005
汽車の汽笛が鳴り響く。
この列車が、目的地であるホライズンに到着した合図だ。
「さあ、降りるよ」
「はい」
貨物室から忍び込んで乗車したスゥは、乗車口から入ると言う本来の乗り方をしていなかった為、降車口にこのまま進んで自分がちゃんと降りられるのか不安だった。
ただ、切符はクロードが買ってくれたのだから心配する必要など微塵も無いのだが、貨物室に忍び込んだのは間違い無く事実であり、こっそり忍び込んだのがバレて、また追い掛けられるんじゃないか――スゥにはそんな不安があった。
だから、スゥは降車口に向かう時も、クロードのコートの裾を掴んだままくっ付いて行った。その引っ張られる感覚にクロードは振り返るが、スゥの不安がる様子を察してか、何も言わなかった。
一歩、一歩と進み降車口を抜け――そして、新しい土地へと足を踏み入れる。
クロードにとっては、特段新鮮味など感じる土地でも何でもないのだが、スゥにとってはそれは違う。何か一つ取っても新鮮であり、新しいことだらけだった。
スゥは、街並みをぐるりと回りながら見渡した。
ホライズンと言う街は、汽車の窓からの景色で見るよりもずっと大きな街で、そこには様々な文化が入り混じりながらも、互いに共存し合い、活気付いた様子が伺えた。
「ここが……ホライズン」
かつて名前の無かった街。
最果てのホライズン。
「ところで――」
クロードの声に、スゥは向き直る。
「ホライズンには、何か用事が在って来たのかい?」
クロードは、列車では敢えて聞いていなかったが、忍び込んでまでホライズンに来たかった理由があるのではないかと思っていた。普通なら、悪いことする訳でもないなら、わざわざ列車に忍び込んだりなんてしない。
ましてや、こんなに幼い子供が、だ。
「いえ、私はただ……遠くへ来たかっただけなんです。こんな私でも居られる、自分を認めて貰える――そんな居場所を求めていたら、汽笛の音が聞こえて来て、それで――」
「なるほどね。それは、導かれたのかもしれないね」
「導かれた?」
スゥは、小さく傾げた。
「このホライズンと言う街はね、多くの人は外からの移民者なんだ。その理由は様々だけれど、多くは心に傷を負った者や、居場所を見出せない者なんだ」
「えっ……」
スゥは、クロードのその言葉に驚きを隠せなかった。
ここにいる人たちの多くは、自分と同じように心に傷を負った人だとクロードは言うが、もちろん多くがそうだったと言うことにも驚いたが、それ以上にこの街の活気から見ても、とてもそうだったとは思えなかったからだ。
「あの列車は、そんな人たちへ手を差し伸べる、導きのようなモノなのさ」
それだけでも、自分は一人じゃないんだ――そう思えていた。その仲間意識がホライズンと言う街の形成の一つになっていると言うことを頭でではなく、心でそれを感じ取っていた。
「ところで、行く宛てはあるのかい?」
「いいえ」
スゥは、頭を横に振る。
「それなら、家に来ないかい?」
その言葉は、スゥにとってとても嬉しい言葉だった。だけど、その優しさに容易に甘える訳にはいかなかった。むしろ、乗車券の切符のお礼をなんとかして、返さなければならないくらいだからだ。
だから、スゥはその優しさを拒んだ。
「いや、でも……これ以上、クロードさんに迷惑を掛ける訳にはいかないので」
クロードは、一つ深い溜め息を付いた。
「意外と意地っ張りと言うか、強情と言うか――」
クロードは、笑みを溢した。
「なら、これならどうだい。乗車券代を僕の店で稼いで返して欲しいんだけど」
スゥは、大きく目を見開いた。
その目には、薄ら涙を浮かべていた。
誰かに優しくされると言うことが、こんなにまでも心地良いモノなのだとスゥは知らなかったからだ。断る理由など何も無く、クロードの役に立てるのならとスゥは、首を縦に振った。
何度も、何度も。
「ほら、行くよ。スゥ」
クロードは手を差し伸べた。
それは、クロードがスゥの名前を初めて呼ぶ瞬間だった。
初めて呼ばれるスゥと言う名前は、当然まだ名前を付けたクロードにとっても、呼ばれるスゥにとっても馴染んでいるモノではなかったが、それがどこか擽ったく、どこか歯痒く――どこか温かいモノだった。
スゥは、クロードの顔を見上げ、差し出されたその手をそっと握り返した。
そして、スゥは活き活きと笑顔で返事をする。
「はいっ!」
スゥは、クロードの半歩ばかり後ろを歩いた。
クロードのその背中で小さく微笑んだのだった。
――誰が付けたのかも分からない。
――誰が呼び始めたのかも分からない。
――どんな意味があるのかさえ分からない。
――光と闇が相反する、境界線より遥か彼方にある最果ての都、ホライズン。
少女スゥの物語は――まだ、始まったばかり。
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