第10話 京の都 7


三郎はすぐに用心棒として、一族の望月法橋から3人の小者を借り受けた。

誰にも気づかれていないが、それぞれが望月の郷の手のもので、忍びである。

3人を良之に紹介したのち、良之から1000両の砂金を預かり、四等分して隠し持った。

その上で良之は小者達には10両ずつ、三郎には別に100両の工作金を手渡した。

「路銀に使いなさい」

小者達は感激して奮い立った。


三郎達がひっそりと京を立って近江を目指した数日後。いよいよ良之達の出立の日がやってきた。


出発前日。

急に1人の少女が一行に加わることになった。

山科卿の次女、阿子である。

「少将殿に命を助けられた娘やからな。ならいっそお預けしてみようかと思うたのや」

山科卿は悪びれもせずそういった。

この時代、貴人の女御や娘は旅などしない。

どちらかというと、軽装で旅をする女性は、あまりまともでないと見なされている。

旅どころか、軽装で辻売りなどをする大原女や桂女、白拍子白川女などといった町歩きをする姿だけで、真実はどうであれ、遊女であるかのような扱いを受けた。

さすがにそのことは、隠岐の猛反対によって良之も知った。

だが、隠岐と山科卿では、格が違う。身分だけの話ではなく、人間としての迫力が違いすぎる。

結局、押し切られた。

やむなく、条件を付けた。


「男装をしていただきます」

そういえば、阿子自身があきらめてくれるかと思ったのだ。

ところが、むしろ「その程度なれば」と本人も大乗り気になってしまった。

「黄門様の息女として扱うことも出来ません。青侍の見習いなんですから。それでもよろしいんですか?」

「ええわ。阿の字は生来あまり強い子ではなかったというに、少将殿の治癒のおかげで、このように色つやも日に日にようなっておる。とはいえ、あくまでそれは少将殿があってのこと。であればお側においていただけるのが何よりであろうからのう」

「家格が今少し高ければ、そのような悩みもあるやも知れませぬが、妾は……姉はお寺に参りました。妾は生まれつき弱く、お寺には耐えられぬ故残りました。お気に為されず……」

「致し方ありません。では、阿子様はフリーデのお付きといたします。お千がアイリのお付きで侍姿となっております故、お互い仲良くお過ごしを」

「いや少将殿ありがたい」


「というわけで、よろしく頼む」

やむなく良之と隠岐は、フリーデとアイリに頭を下げて頼んだ。

宮中屈指の実力派公卿の姫だ。もちろん誰しもそれを知りつつ、男装させて軽格の侍として扱わねばならない。面倒なことこの上なかったが、

「分かりました」

と、2人は面倒を引き受けてくれた。


京の最後に、出立のことを帝に伝奏してもらうため、宮中に足を運んだ良之は、急いで引き留めに来た蔵人に

「急ぎ昇殿なさいますよう」

と言付かった。

慌てて引き返し参内すると、帝はすでに良之を待っていた。

御前に進み良之が頭を下げると、

「少将、色をゆるす。離京を許す。身体をいとえ」

と、異例の勅許が下された。

「ありがたき幸せに存じまする」

その後、御下賜品として飛鳥井宰相が蹴鞠を良之に渡した。




禁裏から二条屋敷に下がると、すでに準備の整った家臣達が良之の命令を待っていた。

「はや、出るか?」

「関白様……いって参ります」

二条晴良は、わざわざ彼の出立を帝に言上し、今また、急いで帰宅し見送ってくれていたのだ。

見ると、山科卿もまた、邸宅から二条邸に駆けつけてくれていた。

「黄門様、大変お世話になりました」

「なんの。阿の字をよろしく頼む」

やはり人の親。山科卿は謹直に顔を取り繕っていても、その瞳は赤く腫れている。

隠岐はじめ家司雑掌3名。諸大夫3名、青侍は男装のフリーデやアイリ、お千と阿子を含め10名。その全員が騎乗だ。

17騎の騎馬にはそれぞれ2名ずつ中間・小者が付き、小者達が轡を取り、中間が槍や薙刀を担いでいる。

そのほかに本来は荷駄を扱わせる10名の小者達がいる。彼らは、荷車を押したり、先触れに立ったりする。

総勢60名を越える一行となった。

物見高い公家や町人達は、すでに烏丸小路に見物の列をなしている。

一行の召し物は狩り装束。風折烏帽子に狩衣姿だ。

衣服のことは専門家である山科卿が指図をしてくれた。小者の1人に至るまで、全員が新品を誂えた。

その色、表地も裏地も全て白で、全く汚れがない。

生地の表面は丁寧に砧で打たれて光沢を帯びている。

むしろ見るものにその贅を感じさせる。

そして、その中で1人だけ古着の狩衣を着ているのが良之だ。

ただの古着ではない。

紫地に、金糸と銀糸で交互に、二条家の有識紋――二条藤が大きく描かれている。

裏地は白。

誰かは分からないが、おそらくは二条家のいずれか名のある当主が用いた遺品だろう。

この時代の有識者達は、服に使われてる色と紋でたちどころに相手の身分を理解した。

旅装である狩衣はファッション性も高く、必ずしも色と家の格は同一である必要がない。

ただし、ある種の色を用いるにはその本人の位階が釣り合っている必要があり、さらには勅許が必要にもなる。

「聴色」という勅許は、おそらく公然と良之が紫地に金糸銀糸を用いた狩衣を着るために、山科卿あたりの入れ知恵で関白が得たのだろう。


京の町は、美麗な行列にざわめいていたが、騎乗の良之の姿を見て、一様にほうっとため息をついた。

応仁の乱からというものの、公家の貧困は年を追って進んだ。

もはや、こうした華美な行列は見なくなって久しかった。


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