第6話 京の都 3

警戒していた通り、晴之、フリーデ、アイリの3人に天然痘感染の兆候が現れた。

それをアイリ自身の治癒魔法でシャットアウトした。

「フリーデ、アイリの治癒魔法は君たちの世界でも一般的な能力なのか?」

「治癒魔法の概念自体は一般的ですが、彼女の才能は私たちの世界でも屈指です」

「例えばそれはどうやって判断されてるんだ?」

「そうですね……本来貴族にしか門戸が開放されていない貴族学校に、魔法の潜在能力の高さ故に平民の身分で推薦入学し、卒業後に伯爵家が専属魔法使いとしてスカウトする、という、幾重にも選抜をされた人材という意味で、です」

そういわれても晴之にはほかに比較対象がない話なので判断のつけようはないのだが、どうやらアイリという人材を、成り行きながら手に入れることが出来たのは大変な幸運だったようだ。

「ちなみにフリーデは?」

「私は実家が貴族ですから。それに錬金術師は本質的に『誰でも手順を覚えれば使える』事を目指しています。……だからこそ魔法使いとの紛争を招く結果になったのですが」

「……要するに既得権益と新興勢力の利権を巡る戦いだった?」

「利権……そうですね、突き詰めれば」

フリーデによると、魔法使いは先天的な才能がものを言う分野だという。

頭でいくら魔法の理論を理解したところで、実技で結果が出せるというものではなかった。

先天的な才能に恵まれて平民の身の上で貴族学校に入った瞬間から、その才能を以てアイリは貴族化したと言って良い。

「魔法の才能は遺伝すると考えられていますから」

対するフリーデは、家柄は申し分なかったものの、魔法を発動させる才能に乏しかった。


フリーデも貴族の一員らしく、身体の魔法親和性の高さは同年代で屈指の素質だったらしい。だが、実技が壊滅的に苦手だった。

ところが反対に、触媒を用いた魔法には、同時代の錬金術師の中でも突出した能力を具現化させていた。

特に、魔法薬の精製、金属精錬などを触媒を用いて精製する能力に長けていた。

さらに、触媒による戦闘能力も屈指のものがあり、その中でも、水銀合金アマルガムを用いた魔法使いへの殺傷能力の高いいくつもの術を知り尽くしていた彼女は、常に恐怖の的だった。

「その恐ろしさ故に、フリーデは魔法使い達から常に抹殺の対象とされていました」

アイリが言う。

「要するに俺は、君たちの世界のトップレベルの魔法使いと錬金術師を仲間に出来たって事か」

幸運にも、晴之の言う通りこの2人の能力は、確実に一同の生存確率を飛躍的に上昇させている。

2人も言わず、晴之も意識していないが、もしこの中の誰が欠けていても、この世界で生き延びるのはとても厳しい状況に陥っていただろう。




晴之たちは山科権中納言黄門家に引き続き世話になっている。

とにかく、晴之にはやらなければならない課題が山積だった。

まず、どうにかして安定的な収益を得たかった。

そのために、この時代がどんな文明レベルで、何をすれば金になるのか知ることが大事だった。

陽のあるうちは、山科卿の家中である雑掌大沢家や家司である井上家や沢路家の家人たちが3人の町歩きを警護してくれた。

ここのところ、晴之は地下人じげにんの若君、といった服を着ることが多くなった。

簡素な狩衣に張烏帽子、袴は神主用の実用的なものでごまかした。とにかくこの時代の公家服は動きにくいことこの上ない。


服装を変えるとほんの少し、見えざる敵意、というか隔意は減った。

人間というのは、衣服も含め環境の中で無意識に彼我のポジションを決めて安心する生き物なんだな、と改めて晴之は実感させられた。


数日かけて御所を中心に洛中を調べて歩いた晴之は、まずひとつどうしてもやっておくべき課題があることに気づいた。


「ごっさんからの紹介どすか?」

奥から呼ばれて出てきたのは、薬種問屋小西屋の弥九郎宗寿だ。

この時期の京都は上京も下京も戦乱で焼けることが多く富も安定していない。

薬種問屋は比較的御所に近い室町筋二条から烏丸二条の間、東玉屋町当たりに店を構えている。

規模は、大きい。

周囲の店舗より間口が一回り以上大きい。

もっとも間口については商売の規模ではなく、この屋の主の血縁が背景にある。


堺の薬種問屋小西屋弥左衛門行正は、丹波守護代内藤国貞の実の甥だ。

その小西屋の息子である弥九郎――近頃では宗寿と名乗っている――が若旦那として切り盛りしているのが、京都の小西屋支店だった。

天文十九年現在、丹波守護代内藤家は、京都に勢力を獲得しつつあった三好長慶の元に属している。

ある種の権勢を獲得しつつあったと言って良いだろう。


一般に京の都では、間口の広さによって税が決まる。

これを間別銭まべちせんという。南北朝以来、権力構造が二重化し、更に戦国の世になった事で権力者が戦国大名に移るに従い、京の町屋などは、何重にも税を絞られるのが常態化していた。

閉口した庶民たちが自己防衛のために取った策が、別名「ウナギの寝床」等と呼ばれる間口の狭い町屋だった。

さすがに商家などでは、商いの規模に見合った家並みになるが、重量物を商わない商家は、細長い敷地の奥に土蔵を隠すことで、間口を狭めているのだ。


さて、小西屋。

山科邸から烏丸通りを南に下ること約20分、距離では1.4kmといったところにある。

どちらも把握してるのは晴之だけではあるが、無論この時代の現代っ子である家司の家人たちにも最初からきちんと土地勘はある。

丁稚風の若いのに家司が来訪を告げると共に、山科卿のしたためた案内状を渡すと、中から、いかにも道楽商人風の若旦那が出てきたわけだ。


「小西屋どす」

内蔵允くらのじょうです。よろしく」

宗寿は内蔵允と名乗った晴之と、背後の異人の娘2人、更に3人の家司を見て

「ま、立ち話もなんでっさかい」

と店脇の土間を回って一行を奥に案内した。

「ご用を伺いまひょ」

「ご主人は海人草かいにんそうをご存じですか?」

「海人草……?」

「マクリとも呼ばれる海藻です」

「はて……お待ちを」

小西屋は即答を避け、一度立ち去った。番頭にでも確認にいったのだろうか。


裏に呼んだのでお茶でも出すのかとおもったが、単に店頭に6人も突っ立っていられたら迷惑だという話程度らしい。

「お待たせして申し訳ない」

小西屋は手に紙袋を携えて戻ってきた。

鷓鴣菜湯しゃこさいとう、と申す煎じ薬でおます」

この中に海人草が含まれている、と小西屋は言う。

どうやら、現状では単品での在庫はなく、堺に発注して数日から数ヶ月待つことになるらしい。

「分かりました、ではそちらをお譲り下さい」

晴之は小西屋の持ってきた薬袋を受け取り、言い値通り48文を支払った。

「まいどおおきに」

小西屋は愛想よく店外まで見送った。


「期待はずれだったかなあ?」

晴之はつい本音を漏らした。

小西屋にいけ、というのは山科卿からのアドバイスだったし、その場ですぐに案内状を書いたので、晴之は特に考えもせず訪問してみた。

小西屋としては言い分もあったかも知れない。この時期、京は堺衆にとってさほど魅力のあるマーケットではないのだ。


「虫下しをお望みなのでしょう」

番頭は海人草と聞いて即断した。鷓鴣菜湯を出したのはその意味では正しかった。

ただ、晴之が欲しかったのは原料である素材そのものだった。その意味では、小西屋は客の欲しいものが提供できなかったことになる。


とはいえひとまず、虫下しの入手に成功した。


この数日、晴之はフリーデの手ほどきで錬金術の修行を行っている。

触媒を用いた魔法の具現のほかに、特定の素材を抽出する術がある。

フリーデたちはあまりこの術を重要視していなかったが、晴之にとって、この術は驚愕だった。

物質を亜空間に格納し、また取り出すといった魔法と併用すると、晴之には容易にこの世界で資金を確保する方法がいくつも思い浮かぶ。

だが、それよりまず試したいのが、今すぐにでも必要な医薬品の開発だった。


山科卿の子供たちの健康状態はあまり芳しくない。

先日治療した嫡男の長松丸だけでなく、次女の阿子にもアイリの加療が必要だった。

全く医学に無縁な晴之には「具合が悪そうだ」以上の知見があるわけではなかったが、アイリにとってはそれで充分な治療の要因だった。

栄養状態も発育状態も悪い。

そして、アイリが言うには

「やはり、この世界の寄生虫害は重篤です」

とのことだった。

若年からの寄生虫感染は言うまでもなく成長を阻害する。栄養の失調は成長だけでなく、病原への抵抗力をも奪う。

長松丸の症状にしても、もしあのまま治療が行われなかったら、死に至っていたかも知れなかった。


アイリの治癒魔法はすごみすら感じさせる。

どういう仕組みかは分からないが、山科邸にいる全ての住人、使用人の身体から寄生虫を卵も含めて異物として取り除いてしまった。

晴之の暮らしていた21世紀の文明でも、それは不可能だった。

21世紀でも卵の駆除は出来ず、幼生にかえってから再度駆逐するよりほかはなく、寄生虫駆除は根気と時間が必要だった。


ただ、問題もある。

アイリがいなくなれば、せっかく駆虫しても、また日々の食事から感染が始まることだ。

日本の農業は、第二次大戦後まで人糞が肥料として使われ続けてきた。

つまり、人間の腸内で寄生虫が産卵し、人糞に潜む。

それを下肥として田畑に入れることによって、農作物に卵が付着し、それを消費者が食べるというサイクルが完成してしまっている。

寄生虫に感染しても、日々栄養価の高い食事をしていれば、発育不良などの危険性は低いのかも知れない。しかし、公家である山科卿の子供たちでさえ、肥立ちが悪い事は明白だった。


現状で晴之に出来ることは少ない。

人糞を禁じる農業改革など夢のまた夢だし、よしんば虫下しを漢方の煎じ薬から近代的なタブレット薬に出来たとしても、それを日本全土に安定供給させるなど難しい。

それが分かっていても、せめて長松丸や阿子といった幼い子供たちだけでも、健康に過ごして欲しいものだ、と晴之が思い悩むのはやむを得ないことなのかも知れなかった。


ちなみに、農業に人糞が使用されているこの現状で感染を防ぎたい場合、後手ではあるが方法がないわけではない。

水、肉や魚、野菜といった食材全てを充分に加熱することだ。

70度以上に加熱されると、寄生虫卵は死滅し無害化されるのだ。

そうした知識を山科卿をはじめ、家内の知識層に辛抱強く説明して、晴之はなんとか理解を得た。

それでも実際は田畑やあぜ道を歩くことで卵や幼生が付着する。

幼生が足やふくらはぎの皮膚を食い破って体内感染するのまでは防げない。

この問題は、国家レベルで取り組まなければ到底解決が出来ないと晴之は思い知らされたのだった。


そうした思いがあってか、晴之ははじめて、能動的に錬金術をマスターすることに成功した。

晴之は、フリーデから見ても特異な能力を発現しつつあった。

彼女達の世界においては、晴之の科学レベルに到底至っていない分野がいくつもある。


錬金術というのは一種の科学だ。

無機化学の探究によって、様々な物性が明らかにされる。

それにくわえ、彼女達の世界には魔法があった。だが魔法は、科学の発展を阻害した。

魔法で出来ることを、コストと労力をかけてわざわざ人力で、それも効率悪くやる必要性がないのだ。


晴之は分子辞典を持っている。

そのデータを見ながら魔法を使うことで、その分子そのものを作ることが出来るようになりつつあった。

最初は、鷓鴣菜湯から駆虫薬の薬効成分であるカイニン酸(C10H15NO4)を錬金術で抽出分離することから始まった。

だが、そのうち奇妙なことが起こり始めた。

それ以外の成分から、カイニン酸が合成され始めたのだ。

そして、必要となる素材が欠乏するまで、鷓鴣菜湯の原料であるマクリや甘草やシャクヤク粉の分解は進んだ。


まさにこれは錬金術か?

と晴之は興奮した。山科邸の庭から玉砂利を持ってきて、金に変えられるか実験をした。さすがにそんな変化は一切起きなかった。だが、砂に混じっていたごく微量の金が分離された。

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