第19話 魔王さまとユニコーンさま

 闇の森なんて呼ばれていても、ただ未開で未知の生物が多いというだけのことで。

 いつだって、人は己の知る範囲でしか『モノ』を語れない『モノ』。

 未知とは、ときに恐怖の対象であるが。

 ここは、至って普通の森で、木々の芽吹きと生き物の息吹に満ち溢れた場所である。


 人魚のメイド、ティーナは綺麗好き。

 汚水に魚は住めぬものだ。

 城から出て、草木の合間を抜けてしばらく、清廉な泉がある。

 彼女は、良くここに水浴びに訪れるのだった。


 ティーナ・マリア・リンドストロームは、高貴なる血筋である。

 その柔な白肌を好奇の視線に晒すなどあってはならぬ所業であるが、ここは人知れずの森。

 身に付けたメイド服を、エプロンからニーソックスから次々と肌を這わせ、遂には一糸まとわぬ生まれたままの姿になり、玉の肌で陽光を反射させる。

 貝殻の髪留めも外し、ツインテールの髪型を下ろすと、そこには、気品を漂わせた一人の姫君のあるべき姿を世界に主張した。


「は、ぁ……」


 心地良い吐息は、窮屈な人型の二足へ降りかかり、鱗を、ヒレを、その身に変える。

 泉に身を沈め、冷ややかな水の感触を全身に舐めさせ、しんと毛穴のひとつひとつ引き締める感覚に目を閉じる。

 普段は気にしないが、やはり、己が水の住人なのだと自覚する瞬間。

 髪は重く頬に肩に背中に張り付き、胸は揺れ僅かに上向き、身体の先々まで濡れて潤う。


 雫が滴り、落ちる。

 波紋。

 波が打ち。返しては、寄せる。

 世界を感じる一瞬である。

 寄せては返し、返しては、また寄せる。

 日頃の思考も逡巡も、考えれば考えるほど、些末なほどに小さきものに思える。


 そのとき。


 水面ではなく、草木が揺れる。


「どなたですかッ?」


 身を竦め、水の中に肩まで浸かる。


 姿を現したのは、純白の大きな馬体。逞しい獅子のような尾と山羊のような髭を揺らし、澄んだ藍色の瞳の中心、その額には一本の角を持つ。


「ひひーん」


 伝説にも語られる幻獣、曰く、この世で最も美しく、最も誇り高く、最も恐ろしく、最も優しい動物、一角獣ユニコーンであった。


「まぁ……」


 ティーナは、その神々しささえ放つ美しさに見惚れ、息を呑み、思わず半身を起こす。


 ユニコーンは、裸身の彼女を見据えると、二つに大きく割れた蹄を進め、泉に入ってくる。


(獰猛な幻獣と聞き及びますけれど……)


 あの螺旋状に伸びた角には、全治の力を備え、あらゆる毒や病を打ち消すと言う……それ故に、心無い者達に常に捕獲を狙われ、遂には伝説とまで化したわけだが。


(処女の懐に抱かれ、その膝の上で眠るとも言われておりますわね)


 幸いにして、この白き伝説の幻獣に触れる資格は、己にもある、ということだ。


 ゆっくり近付いてくるユニコーンにも敵意や威嚇の様子は無いらしく、多少の鼻息と身震いを繰り返したのち、ティーナの側で膝を折る。

 乙女に魅せられ、思いを寄せるとの伝承に嘘はなく、角でティーナを傷付けることのないよう器用に鼻先を彼女の頬に擦り付けてきた。


「ふふ、懐いてくれるのですか?」

「ぶひひいぃんっ!」

「?」


 ユニコーンは、甲高く嘶くと、鼻息を荒くして、頬や首筋をティーナにぐいぐい押し付けてくる。


「え、や、あの、ちょっと……」


 やや乱暴にも思える行動は、獰猛と呼ばれる力の強さ故か、加減を知らぬからか。


「ぶひいっ!」


 さすがのティーナもその細い身体では支えきれず、思わず身を退く。


「ぶひひいぃっ!」


 すると今度は、その大きな角の先端をなぞるようにして、ねっとりと柔肌を這わせてくる。


「うえぇっ? くすぐ……や、やんっ! あ、ちょ……!」


 遂には、張りのある丸い輪郭の、形の良い双丘を触り始める。


「ぶひぃ! ぶひぃ!」


 角が胸の先端に触れようとした頃には、さすがにティーナも違和感に気付き始めた。


(な、なんか、このユニコーン……変ではッ!?)


 両手で胸を覆い隠し、角から身を守ろうとしたティーナに対し、このユニコーン、今度は股ぐらへと角先を向け始める仕種を見せる。


「無礼なッ! 不埒者ッ!」


 角を片手で払い、その隙に距離を取る。


「ぶっ! ぶひっ! ぶひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃーんっ!」


 ここが海ならともかく、人魚のままでは泉では身動きが取りにくい。ティーナはすかさず二足に姿を変え、泉のほとり、綺麗にたたんだメイド服のところまで逃げようと駆け出した。


 激しく水面を蹴り、怒張した白い馬体は脈打ち、大きく躍動する。


「ひっ!?」


 ユニコーンは、逃さぬとばかりに地上に四肢を踏ん張り、メイド服を鼻先に押し付け、スーハスーハ、クンカクンカする。


「いっ! いいいいいいいいいいいぃやああああああああああああああーっ!」


 人魚姫の嘆きと叫びが、木々の隙間を抜いて木霊する。


『世界を欺く幻灯の光よ、満ちよ、平行なる世界の果てに』


 詠唱が響く。


「ぶひっ! ぶひぃっ! なぁ、わいの太くて逞しい角をもっとシゴいてんか? ん? ぶひい! 太かろ? 逞しかろ? ぶひ……ぶひ?」

「……」


 白き伝説の幻獣の前には、恥じらう赤面の乙女などおらず。


「ぶひひん?」

「……失せろ、伝説の処女厨が」


 仏頂面の、黒衣の魔王さま。


「ぶひ? わいの可愛い処女ちゃんはどこひひん?」


 凍り付いたかのように静止した世界の中心には、白と黒しか存在しない。


「位層世界における周期的存在ユニコーンを中心に、特定の現象セクハラを切り離して世界全体を引っ繰り返した。これで彼女には、森の泉で一角獣ドへんたいに遭遇したという事実は存在しない」


 トラウマもんだぞ、と悪態を続ける。


「ぶ! ぶひいいっ! ふっ! ふざけるなひひんっ! あれは、久々にみつけた最高の乙女ひひん! まだ誰の手にも触れていない! 穢れていない! 無垢で純真なわいの処女ちゃんやぶひっ!?」


 ユニコーンは、怒り狂い、大きな蹄で地団駄を踏む。


「概ね、同意だが、『わいの』のところだけ否定させてもらおうか」


 翻訳魔法が上手く同調していないのか、ユニコーンはおかしな言葉遣いのようだ。


「わいを元の世界に戻せひん! この世の全ての処女ちゃんはわいのもんぶひん! 神秘的で幻想的なわいの姿に見惚れて、みんながわいを好きひひん!」

「馬鹿が。いや、馬か。畜生め……」


 ユニコーンは首を振り回して嘶く。


聖母マドンナ処女懐胎ライクアヴァージンを有り難がって聖典バイブルにしているような人間のオスなんかに、わいを否定は出来んひひん? 誰だってお手付きは嫌ひひん。中古の尻軽なんぞ反吐が出るぶひぃ。汚らわひひん! 何者にも染められていない純白に一滴、色を垂らす快感を否定出来るわけがないひん」


 鼻息荒く歯を食いしばり、涎と唾を撒き散らして喚く。


 吾輩は、疲労感の入り交じった吐息で肩を竦めた。


「やれやれ……こじらせやがってからに。貴様の思考の方が、よっぽど汚らわしいぞ」

「オスの部分から欲望を消し去ったら、もうオスじゃないひひん?」

「ふん。否定はせんが、一部分だけでな。ヒトという種には、愛という理性がある」

「年中発情期の猿如きが、交尾を綺麗事にするのはやめて欲ひいひひん? オスは股にぶら下げた『モノ』で『モノ』を考える生き物ぶひっひっひ」


 威嚇するように、その角の切っ先を吾輩に突き付ける。


「生憎、吾輩はそんな綺麗事がけっこう気に入っていてな」

「無償の愛――アガペ――なんて、信じないひんッ!」


「相手の過去を肯定出来ないなら、一生孤独ぼっちで、己を慰めるのだな!」

「ひひん? 実力行使ぶひん!」


 後ろ脚の蹄で大きく蹴り出し、その角で串刺しにせんと突進するユニコーン。


 吾輩は黒衣のマントをひらり、剣闘士マタドールよろしく身を躱し、懐から防音処理の魔法を施しておいた袋を取り出し、口を結んだ紐を緩めて放り投げた。


 一瞬、宙に浮いた袋から、もぞもぞと何かが這い出て、ユニコーンのたてがみにしがみつく。

 形状は、ニンジン? 否……


 吾輩は、両手で耳を塞ぐ。


「どおおおおおおおおおおおおおおてえええええええええええええええええええええええ!」

「ど! どどどどどどどど童貞ちゃうひひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいん!」


 ユニコーンのたてがみにしっかりと掴まり、乗りこなすかのような姿勢で、『ソレ』は鼓膜を破らん勢いで世界を引き裂く叫び声を上げる。


「年齢イコール彼女いない歴イイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイーッ!」

「ち! 違うぶひぃ! 彼女は……いないけどもひひん!? い、いいいいいいい、今はッ!」

「バレンタインチョコはママからだけえええええええええええええええええええええええ!」

「やめるひひぃーッ!」


 マンドレイク、別称マンドラゴラ、実はナス科。

 人型の根は大地に複雑に絡みつき、なかなか引っこ抜けない。また引き千切られる痛みからか、非常に大きな非情にも毒性の強い叫び声を上げ、相手を幻覚・幻聴・嘔吐まで引き起こし、果ては精神破壊から死にすら至らしめるという。


「そいつは万能薬の原料とされていてなー、貴様の角と同じようなもんだー。なかなか離れんぞー、せいぜい仲良くなー?」


 両手を塞いだまま大声を出す吾輩だが、果たして聞こえているかどうか。


「そんなに騒がれたらー、一攫千金で角を狙う奴らに居場所バレちまうなー、せいぜいマンドレイクが枯れ果てるまで逃げ続けるんだなーっ?」


「鬼! 悪魔!! 魔王ゥーッ!!! ひひぃーんッ!」


 再び時の針を刻み始めた世界の中で、白馬の影が森の先、荒野の彼方まで消えていく。

 さすがにもう、マンドレイクの叫びも届かない。


 アレを引っこ抜くとき、『魔法使い』とか叫ばれたときには、事実だけれども何故か別の意味で心を抉ってきた。アレは心臓に悪い。うん、もう、用意したくない。


 さて、事実改変を行った世界で、吾輩のメイドさまは優雅に水浴びを終えて城に戻ってくるだろう。獣臭いメイド服スーハクンカは新しいのと取り替えておいてやるか。


 無償の愛――アガペ――か……


 思えば、そんな幾つもの想いに支えられて、この世界に立っている身である。信じないわけがないだろう。だから、この手の、この目の、届く世界は、優しく守ってやりたい。


 柄にもない。魔王のやることか。

 吾輩はくしゃくしゃと頭をかいて、城へ帰還するのだった。

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