京の都

第4話 京の都 1


日本の街道は、川の流れによって作られた侵食段丘を活用して作られていることが多い。

そのために標高差があったり、比較的狭く曲がりくねった道が多く、現代人である晴之には厳しい徒歩になった。

意外にも、魔法使いやら錬金術師といった得体の知れない2人の女性はタフだった。


歩きながら3人はとりあえず、現状の認識と今後について話しあった。

「とにかく、あんたらは俺を元の時代に戻してくれ」

というのが晴之の主張だった。

晴之の見るところ、今のここは京都には違いない。

もっともこの時代――ここがいつなのかを晴之が知るのはもう少し先になるが――における京都は、洛中に限られる。

この一帯の呼称で言えば、山城国やましろのくにである。

だがいずれにしても晴之が確信していたのは、間違いなくここは江戸期以前だということだった。


例えば、日本が過疎地の山間まで完全に舗装化されたのは昭和50年代に入った頃だったろう。

先ほど会話をした村には、一切電線のようなものがなかった。

電線の敷設は明治の後年だろう。

そして、あの庄屋風の男は髷を結っていた。


晴之はさほど歴史には詳しくない。

だが、そんな彼でも雑学的に知っている事実がひとつある。

少なくともここが江戸期以前の文明であれば。


――寄生虫の罹患率が全人口の9割を超える。


安易に食事が出来ない時代だという事である。


「とにかく、元の時代に戻りたい」

晴之はそう繰り返した。

だが、後ろを歩く2人の女たちの口は重かった。

巻き込んだという引け目ゆえだろう。だが。

「もしかして、戻れないのか?」

晴之は立ち止まって2人に聞いた。

「世界には、無限と言って良いほどの異界があります……私たちはそこを経験で……長い時をかけて見つけた方法で、安全な異界へ跳ぶ事を学びました」

重い口を開いたのはフリーデだった。

「安全な異界への跳躍は、師から弟子に受け継がれます。ですが、やはりある程度の事故は起きます。そして、ひとたび事故を起こせば、奇跡的な確率でしか、生きて戻った者は居ません」

「どのくらい?」

「自身が意図しない世界に飛んで帰ってきたと主張した者は、この300年では2例です」


たとえばだが、跳躍した先に惑星がないことだって起こりえる。

もし今ここからどこかに跳んだとき、そこが真空の宇宙空間である可能性だってある。

あるいは海の中、火山の中。

最悪は、ここにさえ戻れないでもっと悪い世界に飛び、そこで朽ち果てることもあり得る……。

というようなことをフリーデはいった。

どうやら晴之の前途は、暗いようだった。

「あの……寄生虫に関しては、私が何とかします」

アイリが言った。なんの慰めにもならなかった。


晴之たちが今歩いている道は、周山道だ。京北を流れる清滝川沿いに道が着く。

山と山の間――山合やまあいという言葉のまさにふさわしい曲がりくねった川に寄り添って進むので、晴之の疲労ほどにはなかなか京には近づかない。

鯖街道などと言う呼称もあったようだが、それは江戸中期以降の話だ。

鯖街道とは特定の道への呼称ではなく、海のない京に魚を届けた道筋への愛称のようなものである。

京都と若狭をつなぐ街道ではあるが、この時代でも、若狭道と言えば京都大原から大見尾根を通り熊川宿に抜ける道の方が主流だったろう。

若狭では「京は遠ても十八里」などと言われたという。

人が1時間で歩くのが約1里だと言われるので、その言葉を聞くと当時の人々は18時間程度を想像しただろう。

実際は険しい山道が続き高低差もあるため、2泊の行程だったと思われる。

この時代以前の藤原京や平城京からも、若狭を出た塩や海産物の荷札が出土しているので、よほど古くから、数え切れない若狭人たちが、重い荷物を背負って踏み固めてきた街道なのだろう。


5時間ほど山道を歩いただろうか。3人は、やっと京の都にたどり着いた。

高雄口から清滝川と別れ宇多野に入る。


その景色に晴之は呆然とした。見渡す限りの焼け野原だった。

京都観光では、どこに行っても目に触れないことのない、壮大な寺院仏閣といったものはおよそ見当たらない。

わずかに、進路上に再建途上の寺院が一つあるのみだった。後に、晴之はここが妙心寺だったと知る。正法山妙心禅寺。臨済宗妙心寺派の大本山でさえ、この有様である。

あとは焼け残った松や杉などの針葉樹や、難民が自身の田畑のそばに立てただろう掘っ立て小屋が散見されるだけだ。

およそこれが千年の古都だといわれても、どう反応して良いか分からない惨状だった。

気を取り直して晴之は東に向かって進んだ。やっと、遙か先に京都らしい風景が見えてきた。




京の町に着いた。

取り合えずまず心配するべきなのは、日が暮れたあとの宿と飯だ。

「なあ、あんたたち、金目のものは持ってるか?」

晴之は2人に尋ねた。

フリーデは、コートのポケットから一枚の金貨を取り出した。

晴之はその金貨を受け取ると、試しに一軒の小間物屋に入った。

「すいません。この金貨を両替したいんですが」

うさんくさげに晴之と金貨を代わる代わる眺めていた店の女は

「そういうのは金屋にいきな」

というと、邪魔そうに晴之をあしらった。


金屋というのは、三条堀川近辺にある鍛冶屋や鋳物屋のことらしい。

道行く人間たちに何度も訊ねながら、やっと晴之は金屋を見つけた。

「目方からすると1貫ってところだ」

親父は無造作に手のひらで金貨を量ると、うなずいた晴之に、ヒモでくくられた銅銭を1本渡した。

もちろん安すぎる。

だが、とにかく晴之はこの市中で通用する通貨を手に入れることが出来た。


「もし」

金屋から出てきた3人を待ち構えていた小者が、晴之に声をかけた。

「黄門様が呼んだはりまっさかい、お越しおくれやす」

妙な訛りだ。

と思いつつ、言葉が翻訳されない以上これは通じてるという事なんだろう。

と晴之は心中で苦笑し、小者のあとをついていった。

案内されたのは、辻に立っている直垂姿の公家らしき中年男性の許だった。

「余は山科黄門と申す。こなたら、異人どのおすやろか?」

好奇心をむき出しに黄門は声を上げた。

「ええまあ……」

2人の女たちの外見は、現代人の晴之から見ても、まさに異人としか言いようがない。

それに、うすうす気づいているが、晴之自身の姿もだ。

「それにしても、こなたら、随分安く金を売られましたな。あの目方の金に銭1貫とは」

「あ、やっぱりですか?」

晴之は笑った。

「お気づきどしたか」

「ええ。あの男、値を決めてから俺の目をまっすぐ見ませんでしたから」

ほう。

おもしろいものを見るように晴之の目を黄門はのぞき込んだ。

「ただ、不案内な土地ですから、どうしても『銭』が必要でしたんで。まあしょうがないか、と」

「さいどすか。そうや、これも何かの縁。よろしければ余の屋敷にいらっしゃるがよろしかろ」

「それはありがたいです」

この短い会話の中で、晴之は黄門の値踏みをしていた。

そしてもちろん、黄門もまた、この異装の3人について見極めようとしている。

「では案内あないします」

小者がひとつ腰をかがめ、先導した。


烏丸通から中立売通を東に入ると山科黄門の屋敷はあった。

山科黄門。名は言継ときつぐ

黄門は中納言の唐名である。水戸黄門というドラマでもおなじみのことだろう。


山科家は羽林家の家格で、代々従五位・内藏頭を以て任じられている。

その山科家の当主が正二位・権中納言・陸奥出羽按察使あぜちまで陞爵しょうしゃくしているというのは、彼の偉才を表すと共に、朝廷の貧窮も物語っている。

内藏頭は朝廷の資産管理部門ではあるが、応仁の乱以降京の都から逃げ出した数多くの公卿のために慢性的な人材不足である朝廷にあって、山科言継は必死に朝夕の膳まで整えた忠義の人でもあった。


山科邸に案内されたところで、

「こなたらを案内したのはな……」

と黄門は声を潜めていった。

「こなたらをずっとつけ回しておった怪しき風体のものがあったからよ」

「それは……ありがとうございます」

晴之は礼を言った。

フリーデとアイリにその言葉を伝えると、2人とも気がついていなかったらしい。

「こちらの2人からもお礼を伝えて欲しい、と」

「よい。これも縁よ」

山科卿は無邪気に笑う。不惑(40歳)はとうに過ぎているであろう厳しげな顔が、とたんに人好きのする素晴らしい人格を滲ませる。

「ところで、今更ではあるがこなたの名を訊ねてもよろしいか?」

「失礼しました。俺は安倍晴之。こちらはフリーデ、こっちがアイリです」

「ほう……安倍、とな? 家紋を伺ってもよいか?」

「丸に五芒星です」

「やはりか……」

「といいますと?」

「こなた、安倍晴明のすえであろう?」

「はい、そう聞いております」

晴之と山科卿の間には実際にはかなりの齟齬がある。

晴之は、実際には今から更に500年近く後の世に生まれた。

だが、山科卿にとっては、安倍家というのは、今まさにある隣近所のようなものだった。

「こなた、土御門家とは面識があるか?」

「いえ」

「さよか……ま、ええわい」

そういえば晴之も、安倍氏というのは公家化した後、土御門とか倉橋と名乗ったと聞いたことがある。

倉橋は江戸時代だったかも知れないが、いずれにせよ本家といえど安倍は名乗っていない。


「あがるがよい」

玄関前での立ち話を終え、山科卿は3人を招き入れた。


「とと様」

「おなが、今帰った。……起きてよいのか?」

おなが、と呼ばれたのはまだ幼さの残る少年だった。

「麻呂は平気にございます」

ちっとも平気には見えないが、随分気丈なことだと晴之は思った。

「お風邪ですか?」

「であろう。この数日熱も上がっておってな」

山科卿は心配そうに少年を見つめる。

後に知ったが、卿はこのくらいの歳になった長男を病気で失っていた。

彼は嫡子ではあるが、長男ではなかったのだ。

「お客人、ようこそ参られました」

美しい所作で長松丸おながは晴之たちに頭を下げた。

「安倍晴之です。お世話になります」

晴之は正座し、両手を腿に据えて軽く頭を下げた。

「アイリ、回復魔法って、風邪にも効くのかな?」

晴之は後ろを振り返ってアイリに聞いた。

「おそらく大丈夫でしょう。やってみましょうか?」

「頼むよ」

晴之は山科卿に向き直り

「アイリは異国の、なんというか、道士なのです」

といった。

「道士?」

「ええ、方術を使って、病を癒やします。まあ、治ることも治らないこともあるようです」

まじないみたいなものか、卿は思った。

だが、たかがまじないであっても溺愛する我が子の体調を気遣ってくれているというのは嬉しい話だ。そう考えて顔をほころばせた。

「治療してもよろしいでしょうか?」

「それはありがたいこと。是非に」

山科卿の返事を待ち、アイリは回復魔法をかけてみる。

幸いにも効果はあったようで、長松丸の顔から、すっと腫れとむくみが引いていった。

「おお、これはえらいものどすな」

彼らは、実は山科卿は医学の面でも当代においては著名であるとは知らなかった。

時間のあるときには、上は殿上人、下は町屋の庶民にまで治療を施し、手元不如意な貧民からは、無理に金を取らない事でも有名だった。

「楽になりましたか?」

晴之が訊ねると、「はい」と少し元気になった声で長松丸は答えた。


その後、晴之たち3人には膳が出された。

膳を食べるに当たって晴之は2人に「生のものには手を付けるな」といった。

「寄生虫の問題?」

フリーデが晴之に聞いた。

「そうだ。この時代の生の野菜は特に不衛生だ。漬け物なんかも、塩蔵野菜だけど塩漬けじゃ寄生虫の卵は、死なない」

食事前にいやな話をする、とフリーデとアイリは顔をしかめた。


食事を施してもらった後、晴之は山科卿にいくつか訊ねたいことが残っていた。

時間が欲しい、とお願いすると、卿は気さくに応じてくれた。


「黄門様、とお呼びすればよろしいでしょうか」

「そうや。余はこなたをなんと呼べばよい?」

晴之は困った。

「晴之では?」

「それはあかん。忌み名に触れるよってな」

忌み名。日本人は明治維新まで、本名を隠し、通名で呼び合う風習があった。

例えば、目の前の男は山科権中納言言継。

だが、本来目下の者が彼を「山科様」と苗字や姓で呼ぶのでさえも無礼に当たるのだ。

本人の前では、「黄門様」と呼ぶのが正しい。

「俺には通称がありません。『は』の字とでも呼んで頂ければ」

晴之が言うと、卿はケラケラと笑った。

「なんや、余も市井の若い衆やくざものになった心持ちがするのう」

卿は笑いを納めると、文机の上の和紙にさらっと文字を書き添えて、それを晴之に手渡した。


安倍内藏允晴之

右、格別の儀を以て内藏大允に任ず

天文十九年庚戌水無月十五日

山科権中納言 花押


「これでこなたは内藏允くらのじょうよ」

「はあ、いただきます」

ちょこん、と押し頂く風を見せて晴之がその書き付けを無造作に内ポケットにしまうのを見て、また卿は大笑いした。

豪儀な、とも思うし、無知なのかも知れない、とも思った。

従七位上、内藏大允。仮冒ではない官職がついた。


実は、この書面には晴之が知りたかった情報がある。

正確な今日の日付だ。

天文十九年庚戌水無月十五日。

水無月が陰暦の六月であることくらいはさすがに晴之も知っている。

問題なのは、天文十九年の方だ。

正直、ただこの時代に紛れて生きるのであればこのあたりはどうでもいい。

それほど歴史に強いわけでもない晴之にとって、今日がいつであっても、それに乗じて何かが出来るような状況でもない。

ただ、キャンピングカーにはPCがあり、DVDによる何種類かの辞書がある。

そして、金にものを言わせて揃えた分子辞典。

安倍本社にあった工作機械総覧など、様々な英知があの中には詰まっている。


「あ、そうだ黄門様。これを」

晴之は、昼間両替してもらった銭一貫文を山科卿に差し出した。

「泊めて頂くお代です」

「ほほ。いらぬよ」

卿は穏やかに首を横に振った。

「こなたらにはおながが世話になった。余も医学を聞きかじったゆえ分かる。あれは疱瘡よ」

疱瘡。つまり天然痘だ。

まずいな、内心で晴之は覚悟した。

「疱瘡を癒やす術など身共にはない。それをああも容易く癒やしてもろてはの」

卿は、ふと遠くを見るような瞳を宙に泳がせた。


「おながの産まれる少し前にの、余は長子を亡くして居る。おせんという名であった」

気づくと、卿は瞳をまっすぐ晴之に向けていた。

「内蔵允殿。今宵の恩は終生忘れぬ」

「いえ、俺じゃなくあの異人のアイリですよ。俺はただ言葉を通訳しただけです」

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