魔王さまとメイドさま

おおさわ

第1話 魔王さまと天使さま

 魔王さまっ♪


「あっ!」


 吾輩は、世界の真理に至る究極にして根源たる、その事実に気付き、打ち震えた。椅子を勢いよく蹴り飛ばし、机に両手を叩き、何度も何度も首を振る。

 何と言うことだろう。

 本当に、何と言うことだろう。

 もし、仮に、これが事実、否、真実だとして。

 その神秘に触れる者が、行き着く先が、その丈の長さと仮定するならば。


「ヒトは! 世界は! あらゆる艱難辛苦を乗り越え、そこに幸福を求めることが可能となるだろう……っ!」


 ああ、それこそが世界平和。

 紆余曲折を経た……

 例えば、おっぱいのサイズ。

 大きい?小さい?

 馬鹿か阿呆か、何を吾輩は無駄な時間を費やしたのだろうか。

 おっぱい。

 それを愛せよ。

 小さいおっぱいも好き。大きいおっぱいも大好き。

 それで、誰もが救われる。

 おっぱいに貴賤はなく、おっぱい、それだけでヒトは、おっぱい。

 例えば、お尻のサイズ。

 うん、毎日スクワットをやろう。

 一日、一五回。

 可能なら、十回三セット。

 これでサンセット。

 君達の未来とキュッと引き締まったお尻に朝陽は降り注ぐ。

 しりしり、おっしり。しりしり、おっしり。


「はっ!?」


 いや? いや! そうだろうか? 違う!

 胸とか尻とか、生物的哲学的身体的特徴ではなく。

 文化だ。


「ヒトは何故、衣服をまとう?」


 身に纏うことで、己の役割を知るからだ。


「吾輩! 何と愚かなことよッ!!!」


 ひらひら揺れるスカートの丈に、目を奪われた。

 そうだろうか? うむ、仕方ないことではある。

 だが! しかし!

 惹かれたのは、その中身ではないか?

 そう、あのデルタ、三角形。

 おパンツ。

 ちらと見えるその瞬間に、神の刻む秒針があると信じた!

 青かった。

 若かった。

 愚かだった。


(見える。見えない。では、ない)


 見えないものが見えたから良かったのだ。

 はなから見えるように作られていてはいけなかったのだ。

 秘すが花。

 見えてもかまわない?


「神をも殺す、所業!」


 見、せ、パ、ン、っ、て、こ、と、ば、を、せ、か、い、か、ら、け、し、さ、っ、て、も、よ、ろ、し、い、で、し、ょ、う、か?

 つまり!


「ああ!」


 目を瞑る。


「あああ!」


 頭を振る。


「あああああ!」


 耳を塞ぐ。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 声を上げながら、衣装部屋に向かう。

 そう。

 知っていた。

 分かっては、いたんだ。

 ただ、お尻のラインとか。

 風に揺れるスカートの裾とか。

 屈んだときに見えるパンツとか。

 そんな、まやかしに、吾輩は、惑わされていた。

 クローゼットの扉を開ける。


「メイド服は! ロングスカートこそ! 至高っ!」


 即座にアンチテーゼが浮かぶ。

 絶対領域。

 確かに! 確かにいぃぃぃぃっ!


「ふ、ふふっ、ふふふ!」


 絶対なんて言葉は、絶対に、無いのだよ。


 大きな揺れに、吾輩は我に返る。

 何だ!?

 玉座の間の方だ。

 立ちこめる白煙。

 崩れ落ちる黒い煉瓦。

 何者かが天上より天井を突き破って飛来した!?


「な、な! にゃにものかっ!」


 噛んだ……恥ずかしい。


「?」


 その何者かは、四つん這いのまま、顔を上げる。


『ウウゥ……!』


 まるで獣の唸り声。

 しかして、その身はヒトの姿だ。

 だが、放つ魔力の量は、尋常ではない。

 魔法生命体。

 つまりは、天使か悪魔か。

 崩れかけた片翼の羽、反転しそうな天使の輪。

 堕天使の類だろうか?


「神の怒りにでも触れたか?」


 身に纏う衣服もなく、傷付き擦り切れた肌の上から、天使の光の羽が舞う。


『アァーーッ』


 天使の詩。

 物悲しげな旋律が、力と為って世界に及ぶ。


「させんよ」


 左手、それだけの動作。


『世界停止』


 世界の理に触れ、時の運行を止める。

 動きを止めた天使に、歩み寄り観察を続けた。


「ほぅ……これが呪歌か。世界の法則を超えるとは聞くが」


 魔術的な障壁では、防げない類のものだ。空間を断つか時間を止めるかの二択が最善だろう。

 無防備にこれを受けていたら、この世界から消えていたかもしれない。


 呪歌。

 文字通り、歌に宿る魔法。


 まれに人間にも顕現するとは聞くが、天使の呪歌は初めて見た。

 そして、この天使。栗色の髪と瞳、小さな顔、長い睫毛、華奢な肩、細い手足、くびれた腰回り、肉感ある太腿。

 少女? 天使は本来、雌雄同性が基本ではなかったか?


「んん? しかし、なんて、不安定な音と式だ。これ、もしかして……」


 人造か? 少女の身体をベースにした、紛い物の天使。

 時の牢獄に囚われ、身動きもとれない、裸の少女に歩み寄る。


(泣いているじゃないか……)


 おっぱいも、おしりも、目に入らない。

 その瞳に、涙があるから。


「苦しい理に、縛られることはないのだよ?」


 神の力を放出する翼にリミッターを。

 壊れかけた天使の輪を、封印。

 これで、地上界でも安定するだろう。


(さぁ、産声を聞かせておくれ)


 魔力は安定し、翼の光の出力も、輪っかの暴走も止まる。


「あ……」


 その第一声は……

 グウゥーー……!

 お腹の虫だ。


「はっ!」


 吾輩は、天井より覗く快晴の空に笑い声を飛ばす。

 生きているんだものな!

 お腹も空くよなっ!

 よろしい、食事の準備をしよう。


「ところで、君!」


 裸の少女に、紳士だから真摯に訊ねる。いや、これ、大丈夫か?


「メイド服は、お好きかねっ?」


 記憶も無い。言葉も知らない。赤子同然の堕ちた天使を保護しようというのだ。

 べ、べべべべ、別に趣味と実益とか、そんなんじゃないし!

 慈善事業に見せかけた、営利目的とか、じゃないし!

 他に、服も無いし!

 えー、君、改めて、おっぱいもおしりも、なかなかいいね?


「あ」


 タイムリミット。時が、動き出す。

 詩が響き、光の翼が羽ばたく。

 天使の力が、世界に降る。


(呪歌を無効化するの、忘れてたっ!)


 光は白く色を失い、質量を伴う声量が溢れる。


(やっべ……!)


 一回死んだ。


「いやあ、失敗失敗」


 次の身体に魂が転送され、固定される。


「長年、ホムンクルスに魂を容れていると、危機感ってものが薄れていかん」


 天使ちゃんに衣装室から持ってきた紺色のメイド服を着せてやり、頭をぽんぽん軽く叩き、頬をそっと撫でてみる。


(無反応か……)


 瞬きと呼吸以外に、生命の活動を確認する術は無い。

 グウゥーー!

 訂正、もう一つ。


 人口生命体に魂を容れて、どれだけの時を過ごしたろう。食事なんて、いつ以来だろうか。何せ、腹さえ空かないのだから。この成長しない身体は。


 火山より飛来する劣等種の竜だって腹は減る。

 未開の地より略奪を行う蛮族だって腹は減る。

 山岳地帯のドワーフ達に追いやられた亜人種だって腹は減る。


 そんな周囲の状況にも関わらず、何故に、この村は存続しているのか。


 大陸の南西、闇の森と呼ばれる地域に、一つの居城あり。吸血鬼の真祖の伝説も未だ語り継がれる城である。

 村人はこう呼ぶ。


 魔王の住む城、と。


 だって、そうだろう。


 ゴブリンやコボルトの侵略の際には、五月蠅くて眠れないと、広範囲魔法で殲滅。

 蛮族の略奪行為には、胸糞悪いと即死系魔法を連発。

 レッサードラゴンには、久し振りに腹が減ったと、真っ向から火炎魔法で向かっていく始末。


 なんて! 恐ろしい! 魔王がいたものかっ!


 近隣の村々は怯えながら、しかし何故か、日々の生活を、安心しながら暮らしているのである。


 魔王?

 好きに呼べばいいさ。

 魔力に於いての王ならば、まあ、間違いでは無い。

 魔界の王とか、魔族の王とか、それならば訂正の余地はある。


 それから、天使と魔王の奇妙な生活が始まった。


 ヒトの身、少女の容姿を持っていても、中身は空虚な生体兵器。

 喜びに微笑むことも出来ず、悲しみに涙を流すことも出来ず、楽しげに駆けることも、怒って頬を膨らますこともない。

 無反応、無表情のまま、神の鎖から解き放たれた天使は、ただお世話をされるだけ。


 どれだけの時が流れたろう。

 開け放たれた窓から、陽気を乗せて風が流れ込んでくる。

 側で椅子に座らせた天使は、瞳を閉じ、髪をなびかせ、口を半開きのまま。

 

 詩が、聞こえる。

 心地良い陽気に混じり、季節の喜びを途切れ途切れの旋律に乗せ、世界を、生命を、己を祝福するかのように。


 吾輩は、そんなぎこちないけれど、耳に触れる幸福の時間に身を委ねていた。

 一瞬、天使の背中に光の羽ばたきが見え、瞼を瞬かせる。


 少女は、ゆっくり首を回し、瞳を細め、唇の端で頬を押し上げた。


「……あ、お、う……あ、あ」


 え?

 呼んでくれるのか?

 メイド服に身を包んだ、輪も羽も無い少女が、微笑む。


 吾輩は思わず腕組みを解き、腰を浮かせて息を呑む。


「魔王さまっ♪」


 神からも、悪魔からも、祝福などいらない。

 それは、天使の、彼女の、自らを世界に示す、産声の始まりだった。

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