028

「スゥ、大丈夫かッ⁉」


 クロードは、スゥへ呼び掛けるが、その呼び掛けに対する返事は無かった。余程の精神的なショックを受けたことで、蛻の殻のようになっていた。今までの事情を知らないクロードは、より一層スゥを心配した。


「おい、スゥ。聞こえているのかッ⁉」


 クロードはスゥの両肩を掴み、真正面から向き合った。けれど、スゥは視線を下に落としたまま、クロードと向き合おうとはしなかった。そして、クロードは掴んでいた手からスゥが小刻みに震えているのを感じた。


「どうしてですか……」


 スゥは、小さな声でそう呟いた。


「何がだい?」

「どうして、私を助けたんですか……? 私を利用出来るからですか……? 私が可哀想だからですか……? 私が――」

「スゥッ!」


 クロードは、スゥの頬を叩いた。


「えっ……」


 スゥはその瞬間、頭の中が真っ白になった。


 一体、自分の身に何が起こったのか、それを理解出来なかったからだ。自分の頬を撫でながら、感じる熱さや痛みで、その時初めて自分の身に起こったことを理解することが出来た。クロードが自分の頬を叩いたのだと。


「どうして僕がスゥを叩いたか分かるかい?」


 スゥは、首を横に振った。


「スゥが皆に迷惑を掛けたからだ」


 皆に迷惑を掛けた。


 クロードの口からこの言葉を聞いたスゥは、フゥの話は本当だったんだと確信した。皆に迷惑を掛けたと言うことは、皆が自分のことを迷惑な存在だと思っている――そう言うことだと認識したから。


「クロードさんは、嘘吐きです。何が皆、家族ですか。私は、ずっと一人ぼっちじゃないですかッ!」


 スゥは、声を荒げて言う。


「どうしてそう思うんだい?」


 クロードは、頭ごなしに怒ろうとはしなかった。


 スゥの言い分も聞かずに、頭ごなしに叱るのでは、自分が何故叱られているのか、と言うその理由が分からないからだ。同様に、クロードにもスゥが何故あんなことを言うのか、その理由が分からない。


 つまり、スゥの話に耳を傾けることは、欠かせないのだ。


「だって、クロードさんも街の皆も、私のことが哀れで可哀想だから同情で優しくしてくれているんですよねッ! そんなの嘘じゃないですかッ! だったら、私は……」


「僕がそう言ったかい? 街の皆がそう言ったかい?」


 スゥは首を横に振った。


 クロードは、スゥにそんな話を一体誰が言ったのか――とは、聞かなかった。それは、そのことをスゥ自身の口から話させることで、そのことを思い出させるのを避けたかったからだ。


「それなら良かった」


 クロードは、安堵の笑みを漏らした。


「でも、皆に迷惑を掛けたって……」

「それは、間違いないよ。少し前に、レイとリナが店に来たんだ。その時に、スゥがまだ帰って来ていないことを知ったんだ。可笑しいと思ったから、街の人達にスゥを見てないか聞いて周って、皆で探し回ったんだ。そしたら、こっちの方で見掛けたと言う人が居たから、もしやと思って来てみたんだ」


 クロードは、スゥへ手を差し伸べた。


「さあ、帰ろう。スゥ」


 クロードのその言葉はとても温かく、優しかった。


 けれど、スゥはその手を簡単に取る訳にはいかなかった。どうしても、一つだけ聞きたいことがあったからだ。もし、今それを聞かなければ、今後それを聞くタイミングは来ないかもしれない。このまま、有耶無耶にしたくなかったのだ。


 だから、スゥはそれを聞いた。


「待って下さい」


 クロードは、スゥのその声に首を傾げた。


「クロードさんにとって私は、一体何ですか?」


 すると、クロードはスゥの質問に困る素振りなど見せず、即答した。


「僕の大切な家族に決まっているだろ」


 きっと、クロードは、そう答えてくれると信じていた。


 けれど、心の一番奥底で僅かながらも、もしかしたらそう言ってくれないのではないか、と疑う自分がいたのも事実だった。クロードを信じてはいたのだが、完全に信じ切れていなかったのだ。


 それは、フゥに惑わされた、と言うことも理由の一つとしてあったが、こうして二人だけで面と向かって、まじまじとクロードに聞いたことの無かったスゥは、もしかしたら、自分が勝手にそう思い込んでいるだけなのでは、と不安だったのだ。


 それでも、クロードは、家族だと言ってくれた。

 その安堵からか、自然と涙が溢れていた。


 スゥは、嬉しかったからこそ喜び、笑いたかった。けれど、自分の意思とは対照的に流れるその涙は、拭っても拭っても留まることをせず、気付けば声を上げて泣いていた。こうして声を上げて泣いたのは、いつ以来だったのだろうか。


 心を落ち着ける場所が無かった。

 心を許せる人もいなかった。


 スゥは、これまでの人生で多くのことに対して、誰に言われるでもなく我慢を強いられてきた。だから、草葉の陰で誰にも見られないように、一人こっそりと流す涙はあっても、こうして誰かの前で声を上げて、泣くなんてことは一度も無かった。


 一度も、だ。


 それは、自分が我慢さえしていれば、いつかきっと自分の居場所が見つかる――そう信じていたからだ。だけど、今こうして大きな声を上げ、泣いている。それは、スゥが自分の居場所はここなんだとしっかりと、はっきりと気付いた瞬間だった。


 そんなスゥをクロードは、優しく抱き締めた。


 ただただ、何も言わず、スゥが泣き止むまで――そっと、抱きしめていた。

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