第7話 京の都 4
「虫下し?」
「ええ。黄門様は医術もなさるそうですので、これをお渡しします」
晴之は数日かけて様々な素材を試し、更にデータベースや辞書から寄生虫に有効な薬効成分を選んで作成した粉薬を、茶筒に入れて山科卿に渡した。
カイニン酸のほか、パモ酸ピルビニウム、リン酸ピペラジン、サントニンなどを精製して混合した駆虫用のカクテル製剤だ。
「この茶さじ一杯で、この
「煎じるのか?」
「いえ、薬効を取り出しましたので煮詰める必要はありません。問題は……虫を下すのですからおなかをゆるくしないと危険です。それに、虫に効くのですから、用量を間違えると、人間にも毒になります」
「なるほど……ま、それはどの薬にもいえる事やな。腹をゆるくさせるんは生薬にもいろいろあるよって……」
山科卿は早速晴之の話をメモしだした。
この人物は、博覧強記なだけでなく、無類のメモ魔でもあった。
「この薬、量産出来るのか?」
といった意図の質問に晴之は首を横に振った。
「道士の修行をしなければ作れない」
と答えるにとどめた。
露骨に無念そうな顔をする卿に
「でも鷓鴣菜湯には一定の効果があります」
そう付け加えるのが精一杯だった。
晴之がフリーデとアイリに錬金術による分子構造改変の話をしたところ
「さすがにそんな話は聞いたことがありません」
と2人に断言されてしまった。
「その前に、分子ってなんですか?」
アイリには聞き返された。
晴之は一応、この単語が現れる中学レベルの化学の話を聞かせるが、やはりというか2人には全くぴんと来ないようだった。
「じゃあこっちは?」
庭の砂礫から金だけを選択的に収集し、亜空間の<収納>に貯まった砂金を手のひらにのせて2人に見せる。
「な、なんと……」
「すごいです」
「マギラ工房の工房長がそんな錬金術を持っていたと伝わっていますが」
伝わっている、ということはそんなに普遍的な技術ではないということだろう。
「普遍的……ですか? そうですね。やっている事象については特別なことではありません。ビンに集めた素材から特定の素材の錬成・収集をするのと同じですから」
フリーデは続ける。
「でも、それをこのような形で地面から直接選別する、というのはよほどの潜在的な魔力保持者でないと難しいですし、魔法と錬金術を同時に使いますので、私たちの世界ではあまり安全な術ではありません」
「両方から狙われかねませんから」
アイリが補足する。
「なるほどなあ」
彼女達にとっても知らない技術というわけではないのだろう。
ただ、魔法使いと錬金術師が殺し合ってるような世界だと使いにくいということなんだろう、と晴之は結論づけた。
翌日。
晴之は鴨川沿いを散策することにした。
無論、目的は砂金集めである。
砂金はこの時代、日本中のほとんどの河川に遍在している。
言うまでもなく、鴨川でも砂金は取れる。
効率よく取る方法は、流れの緩やかな場所と速い場所が同時に存在している場所――つまり川の蛇行部の中瀬や河原の、もっとも緩やかな部分の堆積部だ。
金は比重が重いため、大雨などで流されても、こうした流れの緩やかなところで沈降しやすいのだ。
朝から川岸をのんびりと遡上しながら、蛇行部を見つけては晴之は砂金集めに没頭する。
やがて高野川と賀茂川の合流部にたどり着くと、今度は賀茂川に沿ってのんびりと歩いて行く。
道具ひとつ持たず、ただだらだらと2人の異人娘や地下人の青侍を引き連れた晴之は、端から見たらただ川辺に遊んでいるようにしか見えないだろう。
途中で、早起きして作った握り飯を全員に振る舞ったりしながら、陽のあるうちに戻れるよう蛙ヶ谷あたりで一行は引き返した。
この日一日で晴之が河原から浚った砂金は35kgにも及んだ。
これは当時の京都におけるレートで言うと、金2000両以上になる。
山科邸に戻った後、魔法の使いすぎか疲労のせいかは分からないが、晴之は熱を出して一晩うめいた。
それでも、この収益を考えれば、安い代償だったかも知れない。
翌朝、様子を見にわざわざ晴之を見舞ってくれた山科卿に
「ああそういえば」
と、昨日砂金集めをしてきたと報告した。
そして、1000両分ほどになる約17キロ分を「お納め下さい」と差し出した。
「こ、れを昨日一日で?」
しばし唖然と無造作に麻のずだ袋に詰め込まれた砂金を眺めていた山科卿だったが
「こなた、この金で官職を求めなさるがええ」
と言い出した。
「いずれにしても、余には過ぎた砂金。ならば向後役に立つやも知れぬ故な」
「はあ」
正直、晴之には未だにこの官職とか官位というものが全く理解出来ていない。
宮中にいなければ意味がないだろう、と思っているのだ。
実は、このときすでに晴之は、京都を離れ、東日本から北陸あたりをぐるっと見て歩く気になっていた。
そのために、むしろ朝廷に官職で縛られるのはあまりうまいことと思えなかった。
ところが、もしかしたらこの時代一等の行動力があるかも知れない公卿が山科言継という男だ。
彼はその日の夕には、時の関白二条晴良を連れ、晴之の前に現れたのだった。
「黄門より聞いた。金1000両の献納、誠忠である」
「はっ」
「とはいえ、弱ったのう……そなた、安倍と申したがしかと相違ないか?」
「はっ」
安倍だといったい何が困るのか……言われて晴之も困ってしまった。
「実はの……そなたが安倍なれば、氏の長は土御門よ。なれど土御門のごときは、京を捨て若狭に落ち、帝が乱れた世にお心を痛め万魔調伏を望まれても出仕せぬ」
ほうっと関白はため息をつく。
「土御門がそのようゆえに、そなたのこたびの大功、忠勤を以てしてもそなたを引き立てるには及ばぬのよ」
「はあ……」
「そこでよ。そなた、安倍というは思い違い。まことは、我が父
「えぇ?!」
「おお、なんとそのようなことが!」
山科卿が白々しく追従する。
「であれば話は早い。早速帝に奏上し、そなたを我が一族の末席を担ってもらい、従三位左近衛少将と侍従を……」
「お待ち下さい!」
さすがに話が飛躍しすぎだ。
「関白様、黄門様も。俺は、この先京の都に住むつもりはありません」
晴之は、自分が今後しばらくは近畿から東海、甲信越、北陸などを旅して、よい場所を選んで開発しようと考えていることを告げた。
晴之の本質は科学者であり工学者だ。
この時代、まったくそれらの分野は未開だから、今からどれほどのことが出来るか、死ぬまでかかってもろくな仕事は出来ないかも知れない。
ましてや、可能であれば元の世界にかえりたいとすら思っている。
さすがにそれらの秘密は彼らには口が裂けても言えないが、ともかく、そうやって各地を巡って見聞を広げ、その後身を立てていこうと考えていることをなんとか説明した。
だが。
「おお、
ほほほ、と二条晴良公は笑うのだった。
「関白様」
「兄上さま、と呼んでみてはくれぬか?」
「……黄門様?」
「これは
どうやら、これはこの2人、なにやら企んでいるとしか思えなかった。
ふっとため息をひとつつくと、関白は威儀を正した。
「本来のう、このようなご時世じゃ。そなたのような忠勤の者、仮に家が半家であろうと、その主が若狭に
ギロ、と関白はその瞳を見開いた。
「内蔵允殿。余の奥にも、その方術とやらでお救いをたもりゃぬか?」
関白の奥方は今年で21才。初産を流してしまい、近頃身体が思わしくないという。
現在のところ、後継に恵まれず、彼の弟が猶子となっている。
その弟も、兄である彼を残して、父である前左大臣尹房公と共に、周防の大内家に寓居したきり、一向に戻る気配さえないという。
大内は、現在のところ天下屈指の戦国大名である。
当然、その都は京に例えられるほどの栄華を誇る。治安も良く、文化も高い。
彼らは、要するに帝を捨て、都を捨て、職務を捨てて安寧の地に逃げたのだ。
そして、1人都に残され関白として立つ彼は、流産で心身ともに疲れ果てた妻と2人、なんとか日々を過ごしているのだという。
「……分かりました。とにかく、奥方様のご容態を一度、拝見いたします」
ほかの話はともかく、流産の後体調が優れないというのは聞き捨てがならなかった。
一行はその足で二条邸へ向かう。
関白と黄門は牛車、晴之とフリーデ、アイリは青侍たちと共に徒歩だ。
二条邸は、先日晴之が訪ねた小西屋より更に南に下った場所にある。
今で言うと烏丸御池の一帯、広大な敷地と瀟洒な庭、御池通りの名前の元になった御池が自慢の大邸宅である。
もっともこの時代は二条家にとっても悪夢といえるような時代だ。
公卿としての体面が保てるかどうかも厳しい荒れ果てた邸内には、関白である亭主を公然と無視して庶民までが庭見物にぶらつくという始末だった。
そんな邸宅は、本宅のみがやっと修繕され、少ない資産をなんとかやりくりして維持をしている。
雑掌たちの案内で、先行していた関白と黄門にあいさつをして、奥にあがらせてもらうと、気丈に布団から身を起こして二条晴良の室、伏見宮親王の娘・位子女王が晴之たちを待ち構えていた。
「奥方様、安倍晴之と申します。こちらはフリーデとアイリ。異人です」
「殿下より聞き及びました。お医者殿とか」
「はい、ご容態を拝見いたします」
晴之は少し枕頭の方に身体をずらし、アイリに診させる。
「どう?」
「大丈夫、子宮に問題があるようだけど、癒やせるよ」
アイリが自信を持って請け負った。
「関白様、奥方様。これよりアイリが方術をもちまして、奥方様のおなかを癒やします。奥方様、どうぞ布団に横になって下さい」
言われるまま、奥方は横になる。
そこにアイリが進み出て、彼女のおなかに手を当て、回復呪文を詠唱した。
「おお……」
関白が小声でうめく。
周囲の者にもはっきりと見て取れる魔法の拡散。そして、得体の知れない力が、奥方の下腹付近に淡い光と共に渦巻いている。
じっと、奥方の顔を心配そうに窺っていた関白は、彼女の頬や唇に、徐々に血の気がうっすらと戻っていくのを確かに見た。
「…………」
全く意味の分からない言葉をアイリと呼ばれた「道士」が晴之に告げている。
晴之はうなずき、
「終わりました。俺は薬は出しませんけど、もし薬を頼むのでしたら、身体を温める煎じ薬をもらって下さい」
「……あの」
奥方はか細い声で、そのまま立ち去ろうとする晴之を呼び止めた。
「……もし……なおったのですか?」
「はい。もう大丈夫です」
晴之は視線をアイリに向ける。アイリも力強くうなずいて見せた。
余談だが、位子女王はこの2年後に子宝に恵まれる。男の子だった。
ひとまず治療はしたものの、その後どうしたものか。
二条家で夕餉を馳走になっている間に、山科卿は帰宅してしまったらしい。
「今宵はこちらでゆるりと過ごされよ」
雑掌がにこやかに3人を客間に通す。
しばらくすると、晴良公が、晴之に話がしたいと、呼び出してきた。
「奥のこと、誠にもって感謝に堪えぬ」
「しばらく大事を取っていただければ、来年にはすっかり元気になるそうです」
アイリから詳しく聞いた通りに晴之も答えた。
「すぐに、は難しいか?」
「身体が、苦しみや痛みをしばらく覚えてしまっているそうです。心の問題で、時がたてば自然に癒えるものなので、焦らない方がよいのでしょう」
「道理であるの」
関白は、そう言うと自らの膳の酒盃を持ち、手酌で酒を飲む。
晴之にも肴と酒が用意されている。こちらも自前で酌をする。
「内蔵允殿。月が改まればそなたを余の弟として参内させる」
「えっ……」
「従三位左近衛中将、と思うたがこれはちとよろしゅうない」
その官位には、実の弟が今就いている。
「従四位下・侍従と左近衛少将に任じる。名は、変えてもらわねばならぬ」
――苗字も本姓も、名前も変わるのか。まるでどんどん自分ではなくなる。
杯を宙に浮かせたまま、晴之はぼんやりそんなことを考えた。
「無論のこと、訳がある。内蔵允殿は先の将軍の名を存じ居るか?」
「あー」
足利義晴である。
実は晴之がこの世界に来たときにはすでに他界している。
「我が名も偏諱を受けて居る。が、そなたにはその記録がない。それ故、晴の字を、我が家の通字である良の字に改めて頂きたい」
「……揉めますか」
「まずは、の」
その話は山科卿からもちらっと指摘されている。
例えば、長尾家の晴景。武田家の晴信。北畠の晴具。伊達家の晴宗。そして、細川晴元。
晴の字を与えられた武家、義の字を与えられた武家など、挙げ始めればきりが無い。
きりは無いが、言うまでもなく、足利将軍家では、それら全てを漏れなく把握している。
「分かりました……俺は二条良之ですか?」
「ひとまずは」
この先、また変わるのか。やれやれと晴之は思う。
「それについては今はまだ何ともいえぬ。そなた、いつ京を立つおつもりか?」
「……できる限り早くを考えてます」
「急ぐわけはあるか?」
「ひとつは、あまり京にいると、身動きが取れなくなる怖れを感じています。例えば今日のように、医師として頼られれれば、やがて抜き差しならなくなる気がします」
「ふむ?」
「俺は、元来医師ではないのです。どちらかというと成り立ちは工人、あり方は商人、現状は学僧に近い生き方をしていました」
「よくわからぬのう」
ふっとひとつ苦笑いを浮かべ、杯を干し晴之はいった。
「関白様」
「うむ」
「今この国――天下、でしょうか。何もかも足りない状態です。ですが真っ先に足りないものはなんだと思いますか?」
そう問われてさすがは関白だった。じっと瞳を伏せ、何事かを考えていたが
「力、かの?」
「武家の力は凄まじいほどに満ちてます。実は、民の力も、歴史上かつてないほどにあがっているのです」
「ほう? ではなにが?」
「銭が、足りません」
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