雪ぼうし山の人
とおせんぼ係
第1話 深窓の王子さま
「――かように、死とは我々の逃れえない運命なのである。であるからして……聞いているのか、リト」
今日という日の空気を保存して、好きなときに取り出して味わうことができたなら最高だろうなと思えるような風の吹いている、春の日。夜明け前に上がった雨の残した瑞々しい匂いに混じって、早咲きの桜がほんのりと甘さを加えている。
若者はバルコニーに出て、胸いっぱいに爽やかな空気を吸い込んだ。色とりどりの小鳥たちが歌う空を見上げる顔には、自然と笑みがこぼれていた。窮屈な城の一角に居ながらにして、王子という身の上にありながらにして、どこまでも自由な瞬間だった。
「今日は良い日。今日は特別な日だ。先生もこっちに来てみなよ」
「はいはい王子様。……ん、気持ちのいい陽気だな」
本に囲まれた老魔術師の塔から出てきた男が、吹きぬけた風に長い髪を泳がせた。一見して青年のような風貌の内、琥珀色の瞳とたなびくまっ白に色の抜けた髪だけが彼の年月を物語っている。男は風に暴れる髪を軽くなで付けながら、そっと目を閉じた。薄くゆったりした服の胸が、ゆっくりと上下するのが分かった。
「そうだろう。先生も外に出たくなるの、分かるよね」
「いーや、それとこれとは話が別だ。お前には知識が必要だ。いずれその時が来たときに、道を過たぬようにな」
「……うん。わかってる」
そう答えるリトの声は、どこか沈んでいた。
「でも、もう少しだけいいでしょ。今日は本当にいい日なんだ。頼むよメトシェラ」
「……ふん、私はこれから調べ物をするから、その間だけならお前から目を離してしまっても仕方がないな」
不機嫌そうに丸めた羊皮紙で肩を叩きながら塔内へと戻っていく背中に、リトは小さく声をかけた。「ありがとう」と。今だけは魔術師の先生と生徒としてではなく、友人としてのリトの頼みを聞いてくれたことに感謝した。
「今日は特別さ……」
空を飛んでいた警戒心の薄い小鳥が、リトの肩にとまってさえずった。
雪ぼうし山の人 とおせんぼ係 @fly_me_to_the_Jupiter3
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