第23話 魔王さまと歌姫さま
セイレーン――半人半鳥とも半人半魚とも語り継がれ、海に突き出た小さな島に座り、美声を放つ――歌声は航行中の船乗り達を魅了し狂わせ、船を難破させるという。
そもそも、その小島は、溺れ喰い殺された船員の骨で出来た山との話だ。
「申し訳ありません。魔王さま? ここまでご足労頂いてしまって……」
恐縮そうに頭を垂れるのは、人魚のメイド……さま、ではなくて、今は人魚の女王さま、ティーナ・マリア・リンドストロームである。
貝殻の髪飾りでツインテールにしていた髪を今は下ろし、水の羽衣と女王のティアラを戴いて、いつにも増して気品を放っていた。
「なぁに、あの髪飾りが役に立って何よりさ。里帰り早々、問題直面か」
貝の髪飾りには、吾輩との緊急連絡用の魔力通話の仕掛けもある。
「ええ。アンジェもごめんなさいね?」
天使のメイドさま、アンジェは何故謝られたのかも分からず、いつも通りの笑顔で左右に揺れて楽しげだ。
「魔王さまとお出かけ、嬉しいですう♪」
吾輩とティーナは、視線で微笑み合う。こういう娘だから。
「さて。セイレーン……とのことだが」
「少々違います。セイレーンは今、北の海では乱獲で海を乱すような漁師ぐらいにしか魅了の歌を使っていないはずなのです」
「……セイレーンに似た、何か……と?」
「はい、調査に向かった人魚もいたのですが……」
船と人と同様、歌に取り込まれて海の藻屑と消えたとの報告。
「無差別にか。お構いなし、なのだな」
「ええ、困り果ててしまって……」
ティーナの顔色を窺った吾輩は、肩を落とし、鼻から大きく息を吐く。やれやれ、休暇を取らせたつもりが、余計に疲れさせてしまうとは。
「宜しい。この一件、預からせてもらおう。歌には歌、その為の……」
二人は、終始ご機嫌な天使の様子に顔を向ける。
「彼女さ」
さて、アンジェを連れて砂浜の海岸線を歩く吾輩は、虚空で印を描いた指先を唇に当て口笛を鳴らす。
水泡が飛沫を弾けさせるがごとき魔力で、馬のような獣が二匹、形成される。馬のような、と形容するのは、共に水色の魚のような大きな尾を持ち、蹄の代わりに水掻きを持っていたからだ。片方は、黒と灰の斑模様。もう片方は栗毛で緑色の湿疹。
吾輩の使い魔、前者がケルピーと、後者がアハ・イシュケである。
「あはっ! くすぐったいですう」
二匹は早くもアンジェの頬に鼻先を擦り付け、懐いてしまったようだ。
(ぶひ……とか言ってたユニコーンにアンジェが遭遇しなくて良かったなあ……)
いや、ティーナだから良かったというわけでは、断じて無いが!
「さあ、これに乗って目的の海域まで行こうか!」
「あいっ!」
乗りこなせれば、世に類い希なる名馬となる二頭である。波の上を駆け、あっという間に目的地の小島に辿り着ける。
吾輩は、遠見の魔法で視覚の強化を行い、小島の山の天辺の人影を見つけた。
(……魚人?)
手には水掻き、足には鱗、人の形をしてはいるが、明らかに常人とは言い難い容姿だ。マーメイドの亜種メロウという種族の女が人間の男と交わり産んだ子が、良くこうなると聞き及ぶ。
視覚の次は、聴覚の強化だ。魅了の歌とやらを……
『んぼおぉごえええええええええええええええええええええええええええええぇーっ!!!』
「ぅひぃっ! な、何だッ!?」
この海の奥底から大地を揺らすかのような激しい重低音。
慌てて、魔力強化を解除して耳を両手で塞ぐ吾輩。
「アンジェ、ここからは不用意に近付けないぞ。微かだが、呪歌に近い力を感じる」
「あい!」
「よし、歌には歌で対抗だ!」
「あいっ! ら……ラ、ララ、ララァー♪」
アンジェの呪歌で相手の歌を打ち消しながら、進む。
小島に上陸した吾輩達の元へ、肩を上げ脇を締め手を左右に振りながら、腰を振り内股で膝から下だけを使い駆け寄ってくる魚人。
「ちょーっと! アンタたちィッ!」
オスの魚人は、目の前で立ち止まると、仁王立ちでこちらを睥睨する。
「その騒音をやめなさーいギョ!」
お 前 が 言 う か ッ !
「近隣の船乗りから苦情が来ている。歌声の酷さに船が沈むそうじゃないか」
「んまっ!? 失礼しちゃウオネッ!」
……オネエ(?)口調なのが気になるが。
「冗談じゃないわギョオーッ! アタシは芸術として、この世界に対する強い怒りと哀しみ、生きることの苦しさと痛さを歌声に乗せて訴えているだけギョ! そっちが勝手に近付いてるんじゃないのギョオ!」
一応、悪意は無い、のか……?
「へーえ……」
吾輩は胡散臭そうな視線を隠しもせず、魚人を上から下まで観察する。
「ちょっと……! ヤダ! アンタ、ジロジロみたいでギョ」
心なしか魚眼が恥じらいで染まるように見えたが……肩を寄せ、もじもじしながら身体をくねらせる仕種が、なんか、気持ち悪い。
「その、何だ、人に迷惑の掛からない場所で歌うということは出来んのか?」
「冗談じゃなーいわギョ! ここ以外で、どこに迷惑掛からない場所があるのギョオ?」
見渡せば、海原の小島。言われてみれば確かに。
「しかしだな、実際、船乗り達は迷惑しているわけで。そうだ、音量を下げるとかだな……」
「アタシの歌はね、魂の慟哭なギョ! 命の叫びなのギョ! この喉が潰れて壊れても、妥協した声なんて出せるはずがないのギョ!」
鱗の隙間から水掻きの先まで、身振り手振りで情熱的に語る姿に、少しだけ感心する吾輩。
「聴かせて欲しいですう」
「え!?」
ニッコニコの笑顔で爆弾発言を放り込むアンジェに、吾輩はギョッと目を剥く。
「良く見たら可愛いお顔じゃない? 特別に歌ってあげるわネッ?」
「良かったな、アンジェ、可愛いってさ」
無邪気な発言で余計なことをしてくれたと呆れる吾輩に、危険な眼光。
「やあネエ……アンタの方よう」
「え!?」
吾輩にくれる流し目から、アンジェに向けた瞳はギラギラと憎しみに濡れる。
「ふうううううううざけんじゃないわギョオ! だぁーれが! メスなんか可愛いと思うかあ! 高い声! 細い身体! 柔らかな肌! 誰かに愛される為に産まれてきたような恵まれた容姿! アタシはねえ! アタシはネエ!」
あ、コイツ……やっぱり……
「アタシをオスとして産んだこの世界に対する怒りと哀しみ! オカマとして生きることの世間からの苦しさと痛さを歌ってんだギョおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーっ!」
野太い声が、シャウトする。
吾輩、慌てて耳に防御結界をアンジェと合わせて展開、同時に耳を塞ぐ。
『ンウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア嗚呼嗚呼嗚呼アーッ!』
「う! うるせええええええええええええええええええええええええええええええええーっ!」
くぐもった濁声が、大地を揺らし、波を泡立たせ、空気を震わせる。
『ギョー! ギョオ! ギョギョウォーッ! タンスイ! エンガン! オキアイ! エンヨウ! シンカイ! ギョ! ギョ! ギョ! ギョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーッ!』
何言ってんのか分かんねええええええええええええええええええええええええええええ!
『グボォ! ギョ! ギャ! ゲェップ! マグロ! ギョギェエエエエエエエエエエエエエエーッ!』
喉の奥から振動を伴い放たれる歌声は、ゲップを耳元でされるかのような
『ヴエ! ボエェ! グゥオエェッ! ナマコォ!』
目の前で吐瀉物をぶちまけられるとさえ錯覚する、
『サバ! サバァ! アオザカナァ! デイイイイイイイイエイチッゥエエエエエエエエエエー!』
溺死したくなるのも良く分かる、ぬめりを帯びた海藻で肌を撫でられるかのような
なんか、もう! 音楽に! デスに! 謝れ! と言いたくなる酷さ!
お互いに耳を塞いだまま、吾輩とアンジェは瞳を交わす。
訴えかける彼女の表情に、吾輩は、ニヤリと口の端を上げて頷いた。
少女は、天使は、息を吸う。
『ア♪ アァーッ♪』
楽しもう。
「ギョッ!?」
アンジェの透き通ったハイトーンヴォイスに、魚人は身震いし、一歩後退る。
『ラ♪ ラ♪ ラ、ラァー♪』
歌おう、世界に。
『ハ♪ ハ♪ ハアァー♪』
愛する喜びを。共に過ごす愛しさを。産まれてきてありがとう。出逢ってくれてありがとう。側にいてくれて、ありがとう。
『ラーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー♪』
楽しまなくては、音楽では、ない。
いつしかアンジェは、吾輩の黒衣のマントの裾をちょこんとつまみ、恥ずかしげに、だが、嬉しそうに歌声を世界に轟かせる。
大好きな人がいる、伝えたい想いがある、気持ちを声に乗せ、歌にしよう。
いつしか雲の切れ間から、光が射す。
天使の階段。
光の先に、世界の喜びを歌う少女が照らされている。
その姿は、古の絵画の巨匠に描かれたかのような神々しさ。
「な、何なんだギョ、これは……ア、アタシが流しているのは、涙……?」
パクパクと口を開閉させ、エラを震わせながら、膝から崩れ落ちる魚人。
「な、何で……何で、アタシの歌が負ける……グボェ!」
魚人の口から汚水の排水溝みたいな音を発して『何か』が吐き出された。
「不平不満を世にぶちまけるだけの叫び声なんぞに、
その『何か』、宝石のようなモノに近付く吾輩は、粘液まみれの汚臭に顔をしかめながら解析―アナライズ―を始める。
「ふーむ……」
女王の間、人魚の泉でティーナとアンジェは楽しげに会話しているようだ。
「アンジェ、ありがとうございますっ!」
「あいっ♪ えへへぇ」
少し離れたところで、吾輩は女王を補佐する立場の高齢の人魚と声を潜めている。
「……あの魚人は何も覚えていないのだね?」
「ええ、何者かに綺麗な石を貰ったことは、僅かに記憶があるようですが……」
「狂気を誘う怨嗟を振りまく呪いの宝玉だった。今はアンジェの呪歌で浄化された、ただの石ころだがね」
「離反を企てる勢力の暗躍でしょうか」
「そう考えるのは早計だ。女王不在に治安悪化で求心力を問いたい輩は、良しも悪しくも、幾らでもいよう?」
補佐役の嘆息。
「まだまだ、ティーナ様をお返し頂くわけにはまいりませんね……」
「そうだな」
吾輩はチラと二人のメイドを見やる。それが、幸か不幸か……
「もうしばらく、女王さまはメイドさま、だ」
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