第12話 魔王さまと堕天使さま

「何です、この着せられた服は? 趣味ですか? ムッツリさんですか? 変態さんですか?」


 黒髪の堕天使は、皆と同じメイド服に身を包み、訝しげにスカートの裾をその指でつまんだりして、吾輩に棘のある言葉を突き立てる。


「堕天使風情が知ったような口をっ! 何か言ってやれよ、メイドたちっ!」


 居並ぶメイドたちは、実は思っていたけど、何となく口に出来なかった疑問に苦笑い。

 あ、あれえー? 玉座の上の吾輩に、この仕打ち。

 味方は天使だけ。


「可愛いですう」

「ですよねっ! 姉様っ♪」


 ボブカットの黒髪を揺らして、アンジェに対して目を輝かせる堕天使の少女。


「あー……えっと、君は……」


 声をかけた吾輩に向ける視線は、瞳の色のように暗い。


「ネフィルです。名前くらい覚えて下さい……チッ」


 今、舌打ちした? ねえ、舌を打ちました? ねえ、これでもねえ、吾輩、頑張ったんですよお、聞いてます? ってか、読んでます? 第十一話? かなーり危険な橋をね? 渡ったつもりなんですよお、っと、いかんいかん、取り乱してしまったかな? 内心。ふふ、心はいつもクール。


「ネフィル、さん? は、吾輩が別に強制したわけでもなく、いつの間にかメイド服を着ているわけだけれども……」


 ぎろりと目を剥いて、ネフィルは吾輩を睨め付ける。


「裸でいろってことですか? 18禁ですか? R指定ですか? 薄い本ですか?」


 く! クール! 魔王イズクール……!


「……いえ、あの、はい、すみません。ここに滞在するご意思でしょうか?」


「姉様がいるところが、私のいるところですっ! ええ! ええ! その為ならば、ご奉仕だろうと夜伽だろうと何なりと!」


 あ、笑顔はすっげえ可愛い。


「なので、その他はどっか消えて下さい」


 吾輩を見る目は、悪魔の眼差しだが。


 サヨナラ、クール。


「上等だあ! 堕天使があ! 貴様にい! 吾輩があ! メイド服の何たるかを教えてやるう! いらっしゃいませえ、堕天使さまあ! 貴様が変態さんと抜かしたのは! メイドカフェブーム以降のサブカル! それもマイノリティ志向を失ったおたく文化の悪ノリだあ! 必要以上に肌を見せるなあ! この世に胸の谷間が見えるメイド服など存在しねえっ! ホワイトブリムも忘れるなあ! キャップもいいぞう!? ヴィクトリアンとフレンチをはき違えるなあ! ゴシックとロリータとも混同するなあ! 女主人じゃないの! お嬢様じゃあないの! 使用人なの! 女中なの! 分かる? 分かるな!? よーし、お帰りなさいませえ、堕天使さまあ! 19世紀後半の英国が発祥だあ! いいか、それ以前にメイド服は存在しねえーっ! ったりめえだろうがっ! はい、何が起こったあ? そう、産業革命! 三行で声に出して読みたい革命! 産・業・革・命! レボリューション! 織物の大量生産なくして、メイド服の存在は為し得ないのだあ! はい、工場制手工業! マニファクチャー! イエイ! リピート! アフターミー!」


 吾輩は右の拳を天に突き上げ、生涯に一片の悔いも無い程の熱い語りで吠える。


「マニファクチャーッ!」

「ま、にあふぁく、ちゃ……?」


 理不尽なまでの熱さと、世界に唾と共に撒き散らされる言葉の力に、何故かネフィルは、恐る恐る言葉を継いだ。


「声が小さいッ! マニファクチャーッ!」

「ま! まにふぁくちゃああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 堕天使の目にも涙。


「ご清聴! ありがとうございました! 又のお越しを! 堕天使さまっ!」


 はーはーぜーぜー、玉座から身を乗り出して肩で息をする吾輩。


「ば、馬鹿なんですっ!?」


 理解不能の生き物を目の前にしたような戦きで、ネフィルはアンジェにしがみつく。


「魔王さまあ、この子、泣いてますですう……?」


 さすがの天使も困り顔。


「あー、魔王ちゃんが泣かしたー」


 竜のメイド、デルフィは歩み寄ると、ネフィルの頭をよしよし撫でて去って行った。


「魔王さま、大人げないですわ」


 人魚のメイド、ティーナはその頬に触れて涙を拭ってやる。


「あっちで美味しいもの食べよ? ですう」

「……ぁい、姉様、っぐす……」


 ネフィルは、アンジェにしがみつき、吾輩にべっと舌を出して、共に連れ立って退出した。


 ティーナも一礼して優雅に立ち去ると、玉座の間には、魔王さまとエルフさま。


「あの堕天使……ネフィル、大丈夫ですか?」

「彼女の中の魔神への絶対服従プログラムは破壊したからね。後はアンジェ同様、エンジェルハイロゥと片翼に制限を施して、吾輩特製、封印のリボンを身に付ければ物質界でも安定するはずさ……アンジェのときは強引にやって、人格破壊寸前だったからなあ。今回はその反省を生かしたよ」

「そもそもアンジェと姉妹というのも? 容姿もさほど近くありませんし」

「基となった素体は、恐らく一緒だろうからな。神界側、魔界側の天使という違いはあれど、ま、共同開発? 姉妹と呼んでも差し支えなかろう」

「で、ここに置くんですか?」

「吾輩は、一向にかまわんがね」


 エルフのメイド、メルは、知ってたとばかりに小さく溜息を吐き、眼鏡の奥の瞳を閉じた。再び開く双眸は鋭い。


「今回の件ですが……」

「神界も魔界も、『片翼の天使』の性能実験だろうな」

「主殿の中の『アレ』を滅ぼそうとしたのではないですか?」


 一瞬の沈黙。


「吾輩の精霊憑依に触れて『視』えてしまったのだね?」


 こくりと頷き、ごくりと喉を鳴らし、震える唇でメルは言葉を紡ごうとする。


『チチチ……我と貴様とを共に滅ぼせれば、上々と思ったのであろ?』

「!?」


 メルは意識の端で、自分が口にした台詞に衝撃を覚えた。


「……そうか、あのときの魅了と邪眼は、吾輩ではなく彼女にか」


 吾輩は、虚ろな瞳に妖しい光を宿したメルを睨み付け、臍をかむ思いに舌打ちした。


『神を殺す天使、何と罪深き存在か。死の概念を持たぬ神に死をもたらす為には命を定義せねばならぬ。故に、雌雄同性ではなく、命を産み出す女の肉を受けし紛い物、それが……』

「戯れ言を吐くな。メルの可憐な唇が穢れる。失せろ」

『良いのかな? 光と闇を隣り合わせるなど……世界を滅ぼす虚無を孕むぞ?』

「失せろと言った」


 吾輩はエルフの額に、ちょんと指先を触れて解呪――ディスペル――を行うのだった。


 城の調理場が、騒がしい。

 一体何事かと、メルは一人、足を踏み入れる。


「何で調味料の類をまったく使ってないのですかっ!?」


 ネフィルの声だ。


「いえ、私、素材の味を生かせばと思いまして……」


 ティーナは、彼女の剣幕に押され、やや身を引く。

 確かに、彼女にお醤油やらわさびやら生姜やら取り扱われたら、何か洒落にならない雰囲気はある。そう、彼女の料理がいつも薄味なのはそのせいだった。


「焼けばいいってもんじゃ! これ、焦げてますよ? 茹でたり干したり燻したりはっ?」


 デルフィは、そっぽを向いて、ムスッと頬を膨らませる。


「何でも焼いときゃ、大丈夫だってえ」


 しかし、火加減となるといけない。そもそも火力が強すぎるのである。


(ああ、なるほどなるほど)


 メルは、ふんと鼻を鳴らして状況を理解した。


 この闇の森の城には、料理長、所謂シェフが存在しない。

 食うだけの天使。

 花嫁修業を忘れた盛りのついた竜。

 食事は出される側に立つ人魚姫。

 さて、ではエルフである自身は、というと……レシピ通りに作れば、まあ、最低限食べられるものは出来るでしょうくらいのお料理スキル。たまにアレンジを加えては失敗するセンスの無さだ。世に言う、アレンジャーである。


 そう、この場には、実はメシマズしかいない! 徹底的にお料理スキル――女子力とも言う――が、欠けているだった!


「姉様……味見して、何故、この味になるのです……」


 さすがの妹も、姉を擁護出来ないようだ。


「アンジェは、基本何でも美味しく頂けますからね。味を改良するって発想がない」

「えへへ」


 褒めてないぞ、笑顔の天使。


「遅かったですね、エルフさん。貴女の腕前はどうなんですか?」


 メルは細身の肩を、芝居がかったように竦めて見せる。


「ああ……」


 ネフィルは、やや大袈裟に頭を振った。


「姉様が、毎日毎日、こんな餌を口にするなんて耐えられない!」


 餌? 餌……餌!?

 さすがの竜や人魚も、やや顔を紅潮させて気色ばむ。


「おいおーい、言ってくれるじゃなーい?」

「そこまで仰るからには、さぞ自信がおありなのでしょうねっ?」


 ネフィルは、それらの声を無視してメルに顔を向けた。


「書庫には、料理の書物はありますか?」


 メルは未だ完全ではない目録の中から、記憶を引っ張り出す。


「あぁ、確か……なんか、やたら手書き感が満載の下手くそな字で、分厚いやつが……」

「あるのですね。ちょうど壊されたプログラムがありますので、デフラグします。空いたスペースにそのスキルをダウンロードしましょう。案内して下さい」


 そして拳を握り、ネフィルは、調理場の中心で姉への愛を叫ぶ。


「これより、姉様の胃袋は、私が掴みますッ!」


 次いで、小馬鹿にした憐れみも呟く。


「……貴女達は、その『おこぼれ』に預かって、どうぞ?」


 書庫までの道すがら、ネフィルはメルの背中に問いかけた。


「魔王さんに、何のお話が?」

「え? いや、うーん……何かあったかな?」


 エルフの口調は、どこか辿々しい。


「遅れて調理場に来たではありませんか?」


 その問いにも小首を傾げるだけだ。


「そうだったか? まあ、世間話だった……と思う」


 『ソレ』に気付いたのは、破壊されたとはいえ、神の鎖が残滓のように己の内に残っていたせいもあるだろう。かなり、近い、力だ。

 彼女から漂う悪しき靄。神の力に匹敵する、否、凌駕さえ感じさせる呪いの波動。


(……記憶の改竄を行いましたか。呪いの気配も、もうありませんし)


 『ソレ』が、何かは分からない。神の代行者の枷を外された我が身は恐らく、いずれは感じることさえ出来なくなるだろう。


(でも……)


 あの人が、守ってくれる。

 さすが、私と姉様の、魔王さま。

 小さな唇が、少しだけ頬を押し上げる。

 ようやく羽ばたき始めた雛鳥は、寄り添う宿り木を見つけるのだ。


「さー、どんなもんか見せてもらいましょうかあ?」


 デルフィはお行儀悪く椅子に背をかけ、足を食卓に乗せる。


「お止めなさいな。デルフィ。でも、いささか、ワタクシの舌は肥えておりましてよ?」


 ティーナは、何かのスイッチが入ったかのように「おほほ」と口元を隠して微笑む。


「な、何があったのだ?」


 とてもとても華麗なる食卓とは言えない殺伐とした雰囲気に、吾輩は恐る恐るメルに耳打ちした。


「まあ、料理が解決するんじゃないですかね?」


 ニッコリ微笑むエルフさま。


 え? なに? そのグルメ漫画理論!?


 そして、何故かというか、やはりというか、上座で今か今かと料理を待つ天使さま。


「お待たせしました」


 ネフィルの声は、やはり「姉様」と続く。

 食卓に並べられたのは、決して、絢爛豪華と言った料理の数々ではなかった。


「デルフィさん。肉料理は、火加減に気をつけました」

「ふーん?」

「ティーナさんには、魚料理を避けています」

「まあ、ご親切に、どうも」

「メルさんは、軽めの野菜や木の実を中心に」


 メルは、彼女がどれだけ熱心に、レシピに目を通したかを知っている。


「さあ、姉様っ! いっぱい召し上がれ♪」

「あーいっ♪」


 素朴だったり、好物だったり、量にも気をつけたり、それは、ただ作りたいものを作るのではなく、口にする者に配慮して作られた料理だった。

 加えて、美味しい。だからこそ、誰も文句を言えず、特に二名は、「ぐぬぬ」と口をへの字に曲げる。


「あのぅ……吾輩には?」

「ありません」


 え、えぇー!? 吾輩、ショック!


「私には、上手く……その、珈琲が淹れられ、なかったので、で……」


 頬を染め、俯いて、もじもじと肩を揺らしながら、ネフィルは、アンジェに視線を移す。


「……後で、姉様に、珈琲を、お願いしてます」


 後日談。


「……ネフィルの料理、レシピ通り良く再現されていたようだね」


 魔王さまの言葉に、メルは深く頷いた。


「ええ、ただ書面をなぞるだけの私の料理とは、根本的に違います」

「だが、まあ……まだ、吾輩の味には遠く及ばないかな」

(え?)


 やたら下手くそな字の、やたら分厚い、あのレシピ本?


(えぇーっ?)


 この城で、一番、女子力高いのって、もしかして……!?

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