第3話 プロローグ3


晴之の意識は、祖父との思い出への追憶から、現在にもどる。

今夜は、京都の北、京北にある道の駅の駐車場で一泊する。

過ぎた日に祖父と一夜を過ごした場所だった。


晴之は、なんとなしに祖父が亡くなってから今日までのことをとりとめもなく思い出していた。

だが、ひとつ頭を振ると、卒論のために集めた膨大な資料の下読みの作業に戻った。

なにも夏休みの自由な旅行中にまですることはないと自身でも思いはするが、どうせ日が暮れてからはやることもなかった。


祖父が金に飽かせて作り込んだこのキャンピングカーには、40型のテレビや27型モニター付きのパソコン。コピー、スキャナやファックス機能のついたプリンターなど、論文を書くためには充分以上の設備が整っている。

そして、化学総覧や分子データベース、工作機械総覧や特許データなどを保管したUSBデータもあるだけコピーして全て持ち込んでいた。

さらには、有機系物質分野への応用のため、現代の治療方針、現代の治療薬と言った医学・薬学系の資料なども持っている。


食事は近場の食堂で簡単に済ませた。

手洗いは、道の駅に備えられたトイレを借りる。

キャンピングカーの構造的な弱点。それは水回りだった。

キッチンの流し台も水洗トイレもシャワールームももちろん車内にはある。

だが、給水と排水については、未だ日本国内でも「どこでも」というほどには普及が進んでいないのだった。




晴之が論文作業に没頭し始めてから数時間がたった。

周囲はすでに街灯以外の明かりが消え、静寂が訪れている。

晴之が時計を見る。深夜の11時48分だった。

突然、キャンピングカーの窓から、薄赤色の閃光が差し込んできた。その光は、車窓を覆うレースのカーテンを透かして、車内の明かりよりも強く晴之に降り注いだ。


――なんだ? 大型トラックのライトか?


とっさに晴之はそう思い、そしてすぐさま自分の考えを否定する。

自動車のヘッドライトには、使ってよいとされる色が決められている。

様子を窺おうと晴之がデスクを離れた瞬間。

激しい衝撃が、3トン以上は間違いなくあるキャンピングカーを大きく揺さぶった。

「んな! ばっ!」

んな馬鹿な。

叫びかけた彼の身体は衝撃で揺さぶられ、次の瞬間、宙に浮くような浮遊感に襲われた。

数秒、だろうか。

彼の浮遊感は突然現実に引きずり戻されたように喪失した。

マイクロバスを改造して作られた重量級のキャンピングバスは足回りが強い。

そのサスペンションが深くきしむように波打った。

車内で晴之は転倒し、ダイニングテーブルに背を打ち付けて苦悶した。


「くそっ!」

しばらく目を腫らして苦痛にうめいたあと、やっと引いて身体の硬直が収まったので、晴之は客室の扉から表に飛び出した。

何者が彼に危害を加えたのかは知らない。しかしなんであれ、一言言ってやらねば気が済まないし、可能なら、法の裁きを受けさせたかった。

だが、外に出た瞬間。

晴之は硬直することになる。

腕時計を見る。確かに今は真夜中の23:52を示している。

だが、外には松や杉の生い茂る山林があり、そして、薄い霧を淡く光らせる朝日が昇っていた。


「くっ……」

小さな声で女がうめいた。

晴之がとっさに振り返ったとき――。

彼の肉体は得体の知れない閃光によって打ち抜かれた。




アイリは、敵の錬金術師――見知った女だった。名をフリーデという――を討ち取った!、と確信して、それでも用心深く近づいた。

だが、そこに倒れていたのは、かつて見たことのない衣服を着た年若い男だった。

「アイリィ!」

見知らぬ男を誤殺した。アイリが動揺した隙をフリーデは見逃さなかった。

フリーデの顔を握りしめたこぶしで殴りつけた。

アイリは完全に不意打ちを決められ、固い金属の壁のようなもの、もちろん晴之のキャンピングカーのボディだが、そこに頭をしたたかに打ち付けて倒れた。

フリーデはそのままアイリに馬乗りになり、その首に、黒いヒモを巻き付けた。

更にそのヒモに、内ポケットから取り出した水銀を垂らす。

「抵抗するんじゃないよアイリ。あんたもそれが何か知ってるだろ? 首から上が消し飛ぶよ!」

隷属の首輪、等と称される拘束具だ。

抵抗しようともがき始めたアイリは敗北を悟り、ぐったりと力を抜いた。

「さて、あんたが巻き添えにした人の様子を見ようか?」

フリーデはそのままアイリを解放すると、攻撃魔法の誤爆をうけた男性の様子を見に行った。


――まったく。相変わらずいい腕をしている。


フリーデはため息をついた。

男性は見事に胸部を打ち抜かれている。だが、幸いなことにギリギリまだ命はあった。

一瞬躊躇したものの、フリーデはコートの内ポケットから、虹色に輝く小石の入ったビンを取り出し、打ち抜かれて肋骨や肺が鮮血に混じってむき出しになっている青年の心臓付近にその石を置いた。

「アイリ、回復魔法をかけな!」

言われてアイリは一瞬、反抗的に実をすくめてフリーデをにらみつけたが、自分が犯した罪もない人間への暴虐の因果を目の当たりにし、急いで青年の元に駆け寄った。

「……」

小声で回復魔法を詠唱し、青年に置かれた石に施術する。

すると、その石は一瞬発光し、みるみるうちに青年の肉体を修復していった。

やがて損壊した皮膚が傷口をふさぐように盛り上がり、最後には大きな傷こそ残したものの、なんとか生命としての形を取り戻した。

「まさか、今の触媒は……」

そのあまりにも劇的すぎる再生を見てアイリは目を剥いた。

「そう。<賢者の石>だよ……使うしかしょうがなかったでしょ」

失血と外傷性ショックで、もう数瞬でも2人のどちらかがためらっていたら、青年は命を落としていただろう。


青年が出てきたこの奇妙な建物……というには小さい家屋キャンピングカーに、アイリとフリーデは彼を運び入れた。

彼女達は、あまりに自分たちと違いすぎる文明の産物に驚きつつも、なんとか青年をベッドに横たえた。


魔法使いと錬金術師が同室で対面しても、話すことなどなかった。

重苦しい沈黙の中、2人はやむなく、沈黙の中で自分たちが傷つけた青年の容態を見守った。


「……う」

どれほどの時間がたっただろうか。長い沈黙の時間が過ぎ、やっと青年はぴくり、と指を動かし、うめき声を上げた。

「ぐっ……!」

青年は胸に手を当て、苦しそうにうめいた。

直後。

様々な魔法の現象に出くわしたはずの錬金術師も魔法使いも、かつて遭遇したことのない出来事を青年は引き起こした。

魔法には、触媒を用いる錬金術であれ、その身を触媒とする魔法使いであれ、発動させるために必要な「構成要素」がある。

それは世界に満ちている魔素マナだ。

そのマナが、たった一瞬で、彼女らが知覚できる空間から消え失せた。

もしマナを知覚できる瞳があって、このキャンピングカーを外部から観察していたとしたら、青年――晴之を中心に、球形にマナが喪失したのを見ただろう。

それも、半径にして数キロ、という規模でだ。


2人の女性は全身からマナが強奪されたような衝撃を受けた。

だがそれは一瞬のことで、四方八方から再び、キャンピングカーの車内にマナが満ちて来た。

反対に、生まれて初めてマナというものが身体の隅々まで行き渡ったのを感じ、晴之は戸惑った。


だが、それ以上に戸惑ったのが自分の着衣だ。気を失う直前の記憶が戻っただけに、その混乱は大きかった。


――確か、胸に大きな穴が……


首を傾け、自分の胸元を見る。

確かにそこには、失った細胞を再生させたことを物語る、ややピンク色がかった再生された皮膚のあとがある。だが、明らかに致命傷だった、肋骨や肺まで抉られて見えていた傷の状態は、すでにかけらもないほど状態は回復している。


しばしの沈黙のあと、やっと周囲を見回して、晴之は言った。

「あんたら、なに?」


「…………」

「………………」

2人の女たちは何かよく分からない言語で話しかけている。

日本語ではない。日本語であればたとえどれほど強い方言であっても、日本語だと感じられる音節があるものだ。

そして、英語でもない。

もしかするとドイツ語やラテン語に近いのかも知れないが、残念ながら晴之には全く聞き取ることが出来ない。

業を煮やしたのか、革のコートを着た女がポケットから、白濁した河原の石のようなものを取り出して、晴之に握らせた。


……?

ひんやりした石を握らされて晴之が首をかしげると

「…………」

何か声に出したコートの女が、その石にちょんと触れる。

ぞわっと、何かが多量に晴之の体内から吸い出された感じがした。


「これで、言葉が通じます。私はフリーデ。こっちはアイリ」

「……俺は晴之だ」


フリーデとアイリは、彼女らがとある都市で出くわし、その後戦いになり、時空跳躍で逃げようとしたフリーデに妨害を仕掛けたこと。

その結果、2人がどこか分からない時空に暴走した跳躍を行い、晴之を巻き込んだこと。

最後に、アイリがフリーデと誤認し、晴之を攻撃したこと等を話した。

魔法にしろ錬金術にしろうさんくさそうな顔で聞いていた晴之だったが、いくつか自分の身体で体験している以上、軽々に否定はしなかった。

一方でフリーデとアイリも、これほどのトラブルに巻き込んでおきながら、責めるでもなくただ事情を淡々と聞いている晴之に不気味ささえ感じている。

知性の高さと感情の抑制を感じていたのだ。

もっとも、アイリについては、一体どれほどの賠償を求められるのか? と、不安だったのかも知れないが。


晴之は、客室キャビンの窓にかけられたカーテンを開けてみた。そして腕時計を確認した。


「なるほど。話は分かった……ところで、ここはどこなんだ?」

今度はフリーデとアイリが驚愕する番だった。


晴之の説明では、

「ここは俺の居た世界ではない」

ということになる。

ひとつは、時間が違う。晴之はキャビンの時計、スマホやタブレットの時計、PCの時計で腕時計のデジタル時計で、時間に狂いがないことを確認した。

どの時計も今が深夜0時30分前であることを示している。

だが、どう見ても外は朝の8時過ぎ、といった風景だった。

朝霧は去り、緑豊かな山中といった風景が広がっている。


晴之が聞いた彼女達の話を総合すると<時空跳躍>とは、隣接した時空世界にほんのわずかの気泡のような泡を発生させて転移しているらしい。

だが、世界と言うのは無数にあり、その<時空跳躍>魔法のベクトルによって任意の世界を「勘」で動くひどく「アナログ」な魔法のようだ。

フリーデは他人、つまりアイリによる妨害干渉を受けたため、彼女達の意図しない世界――晴之の世界――に飛んだらしい。


だが、晴之に言わせれば、ここは「彼の世界」ではない。

まず、見渡す限りの範囲に、高圧電線、送電線、信号機といった支柱のある人工物がない。

道の駅だったはずのこの場所には、アスファルトやコンクリートといった敷設物も建造物もなにもなかった。

そして、時間が8時間以上狂っているように思う。


「一つの可能性として」

フリーデが言う。

「アイリによって暴走した<時空跳躍>が、貴方を巻き込むことによってさらにベクトルを換えて跳躍してしまった」

「わかった」

晴之はうなずいて思考に沈んだ。


晴之は、危機感を感じている。この世界がどこで、どういう状況なのか早急に理解する必要がある。

なぜなら、場合によっては、自分たちはこの世界で飢える事になりかねない。

仮に人類がいなかったら。仮に、怪物モンスターなどがうろつくような世界だったら。仮に、毒性の高い大気や植生を持つ世界だったら。


――自分たちは、早急に現実を確認せねばならない。


晴之は車外に出て車での移動の可能性を探ろうとしてすぐにあきらめた。

舗装されていないばかりか人間の手が加わってさえいないような山腹だった。

歩いて下るより方法がない。

だが、キャンピングカーは出来れば置いていきたくなかった。


「なあ、あんたらの力で、この車をなんとかできないか?」

晴之は2人に聞いた。

「なんとか、とは?」

フリーデが問い返した。

「つまりここからなんとか麓に下りたい。だが道がない。例えば浮かせて運ぶとか、一度別の世界にしまって、いいところでまた取り出すとか、出来ないか?」

「……できなくはない、と思う」

ただし自分たちには無理だ、フリーデは答えた。

「私たちには、これを正確にイメージできない」

フリーデはキャンピングカーを指さして申し訳なさそうにいった。

「つまり俺なら出来るって事だな?」

「貴方が<収納>の魔法が使えれば、あるいは」

晴之は早速、錬金術師であるフリーデに触媒をもらい、小物から収納を試してみた。


結果から言うと、晴之はものの数分で<収納>を覚えて車を格納し、取り出すことが出来るようになった。

フリーデが言うには、この収納の魔法では、時空というほど大きな場所ではない亜次元的な場所に干渉して、望む物質を格納しているらしい。

亜次元は術者に関わる時空的空間になるので、その本人以外には干渉できないが、本人であれば、たとえ世界のどこに居ても瞬時に干渉できるらしい。


科学者である晴之にとってはこの現象は「証明不能」という非常に不満の残る状態ではあるが、今はそれらを研究したり分析する暇はない。

可能であれば、陽のあるうちに人里というものに近づいておきたい。


晴之がキャンピングカーを<収納>して、3人は下山を始めた。

小一時間ほど、道のない山を下って行くと、やがて麓に小さな集落を見つける事が出来た。

だが、眼下に広がる集落を見て、晴之は頭を抱えることになる。

板葺きやかやぶきの屋根。舗装されていない道路。不揃いな田畑。

電柱も電線もない小ぶりな村。そして、粗末なつぎはぎだらけの着物を着た子供たち、畑仕事をする大人たち。


「ここは、俺の世界じゃない……というか、俺の時代・・じゃない」

晴之がやっと、うめくように絞り出せたのは、そんな言葉だった。


3人の格好は明らかに人目を引くものだった。

晴之は、キャンピングカー内で就寝用に使っているジャージ。

まげに月代を当てているこの時代の人間に、晴之の髪型――ショートカットに七三分けはどう見えるだろう。

フリーデは散る留守カート風のワンピースに革のロングコート。

アイリは、黒マントに黒い帽子、そして杖。

フリーデはシルバーブロンド。アイリは赤髪。容貌も明らかに日本人とはかけ離れた彫りの深い作りをしている。

村人たちはそんな3人を見て固まっている。


「すいません、ここはどこですか?」

日よけに手ぬぐいでほおかむりしている小柄な中年の男に、晴之は思いきって声をかけてみた。

この際、自分たちへの警戒心を解かせるにはその方がよいと思ったのだ。

「しゅうざん」

周山の事だろう。だが土地勘のない晴之には分からなかった。

「実は道に迷いました。京都はどっちでしょうか?」

「なんや迷子かいな、難儀やな」

恰幅のいい男が、門構えのある家からでてきた。一見してわかる庄屋風の旦那だ。

晴之が声をかけた農民風の男はその旦那にぺこりと頭を下げると、そそくさと逃げるように早足で去った。


「そちらはん、異人はんでっか?」

にこやかではあるが目が笑っていない。おそらく、治安を守る何らかの義務がこの男にはあるのかも知れなかった。

「え、ええ。どこかで道を間違えたようで」

「さよか。ま、この道をのぼたら都に出るよって」

「ありがとうございます」

晴之は慣れない愛想笑いを浮かべつつ、ぺこりと頭を下げた。

あまり長居をすべきではないようだ。

晴之は2人を目線で招いて、指さされた方へと歩いて行った。


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