第7話 魔王さまとスライムさま
スライムがあらわれた!
どうする?
コマンド たたかう まほう にげる どうぐ
たたかう かいしんのいちげき!
スライムをたおした!
せんしは1のけいけんちをえた!
「えぇ? 強くして下さい、だって?」
「ピィ!」
スライムが城壁を這い、煉瓦の隙間を縫い、この玉座の間まで忍び込んできたかと思えば、何を言い出すやら。どろどろねばねばべとべと、青と緑をぐちゃぐちゃにかき混ぜたような軟体を大きく波打たせる。
本来は、ビーストテイマーと呼ばれる猛獣使い系のスキルだが、吾輩は擬似的に魔力で再現してスライムと意思疎通を図る。吾輩なりに、スライムの言い分を要約するに……
雑魚狩り、レベル上げ、初心者の糧になるのはもう嫌だ! 弱いのがいけない、強くなりたい! 強くなって仲間を守りたい! ボクたちは、雑魚モンスターじゃない! ボクたちは、経験値1じゃない!
「……なるほどねえ」
吾輩は頭を掻きながら、手の平に魔法の世界図を表示する。
「えーと、君らの生態分布で絞り込んで、っと、あぁ、確かに始まりの地と呼ばれる辺り。少し生態系崩れてきているなあ。割と、ここはバランス取れてたはずだが……」
「ピー! ピーッ! ピイィッ!」
「あー、五月蠅いなあ、もう」
世界図を消し、向き直った吾輩は、たっぷんたっぷん飛び跳ねながら奇声を発するスライムに辟易しつつ、鼻から大きく息を出した。
「あのなあ、スライム? 確かに、まあ、君らは序盤も序盤、ともすれば冒険者が最初に出会うモンスターかもしれない。初心者を脱した者たちからは相手にすらされないが」
それは、何故か?
弱いからだ。大作RPGのマスコット的キャラクターなのも。デザインからして愛くるしいのも。肉まんにされるのも。からあげにされるのも。そう、何もかも弱すぎるからだ。加えて経験値も少ない。まさに、時間の無駄。
「弱いから、もう相手にされない。だから、生態系を保っていられる。逆に強かったら、狩り尽くされるかもしれない。強さにも、弱さにも、世界にとっては意味があるのだ。いいかい? 生まれを呪う輩に貸す力など、吾輩は持ち合わせていないよ。そのように生まれたからには、精一杯生きるんだ。努力を忘れ、都合の良い力に縋るなんてのはだね……」
「ピイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイーッ!」
「えぇ? 第三話でスライムを改良していたじゃないかってえ?」
えぇ? 第三話で? 大事なことなので。忘れたみんな! 今すぐ第三話を見返してみよう!
「チイィ、あれを伏線に持ってくるとはメタいことを。いや失礼。ふむ……まぁ、少し生態系にも変化の兆しはあるし……一匹くらいなら、バランスブレイカーにはならない、か?」
スライムがうっすら明るい青緑色に色付く。嬉しい色らしい?
「よかろう! 吾輩の研究室に行こうじゃあないか!」
「ピ!」
魔王さま! ありがとう! 大好き!
床を跳ねたスライムが、ばっしゃあ! と吾輩にその軟体をぶつけてくる。
どろどろねばねばべとべと。
「……あの、気持ち悪い感触なので、離れてくれるかな?」
場を移しまして、魔王さまの魔法研究室。
「ようこそ、邪教のお館へ!」
「ピ?」
「ああ、すまないね、気分だよ、気分。今後ともよろしく!」
吾輩は幾つかの術式とマテリアルを用意し、付与魔術――エンチャント――の魔方陣をスライム中心に敷く。
「とは言え、スライムを強くするとなると……スキル継承とか、属性変化とか……」
「ピピピィ!」
「そうだね。合体して巨大化したものや、硬質化や逃げ足に特化したのもいたねえ。いや、そもそもね? スライムってのは、本来、物理攻撃に関しては非常に厄介な存在で……? ああ! その線でいくか」
別に防御力が高ければいいってわけでもない。HPやMPの概念も捨てよう。生命力がゼロになるから死ぬのだし、魔力が枯渇するから存在維持に関わるんだ。削れるものは極力削ってしまえばいい。極性再生の核、いや、増殖して厄介なことになるな。となると、修復機能か。
「よし、この術式でいこう。マテリアルと合体だ! 準備はいいねっ?」
「ピーッ!」
って、あ、あれえ? 合体事故おぉーっ!? (一定確率で発生)
魔法研究室は白い煙に包まれ、スライムの姿を覆い隠す。
「けほっ! くっそ、マテリアル同士の相性が悪かったかな? スライム! スライム?」
煙も消え、光を失った魔方陣の上に、スライムの姿は無かった。
アンジェはコーヒーミルに豆を入れ、優しくゆっくりレバーを回す。細かく砕かれた豆に、沸騰してから少し経ったお湯を注ぎ、抽出しながら静かに、静かにコップに注ぐ。
アンジェはこの香りが大好き。魔王さまと同じ香りだから。
「?」
白く粘度の高い液体が側にこぼれている。
ミルクなんて使っていない。魔王さまは、いつだってブラック派だから。
その白い雫は、ぷるぷる震えて飛び跳ね、アンジェに向かってきた。
「な、なんなんですぅかあぁっ!?」
書庫にて、メルは貴重な書物や巻物を整理しながら目録を作成中だ。
何しろ、あの魔王ったら、ずぼらなのである。
(ったく、必要なときにどこに置いてあるか分からないんじゃ、役に立たないでしょうに)
目録帳に走らせる筆の墨が切れてしまった。
机に歩み寄り、墨入れに筆を浸すと……白い。白い?
「え?」
筆から、ねっばあぁと、糸を引き、キラキラと僅かな明かりを反射する。
あ、これ、あかんやつや! と察しの良さを発揮し、エルフは一目散に書庫を飛び出した。
「あ! 主殿ぉおーっ!?」
洗濯って素晴らしい! 汚いものが綺麗になるんですもの!
ティーナは、皆のメイド服を集め、水の精霊で作った球体の中に放り込む。魔王さまのマントや衣服は別、だって黒いから色落ち、色移りしてしまうんです。
(え、加齢臭? 加齢臭がいけないの? 思春期の娘の反抗期なのっ!?)
何か、良く、分からない涙の訴えを受けた気がしますけれど、やっぱり、良く分かりません。
「驚きの白さ! ……あ、あれ? 何か、白過ぎるような気が致しますけれど……」
水の球体は流れのままに汚れを落としていくはずが、白く、白く、濁っていく。
その中でメイド服は溶けて消え、糸の一本、繊維の一筋まで残さない。
流水の中で白い液体は、ぶくぶく泡立ち溢れて弾ける。
「あ、あぁーれぇえーっ!?」
「「「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああぁーっ!」」」
轟く、か弱き三つの悲鳴。
門番、デルフィは、暇潰しに城内をぶらついていた矢先、声の方向へ駆け出す。おい、門番はどうした?
メイド三人が、スライム一匹に追い立てられ、デルフィに助けを求める。
(は? スライムゥ?)
何で、雑魚中の雑魚が。気になるのは、あまり見ない白いスライムってことくらいだが。
「ま、いいや。ほら、後ろにおいで!」
メイド達とすれ違ったデルフィは、しなやかに歩み寄り、スライムを踏み締める。ドMが見たら「ありがとうございます!」と上気した顔と荒い息で歓喜の声を上げそうな、それはそれは見事な御御足による踏み締めである。
「ちょっとお、なに? こんなんに遅れを取るようなアンタたちじゃ……いっ!?」
靴底が白い煙を上げ、溶け出していることに気付いたデルフィは、素早く片方の靴を脱いで飛び退った。
「へえ、生意気ぃ。新種か突然変異か……それとも魔王ちゃんの嫌がらせ?」
デルフィは力を抑えるだけ抑え、人差し指だけに一点集中、スライムに近寄りデコピンする。
その衝撃に軟体を弾けさせ、スライムは周囲に飛び散った。
「うわっ! っぷ! やだあ、もう……」
粘度の高い白い液体が、デルフィの顔や髪や衣服にもかかり、それはもうひどいことに。スライムの話である。
どろりと鼻にかかり、つうっと頬を伝い、ぷるぷると唇の端に溜まり、苦そうに出された舌から垂れて、指の間で糸を引き、露わな太腿にぽたりと落ちる。スライムの話である。
「デルフィ! それじゃ駄目なんですっ!」
「服! 服が! メイド服っ!」
「溶けてますう!」
振り返れば、確かに三人ともメイド服が穴だらけだ。
ティーナに至っては、下着まで見えて半裸に近い。まあ、人魚だからあまり羞恥を感じてはいないようだが。
状況を理解したデルフィは、勢いよくメイド服を脱ぎ捨てると下着姿のままオーラを全身に迸らせ、身体に付着したスライムを吹き飛ばす。玉のお肌に傷は無し、どうやら衣服にのみ反応しているらしい。
「あんたたちぃ? 魔法は試したあ?」
物理攻撃が無効なら、魔法攻撃が定石だろう。
メルとティーナが、アンジェの左右の腕にまとわりつきながら何度も首を縦に振る。
(うーん、特定の属性でしかダメージを受けない? いや、呪い系かも……あらゆる物理・魔法に耐性を得る代わりに簡単に倒す方法がある?)
呪いというのは、つまり世界と自分と対象との取引でもあるから、このスライムの強さがその類であるならば、当然、世界の理を外れる竜の力を使えば問答無用で倒せるが……
(スライム如きに、癪よねえ……確実にこのお城吹っ飛ばしちゃうだろうし)
で、そのスライムはと言えば、バラバラに飛ばされた欠片同士が床を這い、一つにまとまろうとしている。
「メルゥ? 再生核がどっかにあるんじゃない? それを潰せば……」
「その核はどこにあるんですかっ!?」
「えへへ、分かんなーい」
エルフと人魚は、イッラァと眉を吊り上げ、口をへの字に曲げる。
天使は、竜につられて「エヘヘ」と笑う。
とうとうスライムは元通りに修復され、大きく波打ち、今にもデルフィに飛びかかる勢いだ。
「こうなりゃ、城ごと……!」
「それは困るね」
竜気を纏い、身構えたデルフィを制し、スライムとの間に転移してきた魔王さま。
「オマエも調子に乗るな」
吾輩は指先の感触の悪さを堪え、スライムをひょいとつまみ上げる。
「魔王ちゃん、マントと服、溶けてるよ?」
「うん、だから?」
「え?」
スライムに接触した衣服とマントが白い煙を上げながら溶け出しているが、吾輩は気にせずに解析――アナライズ――を始める。
「ふーむ、合体事故の結果は、と……色素が抜けてるな。あ、自己修復スキルの核も溶かしちゃって細分化してる。威力が低くても広範囲の攻撃で一撃だな、こりゃ。単体攻撃に関しちゃバラバラにされても元通りか。ははぁ、攻撃スキルがまったく無いぞ? これ、実に面白い!」
攻撃スキルが無い。繰り返す。攻撃スキルが、無い!
「ピピィ!?」
「そうだよ、スライム。今の君には、攻撃方法が無い」
つままれたままのスライムは、不満そうに波打ち、抗議の飛び跳ねを繰り返す。
「なあ、スライム。君が強くなりたいと思った最初の気持ちを思い出してみたまえ」
「ピ?」
「怒りか? 憎しみか? 強い力に依存しても、いつか、必ず、より強い力によって潰される。そもそも君は、相手を倒すのが目的だったかね?」
仲間を守りたい。
「今の君なら、充分、それが可能だと思うが?」
吾輩の手から離されたスライムは、床でゆっくりと波打って、納得したらしく、おとなしくなった。
「魔王さまあ、そのスライムさんは悪い子ですかあ?」
「いいや。とってもいい子だよ」
「主殿、衣服が溶かされたのですが?」
「うん、真っ裸にされたら、相手も戦意を失うだろう? 繊維だけに」
「あ、あのう、飛びかかってこられたんですけどお……」
「いて! やめ、メル! 痛っ、うん、まあ、ダメージは無いし、気持ち悪いくらいかな?」
「へえ~え、で、これ、魔王ちゃんが造ったのん?」
「まあ、造ったってか、頼まれた、ってか……あれ、君ら、なんか、半裸だね?」
メイド達の冷たい視線が、まるで石化の力を持ったかのように吾輩を撃つ。
「あ、いや、事故、これは、不幸な、一定確率で発生するう……」
ボロン、不幸な事故。
スライムによって溶かされていた吾輩の衣服とマントが一気に崩れ落ちた。
「あ……えー……ば、馬鹿には見えない服を、着ております。吾輩」
いやん、裸の魔王さま。
ぎゃふん、ぼこぼこの魔王さま。
せんしがあらわれた!
どうする?
コマンド まもる かばう にげない あきらめない
せんしはにげだした!
スライムはけいけんちよりもだいじななにかをえた!
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