第9話 魔王さまとアンデッドさま
太陽さま、おやすみなさい。お月さま、ご機嫌よう。
夜の帳が降ろされ、星々が空を飾る。
そんな、誰もが寝静まる世界で蠢く影、闇の眷属、死に近きもの。
そして、魔王さまの寝室に忍び込む人影が、ひとつ。
「うーん、ん? ……デルフィ?」
「子作りしましょおよう」
既成事実を作りにきやがった。
「しません、て。もう……さ、勘弁しておくれよ。眠いんだって……」
「えぇん、いけずうぅ」
すけすけのセクシーランジェリー一枚だけのあられもない姿で、くねくねとしなを作るデルフィは、不満げに厚めの唇を濡らして尖らせた。
「あらん? 邪魔が入りそう。またねぇん、魔王ちゃんっ」
「次から、侵入防止用の、結界、張る……すやあ……」
しばらくして、ぽんぽんと寝具の隅を叩く振動。
「んん……今度は、何だよう、まったく……」
今度は少し強めに、ボーンボーンと叩かれる。
「あぁ、はい、分かった分かった、って、ひいぃ!?」
目を開けて見れば、ボーン! っと、頭蓋骨。
「うっわ! って、どわあっ?」
ベッドから転がり落ちた魔王さまは、立ち上がり、包帯を踏み滑り、すっ転ぶ。
「な、なんとおー?」
そのままの勢いで、べちゃりと気色悪い感覚に顔を突っ込ませ、腐敗臭に包まれた。
続いて、ぞくりと生温い風のような感覚が、背中を流れる。
「……うぅ~ん、吾輩、死霊使い――ネクロマンサー――を敵に回した覚えはないが」
「……大丈夫?」
吸血鬼のメイド、アナスタシアが言葉少なげに気遣ってくる。
その場にいたのは、スケルトンとマミーとゾンビら、アンデッドモンスター達だった。
吾輩は、光の精霊に語りかけ、部屋に明かりを灯す。
「……で、こんな夜更けに何用かね?」
「このコたちが……」
ベッドに腰掛けた吾輩にねっちょり付着した腐った死体の破片を、メイド服のエプロンの裾で拭き取ってくれるアナスタシア。
ありがとう、言葉少なげだけど良い子だね。
「実は、魔王さ魔にご相談があり魔死てでホネ」
スケルトンが顎骨をカクカク音を立てて頭を揺らす。
「ボク達、悩んでるんDEATH」
ミイラ男のマミーは解けた包帯を身体中に巻き直しながら、訴える。
「ワタシ達、疑問、ぁって」
ゾンビは、よたよた腐った足で不安定に立つ。
部屋の寝具や家具が、小刻みに振動し、音を立てた。ポスターガイスト現象? ファントムもいるな、これは。
「ボクた血」
「ワタシた血」
生キテルンデショウカ? 死ンデイルンデショウカ?
「は?」
吾輩、今、眉毛と口がおかしな形になっているのを自覚しているよ?
「忌や、DEATHから……」
「待て待て待て!」
もう一度同じ質問を繰り出そうとしたミイラ男を制して、吾輩は傍らのアナスタシアに顔を寄せて耳打ちする。
「何の冗談だ?」
「……真剣みたい」
一瞬、天井を仰いで唸ると、吾輩はアンデッドモンスター達に向き直る。
「いや、死んでるだろ」
だが、あっさり答えを出した吾輩を、彼らは許してはくれなかった。
スケルトンが、怒り肩でカタカタ骨を鳴らして詰め寄る。すっげえ、標本みたい。骨の動きが良く分かる!
マミーが、汚れた包帯だらけの乾燥した両手を伸ばしながら、のっしのっしと歩み寄る。その包帯、清潔なのに取り替えた方が良いよ?
ゾンビが、「ぁ……ぁ……」と喉を枯らして、踏み出した一歩から腐り落ち、また前に進んでは腐り落ち、床を這って、首を腐り落とす。顔! 顔を忘れてるぞ! 身体!
「魔王さ魔!」
近い近い近い近い!
「ボクた血!」
臭い臭い臭い臭い!
「本気なんDEATH妖っ!?」
怖い怖い怖い怖い!
終いには、ファントム、幽体らしき気配が吾輩の背中にひたと触れる。
寒い寒い寒い寒い!
吾輩の寝室、いきなり死後の世界に近付いちゃったよ!? このまま寝たら、永遠の眠りに就いちゃうよ、これっ!? 就寝が終身になっちゃうよお!?
「分かった! 分かったから! 離れろ! 吾輩の側に! 死神を呼ぶなっ! なっ?」
まだ慌てるような時間じゃない、そんな両手の仕種でアンデッドモンスター達を落ち着かせて、取り敢えず距離を置く。
「……で、だ!」
仕切り直そう。ようし、分かった。とことん付き合おうじゃないか! 地獄の果てまでな! ちょっと待って!? 今! 吾輩がいいこと言った! 朝まで生死体! ワァオ! フレッシュ!
「何故、そう思い至ったのか、から聞こうか?」
ふぅー、やれやれ、といった感じで、スケルトンが肩骨を竦める。
「み苦びら霊た喪のDEATHなあ」
「そりゃあ、死んで魔す妖、魂な状態DEATHから」
「死っ死っ死、いや、笑って魔せん、魔せん妖?」
ん、んー? う! うーん!? 吾輩、怒るとこ? 怒るとこかなあ? ここおぉ!?
「確かに我々、死んで魔す夜?」
「で喪、こう死て動忌てる邪無いDEATHかあ?」
「世界に存在死て忌るのは何故なんで傷?」
なるほど、納得した。小癪な死体どもにしては、なかなかどうして。
「えーと、つまり、アンデッドにおける生と死を、定義して欲しいのかな?」
確かに、生命活動の停止を死とするならば、彼らは死んでいることになるが、実際にこうして動いて言葉を交わし思考しているわけだ。
生の意義は、遺伝子を残すことだろう。つまり、世界に己の中の情報を繋ぐことだ。
なら、何もしていない命は生きているか?
死して尚、残る情報は死んだと言えるか?
「自分たちの存在が分からない、というのなら、世界の流れから外れた魂と身体の結びつき。これを魂魄と言うが、それがおかしくなった状態を指すね。魂の慟哭による内的要因であったり、死霊使いによる外的要因であったり。もし、来世に行きたい、いや生きたいというのであれば、魂魄消失――ロスト――しているわけではないから、ターンアンデットの魔法で浄化も可能だ。再び、世界の輪廻の流れに戻れるよ?」
吾輩の言葉にスケルトンは不安げな表情……いや、表情筋が無かった、骨だから。
「死か死、魔王さ魔、我々未練があって、この世界に留魔った喪のDEATHから」
そこまで面倒見切れんよ、まったく!
「来世に希望を持ったらどうかな? 前世で何をしたかった? それが未練なのだろう?」
ゾンビが首を傾げて思いを巡らす。傾けた頭部がぐしゃりと床に腐り落ちたけども。
「海辺の真っ白忌家で、犬に囲ま霊た生活が死体なあ……」
ああ、犬に囲まれるだろうねえ、真っ白なスケルトン。ペロペロ、ガジガジとな、君、自分がカルシウムの塊だって自覚あるのかい?
「人の役に立ちたいんですよ。助けたいんです、命を」
そんだけ包帯持ってたら、看護師になるといいよ、マミー。先にスキンケアだぞ? まず自分の乾燥肌を直そうな?
「ワタシ、特殊な性癖でその、BL……ボーイズラブに囲まれて生きたぃ……」
腐ってたー、腐ってたねー、ゾンビは。ところでそこのスケルトンとマミーでも妄想しちゃってるの? はあ、腐臭漂わせたミイラ男の包帯プレイで襲い受け? 骨野郎のわんこ萌え?
部屋中が振動する。
ああ、はいはい。ファントムか、君もいたね? 何、不動産でひと山当てたい? うんうん、このファンタジー世界の土地は広大だからねえ。目指したまえよ、不動産王。ってか、幽体の君が土地に憑いたら、それ地縛霊だからねっ?
いきたい、生きたい、行きたい、逝きたい!
アンデッドモンスター達も、来世に希望を見出したようだ。そろそろ頃合いか、吾輩、パジャマを腕まくり。
「そろそろターンアンデッドといこうか?」
アナスタシアが、パジャマの裾をちょいちょい引っ張る。
はい? ああ、そうか。うん、確かに、神聖魔法の分野だけれども? そもそも、吾輩、神など信じていないけれども? 擬似的に構築して、特殊な形で再現して差し上げましょう? ってわけさ。
「ん」
納得したアナスタシアに、他のメイドを叩き起こさせ、連れて来させた。
「アンジェには、聖歌と、お迎えの天使役を頼もう!」
「メル、書庫から聖書を持ってきたまえ!」
「ティーナには、癒やしと浄化の水で聖水を作ってもらう!」
「デルフィはブレスで、火葬の準備!」
ふわぁ~あ……
寝惚け眼を擦りながら、彼女達のあくびが重なった。
さあ! 盛大に送ってやろうじゃあないかっ!
夜の闇に、天から光が射す。
吾輩は、無口な吸血鬼に、そっと耳打ちした。
「ん」
色白の頬を紅潮させて、彼女は強く頷いた。
「こういうのは、気分だから!」
「ん! ……ま、おう、さま……じょう、か、を……!」
もう一度ぉ! お腹に、オーラのちからを溜めてえ!
「魔王! さまあ! 浄化! をををををををををををををををををををををををををををーっ!」
「はい! きたあっ! 『オーラロードが、開かれターンアンデッドーッ!』」
恐れるな、生を。悲しむな、死を。煌めく命の光を世界に還す。
逝って良しッ!
迷える魂達を見送ったメイド達、睡魔に襲われ、もう限界。
「眠いですう……」
「遅くまで、調べ物をしていたんですけど……」
「睡眠不足は、お肌の大敵です……保湿保湿……」
「魔王ちゃんが、寝静まったら、襲おうと思ってえ……」
ぽふっ! と、吾輩のベッドに倒れ込むメイド達。一人、物騒な事を口走っていたが。
「あ……」
元は王族用の大きな寝具だが、さすがにこの人数だ。
アナスタシアは、どうしよう? と吾輩に戸惑いの表情を向ける。
「いいんじゃないかな?」
でも、と視線が訴えてきた。
「もうすぐ朝だ」
「ん」
吾輩、吸血鬼の背中を軽く押してあげる。
陽が昇る。
吸血鬼だって、おねむの時間だ。
ああ、そう言えば、満月時以外の彼女を見たものは誰一人いなかったか。目を覚ましたら、正式に紹介しなければいけないね。
しかし、普段は棺で眠る吸血鬼というのも物好きな寝床を選ぶものだ。
「吾輩、そんな狭いとこで眠るのは、御免被るよ」
互いの命の温かさに包まれ、身を寄せ合う五つの眠り姫の寝顔に、吾輩はもう一度「おやすみ」と呟くのだった。
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