第9話 京の都 6
この後、関白二条晴良と良之は、摂家――五摂家と呼ばれる近衛、九条、一条の各家を回り、手土産としてそれぞれ砂金100両を置いて帰った。
さらには山科卿の邸宅を訪ね、彼にも100両を献じた。
そして、二条には500両。
実際のところ、これで手持ちの砂金は100両前後になったが、良之は全く気にしていない。
なんとなればまた川縁を歩き、こっそりと砂金集めにいそしめばよい。
それより問題は、この後諸国見聞の旅に出るのだが、このたびに際して、可能な限りリクルート活動をしなければならない。
二条家の雑掌や雑色はさすがに引き抜けない。関白に叙任されただでさえ人手不足なのだ。
ところで、摂家などへの献金は、それを越えるメリットをもたらした。
各地に盤踞する大名家への紹介状が手に入ったのだ。
良之は、当初から後学のため、京を皮切りに摂津和泉、紀州、大和、伊賀、伊勢、尾張、三河、駿河、甲斐、信濃と回り、越後から越中、飛騨を抜けて美濃から近江を通って帰京するプランを立てていた。
目的は多々あるが、一つは、産業に関わる人材の発掘。そして資源の確認。
文明度の視察、そして敵情偵察だ。
こうした道中では、将来敵になる可能性を隠し、あくまで公卿の公達――部屋住みの気ままな旅を演出するべきだった。
その話は各摂家を通じてすでに流布させている。
献金の礼として、例えば近衛は本願寺や武田、足利などの紹介状を認めてくれた。
九条、一条では当主不在のため、留守居の家司に託けて帰った。
山科卿はかつて朝廷の貧窮を救うため、東海道を下向して金策を行ったことがある。
織田、今川といった有力者達に紹介状を書いてくれた。
人間という生き物が、衣服によって直感的に彼我のポジショニングをする生き物なのはどの世界のどの民族でも変わらない。
むしろ、室町期ではその度合いが激しかった。
三位少将となった良之のため、最近ではすっかり床を払い元気を取り戻した晴良の奥が力を尽くしてくれた。
これから旅に出る良之にとって、大量に必要となるのが衣服、それも位階にふさわしい衣冠だ。
これらは、奥である位子女王のすすめをほぼ断り、晴良の古着を回してもらう。
代わりに、晴良には順次、新しい衣冠を都合していった。
こちらは、衣料に造詣が深い山科卿の力を借りた。
フリーデとアイリの服装については、いろいろ試したが
「この国の女服は動きにくい」
と言う2人の意見を取り入れて、女性ながら諸大夫姿の軽装を誂えることにした。
袴に工夫を凝らし、戦闘時に戦いやすいよう研究を重ねている。
実際問題、彼女達は良之にとって重要なパートナーであるだけでなく、いざというときには頼もしいボディガードなのである。
部屋住みとはいえ、飛騨国司と鋳銭司長官という特命を帯びている良之は、家司や雑掌を多く雇用する必要に迫られた。
だが、失業者の多い京といえど、有能な人材はそう多く遊ばせているわけでもない。
関白や黄門に手伝ってもらい、伝手を当たって何人かの家臣を推薦してもらっていた。
取り急ぎ良之が必要とするのは、祐筆と諸大夫数人。それに雑掌や雑色たちだった。
旅の荷については、彼らには秘密兵器の<収納>魔法がある。
本来ならあり得ないほどの少量の荷姿で旅が出来る。
だから、荷物担当の人夫というよりは、腕の立つ青侍が欲しかった。
青蓮院宮侍法師の望月法橋のところの部屋住みの若侍が訪ねてきたのは、そんな人材募集活動中のことだった。
法橋の部屋住みと名乗る割には若い。というより、幼いと言う感じだ。
「望月三郎と申します。
ひとまず烏帽子は付けているものの、どう見てもやっつけの成人を行ったばかりのようで、狩衣姿がどこか板についていない。
「これなるは妹の千。それがしが養って居ります故、共にご奉公できればと」
こちらは更に幼かった。
「良之さま、この2人には筋があるかも知れません」
アイリが良之に耳打ちする。筋、というのはおそらく魔法の素質のことだろう。
「分かった。じゃあアイリに付けるから、よろしくね」
小声でアイリに伝え、2人に向かって、
「あい分かった、励むがよい」
とうなずいて見せた。採用である。
ひとまずは準備金として銭一貫を渡し、旅に必要な身なりを整えておくように指示する。
この時分、公卿などは貧乏が当然で、その上
意外に金払いのよい
永楽銭一貫は、鐚銭の実に四貫分もの価値があるのだ。
「手持ちが少ないね」
一方良之は、砂金の残りが5両を切っている。
これから、もう数人お供を雇ったら、まずは堺を目指し旅をする予定だ。
「もう一度砂金取りに行かないとなあ」
都の東を流れる鴨川沿いでは、良之が本気で砂金を浚ってしまったので、おそらくさほどの収穫は期待できない。
となると、都の西を流れる桂川が狙い目だ。
「
「承知つかまつりました」
隠岐は表情を変えず受諾した。
この隠岐は、二条の家司である隠岐家の部屋住みだった三男坊で、縫殿少属を名乗っていた。
年は良之より2-3才上と言うところらしい。
隠岐家は必ずしも二条家専属というわけではない。鷹司家にも選ばれる家司の名門といえる。
今回良之が彼を雇用できたのは大変な幸運といってよい。
公卿の家内経営のエキスパートの一門と言うべき家の子として、幼少より勉学を積んでいる人材だからだ。
本来であれば、良之が賜った官職が持っている人事権で隠岐の地位を上げたいところではあるが、手間に比べて効果が薄い。
すでに旅の空に心が動いている良之にとって、宮中の書類仕事で時間を浪費して、結果としてさほどの効果が望めない人事は、後回しにしたいところだった。
そこで彼にはひとまずは二条少将家の従七位下・家令として仕えてもらっている。
さて、翌日の砂金取りはちょっとした小旅行だった。
良之は、牛車も輿も不要とした。
彼の考えでは、自身は馬で旅をし、騎乗が出来る供回りには全員に馬を与えるつもりだった。
意外なことに、フリーデもアイリもおのおの騎乗が出来るようだった。
だが、彼女らの世界の馬より二回り近く小さい上に、この当時の日本の馬は、気が荒い。
理由は、去勢という文化がないからだが、そんな理由を知らぬ2人は、慣れるまでさんざん振り回され、噛まれ、危うく蹴られそうになった。
良之も手ひどい洗礼を受けた。
彼は人生で数回乗馬を体験していた。
しかしそれらは主に、引退した競走馬のサラブレッドであり、幼駒の頃からしっかりと馴致され、引退後乗馬に回される気性のよい馬ばかりだった。
「ほとんど野生じゃねえか」
毒づきながらも良之はなんとか、五条室町の馬市で買った馬をなんとか従えさせることが出来たのだった。
良之やフリーデ、アイリらの苦戦を笑っていた隠岐をはじめとする家司、諸大夫達に良之は命じた。
「金が入ったらあなたたちにも馬を与えますから、堺に着く頃までには乗馬を習得するように」
一同、青くなったのは言うまでもない。
公卿の権威として、隠岐は良之に畿内は牛車、関東下向には輿を使ってもらいたいと思っていた。
特に牛車は、三位以上の身分を内外に誇示する。
その言い分には良之も賛成だった、が、いかんせん乗り心地は悪く、歩みが早いわけでもなく、邪魔だった。
輿に至っては、人力でもあるため不要に雇用人員が増す。
その上、戦乱が招いた結果として、担ぎ手の質が悪かった。
良之は、可能であれば家臣全員分、馬を買うつもりだった。
話を砂金取りに戻す。
良之たちは、3人が騎乗、残りの家司達が徒で従うことになった。
意外なことに、望月兄妹は器用に馬の轡を扱った。
「ふたりは馬の経験はあるのか?」
良之が聞くと
「はい。元々望月は御料の御牧、望月荘の出自です」
「道理で手慣れてるわけだ」
徒で従う隠岐達が疲れてしまわぬよう、上手に馬の歩みを一定に整えて進んでいく。
良之とフリーデの騎馬の轡を取る兄妹は、褒められて顔を上気させながら、得意気に歩いている。
アイリの馬の轡を取っているのは、彦六郎という名の中年近い小者で、隠岐に従って当家に来た。
さすがに馬の轡取りにはあまり経験がないようで、冷や汗を掻きながら2人の後に従った。
二条屋敷を出て、春日小路――現在の丸太町通りを西に進む。今の感覚で言うとおよそ9kmほどの行程でたどり着くのが嵯峨・嵐山にある天龍寺だ。
この時代、禁裏のある北小路(今出川)烏丸から北、そして西は、かつての京の賑わいなど想像もつかないほどに荒れ、そして焼け落ちていた。
再建しても、今日でさえ続く細川家の戦、そして三好家、将軍家、六角家などの戦によって、周囲の寺院さえも灰燼に帰している。
戦乱に焼かれたのは天龍寺も例外ではなかったが、この寺は足利家由来のこともあってか、この時期にはひとまずの安寧を見ている。
隠岐の交渉で一行の宿をこの寺に求め、昼食の休憩の後、いよいよ桂川を遡上しての砂金集めを開始した。
6人ほどの諸大夫や侍を引き連れ、残りは隠岐に指図をさせ、寺に残す。
良之はフリーデ、アイリに周囲警戒を一任して、全力で河原の砂礫から砂金の抽出を行いながら、やがて保津川と清滝川の合流点までたどると、この日の作業を終了して、天龍寺に引き返した。
翌日は天龍寺から桂川を下り、鴨川の合流点からは鴨川岸をさかのぼり、東寺に宿を求めた。
こうして良之は砂金取りをしながらぐるりと京都の西から下京までを見て歩き、あまりに自身の印象――主に学生時代の旅行で見知ったものだが――とかけ離れた応仁の乱以降の惨状を知ることになったのだった。
ちなみに、この2日で良之が収穫した砂金は3500両に及んだ。
手元不如意な時代に二条家が豪商などから借財したものの返済に500両を充て、その指図を隠岐に取らせた。
また、現在良之に従って旅をすることが決まっている全ての家臣に準備金として、職務に応じた金額を前払いして、旅の準備に当たらせた。
そして。
「馬が扱える小者、ですか?」
良之は、望月三郎と千を呼び出し、馬を扱える小者を40人ほど常雇いで召し上げたいと相談していた。
「それは、身分に限らず、でしょうか?」
「うん、身分にはこだわらない。能力を以て仕えて欲しいかな? 必要なら、身分も上げて取り立てていくよ」
「もし地侍やその郎党などが、小者ではなく諸大夫や侍として仕官を望んだとしたら、いかがいたしましょう?」
「うーん。厄介の身分だったらいいけど、本貫の地をもってる相手は俺の力じゃどうにもならないかな? 口先で安堵の約束したって、守ってあげられなきゃ意味ないでしょ」
厄介というのは、後継者である嫡男に対しての、次男坊以下の立場のことだ。
彼らは、猶子として跡取りのスペア扱いされているが、実際は、才能に応じて分家に入ったり、または有力な大名や貴族、豪族などに仕官する。
「私どもの実家は甲賀の望月荘です」
「甲賀?」
それほど歴史に詳しいわけでもない良之は知らない。
甲賀の望月と言えば、それなりに名の通った忍者の家系だ。
とはいえ伊賀甲賀の忍者については、人並みには知っている。
「甲賀伊賀の甲賀?」
「そうです。彼の地には惣と呼ばれる集団があります。必ずしも武家として成っているものばかりではありません」
三郎の話を良之なりに解釈すると、伊賀や甲賀という農産的に貧しい地域にとって、外貨獲得の手段として傭兵として一族、時には族長までもが他国で仕えるという。
そのため、国人や豪族、守護代やいにしえの地頭といった由来ではない武力集団が存在する。
それらのうちには、交渉次第では良之の臣としてヘッドハンティングできる一族もあるかも知れない、という話だった。
彼らにとっては人生をかけた選択になる。当然、今の良之の境遇を他者が冷静に分析するのなら、ただの部屋住みの公達に過ぎず、しかもご落胤という怪しげな経緯で五摂家の庶子として加わり、どこから沸かせたか千金を用いてわずかひとつきで三位少将まで昇ったうさんくさい人物に見える。
だが、逆の考え方もある。
こんな時代だ。どこの誰がいきなり出来星になるのか分からない。そこに博打で張り込みたい一族も存在する。
例えば、甲賀望月氏のように、だ。
「なるほど。分かった。それで、三郎はどうしたいんだ?」
「少将様。仮に総領に扶持を出すとして、年にいかほどまで用意できますか?」
「全部で、ってこと?」
「はい。今お召しの家司、諸大夫などの方々とは別に、ということです」
良之は少し考える。
今、彼が得ている収入は、まさに「錬金術」によって生み出しているに過ぎない。
とりあえず行く先々の川で砂金を浚おうとは思っているが、いつ尽きるかは分からない。
「分からない、な。でも、年に1000両までなら何とかなると思う」
「その1000両。今それがしにお預けいただけましょうか?」
幼さが残る顔を精一杯に引き締めて、上目遣いに三郎は問いかけてくる。
「いいよ」
隠岐が聞けば怒るかもなあ、とは思うが、良之にとって、どうにも三郎の真摯さは信じるに値すると感じられるのだ。
「かたじけなく……千を、質に残して参ります」
「いいよ質なんて。千は、アイリが気に入ってる。彼女に付けて育てるつもりだから、そう思っておいて」
「……はっ」
「俺たちは京を出たら山崎から堺に入る。黄門様から、堺では小西屋の手配で宿を取れるよう口利きしてもらってるんで、つなぎが必要なら小西屋を使ってよ」
「承知いたしました……あの」
「小者が必要?」
「いえ、それは法橋様からお借りします。若輩のそれがしを、なぜ少将様はお信じになられるのですか?」
三郎は、自分が言い出したことといえ、あまりにあっさりと1000両などと言う金を出す決済をする良之にただ呆気にとられている。
「それは、三郎が俺のために必死で考えてくれているのが分かるからかな?」
三郎は、それを聞いて平伏した。
畳に置いた両手に、ぽたぽたと涙が落ちるのを、三郎は止められなかった。
三郎がこれほど感激する理由を良之は知らない。
この時代、血統の明らかでない地侍の類い、そしてそれよりさらに身分の低い
武家であれ公家であれ、門閥主義は根強い。
能力を以て仕える者達でさえ、どのような有能さを示したところで、滅多に重用された事例はない。
ひどい場合になると、武田信虎に仕えた三井源助のように、主君から虎の字を賜るほどの愛顧を受けながら、門閥の重臣たちにいじめられて召し放たれてしまう事例さえある。
三井源助虎髙。この後故郷に戻り藤堂家の婿養子になる。子に、藤堂髙虎。
この時代の百姓という言葉は、現代の
この時代、侍というのは司令官の立場にあるもののことだった。
せいぜい士官クラスまでが侍であり、戦闘員である足軽や雑兵たちは、それぞれ何らかの職を手に付けている。
最も多いのが農業従事者だった。
よく知られていることだが、この時代は大きな合戦は農閑期に起きる。
特に手間のかかる水田稲作では、収穫期がもっとも大事で、収穫に適切なわずかな期間に稲の刈り取りをしないと、その年の苦労が水泡に帰してしまう。
だが、この時代百姓といえば、商家や職人もあった。
要するに、百姓というのは、源平藤橘とその末裔で構成される著名人以外、というほどの意味でしかない。
百姓を農民と定義したのは、江戸中期以降の儒学者であり、日本史上においては、歴史が浅いのである。
話がそれた。
三郎は、地元でこそ望月の惣領息子と持て囃しもされるが、こうして京に上れば、名もなき氏族の一員に過ぎなかった。
親や親戚の勢力圏でこそ大事に扱われはするが、ひとたびそこを離れれば、誰からも冷たく遇される。ましてや、三郎は未だに幼い。
三郎は、あまりに平易に接してくれる良之に、最初から好意と敬意を持っていた。
だが、思い切って進言をした人材確保のことについて、1000両もの金を自分に託してくれたことに、驚きと感激を覚えたのである。
この日のことを、三郎は生涯忘れないだろう。
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