第20話 魔王さまと黙示録さま
『実家に帰らせて頂きます❤ 実家は、火竜山脈最奥の『世界の瞼』と呼ばれる場所です❤
「……なんだ、これは?」
羊皮紙に独自の竜言語。追うなと書いてありながら、絶対に追ってこいと読み取れる文言の最後には、ご丁寧に真っ赤な唇の跡。
「ちなみに、城門に門番はいません」
「……知ってる」
口をへの字に曲げた吾輩は、玉座の上で背中をずり落としつつ脱力して姿勢を崩すと、手にした羊皮紙をひらひらと仰いで見せた。
「で。我らが竜のメイドさまは、何と?」
羊皮紙を届けてくれた、我らがエルフのメイドさま、メルに馬鹿正直に答えてやる。
「事情があって竜族の元に戻ったようだが、不本意だから追ってこい、だとさ」
「危険ですね」
「ああ、デルフィの機嫌を損ねると、非常に危険だ」
頭痛に耐えかねたような表情で頭を振るエルフ、吾輩は肩を竦めて見せた。
仮にも
「?」
玉座の上で真新しい天井の建築を睨み付ける吾輩に、黙って踵を返すエルフ。
「旅の支度を」
吾輩が追うことを疑ってすらいない。そして、お供をすることに恐れも無い。
「君たちを連れてはいけない」
……そんな顔をするな、エルフ。
「だとしても、
声色が変わらなかったのは、せめてもの強がりか。
吾輩は、一人、魔法研究室にて、陣を敷き、詠唱を始める。
『気高く煙無き火より生まれ出でし魔精――ジン――よ。汝、土に跪かず、神に傅かず。天より地に堕ちし炎の名を我は知る。燃え盛れ、炎の魔人――イフリート――』
悪魔のような厳つい顔をした
「我に、何用か」
「単刀直入に聞こう。汝は竜の
「世界の炎にて、神炎を防ぐこと能わず。アレは、炎すら燃やし尽くす炎の類なれば」
「む……何か妙案はあるか?」
「契約外の質問なり」
炎で出来た巨体が揺らめく。
「チッ、上位精霊は融通が利かなくて困る」
「然り。強大な力は、故に、世界に縛られるものである。我は火。一度解き放たれれば、破壊の炎と成り果てる故に。後は煙と化して消えるのみである」
「……氷雪系の魔法でも駄目かなあ?」
「契約外の質問なり」
吾輩は、うんざりして鼻から大きく息を吐き出した。
「吾輩の為に、その身を焦がし、燃え尽きる覚悟は、あるか?」
炎の巨体は火の粉を撒き散らし、大きく揺らいだ。
「それが契約にして、望外の喜びである」
「まあ、そのときが来たら、な」
炎の魔人が煙と消え、室内の温度を落ち着けても、思考の熱は帯びたままだ。
(……必要なのは、
世界を焼く炎には、似て火なる、おっと、似て非なる力で対抗するしかないだろう。
吾輩は、ホムンクルスの胸元に左手を突っ込み、肉体の心臓部より淡い硫黄色の石のようなモノを引きずり出す。
大きさにして片手一握り程度のそれは、物質のような固形であり、精神のような不確かさでもあり。見れば見るほど、不思議な輝きを放ちながら、その中心には何ものをも引きずり込む闇を渦巻かせながら、星のような瞬きを見せる。
『アクセス……古きエッダ詩……王の写本……フョルスヴィーズルの言葉、第26節……』
火竜山脈。山肌を吹き荒ぶ風は翼の羽ばたき。大地の震えは、竜体の胎動。火口の噴火は顎よりの吐息。火の精霊力に満ち溢れた不毛の土地。生きとし生けるものを退けるその天然の要害。仮にもその場に足を踏み入れる者あらば、たちまち劣等竜種どもの餌に成り果てるであろう。
その最奥にあるのが、『世界の瞼』と呼ばれる……空間、特異点である。そこは『世界』から切り離された『世界』の一部であり、埒外に位置する。今在る『世界』が間違えたとき、その『世界』を焼き、喰らい、屠る存在、竜の住処である。
『まだ、承諾せぬか、娘よ……』
特異点から暴力にも似た圧で語りかけられる言葉、ともすれば従ってしまいそうになる竜言語に、竜の姿であるデルフィは全力で抵抗していた。
「相手が誰でも良いから子を成せ、なんて! 冗談じゃないわッ!」
『
「いいいいいいいいいいいぃっやっ! 強い遺伝子でなきゃ、やっ! 強い子じゃなきゃ、竜じゃないっ!」
『そんなことを申すな……リザードマンでも劣等竜でも良い。交わり、子を成させねば、汝はこのまま休眠期を迎えることなく、無駄に寿命を磨り減らすのみぞ』
「無駄じゃないっ!」
デルフィは、竜体の全てに力を込めて咆える。
『それは、あの森の城に住まう者どものことか?』
「そうよッ!」
『だが、その城の誰も、汝と子を成す意志は無いのであろう?』
「それは……」
心が揺らぐ、身体が、揺らぐ。
(駄目だ、『持って』いかれる……ッ!)
そもそも等級が上位の竜に抗う術など、無きに等しい。会話相手にしても、今のデルフィの抵抗など児戯程度にしか思っていないのだろう。
(魔王……ちゃん……!)
「デルフィ」
その声は、燃え盛る炎の弾ける火花のように散り、デルフィの意識を覚醒させた。
「魔王ちゃんっ!?」
「やぁ、デルフィ。竜形態は久し振りに見るね。なかなか『せくしぃ』だ」
「ふふ、そのまま『ぜくしぃ』しちゃう?」
「誰からの入れ知恵だ? 笑えない冗談だな」
吾輩は、竜形態から竜人に姿を変えたデルフィの前に立ち、深奥、特異点と相見える。
歪んだ空間からは、無数の波動を感じる。
「お初にお目に掛かる。理により真名は明かせず。名乗った覚えはないが、魔王とでもお見知りおきを願おう」
『不遜』
(んぐっ……!)
世界に紡ぎ出される竜の言葉の圧力に、存在そのものを押される。
『我らが娘を誑かし、拐かす』
「誤解も語弊もあるが……! 今は、その言葉! 受け止めさせてもらおう……ッ!」
『側女に置きながら、子を成す意志も無し』
「そういうのは……ッ!? っぐ! ふ、二人の問題、というか……ッ!?」
再び竜形態を取ろうとするデルフィを手で制し、吾輩は一歩進み出る。
『世界を何と心得るかッ!?』
暴風に等しき響きに、魂の存在意義まで揺らがされ、危うく
「ッ……少なくともっ! 竜の存在意義を! ひ、必要としない世界を、願ってはいるね……!」
竜が腐った世界を焼き払うその火を、その日を、否定する。
『では、それを汝が証明せよ!』
特異点より、一体の竜が姿を現す。
7つの首には10の角が王冠のように生え、竜眼は金色に爛々と輝き、竜鱗は赤く燃え、それぞれ顎を開け放ち、世界を揺るがしながら咆吼する。
常人ならば、それだけで意識ごと命を持っていかれる響きだ。
(竜鱗のアミュレットの加護に感謝だなッ……!)
黒衣のマントの下の装飾品が砕け散る。
「
七つの首の顎が膨らみ、『
(来るかッ、神炎ッ!?)
『我は、
終末の魔剣――レーヴァテイン――
『ソレ』は、炎より出でて、杖、或いは剣の姿を持ち、存在する世界を焼きながら、世界を焼く神炎すら焼かんとする。
『世界の終わり。神々の黄昏をもたらす
勿論、魔術で複製した品だが、
「終わりなんて、世の中には割とありふれていてね……!」
しかし、常に世界は始まりの産声で騒がしい。
「そうそう、諦められるものでもないんだよ、『世界』ってヤツはッ!」
存在すら消し飛びかねない、喰らいあう炎の中で、吾輩とデルフィに結界を張り、終末の
『賢者の石……成る程、世界の意志か、ならば、魔剣も別世界よりの紛い物。だが解せぬ。それは個に所有されるような代物ではないはずだ』
「託されただけさ。一時的に預かっているにすぎん」
『何故、それを世界が許す?』
「さてね。お目こぼしでは? 吾輩が真に魔王と成り果てるならば、その抑止力は必要さ」
『それが竜の娘と?』
「世界を焼き尽くす
『理解した。汝は常に世界の選択の境界に位置している』
『ならば、我らが
静寂を取り戻した山奥で、気力体力共に果てた二人が腰を下ろす。
彼女は両手を広げて、瞳を閉じ、唇を尖らせている。
「何だい、それは?」
「こういうときはぁ、感動の再会とぉ、抱擁と接吻じゃなぁい?」
「知らん」
「……私ぃ、魔王ちゃんがどうなっても殺したりなんかしないよぉ?」
今は、その言葉が有り難い。
「……そう願いたいものだね」
帰ろうか。
その言葉に、竜族の娘はニッコリ微笑み、頷いた。
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