002
「なるほど。同族と言うことなら信頼に値しますな」
その獣耳は、男性乗客員と少女との関係を証明するのには、十分過ぎるモノだった。
「ほら、迷惑を掛けたんだから謝りなさい」
あかの他人である男性乗客員は、保護者らしい振る舞いを見せる。
「ご、ごめんなさい……」
男性乗客員のその言葉に、少女は素直に謝罪した。
「では、その子の乗車券代を頂いても構わないですかな? 一応、これも規則でしてね」
「ええ、勿論。これで、大丈夫ですね?」
男性乗客員は、老巧な車掌へ切符代金を手渡した。
「はい、確かに受け取りました。では、これが御嬢さんの乗車券だ。今度は、無くさないようにね」
老巧な車掌の手から、直接その少女へと乗車券が渡された。自分の力では決して手に届くことの無かった乗車券が、今自分の手の中にそれがある。その少女は、その乗車券を大切そうに胸に抱き寄せた。
まるで、宝物を扱うかのように。
「おっと、そうだった、そうだった。坊やだなんて言って悪かったね、御嬢さん。では、良い旅を」
そう言い一礼すると、車掌たちは職務へと戻って行った。
「さあ、これでキミはもう立派なお客さんだ。そこの席へどうぞ、御嬢さん」
男性乗客員にそう促され、言われるがままに少女は座席にちょこんと座った。話を切り出しにくそうな表情を浮かべながらも、言わなければならないことがある少女は、恐る恐る口を開いた。
「あ、あの……」
「なんだい?」
男性乗客員は、優しく聞く。
「えっと、その……ありがとうございます」
「はあ……」
そして、男性乗客員は一つ深い溜め息を付いた。
「ダメだろ、こんなことしちゃ。もし、僕のような耳介をした人が一緒じゃなかったら、きっと僕とキミが親戚だなんて嘘を信用して貰えなかったぞ。そうなると、キミは無賃乗車で逮捕されるところだったんだよ? 分かっているのかい?」
少女は、怒られ小さく下へ俯いた。
「悪いことをしたのは、分かっています。反省もしています。前に乗ろうとした時に、お金が必要だって言われて――だけど、お金なんて私持ってなくて。でも、どうしても乗りたかったから……」
「だからって、勝手に忍び込んだりしちゃダメだろ? 本当に、分かっているのかい?」
「はい……」
男性乗客員は、少女が反省している様子を見て、手をパンパンと二度三度と叩く。
「なら、この話は終わりだ」
「……え?」
少女は、素っ頓狂な顔をする。
「どうしたんだい? そんな顔をして」
「てっきり、もっと怒られるものかと」
「キミは、反省をしているのだろう?」
「だったら、もう大丈夫さ。キミはもう、悪い事はしない――だろ?」
少女は、何も言わずにこくりと頷いた。
「僕の名前はクロード。キミの名前はなんだい?」
「私の名前ですか――えっと、名前なのかは良く分からないですけど、私は博士に一一三○七番って呼ばれてました」
クロードは、言葉を詰まらせた。
「えっと……それが、キミの名前なのかい?」
「はい。博士に付けて貰った名前です」
その時、クロードは背筋がぞっとする感覚を覚えた。
少女が自分の名前だと口にするそれは、皆が普通にイメージするような人名を指すモノなんかでは無く、実験対象に対する識別番号であり、名前なんて優しいモノなんかでは無かった。
けれど、それを少女が自分の名前だと口にするのがクロードには重く、悲しく、耐えられるものでは無かった。まだ、幼い少女には、それがどういうことを意味するモノなのか分かるはずも無く、それを説明するには酷過ぎた。
だから、クロードは嘘を付いた。
世界で一番、優しい嘘を。
「これから行く街では、新しい自分の名前を考えなければいけないんだ」
「新しい名前……ですか?」
少女は、小さく傾げた。
「そう、新しい名前。新しい土地で、新しい生活を送るには、新しい自分でなければならない――と言うルールがあるんだ。だから、新しい名前を付けることで、新しい自分にならなければいけないんだ」
最もらしい嘘をクロードは並べた。
現地民が聞いたら、一発で嘘だと分かるような話だが、少なくともこの少女を騙す為だけならば、容易なことだった。
それは、少女がまだあまりに幼く、世間を知らな過ぎたからだ。
「じゃあ、クロードさんは元々クロードさんって言う名前じゃなかったんですか?」
「いや、僕の場合はあっち生まれだから、最初からクロードさ。僕の様にあっち生まれの場合は名前に関してはあまり問題ないんだけど、向こうの街では真名は誰にも聞いちゃいけないって言う大切なルールがあるんだ」
「どうしてですか?」
少女は、小さく傾げる。
「だって、これから行く街には、新しい土地に、新しい生活をしに行くんだ。それなら、元々どんな人だったのかなんて関係ないだろ? だから、真名を聞くのはいけないと言う暗黙のルールがあるのさ」
「へえ、そうなんですか」
少女は、自分がまだ知らない世界があることに、自分の知らない知識に触れられることに、心を躍らせていた。
しかし、少女には気に掛かることが一つだけあった。
それは、人間とも、動物とも相容れることの出来なかった自分が、そこに混ざって共に生活を送ることが出来るのかどうか、と言う不安だった。
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