第24話 魔王さまとカクヨムさま

 お城の地下に張り詰めた静謐な空気をチリチリと焦がすように、火の精霊に愛された彼女――竜のメイドさま――デルフィは、靴の踵を鳴らして歩を進めていく。

 錆び付いた音を立てながら開く扉。

 その部屋には、石の棺桶が縦横4つずつ計16個、整然と並べられている。


「今日はどこかなぁ~?」


 まぁ、気配を探知すれば、さもないことだが、その無駄で意味のない行為にこそ、ある種の意味を持っているのだった。

 ひとつの石棺に目星をつけ、小さく右手でノックする。


「……はずれ」


 丁度、彼女の真後ろの石棺が開いて、吸血鬼のメイドさま、アナスタシアが顔を覗かせる。


「はずれかぁ~!」


 悔しがるというよりは、どこか楽しげな表情を見せ、デルフィはぷっくり膨らむ唇を押し上げて微笑む。


「おはよう、アナスタシア。もう夜よ」

「……はよ、デルフィ」


 アナスタシアはいつだって、眠そうに気怠げで、それでいて、寂しそう。

 デルフィは、そんな彼女の波打つ銀髪の頭に手を乗せて、乱暴にくしゃくしゃしてやる。


「……んん、やめ、やめて」


 この城の昼夜の警備は、そんな彼女達によって回されているのだった。


「……昼は、何も、無し?」


 欠伸を噛み殺しながら、アナスタシアはデルフィと肩を並べて城内を歩く。


「無いね、なーんも無い。てか、なさすぎっ!」

「……じゃあ、きっと、今晩も、何も無い」

「だねえ。魔王ちゃんの結界抜けてくるヤツなんて、そんなにいないしねえ」


 デルフィは私室へ向かうかと思いきや、踵を返すのを見て、アナスタシアは眼前に立ちはだかる。


「ちょっと、魔王ちゃんに夜這いかけるだけなんだけど?」

「……め!」


 デルフィに、垂れ目がちな瞳を精一杯吊り上げて見せる。


「はいはい、今日は止めておきましょ? ま、成功した試し、ないんだけどね」


 折れたデルフィに、アナスタシアは満足げに、ふんと鼻息と共に頷いた。


 紙をめくる音を敏感に察知し、アナスタシアは書物庫を覗き込む。

 扉の隙間から、紙面に視線を落とすエルフの姿。


「?」


 エルフのメイドさま、メルは顔を上げると、指をにぎにぎさせて軽く手を振ってくる。

 読書好きの彼女の邪魔をしてはいけない、小さく手を振り返して扉を静かに閉めた。


 共に魔王さまの使い魔である白いネズミと黒いネコが追いかけっこをしていく姿を、夜目の利く瞳で眺め、窓の外へ身を投げる。

 身体を無数のコウモリへと変化して城を一回りすると、塔の先端に人の姿で足を着く。


「……こんばんは」


 窓枠に止まる灰色混じりのフクロウが、首を左右に傾げて返事をしてくれる。

 多分、フクロウも使い魔なのかな。

 見上げれば、夜空を引っ掻いたかのように欠けた月が、手の届きそうな場所で輝く。


 クライ・フォー・ザ・ムーン。


 決して手には入らない望みを、何故、願うのか。

 夜の眷属たる己は、闇の中、独りで存在し続ける。誰とも寄り添うことは出来ない。

 寒い。

 こんな、世界の半分で、一体、いつまで……


「わっ!?」


 突然、フクロウが羽ばたき眼前を横切る。

 突然のことに両目を瞑り、開いた先には、塔の窓に見慣れた黒衣の姿があった。


「やあ。静かな夜だね」


 吾輩は珈琲片手に、夜の挨拶を交わすと、話すときが来たかと意を決する。


「アナスタシア、ついておいで?」


 夜の城を、二人並んで歩く。

 いつしか地下へ足は進み、普段、彼女が眠りに就く石棺が並ぶ部屋まで来た。

 吾輩が指を鳴らすと、棺が規則的に動き出す。

 やがて、部屋の中央に転移の魔方陣が描かれ、棺が止まると同時に淡い光を放ち始める。


「……こんな仕掛けが?」


 驚き、小さく口を半開きにするアナスタシアに頷いて見せると、陣に足を踏み入れる。


「さあ」


 差し出した右手を、彼女は手に取った。


 転移した先は、地下の更に地下、この城の深奥部と言っていい場所だった。


「……ここは」


 あまりに広大な場所は、明らかに部屋という概念などではなく、異質な空間であることを教えてくる。

 中央であるかさえも分からない場所、そこに不思議な光で存在する大きな物体。


「あれが、賢者の石の元になっている塊だ」


 吾輩はホムンクルスの身体の胸元から握り拳程度の石を取り出して見せる。


「……魔王さまの依り代ホムンクルスの身体、賢者の石で動いていたの?」

「ああ、賢者の石とは、つまりひとつの世界なんだよ」

「……じゃあ、アレは?」

世界集合体自動記録型生成装置フィロソファーズ・ストーン、通称……『カクヨ・ム』だ」

「……カク、ヨム?」

「隔離された世界の夜の夢、と書いて隔世(夜)夢とも呼ばれる」


 二人は、『カクヨ・ム』に近付いた。


「隔世とは、隠世、幽世でもある。そこは永久の世界、不変の神域。異なる世界が幾重にも重なり存在しているんだ」


 アナスタシアは、深い深い蠢く闇を宿す塊に、星々の煌めきを見つける。目をこらせば、何やら、こことは異なる世界の息吹を感じた。


「……これ?」


 吾輩は頷く。


「剣と魔法の悠久世界、機械ひしめく蒸気世界、愛と優しさに溢れる微笑みの世界、他にも、謎や、恐怖や、戦いや、人の命、その生き様を映しているね」


 興味深げに様々な異世界の欠片を眺めるアナスタシア。


『私は、この世界の夜に飽いてしまったよ……』

『勿論、世界を超える危険性は承知の上だ。だが、時間が無い』

『それに永遠を生きる我らには、変化が必要なんだ』

『娘は、幼すぎて連れてはいけない。この城も、この装置も、あの子も、君に託す』

『魅せられてしまったんだ。ここではない、どこかに。分かるだろう? だって、君も……』


「アナスタシア。君のお父上は、それら世界を見聞するため、旅立ったのだよ」

「!」

「そんな顔をするな。君は捨てられたのではない……」


 吾輩は大きく息を吸うと、ゆっくり吐き出し、語り始めた。


「彼は、最上位の真祖だ。そして、突然変異とも言えるくらい、あまりにも強大な存在になりつつあった」


 世界の脅威と認定される程に。


「世界の意志、というヤツはね、天秤を平行に保とうとするんだ。力や強さ、戦争と平和、それらにときに干渉し、世界の存続の為なら、運命も理不尽にねじ曲げる」


 そのときは、差し迫っていた。


「このまま世界に留まっていたら、おそらく彼は、存在の許されぬ者として、排除されていただろう。そうなる前に去らなければならなくなった」

「……お父様は今も?」

「ああ、異なる世界を渡り歩き、きっと変化を受け入れ、いつか、帰ってくるさ」


『いつか、娘が自我に目覚めたら……』


「……私」

「独りじゃない」


『伝えておくれ、愛している、と』


「……私は」

「愛されていた」


「愛されて、いたんだよ?」


 独り、残された吸血鬼の少女は、瞳から溢れ出す温かさを頬に感じ、喜びの雫を世界に弾けさせた。


「……ばいばい、お父様」


 父は何れの世界に今、居るのであろうか。


 無限の夢幻を映す『カクヨ・ム』に、別れの挨拶を済ませると、アナスタシアは踵を返して吾輩と顔を合わせた。

 瞼を腫らすも、清々しい笑顔である。


「……もうすぐ、朝」

「ああ」

「……デルフィ、起こさなくちゃ」

「うーん」


 歯切れの悪い吾輩。


「その気遣いは、いらないと思うぞ」


 吾輩の言葉に、アナスタシアは合点がいったようで、垂れ目がちな瞳を眉と一緒に下げた。


「……ったく、もぉ」


 お城の地下に張り詰めた静謐な空気をチリチリと焦がすように、火の精霊に愛された彼女――竜のメイドさま――デルフィは、靴の踵を鳴らして歩を進めていく。


「結局、魔王ちゃん。寝室に一度も戻って来ないんだもんなァ……」


 せっかくの真っ赤なスケスケランジェリーが無駄になった、そんな愚痴をこぼしつつも。


 錆び付いた音を立てながら開く扉。


「今日こそは当てるぞぉ?」


 ひとつの石棺に目星をつけ、小さく右手でノックする。

 いつもならどこからか顔を出すアナスタシアは、なかなか現れない。

 ニヤリと意地悪く笑ったデルフィは、もう一度ノックする。


 静かに静かに開いた石棺の隙間から。


「……あたり」


 恥ずかしげな彼女の笑顔が、夜の闇を照らすかのように、仄かに輝くのだった。

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