004
「そうだね。キミと同じようなことを考えた人がきっと居たんだろうね。いつからか分からないけれど、その街には名前が付いたんだ。誰が付けたのか分からないけれど、それでもその人がどうしてその名前を付けたのか感じ取ることは出来る。最初に名前を付けた人は、きっとこの風景を見たんじゃないかな。窓の外を見てごらん」
少女は、クロードの言葉に目を窓の外へ向ける。
「うわあ――」
少女は、声にならない声を上げた。
そこには、円錐状に街が広がっており、その下にもまた逆向きに円錐状の街が広がり、その上下に街並みが広がる奇怪な形をした街だった。しかも、その街は陸の上にある訳でなく、どう言う原理なのか空中に浮いている街だった。
上下逆さま、円錐状に広がる街の境目を中心に、境界線を引かれているかのように、空の濃淡を分け、その風景の中で圧倒的な違和感を醸しつつ、そこにあるのが当たり前のような堂々とした佇まいで、かつて名前の無かった街はそこに在った。
「誰が付けたのかも分からない。誰が呼び始めたのかも分からない。どんな意味があるのかさえ分からない。光と闇が相反する、境界線より遥か彼方にある最果ての都。人は皆、こう呼ぶのさ。最果てのホライズン――と」
「最果てのホライズン……」
少女は、小さな声でその名前を口にしていた。
それが、かつて名前の無かった街の名前。
モノの本質に気付いた、誰かが付けた名前。
そして、少女はふと気づく。
ホライズンと言う街が見えて来たと言うことは、もう直ぐこの列車が、窓から見えるあの街に到着すると言うことだ。しかし、少女はまだホライズンで使用する新しい自分の名前を決めていなかった。
少女は、迷っていた。
これから言おうと思っていることをクロードに伝えた時に、断られたらどうしよう、嫌われたらどうしよう――そんなことばかりが、頭の中を駆け巡ってしまうから。それでも少女は、そうしたかった。そうして欲しかった。
だから――少女は、それを言葉にして出して、伝えたのだ。
「あの……私の名前、クロードさんが考えてくれませんか?」
「僕が、かい?」
自分が、少女の名前を決めるなんてことを微塵にも考えていなかったクロードは、不意を打たれたように驚いた。
「はい。クロードさんも、自分で名前を付けたんじゃないんですよね? それなら、私の名前も誰かに付けて貰えたらなって。あ、でも迷惑なら良いんです。そしたら、ギリギリまで自分で考えますから……」
少女は、見て取れるほどに明らかな落胆をする。その姿を見ていてられなくなったクロードは、少々焦りを見せた。
「分かった。分かったから、そんな顔をしないでくれ」
クロードには、承諾すると言う選択肢以外、初めから無かった。この状況で、少女の名前を付けることを断れば、開きかけている少女の心を再び閉ざし兼ねず、はるばるホライズンまで行く意味さえも失ってしまう可能性があったからだ。
「本当ですかっ!?」
少女の顔を見違えるほどに、ぱあっと明るくなった。
少なくとも、少女の心を閉ざしてしまうと言う最悪の可能性は無くなった訳だが、その引き換えとでも言うべきなのか、クロードはもっと大きく、重大なことを任されてしまった気がしてならなかった。
「そうだなあ……」
そう一言漏らし、腕を組みながら考えてみるが、子供がいる訳でも無く、ペットを飼っている訳でもないクロードは、これまでの人生で何かに名前を付けると言う経験をしたことが無かった。
だからなのか、これから生きていく上で使い続けるであろう名前を自分の一存で、ましてや他人の名前なんてどう決めて良いのか、その勝手がいまいち良く分からなかった。
少女がどうしてテキトーな名前が付けられるのか――なんて怒りっぽく聞いていたが、そのテキトーすら浮かばないとなると、逆にそのテキトーで名前が付けられると言うこと自体が凄いことに思えていた。
そして、それは降って来てかのように、些細なことからだった。
「スゥ……」
その言葉を発したクロード自身が一番驚いていた。
「それが、私の名前ですか?」
「あ、いや、その……」
それは、名前のつもりで発した言葉では無かった。
葉巻でも吸いながらゆっくり考えたい――そう思った時、その吸うから何となくそれが名前と結び付き、口から発したのではなく、自然とそう溢していた名前がスゥだったと言うだけだ。
「スゥ……、スゥ……、スゥ……」
少女は、繰り返しその名前を自分の名前だと認識するように呟いていた。次第に、その名前が自分の名前だと実感して来るにつれて、その喜びが徐々に込み上げ、小さく笑みを溢していた。
今日からそれが、自分の名前なのだと。
「どうして、スゥなんですか?」
「え、えーと……」
クロードは、困った。
その名前には、まるで意味が無いのだ。葉巻を吸いたいと思ったその気持ちから、スゥと言う名前が生まれた。生まれたと言うより、少女がスゥと言う単語を自分の新しい名前だと認知してしまった。だから、それを間違いだなんて弁解する余地なんてモノは疾う無くなっていたのだ。
だから、嘘を付く気も、誤魔化すつもりも無かったクロードは、こう言った。
「テキトー……かな」
「テキトー、ですか?」
クロードは、てっきり怒られるかと思っていたが、意外にもテキトーだと聞いたスゥの表情は明るかった。むしろ、それが嬉しいかのような表情を伺わせた。もしかすると、クロードと同じように、自分の名前もテキトーに付けられたと言う、相似的や類似的な感覚に共感していたのかもしれない。
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