016


「行ってらしゃい」


「行ってきます……」


 スゥは、意気消沈しながらもクロードに頼まれたおつかいをする為に、手提げバッグを持ち、店を出た。レリウス商会へは、クロードの店から山頂方面へと少しばかり登らなければならない。


 と言っても。


 複雑な乗換えや、色んな店を周る必要も無く、ものの十分も歩けば着くような場所にあることを考慮すれば、おつかいの中でも割と簡単なおつかいだ――怖い店主がいることを除けば。


 店を出て、間もなく声を掛けられた。


「あら、スゥちゃん一人でお出掛け?」


カバ科のマーマリアンであるローラだ。


「こんにちは、ローラおばさん。クロードさんに頼まれて、おつかいに――」


「あら、偉いわねえスゥちゃん。一人でおつかいに行けるの?」


「いえ、おつかいに行くのは、今日が初めてです」


 スゥは首を横に振り、そう答える。


「そうなの。でも、初めてってことは良いことよ。二回目、三回目よりもやっぱり初めてってどんな些細なことでも思い出になるのよね。おばさん位になっちゃうと、初めてってあんまり多くなくなっちゃうし、あってももう、出来ないからね」


「どうしてです?」


 スゥは、首を傾げる。


「色々あるのよ。料理に、洗濯に、掃除に、子育てに――」


「はあ……?」


 まだ。


 スゥにとってそれを理解するには幼過ぎた。


 それは。


 年齢に伴って成長していく、人生と言う長い年月と経験の積み重ねの過程で学ぶことだからだ。それを、今ここでどんなに理解しようと努めたところで、理解出来ないのは当然のことなのだ。


「おっと、あんまり話し過ぎておつかいの邪魔しちゃ悪いわね。じゃあ、これあげるからおつかい頑張ってね。スゥちゃん」


「いえ、悪いので……」


「いいの、いいの。ほら」


「はい、ありがとうございます」


 スゥは、ローラから激励と共にリンゴを受け取り、手を振って別れた。貰ったリンゴを手提げ袋に入れ、再び歩を進めると、カンガルー科のマーマリアンであるテレジアが、八百屋の前で困った顔をしているのが見えた。


「どうしましたか、テレジアさん?」


「それが、うちの子供が熱を出しちゃって、リンゴを買いに来たんだけど、いつもならあるのに今日に限って売り切れみたいで……」


「リンゴ、ですか……。あっ――」


 スゥは、慌ててカバンの中からさっき貰ったリンゴを取り出した。


「あの、もし良かったらこのリンゴをどうぞ」


 悲しそうな顔をするテレジアを見て、自分も何か協力をしたい――そう思ったスゥは、迷わずローラから貰ったリンゴをテレジアに渡した。それをあげることで、こんな自分でも誰かの為になれる――スゥにとってそれが、何よりも嬉しいことだからだ。


「良いの? でも、スゥちゃんもリンゴが必要だから持っているんでしょ?」


「いいえ、偶々ローラおばさんに貰ったリンゴなので」


「本当に良いの?」


「はい、テレジアさんの方が必要ですから」


「ありがとう、スゥちゃん」


 テレジアは、スゥへ心の底から感謝しているようだった。スゥには、テレジアから言われた、ありがとうと言うその言葉だけで十分だった。それだけで、何となく自分も豊かになっていくようなそんな気がしていたから。


「それは、ローラおばさんに貰ったリンゴなので、お礼なら私じゃなくてローラおばさんに伝えて下さい」


「そうね、後でローラさんにも伝えておくわ。でも、もし偶然スゥちゃんがローラさんに遭って、リンゴを貰っていなかったら、私もスゥちゃんからリンゴを貰っていなかったでしょ? 時々ね、この世界はこれでもかってくらいに、偶然に偶然が重なるような時があるの。人は、それを運命と呼ぶのよ」


「運命ですか?」


「そうよ。だから、スゥちゃんがローラさんに遭ってリンゴを貰ったのも、ここでちょうどリンゴが無くて困っていた私の所にスゥちゃんがリンゴを持ってきたのも、もしかしたら運命で決まっていたのかもしれないわよ」


 テレジアは、笑顔でそう言った。


 あの時汽笛が聞こえたのも、列車に忍び込んだのも、クロードにお世話になることも、全部運命だったのだろうか。もしかしたら、獣耳を生やしていること自体も運命なのだろうか――スゥは、心の中でそう思った。


「だから、スゥちゃんにもちゃんとお礼しなくちゃね。大したものじゃないんだけど、もし良かったら、お礼にこれを持って行ってちょうだい」


「いえ、私は――」


「いいの、いいの。これは、私からスゥちゃんへのお礼よ。じゃあ、私は子供が心配だから、急いで帰るわね。ありがとうね、スゥちゃん」


 スゥは、一応断ったのだが、テレジアは聞く耳を持たず、子供が好きそうなモノをと、お菓子をくれ、テレジアは小走りで帰って行った。スゥの手元には、キャンディーだけが残った。


 スゥは、手の中にあるキャンディーを見ながら、ふと思った。


 ローラもテレジアも面識があったとして、一度や二度その程度だ。しかし、当然のように困っていたら助けてくれるし、当然のように困っていたら助けたくなる。この街は、互いに助け合う、協力し合うが当然なのだ。


 いつだったか、クロードの言っていた、ホライズンと言う大きな家で皆と暮らしている家族だ――と言う言葉を思い出した。家族か――スゥは、心の中でそう呟き、小さく笑みを溢した。


 言いなれない上に、言われ慣れないその言葉は、スゥを擽るかのようなむず痒さを覚えさせた。けれど、優しく温かいその言葉は、スゥの心の中に染みわたって行った。


 自分も家族の一人になっても良いんだな、と。


 なんやかんやと遭ったものの、クロードの店から十数分程度の距離しか離れていない、レリウスの店へとは、直ぐに着いた。ただ、着いたからと言って、直ぐにその扉を開けられる訳では無かった。


 扉を開けるのが困難な訳では無く、扉を開けたその先に、スゥにとっての困難そのものがそこにあるからだ。右往左往とレリウス商会の扉の前をウロウロとしていると、自分からその開けずとも、いきなり開いた。


 それは。


 その様子を店内から見ていたレリウスが、扉を開けたからだった。


「あっ……」


 スゥは、それ以上の言葉が出て来なかった。


 心の準備が出来ていたとして、どうこうなったとは思えなかったが、それでも心の準備が出来た自分のタイミングで行きたかった。けれど、そんなことを知らないレリウスは、優しさからなのか扉を開いてしまった。

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