第5話 京の都 2


その異人の娘2人。

香の焚かれた客間の布団で、その枕の異質さに閉口していた。

とにかく、高く、固く、小さかった。

2人とも、寝間着などは持ち合わせていない。やむなく下着姿で布団に入った。

布団自体は良く陽にさらされて行き届いてはいた。

だが、いかにも暑い。

おそらく、香は虫除けでもあるのだろう。

「フリーデ」

「なんだ?」

フリーデは、晴之の前では若干言葉を選ぶものの、アイリに対してはかなりぞんざいな口をきく。

殺されかけたことを思えば当然ではあるが。

「あれはこの国の貴族なんだろうか?」

あれ、つまり山科卿のことだ。

「おそらくはそうだろう。家人が彼を中心に従っているからな」

「だけど、なぜだろう? 晴之のほうがよほど貴人に見える」

アイリの言葉に、フリーデも思い当たる節があったのだろう。

「晴之はおそらく、こことはまた違う世界の人間なんだろう。彼もこの都を見て戸惑っていたからな」

そして。

「……多分、だが、彼は私たちよりもっと進んだ時代の人間だと思う。あの車の中を見ただろう?」

アイリもうなずく。

「錬金術師の私でも、あれほどの緻密な工芸は無理だ。何がどうやって成立しているのかさえ見当がつかない。素材さえ分からないものがほとんどだった」

「しかしその割には、彼は魔法や錬金術について何も知らない……」

アイリの指摘にフリーデもうなずく。

「おそらく、晴之の世界は魔法のない世界なんだろう。かつて、時空跳躍の魔法が研究された時代には、そうした世界も数多く見つかっていたと記録にある」

「……それと、この世界にはマナがある」

「ああ、有るな。幸いにして、なのかも知れないが」

フリーデもアイリも、無尽蔵に魔法が使えるわけではない。周囲にあるマナに干渉したり、体内に蓄えられたそれを使うことで魔法を発動させる。

見たところ、この屋敷にはその魔法を使える人材が1人もいない。

それぞれ身体にマナがこびりついてはいるが、暮らしに必要な最低限の魔法さえ彼らは持ち合わせていないのだ。

時空跳躍でマナがない世界に飛んでしまった場合は、出来るだけ速やかに引き返さねばならない。

体内に残留したマナを使い果たせば、もう二度と魔法が使えなくなるからだ。




「フリーデ、私たちは今後どうしたらいいんだろう?」

アイリの問いかけにほんの少し沈黙で答えたが、ふとフリーデは口を開いた。

「わからない」

その後しばらくじっと身じろぎもせずフリーデは天井を眺めていた。

晴之かれの怒りはもっともだ。私たちは、自らの業で彼を巻き込み、あまつさえ殺しかけた。そのことを思えば、今日こうやって、全く見知らぬ文明世界に来て、いきなり食事と、寝床にありつけているのは奇跡に近い。しかも、彼は私たちが巻き込んでこの世界に漂着したことには怒りを見せたが、誤って殺しかけたにもかかわらず、そのことについては何一つ触れていない」

「……」

「何か、根本的に私たちとは器の大きさが、違う」

人間としての、という意味だろう。アイリもそれは同感だった。

「私たちは、とにかく彼を頼るしかあるまい。その代わり、彼を全力で支え、まずはなんとか生き延びねばならない。もし可能なら、彼だけでも元の世界に戻せればいいが……」

その後2人とも、この夜は一言も発しなかった。

2人が言いかけた「元の世界に晴之を戻す」事。

それはおそらく、不可能だろうからだ。

海流の激しい海の上で船から指輪を落としてしまったら、その指輪を探し出せるものだろうか。




異界の2人が寝静まった頃、まだ山科卿と晴之は会話を続けていた。

いつの間にか、2人の前には膳が出て「菩提泉」という名の銘酒も饗されていた。

「黄門様は、『神隠し』という言葉をご存じですか?」

「むろん」

「実は、あの異人の2人と俺は、それぞれ別の世から、ここに神隠しで渡ってきたようなんです」

信じますか?という瞳を晴之は卿に向けた。

「京の都も近頃では減ったが、それでも洛外の山中では、未だに神隠しが起こると聞く」

そういう答え方を卿はした。

「俺たちは、気づいたら周山の山中にいました」

博識の山科卿は、当然周山について知っている。

「俺たちはひとまず、都に出ることにしました。どこに飛ばされたにせよ、その方がほんの少しでも、帰る手がかりが掴めるかと思ったからです」

「なるほど」

「そして幸運にも黄門様と巡り会えたわけです」

「さよう」

「黄門様」

晴之は杯を膳に置き、改まった。

「もし、お庭を拝借できれば、その証明が出来ます」

「よいわさ」

卿も杯を置き、立ち上がった。


「すいません、お庭の結構を乱すかも知れません」

「お手柔らかに頼む」

晴之のキャンピングカーはマイクロバスを改造したものだ。そのサイズは、通常のマイクロバスより更に大きい。

だが、幸いなことに、西に烏丸通を隔てる塀の手前に、充分キャンピングカーを出せるスペースがあった。

「では、私も方術を使います」

「こころえた」

宣言してから、晴之は亜空間にしまったキャンピングカーを出現させた。

「な……んと」

すでに夜半。さすがに室町の世で夜も更けた時間に、発電機も含め一切のエンジン音は立てられない。

幸い、バッテリーの充電率は充分にあるので、ひとまず卿を案内するだけの時間は稼げるだろう。

晴之は客室の扉を開け、卿を招き入れた。

卿にとっては、まさに異界と言って良い。

暗がりを生まぬほどに明るい電灯に、何より卿は面食らっていた。

晴之は、車内からひとつ持ち出したいものがあった。

ノートパソコンやタブレットの入った鞄だった。

ふと思い立って、冷蔵庫から祖父の残した缶ビールを取り出し、卿を車から降ろすと、再び<収納>にキャンピングカーを戻した。

卿はまだ夢見心地で、腰が定まらない様子だった。


再び、2人は膳の前で正対した。

「黄門様、いかがでしょう? 信じて頂けましたか?」

「無論。さすがにこの目でみたものを……今更忘れられようか」

「もし、余人の目を気にしないであれをおける場所があれば、一泊ほどなら黄門様をご招待できますよ」

「それは……それは!」

山科卿はこの時代一等の文化人だ。

そして、文武のみならず芸術や医学などにも秀でた学者であり、その才で時代最高の日記を残した偉人でもある。

文化人だけでなく、晴之の愛する「科学者」の目を存分に持ち合わせている。

「よいか、必ず時と場を用意する。必ず頼む」

興奮で声が大きくなった卿に、晴之も微笑んでうなずいた。

この夜、山科卿は日本ではじめて、ビールを飲んだ男になった。

本来なら、これから約六十年後の慶長18年まで待たねばならなかった。

もちろん、これらのことは卿と晴之の秘密とされ、記録には残らなかった。


翌日。

少し夜更かしをしてしまった晴之が目覚めると、すでに所用のため山科卿は他行していた。

晴之は朝の膳に汁物をかけていただいた。

その後、改まって、2人の異界の女たちから、相談があると持ちかけられた。


「どうしたの?」

2人とも随分改まっての対面だった。

フリーデが切り出す。

「晴之様」

「様?」

彼女達とは言語体系が全く違うため、初日に施した魔法がなければ会話もままならない。

だが、いまその意思は明らかに、晴之を様と呼んでいた。

「まず昨日の我々の不手際によって、ご迷惑をおかけしたことを改めてお詫びします」

「うん」

晴之はさほど考えるでもなく返事をした。

「更に、我々が争っていたため、うかつにも大怪我を負わせたことをお詫びいたします」

「わかった」

昨晩フリーデたちが推測したとおり、彼はその身に起きた――死にかけたと言って良い大怪我については、さほど気にも留めていないようだった。

「その後、我々を導き、このような安全な場所で寝食を与えていただけましたことを、感謝いたします」

「それは別に俺の手柄じゃないけど、わかった」

「我々だけであれば、もしかしたら、文化や文明の違いのため、一晩も生き延びることが出来なかったかも知れません」

「あのさ、2人ともなんなの? 何が言いたいかはっきりしてよ」

さすがに前置きが長く、しかも尻がむずかゆくなりそうな言葉が続き、晴之が焦れてきた。

「私フリーデとこのアイリは、晴之様を主と定め、今後はそのようにお仕えしたいと考えております。もし必要なら、私も自ら隷属の契約を施し、いかなる時も晴之様に生殺与奪の権を託してお仕えするつもりです」

「ストップ。それはいらない」

話の途中で晴之は止めた。

「リーダーが俺って言うならそれは分かった。ここは日本だし俺は日本人だ。君たちよりいくつかアドバンテージがあることもある。だからまあ、君たちの文化で俺を主にしたいならそれでいい。ただし」

晴之は、アイリの首に巻かれた隷属の首輪を不愉快そうに眺めた。

「もしアイリが今後、フリーデと殺し合いをしないと誓えるなら、その首輪も外して欲しい。どう、アイリ?」

「……あの」

「どうなの?」

「……誓います。共に恩讐を乗り越え、晴之様にお仕えします」

「フリーデは?」

「私も、誓います」

「じゃあそれで。君たちも気づいているかも知れないけど、ここは俺にとっても、俺たちの世界で言うところの『中世』でさ。正直、明日からどう生きるべきか、その手がかりさえ掴めないほど文化も文明度も違うんだ」

晴之が2人を見る。昨日のことで彼女達もそれは理解していたようだ、うなずいて答えて見せた。

「違うのは文明度だけじゃない。モラル、分かる?」

「はい」

2人はうなずいた。

「モラルがね、非常に低い。人は殺す。家財は奪う。女は犯す。そしてそれは明日は我が身だ。そんな状況がね、もう100年近く続いている。君たちの世界がどんな状況かは知らないけどさ、この世界じゃ、庶民はそうやって毎日恐怖の中で生きている」

「あの……私たちは魔法使いと錬金術師に別れて戦争をしてましたが、さすがに無関係の庶民にまでは……」

アイリが言葉を挟んだ。

「そう、それはよかった。ちなみにここは、俺たちの世界では戦国時代と呼ばれている。その概念、分かる?」

「はい。私たちの歴史にも、貴族同士によるそうした時期がありました」

「ならわかるよね? 俺たちが元の世界に戻れればいい。でももし戻れなかったら……」

どれほど生き延びるのがやっかいか。

2人は神妙にうなずいて見せた。


「ひとつ、君たちに聞きたいことがあるんだ」

晴之は、努めて感情を落ち着かせて2人に問いかけた。

「もしここが、俺の先祖たちが暮らした世界だったとしたら、どうしてもあらかじめ知っておかなければならない事がある」

「……なんでしょうか?」

フリーデにもアイリにも、隠しても隠しきれない晴之の緊張が伝染している。

「例えばここに、俺が後世に産まれるために必要なご先祖が居たとする。その人を、俺がうっかり殺したとする。俺はどうなる?」

「親殺しの矛盾、でしょうか?」

フリーデが答える。

「その概念は分かるんだ?」

「はい」

フリーデは少し考えをまとめると、答える。

「まず経験則として、全く同一の時間軸をさかのぼったものは1人も居りません」

その答えは晴之にとっては不満だった。なんの保証にも、慰めにもならない。

「次に、これも経験則です。ある世界で、自身の親族に干渉したとしても、元の世界に戻ったときに、影響は一切ありませんでした」

「つまり?」

「私たちの知る限り、私たちの時空跳躍は、無限にある時空現実の別の場所にしか動けないという事です。逆説的ですが……」

フリーデはひとつ例を挙げた。

「今、晴之様は魔法がお使いになれます」

「うん」

魔法は、この言語の自動翻訳ともいえるものだ。その仕組みは実は言語ではなく、言語を使う人間の意思の理解では有るが。

普通、人は音を聞き、その音から意味を分析し、理解する。その行為に介在し、晴之の思考を相手の思考にリンクさせて通訳する。

その過程で相手にとっては、まるで晴之が自分の母国語を話しているように錯覚させているのだ。


「その魔力を支えるだけの魔素マナが、この世界には満ちています」

「なるほどね」

「もしかしたら、晴之様は、マナのない世界からここに来られたのではありませんか?」

「どうしてそう思うの?」

「それは、晴之様の傷を癒やした際、貴方を中心に、一瞬全てのマナがそのお体に奪われたからです」

通常、マナと共に生きている肉体では、それほど劇的な量を必要としないらしい。

「さすがに、俺の世界に魔法があったかどうかは分からない」

実は、晴之の生きてきた世界にも、遠い過去には、どう考えても魔法があったと思えるような伝承が無数にある。

それらを一つ一つ、2人に聞かせる。

魔女、忍者、仙人、妖怪、怪物、悪魔、天使。

あるいはギリシャ神話や北欧神話。日本神話ももしかすれば。

なるほど、と2人は聞き入った。

「事情は分かりませんが、晴之様の世界からは魔法が消えたか、奪われたのかも知れません」

アイリがいう。上手く説明できないが、そのような異世界も稀にあるらしい。


「……話を戻します。この世界が、ほんのわずかでも晴之様の知る事実と違っているのであれば、数百年の後の歴史がもし変わろうと、それは晴之様の過ごした世界の現実には一切影響いたしません」

別の時空現実だからです、とフリーデは言った。

「いままで、時間をさかのぼったことはないの?」

「ありません」

フリーデは即答した。

「どんなにそのように見えても、私たちの時空跳躍では、過去が変えられません。それは……個人や国が不幸に見舞われるたび、数え切れない人間たちが渇望し、挑戦し、あきらめた行為そのものだからです」

逆に言えば、とフリーデは続ける。

「今この世界でさえ、私たちには時を戻ってやり直すことが許されないのです」

と。


「わかった」

2人が居心地の悪さを感じずにはいられないほどの時間、晴之は無言のまま考え込んでいた。

「……あの?」

つい耐えきれなくなってアイリが声を発したのをフリーデがたしなめた。

「……わかった」

晴之は、再び同じ言葉を繰り返した。


「とりあえず、その隷属の首輪は外してくれ。あまり見ていて気持ちよくない」

「承知しました」

フリーデはさっと首輪の鉛色した金属部分に触れる。

すると、はらっと首輪がほぐれて落ちた。

「フリーデ」

「はい」

「アイリ」

「……はい」

「これから頼む。力を合わせて、助け合って、まずはとにかく生き抜こう」

2人はついお互いの顔を見つめ合った。そして

「はい!」

自然と息が合った答えを返すのだった。

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