第2話 魔王さまとエルフさま
「魔王さまあ、お腹空きましたですう」
私室で静かに読書をしていた吾輩は、口をへの字に曲げ、扉を開けた紺色のメイド服をじろりと睨み付ける。
赤子か廃人かという状態から世話をし、何とか会話を出来るレベルまで(と言っても言葉遣いは若干おかしいが)回復、いや成長か、をした天使ちゃんは、お腹を両手で押さえ、気恥ずかしげに顔を伏せ、上目遣いに瞳を潤ませる。
「……」
グウゥーー!
腹の虫は正直で、黙ることを知らない。
「はあ……」
まさか天使が地上界で存在するのに、こんなに燃費が悪いとは……
溜息も出よう、城の食料庫は既に風前の灯火だ。
基本、魔法生命体であるからして、魔力さえ供給出来ていれば苦労は無いのだが。
が、地上界には、そんな純度の高い魔力を備えた物質は……なかなか無い。ミスリル銀を食わせるわけにもいかない、鉱物だから。
(いっそ好物だったら良かったのに……)
少女の身体をベースにしているようだから、人間らしい食事を可能とする。その生命活動を魔力に転化しているのが現状だが、如何せん転換効率が悪すぎる。
(吾輩から魔力供給を直に行うって手もあるが……)
エナジードレインを逆に応用すれば良い。
「ん~、それも、一時的な問題解決だなあ……」
存在維持の消費に回されるだけで、魔力の補給とまではいかないだろう。
純度の高い魔力か、大量の食物。
圧倒的に後者の方が楽だ。
「アレの分け前を少し貰うことにするかなあ……」
結論は出たが、今はこの娘の空腹を何とかせねばなるまい。
「おいで。魔力を注入しよう。それで当分は凌げるだろう」
「あいっ♪」
パッと花咲くような明るさの笑顔を取り戻して顔を上げ、小走りで駆け寄ってくる。
可愛い。天使か! ……天使だけど。
魔力の注入には、身体的接触は不可欠だ。
お互い向き合って、手と手を握り合う。
「いいか? いくぞ……」
天使は頬を染め、無言で頷く。
あれ? 何か、変な空気が流れ始めたぞ?
吾輩の身体はホムンクルスだから、そこに溜め込めるだけの魔力しかない。使用した魔力は、別次元に封印してある本体から補充すればいいわけだから、いいんだけど。
「あっ……!」
肩を竦ませ、甲高い声を上げる。
「おい、待て! そんな声上げる必要あるか!?」
天使は唇を戦慄かせ、両目をぎゅっと閉じる。
「入って……! 入ってくるですうぅっ!」
熱い吐息。
「魔力だよ! 魔力が、だよねえっ?」
乱れる髪。
「痛っ……!」
腰を引き、太腿を震わせる。
「え? や! あれ? 初めて? だっけ!」
首を振り、睫毛を上下に揺らす。
「手が……」
あ、ああ、吾輩が強く手を握り締めてたせいか。危ない危ない。
「しゅ、しゅごいれすうぅ!」
魔力がだよね? そうだと言ってえぇ! お願いだからあ! 何でもしますからあ!
「あ、今、何でもします、って言いました?」
「ん?」
「ん?」
そこに、エルフの女性が一人。
「あ、どうぞ。続けて下さい」
「あ、はい」
ん?
んん??
吾輩は天使の手を弾くように離すと、彼女を指差し、言葉を絞り出す。
「ど、どちらの、エルフさま?」
「えー、闇の森に住まうという魔王は、年端もゆかぬ娘を、手籠めに……」
「待て、待て! 待てぇー! いや、待って、待って下さい、待って、頂けませんでしょうか?」
「ええぇ?」
紙の書物と墨に濡れた筆を止めたエルフは、不服そうに口を尖らせる。
「だってえ、これえ、魔王さまでしたっけえ? まずいですよお? 事案ですよお? これえ」
事案? 初めて耳にする言葉だが、死の宣告のように、何故か恐ろしい響きだ!
しかして、見るに、あの、にやにやした、なんっていうの? 耳を上下にピクピクさせた、ドヤ顔?
(何っだろおう……! このエルフ、すっげえぇ、何だろう?)
「れ、歴史家と言った、か、かね?」
薄汚れ所々解れた旅の装束に身を包む彼女は、物凄く、晴れやかで、ぶん殴りたいほどの、笑顔!
「はい、永遠にも等しい寿命のエルフが世界に残すもの、それを考えたときに、私は、歴史の編纂こそ、その使命と悟ったのです」
言ってることは、成る程、至極、真っ当な。
「な、ぜ、こ、の、し、ろ、に!?」
落ち着こう。
城の周囲は、人間共に闇の森と呼ばれているくらいだ。
そこに棲まう獣や魔物、狂った精霊に、敵対しあう亜人種たち。
方角を惑わす迷宮の魔力、異世界より施した鬼門より、奇門遁甲の陣をも施している。
それらを退けて、この城に辿り着いた?
だとしたら、かなりの手練れだ。
「わたくし、古の森より参りました、メル、と申します」
メル?
「ほぉう? 真名は、メリュジーヌか、メルツェーデスかね?」
牽制してみる。
「えぇ、遠からずも、っと、言ったところです」
メルは懐から、眼鏡を取り出し、身につける。
「……何だね? それは」
「いえ、別に。珍しいかと思いまして。視力の衰えたエルフなど……」
「……」
「……」
無言で睨み合うこと暫し。
「ところで、魔王さま?」
眼鏡の奥の真摯な瞳に炎の精霊にも似た光が宿る。
「わたくしたち、どこかでお会いになったことは?」
「広い世界と長い年月だ。どこかで会っているかもね」
「……そう、ですか」
肩を落としたように見えたエルフ、メルは、一瞬唇を噛み締め、そして顔を上げると昔話を始める。
「かつて、エルフの森より盗み出されたものが二つ、ありまして」
「ほう、それは?」
「世界の運行を担う、器と呼ばれる存在」
「して、もう一つは?」
「健気なエルフの恋心、でしょうか?」
「ふうん……」
興味なさげな返事に、しんと張り詰めた冷気が宿る。
「わたくし、調べました」
何故、この娘は、今にも泣き出しそうなのだろう。
「近隣の村に滞在して、魔王城に至る道を! 誰もが、止めました! 行くな、止めろ、命を粗末にするものじゃない!」
頭を振る。
「ですが、その理由を明確に言える人なんて、いませんでした! あそこには、魔王がいるから! それだけですっ!」
両手を拡げ、金色の髪を振り乱す。
「では、魔王が何を? その問いに答えられる人は! 誰もいないっ!」
蒼く澄んだ瞳が、心の臓を射貫く。
「何故です? それだけの悪名を得ながら、実害となると! 誰も言えないっ!?」
眼鏡がずれ、鼻先にかかっている。
「これ、大事な人から貰った物、なんです」
眼鏡を押し上げる。
「……貴方は、何なんです……?」
「魔王、と、呼ばれているね」
乾いた笑み。
「この世界に、魔王なんて、いません……!」
流れぬ涙。
「メル……」
「謝ります、ごめんなさい。でも、もしかしたら、貴方は、その真名は……!」
グウゥーー!
しくしく。
(あぁ、魔力供給も中途半端だったものな)
何とも情けない顔で、申し訳なさげに俯く天使の少女。
「ときに、メルよ。食事はお済みかね?」
「え、いえ」
自然に回帰し、世界に帰依した存在とはいえ、肉を得て世界に命を宿したからには、食わねばならんだろう?
さあ、飯だ! 飯だ!
それ以上に、生ける者に必要なことなどあるだろうか!
「あのう……?」
食卓に着いたエルフ、メルが問う。
「メイド、とは……一体?」
上座に座った少女のご機嫌を伺いながら、食事の準備をする吾輩。
「え?」
「メイド長とか、料理長とか、は?」
「なに、それ? 美味しいの?」
エルフの長耳が、揺れる。
「彼女は何ですかっ? メイド? メイドさまですかっ!」
吾輩は、肩で戯けてみせる。
「……手伝います」
「助かるよ」
パンや肉やスープの皿を並べて、魔王の前のコップに気付く。
「それだけですか?」
「それだけでいい。君らも故郷の森にいるぶんには、水や光の精霊たちの加護で食事などあまり取らないだろう?」
植物と揶揄される由縁だが。
「泥水ですか?」
杯の中身は黒い液体。
「失敬な。珈琲と呼ぶものだ」
「はあ」
「まだ大陸には流通してないかな、まあそのうち……」
「ふうん……」
「な、なんだ?」
卓に並ぶ食べ物を次から次へと平らげていく天使を余所目に、エルフは含んだ笑みで魔王を見る。
「どうやら、魔王さまにおかれましては、世界を随分とご存じの様子」
「そ? そりゃまあ? 魔王なんて、呼ばれちゃう? くらいだし?」
ちょっと照れちゃう。
「引きこもりのくせに」
「おい、くせに、とはなんだ」
一転、不機嫌。
「貴重な蔵書も、随分と貯め込んでおられるのでしょう?」
「ま、学ぶ時間だけは、腐るほどあったからね」
あ、やばい。のせられた。
「世界の歴史を調べるにおいて、ここ、絶好の場所なんじゃありません?」
吾輩、嫌な予感。
「わたくし、決めました」
「メイド服を一着、お貸し頂けます?」
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