第13話 魔王さまとお姫さま

 コツニーク王国の王さま、パパデス陛下は、口髭をつまんでは撫でつけ、悩ましげに溜息を吐いた。自分も、もう高齢である。そろそろ息子に王位を継承させねばならない。


 第一王子アニージャ。血気盛んで決断力と行動力に優れ武勲もある。

 第二王子オトウッド。慎重な性格で内政に関する意見を進上してくる。


 妾腹の子もいないではないが、正室の産んだこの二人に絞られる。

 血筋で言えば、アニージャだ。そもそも長男なのだから、王位継承第一位。当然の流れだろう。軍部の支持もある。大きな不満は出まい。

 一方、オトウッドは、民衆から支持がある。気軽に城下に足を運び、民の声を聞く。大臣の中には彼を推す声も密かにある。


 有事なら、アニージャに任せておけば頼りになろう。

 平時なら、オトウッドの方が上手く国政を回すやもしれぬ。


 隣国との兼ね合いもある。

 アニージャならば、弱腰な外交で舐められることもあるまい。

 オトウッドは、その点、狡猾さに欠ける。


 アニージャだ。


 いや、パパデスの中で本当は決まっていたのだ。

 問題は、オトウッドとその取り巻きが大人しくしているかどうか、という点だった。

 何しろ、この兄弟とにかく仲が悪い。顔を合わせれば、口論が始まらぬ日はない。そして、その内容が全て国を想うてのことなのが始末に悪く、どちらかを諫めることも出来ない。


 王の政務室の扉が開き、可憐な少女が姿を現す。


「陛下……」


 父の心労を察してくれるのは、末娘のイモートネーただ一人。


「おぉ、おぉ、娘よ。二人きりのときは、父と呼んでおくれ」


 パパデスは、無論全ての子供達を愛してはいた。が、年老いてから出来たこの姫には並々ならぬ愛情を注いでいる。また、自身の容姿の特徴を色濃く受け継いでいることも溺愛に拍車をかけた。


「お父様、伯母上からこのようなお手紙が」


 パパデスは椅子から腰をずらし、己の膝元に彼女を抱き上げると、その豊かな金髪を撫で、やや広めのおでこに唇を触れさせる。


「うん? どれどれ……」


 降嫁して以来、王家のことには何一つ口を挟まなかった姉が?


 イモートネーは、齢10。少しおませな王女殿下。だけど、国と民と家族を愛する、とっても真っ直ぐなお姫様。

 上の兄二人は、今日も今日とて口喧嘩。

 いつその腰の帯剣に手が伸びるかという勢いに、ただ震えて涙を溜めては遠くから見つめることしか出来ない。


「お可愛そうな殿下」


 傍らに、一人の女性が侍る。


「そなたは?」


 その問いに、女性は首を振る。


「一介の侍女の名などに関心なさいますな、殿下。されど我が祖母より書状を預かっております。どうか優しき御心で、その意を汲んで下さいませ」


 侍女は、恭しく膝を付き頭を下げ、両手で差し出す。

 王家の紋で封をした書簡。

 ということは、相手は王族に連なる者か。


「国が! 国が! 兄者は、いつもそれだ!」

「貴様こそ民草のことばかりではないか! 大局を見よ、と申しておる!」


 一昨日は税収で。昨日は軍備で。そして、やはり今日も喧嘩をしている兄弟、アニージャ殿下とオトウッド殿下。


「国を支えておるのは民一人一人なのですぞ!?」

「国が揺らげば、民も揺らぐ! それが何故に分からぬ!」


 互いに額を打ち付け、鼻を擦り付け、歯を食いしばっては、肩を怒らせる。

 睨み合った両目は、勢いよく開け放たれた扉の向こう、駆け込んできた彼らが父親に向けられた。


「た、大変じゃ! 息子たちよ!」

「騒々しいですぞ、父上!」

「落ち着いてお話を、陛下」


 パパデスは供も引き連れず、弱った足腰で、その場で崩れ落ちる。


「い、イモートネーが……!」


 その言葉を聞き、両者は顔を見合わせ、言葉を重ねた。


「「それは一大事!」」


 玉座の上では、どこかで見たことのあるような黒ずくめの小さなオッサンが、その膝に小さき王女殿下を乗っけて、少々困り顔。


「何故、吾輩がこのような……」


 遠くから二つの足音が響いてくる。


「ま、魔王さま! 来ました! 来ましたよっ! お願いしますねっ?」


 王女殿下はその碧眼をきらっきらに輝かせ、無邪気に鼻息を荒く意気込む。


「あっ、はい(棒読み)」


 玉座の間は、『』誰一人警備もいない。

 王子二人は、我先にと身を躍らせると、共に腰の剣を引き抜いた。


「おのれ! 魔王めっ! 我が妹を拐かそうとは! 世に聞く変態か! 許せぬっ!」

「年端も行かぬ妹に劣情を抱くとは! この不埒者めっ! ろりこんというやつかっ!?」


 その真っ直ぐな怒りが、一人の小さなオッサンの心を抉るとも知らず、玉座の間の扉が閉じられる。

 まるで番をするかのように、姫に書簡を手渡した侍女が一人、そこに立つのだった。


「あーれー! 兄様がたっ! 助けてっ! 助けてたーもーれー!」


 吾輩の膝の上で、王女殿下が金切り声を上げ続ける。


(さ、ささ、魔王さまも、お早く)


 次いで、小声でそっと呟くのだ。


「あ、えー、っと、ふ、ふははー、お? おろかな、にんげんどもーめー。このひめぎみは、わがきさきとして……」


 台詞が抜けていると、イモートネーが片目をぱちくりぱちくり合図を寄越す。


「こ、この気高く美しい姫君はー、はー! いただいてゆくぞうっ!?」


「お兄様あー! お助けをー! あーれー! ! ああああれえええええええっ!」


 それにしても、この姫君、ノリノリである。


「ふははははあぁ! 貴様ら如きが、吾輩に敵うと思うてかあっ!?」


 だんだんコツを掴む吾輩。


 玉座の、ロリコン劣情変態誘拐魔王(グサリ)に剣を振りかぶって駆け出すアニージャ殿下。それに続くオトウッド殿下。


「はい、ここに座っててねー」


 吾輩は膝の上からイモートネー殿下を抱えて立ち上がると、玉座の上に移す。床を蹴って跳躍、『幻術――イリュージョン――』の魔法を唱え、王子二人と対峙した。


「変態め!」


 アニージャの袈裟斬りは、幻術の姿を通り抜け空を切る。


「兄者! ろりこんの姿を良く見てっ!」


 オトウッドの手にしたレイピアの突きは、しかし吾輩のマントをかすることさえ出来ない。


「兄は回りが見えず。弟は判断が遅い」


 滅茶苦茶に振り回すアニージャの剣の切っ先は、剣術の分身を消すだけ。


「激情に駆られ、物事の本質を見ていない兄」


 オトウッドは、その優れた観察眼で、本体以外には影が無いことに気付く。


「そこか、不埒者め!」


 だが、その武芸は兄に遠く及ばぬ。魔術師如きに身を翻されるようでは。


「兄の刃ならば我が身に届いたやも知れぬにのう? 弟よ」


 もう何度、同じ事が繰り返されただろうか。


「愚かな王子どもだあっ! 、吾輩も危うかったぞおっ! はっはー!」


 片膝で、荒く息を吐く両王子は、顔を見合わせた。


「ハァ! ハァ! ……弟よ!」

「何故助け合わぬうううううううううううううううううううううううううううううう!」

「ハァ! っく! 兄者!」

「何故頼ろうとせぬううううううううううううううううううううううううううううう!」

「足下を確認しながらでは! 必殺の一撃が放てぬっ!」

「私が本体の位置を確認しましょう! 分身はお任せを!」

「最愛の妹御より! 己が虚栄心が! それほどに大事かあ? ええーっ!?」

「「だぁまぁあれええええええええええええええええええええええええええええええーっ!」」


 オトウッド殿下は、我が身を省みず、妹の、そして兄の為に、分身の群れに突っ込む。未熟な武芸ながら、何とか本体の位置を確認し、兄に伝える。

 アニージャ殿下は、弟の言葉を疑いもしなかった。ただ、信じて、そこに必殺の一撃を加えるべく、その身を躍らせる。その手には、確かな手応えがあった。


「ぐ! ぐわ! ぐわああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 助演男優賞ものの断末魔の叫びを玉座の間に轟かせる吾輩。


「おのれ! 王子ども! だが! 忘れるなっ! 貴様らの心に綻びあらば! いつでも!」


 アニージャは一歩進み出て拳を握る。


「残念だが! 変態! 我ら兄弟いる限り!」


 オトウッドは、兄に半歩譲り、傍らでイモートネーを抱き寄せながら頷く。


「我らが妹には! 決して手出しさせぬっ! ろりこんめ!」


「弟よ!」

「兄者!」


 笑顔を向け、肩を叩き、手を握る兄弟の間で、迫真の演技を披露した姫君は、その小さな胸にほのかに灯る感情に、小さく小さく微笑むのであった。


 パパデス殿下が王位を継承する際、兄弟たちと骨肉の争いを繰り広げた光景に、とても心を痛めた王女殿下がいた。今はもう、王族以外の殿方に嫁ぎ、子を成し、孫にも恵まれ、伴侶を亡くしてからは修道院に入り、その身を神に捧げる日々を送っていた。

 彼女はもう高齢だった。若くすれば、その容姿は、そう、とある侍女に似るだろうか。

 病に伏せ、もう立ち上がるのも困難な床で、女性は傍らに幻を見た。


「あぁ……来て、下さったのですね……」


 弱々しい言葉は、しかし、窓から注ぐ陽光を受けて希望で輝いた。


「久しいな。オバーウェ殿下」

「ふふ、もう、殿下では……御座いませぬ。降嫁、致しましたゆえ……」


 深く、深く、胸の奥から、鼻にかけて息を吐き出すと、皺のひとつひとつを動かして言葉を紡いだ。


「弟を、助けて、下さいましたか……?」

「ああ」

「国は、大丈夫でしょうか……?」

「ああ」

「ふふ……約束を、守って、頂けるなんて……」

「あのとき、助けられたのは、吾輩の方だよ。恩を返しただけだ」

「助けようと思ったのではなく、ただ、焦がれた、だけで、御座いました……」

「……」


 たとえ遂げられることなくとも、人の想いは、いつか、どこかで、結実するのだろうか。


「これで、逝けます。心置きなく」

「うん」

「まだ、苦しみに、耐え続けるのですか……?」

「心置きなく、と言ったではないか」


 両者の間に、柔らかな笑みが交わされる。


「幸いにして、ね。何かと世話を焼いてくれる愉快な存在メイドが、回りにいてくれる」

「……」

「幸せなど、受ける資格は無いと思っていたのだが」

「……」


 彼女は答えない。


「……」


 小さく黒い影は、肩を落とし、顔を俯き、祈る神さえ知らない。それでも。


「君の、ゆく先に幸多からんことを願おう」


 その日、コツニーク王国は、アニージャ第一王子を次期国王とすることを宣言。

 オトウッド第二王子は、宰相補佐の任に就き、兄の即位と同時に宰相に任命されることとなった。勿論、王位継承権の放棄もそこに含まれている。


 修道院から墓地まで続く葬儀の参列の先頭で、とある少女は、声を上げて泣いた。祖母の死を悼む、悲しい叫びだった。


 イモートネー殿下、齢10。

 後々のコツニーク王国の歴史において、二人の兄を操る影の女帝などと囁かれる日も来るのだとか来ないのだとか。


 それはまた、別のお話。


 そんな辺境の、小さな王国の、小さな、小さな、お話。

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