021
「ふう。本を読むどころか、本に黄泉込まれそうになった」
魔女は、山のような本に埋もれていた。
スゥは、声にこそ出さなかったが、この人は本当に魔女なのかと疑いたくなるようだった。ローブを羽織るその姿は魔女らしかったのだが、クロードとそう歳の変わらない風貌や、気怠そうなその態度は、スゥの中に持っていた魔女像とは大分違っていた。
「紹介しよう。僕の親代わりで、名付け親の――姉のアンリエッタだ」
「宜しく」
アンリエッタは、無愛想に答えた。
「で、私が連れて来てしまった少年はキミだな。カレン君」
「えっ、あ、はい。そうです」
カレンは、事情の説明も自己紹介もしていないと言うのにそれらを知っているアンリエッタに驚いていた。それは、魔女だから――なのだろうか。そんな理由が成り立つのか些か疑問ではあったが、アンリエッタはそのまま話を続けた。
「何故、知っているのか、と言う質問なら聞くだけ無駄だ。ワタシが魔女だからだ。それ以上も、それ以下の答えも持ち合わせていない。無駄な時間を過ごすつもりは無いのでな、準備に掛かるぞ」
アンリエッタは、自分の不注意からカレンを未来へ連れて来たことを詫びる素振りを見せることも無く、過去へと送り帰す準備に取り掛かった。スゥには、態度の悪い人と言うより、変わった人と言う印象を受けた。
「ごめんね、スゥもカレンも。姉さんは、面倒臭がりな者だから、手間の掛かることは出来る限り手短にしたいみたいでね。ただ、気に入ったことに時間を割くのは気にならないらしいんだけどね。そして、性質が悪いのが、自分の失敗は絶対認めない頑固な人でね。まあ、気を悪くしないでね。悪い人じゃないから」
「はい、大丈夫です」
二人は、そう頷いた。
「クロードも手伝いな。そんで、アンタ達は今のうちに別れの挨拶でも済ませておきな」
アンリエッタは、チョークでクロードの錬成で使用していた敷布のような紋様を床に書きながら言う。そして、アンリエッタに言われてその時に初めて二人は気付いた。別れの時が近づいていると言う事実に。
暫く、スゥもカレンも目を合わせるも別れの言葉はなかなか出て来なかった。突然の出会いに突然の別れ。これからもっと一緒に話し、もっと一緒に遊び、もっと一緒に笑う。それだけで、きっと良い友達になれる――そう思っていた。
スゥとカレンは、これからだったのだ。
二人には、あまりに時間が少な過ぎた。
「私達、また会えるかな?」
スゥはボソッと言う。
「うん。きっと会える。僕が、ホライズンまで会いに行く」
カレンは、そう言い笑顔を見せた。
「そうだね。きっと会えるね。私もサンタフェリアまで会いに行きます」
二人から暗い顔は消えていた。
「これを預かっていてくれないかな?」
カレンは、一つの懐中時計を差し出した。
「これは?」
「この懐中時計はね、僕の父の形見なんだ」
「じゃあ、これは大切なモノじゃないですかッ⁉ そんな大切なモノ受け取れません」
スゥは、必至でそれを受け取るのを拒んだ。
「いや、だからだよ。だって、ボク等はまた再会するんだから。それまでボクの大切なモノを預かっていて欲しいんだ。その時にこれを返して欲しい。再会を誓う約束だ」
スゥは、ゆっくりと手を差し出した。
その手に、懐中時計は手に収まる程の小さなモノだと言うのに、見た目以上にズシリと重さを感じだせた。友達の大切なモノを預かると言う責任の重さなのだろうか――それは、スゥの小さな手にズシリと重く掛かっていた。
「また会える日まで大切にするね」
スゥの目は薄ら涙ぐんでいた。
その涙を拭いながら、自分にも何か再会の約束を誓えるモノは無いだろうか――そう考えていると、スゥはそれを思い出した。慌ててポケットの中へ手を入れ、オルゴールを取り出した。
「あの、私の大切なオルゴールも預かってくれませんか?」
「良いの?」
「はい。カレン君の懐中時計とオルゴールとを再会した時に交換しましょう」
スゥは笑顔でそう言う。
「別れの言葉は済んだか?」
アンリエッタは、興味なさそうにそう聞いた。
二人は、顔を見合わせ威勢の良い声で、はい――と、答えた。
「そんじゃ、そこへ立て」
アンリエッタは、奇怪な紋様の中心へカレンを立たせ、精神を集中させるように目を閉じ、呪文を唱え始めた。その呪文に呼応するかのようにその紋様は激しく光り輝き、視界を奪った。
そして、視界の奪われた世界で、カレンの声だけが聞こえて来た。
「スゥちゃん、短い時間だったけど楽しかったよ」
「私もです」
二人の笑い声が光の中から聞こえて来る。
「スゥちゃん」
「何ですか?」
「ボクは、スゥちゃんのことが大好きです。次に、再会した時に、スゥちゃんの返事を聞かせ――」
その声は、途中で途切れてしまった。
そして、目を開けられるようになると、そこにカレンの姿は無かった。アンリエッタの魔法で自分のあるべき場所へと帰って行ったのだ。スゥは、手の中に残された懐中時計を見遣った。
その声は、確かに途中で途切れてしまった。
けれど、カレンがスゥに対して、どんな気持ちで、何を言おうとしていたのかをスゥは理解出来る。それが、スゥと同じ気持ちだったからだ。次に、再会した時に私もちゃんと返事を返そう――スゥは、懐中時計を握り締め、固く決意した。
もしかしたら、カレンと出会ったこと自体が夢だったのかもしれない――スゥは今までのことを懐中時計を見遣ることで、あれは夢なんかじゃ無かったんだ、と確信することが出来た。
それは、夢のような本当だったからだ。
「あー、疲れた。ほら、用事済んだんだから帰った、帰った」
スゥとクロードは、追い返されるようにアンリエッタの家を後にした。
出会いと別れ。
生きとし生ける全てのモノに平等に訪れる瞬間だ。出会いは、勿論嬉しいものであり、別れは勿論悲しいものである。一日、いや数時間と言う短い時間ではあったが、その密な時間を過ごした人との別れは、スゥにとって初めての経験だった。
けれど、スゥは悲しくは無かった。
カレンと再会するのが――待ち遠しくて。
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