第8話 京の都 5
「銭?」
全く予想だにしなかった答えに、関白は目を丸くした。
「銭です。長くなりますがお聞き下さいますか?」
「よい。聞かせよ」
晴之は、まず武家が台頭する理由を明確に言い当てた。
「応仁の乱の頃から、農家の生産量が爆発的に増えました。それまで例えば農家1人が一年頑張って3人とかを食わせていたのが、1人が一年頑張れば5人、10人が食えるようになる」
要を得ないまでも関白はひとまず先に進めさせる。
「米を作らず、買って食えるようになると、工人が台頭します。鉄、木工、布、革などの親方から職人まで、彼らは畑ではなく工場で一生を過ごします」
「なるほどの」
「異国からも異人が訪れます。この国の産物を買い、銅を買い、代わりに鉄砲や火薬や珍しい渡来ものを残して去ります」
「うむ」
「ただでさえ世の中が年貢から銭に移るのに、銭が全く足りないのです。これが、戦の大きな理由になっている」
「さてそこが分からぬ」
「世の中に銭が満ちれば、大名たちは他国に攻め入る必要がなくなるのです。今は銭が足りない。貧しい。だから、食わせ切れない家臣や百姓のため、他国を侵し、奪わねばならないのです」
「銭が満ちれば、収まるというのか?」
「ある程度は、はい、そうです」
人間には欲がある。
小さい欲。よりよく暮らしたい、楽に暮らしたい。子供が病で死なない国に暮らしたい。不条理に殺されることのない世の中で暮らしたい。
だが一方で、ただ勝ちたい、偉くなりたい、権力を得たい。
贅沢がしたい、人を殺したい、よい女をかき集めたい。茶器が欲しい。酒が欲しい。
将軍になりたい。関白になりたい。
一つ一つ指を折りながら晴之は関白に話し続ける。
「欲がある限り、どんなに銭を作っても、あるいはそれで得た利で更に戦い続ける者達も出てくるでしょう」
「道理だな」
欲の中に関白を挙げられて、苦笑いをしつつも晴良公はうなずいて見せた。
「銭の話ですが」
「うむ」
「いまこの国は、かつてないほど危機的な状況を迎えています」
「ほう?」
「あまりに多くの富が異国に流れ出しています」
「なんと……」
「いずれそう遠くない時に、この都にも『
「何者じゃそれは?」
「今は詳しくお知りになる必要はないと思います。ただ、これだけは覚えておいていただきたいのです。彼らはこの国の富を盗みに来ます。富は金銀だけではありません。彼らは鉄砲を売ります」
「紀州の鍛冶が作って居ると聞いたが」
「ええ。その鉄砲。猟師が弓の代わりにも使いますが、多くは大名たちが戦に用います」
「戦に……」
「弓は人間が引いて放ちますが、銃は違います。火薬、という薬を用います」
「ふむ」
「この火薬の代金として、この国の――日本全ての場所で、女や子供を奴隷としてさらっていくのです」
「奴隷?」
公は首をかしげる。
「いにしえの、奴婢のようなものです。ですが奴婢よりわるい。女は犯され、犬や馬のように首に縄をつながれ、見世物のように扱われます。全裸で檻に入れられ、遠い異国に船で売られていきます。子供は、鞭で打たれながら、辛い労働を強いられます。どちらもそう長くは生きられないでしょう」
「ま……まことか!」
公は、思わず杯を落とした。本人も気づかぬうちに、右手が震えている。
「関白様。俺はさっき、大名の中にはいろいろいて、名誉や快楽で戦を続けるものがいる、といいました」
「……そうやな」
「伴天連も同じです。中には全く心根の美しい人々もいる。そういう人たちの中には、一向宗が一揆のために命を捨ててかかるのと同じくらい、そういう信徒をまとめられる尊い上人のような傑物もまた多くいるのです」
晴之は言葉を継いだ。
「大名の中にも、京に入っても焼かず、奪わず、民に愛される者も居ますが、中には、戦に勝てば女子供をさらって売るような者も居ます。同じです」
「……」
「国に銭が溢れれば、火薬の代わりに、民を売るような大名が減らせるかも知れません。それに……」
「……なんや?」
「いま明や朝鮮、南蛮といった国々は、この国から棹銅を買って帰っています」
「よう分からんが、それがどないした?」
「実は、日本の銅には金や銀がたくさん含まれたままなのです。彼らはそれを知らん顔して国に持ち帰り、吹き直して銀を得ています。丸儲けなのです」
――代わりに、この国からはみるみる財産が奪われているのです。
晴之はそう言うと、かれかかった喉を潤すために、手酌で酒を飲んだ。
二条関白も、先ほど落とした猪口を取り直し、興奮を収めるかのように、一口啜った。
「なんや、きいとるだけで胸がくるしなってきたわ」
ぽつりと関白はつぶやいた。
すっかり肩を落とし、当初、奥方が元気になったことを喜ぶ無邪気さは影を潜めてしまった。
「昔、
しばらくの沈黙を晴之が破った。
「
800年近く昔のことである。
「そういう制度があるなら、俺はそれになりたいです」
「そんで、銭を作るいうんか?」
「ええ」
「……しかし、それなら都をはなれんでも出来るのやないか?」
「……いえ、都には金山も銅山もありません。それに、大きな問題があります」
「世情が安定しとらん、のやな?」
「ええ」
細川と三好、法華教と天台宗と一向宗。そして足利、六角。
しばらく三好が京を安定させても、いつ果てるとも知れぬ小競り合いが、今後も続いていくだろう。
「なら、どこがええんや? 堺か? 紀州か? 丹波か?」
紀州にも丹波にも、有望な鉱山はある。だが、晴之は学生時代に知った、この時代――そして今日に至るまで東洋で最大の鉱山のことを知っていた。
「飛騨神岡」である。
飛騨にはいくつかの鉱床が足りない。しかし、足りない鉱物床は隣国の美濃、越後、信州にある。
鋳銭をするのに最高の環境である。
だが問題もある。
有力国人同士が小競り合いを繰り返している難治の国なのだ。
その上、加賀越中の一向宗、越中守護代の神保、越後長尾、そして、今このときにも信州を侵略し続けている武田。
西には越前の朝倉、そして南には、時代の寵児ともいえる美濃の斉藤、そして更にその南には、織田が盤踞している。
南北朝の時、守護と国司で争った。
飛騨の場合、国司の姉小路は京から飛騨に土着し、なんとか勢力を保とうと戦ってきた。
結果、三木という国人が姉小路の勢力を代表し、着々と権力をつかみかけている。
その隣には、江馬という国人が根を下ろしている。
飛騨の守護は京極氏だったが、こちらは、この時代にはすでに傀儡と化している。
だが、傀儡とはいえ足利将軍家と結びつき、なんとか余命を保っている。
「飛騨……か。名分は、ないではない」
二条公は、しばらく考えた後、ぽつりといった。
「飛騨にはいくつか荘園があっての」
朝廷領、近衛家領、そして山科領に代表される荘。それに寺社領。
それらはほとんど全て、現状、国人や豪族に支配され横領されている。
それらについては、どうせ横領されているのなら、大義名分をもって晴之が確保することもあるいは出来るかも知れない。
もっとも。
それは晴之にそれを成し遂げる武力が備われば,の話である。
現状たった3人の晴之達に、たとえ個々に超常的な魔法の能力があったところで、それだけではあまり意味がない。
例えば人間は、食事をし、排泄をし、睡眠を取る。
そのどの瞬間でも、もし外敵に襲われれば致命的な状況に陥る怖れがある。そういう意味では、人間の能力というのは、決して万能ではないのだ。
ひとまず、今後の晴之の人生の目標、というか存念を二条公に伝えた。
二条公は、晴之がこの夜提示した様々な卓見に驚いた。
銭の話、伴天連の人さらいの話、鉄砲の話、布教の話。
あまりに話が大きすぎたり、現状では抽象的すぎる部分もあったが、それでも充分に二条公は理解を示した。
「それにしても……お公家様は血筋を大切になさっていらっしゃると思いました。私のようなぽっと出の下位の家柄のものを、便宜とはいえ落胤として迎えるなんて」
「前代未聞であるよ、ほほ」
「問題になりませんか?」
「かまわぬわさ。じゃが、相済まぬがそなたを藤の長者にまではすることは出来ぬ」
藤の長者とはつまり藤原の長者、公卿藤原家のトップという意味である。
もちろんそのくらいは晴之も心得ている。
「ところで話は変わるんですが、関白様。このお屋敷の修繕――そうですね、せめて門と外壁を直し、お屋敷を修繕しようと思ったら、どのくらいのお金が入り用になるでしょうか?」
「見当も付かぬ……」
二条公は表情を暗くした。
いずれにせよ、自身の荘園も朝廷の荘園も、京に近いものはそれぞれの実力者の温情ともいえる配慮で収入を上げているが、飛び地で各地に散在する所領は、各地の豪族や国人共に横領されて久しい。
「それでは、先ほどの金1000両と別に、関白様には砂金500両、黄門様には砂金100両をお送りいたします。その金で、出来るだけお屋敷の警護や修繕にお努め下さい」
「それはかたじけない……」
「いえ、『あにうえ様』のためですので」
晴之がそう言うと、ほほ、と二条公は笑った。
「お、地揺れじゃ」
暢気に山科卿はつぶやいた。
丑の下刻、と言うので真夜中だろう。
ほんの一瞬。
布団に入っていた者達は「ミシリ」という根太や天井のきしむ音を起きていれば聞いただろう。
直後、突き上げるような激しい縦揺れのあと、家が倒れるかと思う横揺れを起こし、京の町を騒がせた。
朝までに数回余震があった。
この日の日記に山科卿はたった一言、
「(六月)廿二、甲申、天晴、十方暮、丑下刻地震暫」
とだけ記載している。
十方暮というのは、暦の上の厄日が10日も続く期間のことで、一説には「途方に暮れる」という語呂遊びだと言われている。
この国の人間たちは地震には驚くが、建物が壊滅するほどでもなければ比較的慣れている。
気の毒だったのはフリーデとアイリで、地震に目覚めたあと、建物のきしむ音に恐怖し、そのあとの余震ですっかり寝付けず、一日青い顔で過ごしていた。
「慣れた方がいいよ。この国、地震大国なんて言われてるから」
晴之は同情しつつも、どこかしら冷たいアドバイスをした。
結局のところ、物心ついて以降地震に慣らされている日本人には、こうした異国人の恐怖は分かりにくいのかも知れない。
月が改まった翌七月の一日。
晴之は昇殿用の礼服を整え、名を良之に改め、二条公に導かれて
従四位下・侍従。翌二日には正五位上・左近衛少将を拝命する。
あわせ、内蔵允から正五位上・鋳銭司長官へ位階の一部が切り替わった。さらに。
「従六位飛騨守、ですか」
「いまは実のない名前だけだがの……やがて真の国司となることを期待して居るぞよ」
「ありがたく」
やがて、関白に伴われ、昇殿となる。
言うまでもなく、この日までに二条公はあらかたの根回しを終えている。
実は、天文十九年当時の天皇である後奈良帝は、後世にも清廉さが記録として残るほどの人物で、土佐国司として権勢を振るった一条房冬や、周防長門から九州北部の広大な領土を誇った大内家の当主が、それぞれ多額の金品によって売官行為を行ったことを深く憤った。
一条家については摂家という家格のため任官を認めたものの、献納された金品は全て返させた。
大内については、左右のものが勅勘を解き昇進を得るのに、その後丸一年以上の時を要した。
そこに、悪びれもせず父の落胤に御座います、と二条晴良が良之を連れ込み、いま、帝の前に漆塗りの盆を運ばせたのである。
「これなる良之、すぐる年、これなる晴良が弟と判明いたすも、幼きより地を読み川より黄金を集め暮らし来たり。今畏くも帝の御お側に侍りけるに至り、この上己の蓄財は不要と、かように献上いたしたくお持ちした由。何卒お許し賜りたく」
「良之、直答を許す、面を上げよ」
後奈良帝は、いぶかしげに晴之の顔をしげしげと眺め
「これなるはいかなる存念か? 聞けば近頃、二条の館も不如意にて荒れるに任すると聞き及ぶ。さればこの黄金にてまずは心ゆくまで館を直すがよい」
「それは順が違います故。このように落胤として育った事を不問にされ、弟として扱われる兄には感謝はあります。増して、こうして畏くも帝御自らお声を頂けるなど、往事は夢にも思わぬ事。なればこの身の華美を求めるより、この金を以て禁裏を華やがせる事が、何よりこの身を美しくさせましょう」
何日もかけて練習してきた口上だった。
「良之殿のみ残られよ。余のものは外されよ」
後奈良帝はそう言うと、御簾を挙げさせた。
「良之、表をあげよ。何が狙いじゃ?」
「……いえ」
「有り体に申すがよい。二条の落胤など荒唐無稽な作り事で謀り、宮中にて何を企む?」
「……されば。畏れ多くも、帝はなぜ世が荒れているのかおわかりでしょうか?」
「道が外れて居るからよ。人が皆、道をうしのうてさぶろうておる」
「この身はその道を、銭に見つけました。この日の本に足りぬのは米ではない。銭で御座います」
激しい勘気に満ちた声が良之に降り注いだ。
「それは
博陸とは関白の唐名だ。つまり、二条晴良の根回しは、すでに帝にも奏上されていることになる。
「なれば。この身はこれより、世の見聞のため東の国々を歩き、ふさわしき山を見つけ、そこで鋳銭の工場を作りたく思います。いずれは世の隅々に金貨・銀貨・銅の銭を行き渡らせ、争いのない世を見たいと存じます」
「参議・納言を望まぬと言うか」
「それが平和の世のためであれば。必要なら望みもいたします」
ふむ、と帝は怒気を沈めた。
「都に残らぬと言うか」
「はい。都にいても出来ることは少ないです。官位は、仕事をする上では役立ちます。地方の国人や豪族は、位の高さをありがたがり、従ってくれるものもあると聞きます。ですが、その程度でございましょう」
しばしの沈黙のあと、穏やかに後奈良帝はいった。
「あい分かった。この金、納めよう」
「……」
良之は頭を下げた。
「励むがよい」
言い残すと、帝は御簾の奥に去った。
良之のプランは、帝に認可されたことになる。
そして、この瞬間から安倍晴之の名前は、従三位少将二条朝臣藤原良之に変わることになった。
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