬の遭遇でそれを見抜いたのだ。


翌朝。

急な貴人の来客に追われながら、離宮八幡宮が朝餉を饗し終わったあと。

再び松永弾正忠久秀が二条三位少将良之の許を訪ねた。

「堺から上ってくる三好の兵と万が一にも諍いがあっては困りますゆえ」

彼自らが良之に帯同して三好軍との遭遇までお供する、というのだ。

「それはありがたいのですが、良いのですか?」

「もちろんでございます。それと、1人是非にお目通りを願いたき者が居ります。お許しねがえましょうや?」

「許します」

良之はうなずいた。

「我が愚弟、松永甚介と申します」

「直答を許します」

「はっ。ありがたき幸せ」

ちっともありがたそうに見えないものの、甚介は顔を上げた。


弾正忠を名乗る松永久秀は、もし正当であれば最低でも正六位下よりは地位が高い。

まあ仮冒であったところでなにも変わらないだろう。

京と摂津・和泉・河内を制した讃岐・阿波の戦国大名、三好家臣。

松永を名乗る以前の経歴がほとんど分からぬ百姓出身でありながら、その家中で首脳部にまで登り詰めた兄弟だ。

いずれ公卿との関係を元に、本物の官職を得ることに間違いもないところだろう。


要するに、六位弾正を名乗り直答が許される久秀とちがい、官職のない甚介がが三位少将である良之に直言するのを憚ったわけで、久秀が良之に公然と敬意を表した事になる。

それが甚介には不快だったのかも知れない。


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