第8話 予想通りの結末


 始まりはルドヴィカの噂話だった。

 王立魔術学院にあって、王家の血が混ざっているというだけの人物は何人かいるが、その中でもルドヴィカの存在は別格だった。

 その髪は王家の直系であることを示し、ライゼの名を与えられたミリエシーダの始祖の再来とも言われるほどの才媛。精霊に愛されていることこそ、その証左に他ならない。

 だが、その影には奇妙な噂が流れていた。


 きっかけは簡単なことだった。

 ルドヴィカの存在を王家は認めていないのだ。

 なぜそのようなことが起こり得るのか、と言った疑念に対して一つのもっともらしい説が、王位継承権を持つものが多数いることが挙げられる。それは現王の性というよりはミリエシーダ王家、ひいては貴族の性によるものだろう。直系ですら現王には三人の王子と二人の姫がいる。それに先代の子や親族を交えた傍系だけでも数多くの者が存在する。

 歴史上、血みどろの骨肉の争いが行われた例はないのだが、それでも常に穏やかな王位の継承が行われてきたという記録もない。王家にしても世襲制を敷いているわけではなく、襲名の結果としての世襲が行われているだけで、歴史を紐解けばミリエシーダの性が別の家に移ったことすらあるのだ。


 多くの人はそれを見て思ったのだろう。国王は末娘であるルドヴィカを、そのような骨肉の争いに関わらせるわけにはいかなかったのだ、と。それに、文武に優れた才を見せる兄姉がいるのだ。加え、ルドヴィカの容姿と才は英雄と祭り上げられるに相応しいモノ。現王の穏やかな治世から考えて、ルドヴィカを王位継承権に与えないのは、ある意味で最愛の娘に対する情なのだろう、と。

 自らの子を、正式に王家に連なる子であると言わないのは、そういった背景があるのだ、と人々が考えるのは、想像に難くない。


 しかし、つい最近、その裏で一つの噂が囁かれたことがある。

 十分な資格を有しているからこそ、王位継承権を与えられなかったのではなく。

 十分な資格が無かったからこそ、王位継承権を与えられなかったのではないか。


 ルドヴィカの容姿は、ミリエシーダの祖、ライゼの姿を否応にも想起させるものだ。その少女に、もし、魔術の才が無ければ人々はどう思うだろうか。

 王家の血を引く者は、魔術の才に愛される。それは多くの人に知られた事実であり、ゆえに貴族には魔術を扱える者が多い。一説には、祖であるライゼの血の濃さに依存するものではないか、とも言われているくらいだ。


 もしも、そんな中で。

 魔術王国の基礎を築いた英雄の現身のような少女が、魔術を使えないとしたら。

 それは王家において恥に他ならないだろう。


 現在の国王は多くの人間に支持される善政を敷いているが、盤石ということではない。先にも言ったが、歴史上、王家が移ったことすらあるのだ。現王家の転落を狙う者からすれば、そのような事実は、現王家に対する恰好の批判材料になり得る。一つの事実があれば、その理由などいくらでも作れるのだから。


 もし、そんな話を信じると仮定して。

 精霊に愛される魔術の申し子とも言われる少女が、その実、魔術を一切扱えなかったというのであれば。そこには何か重大な秘密があるのではないか。

 魔術の行使に人生の全てを懸けていると言っても過言ではない少年にとって、その話は輝くほどに魅力的だった。とはいえ、少年にしてもそれはあくまで噂話に過ぎないものだった。


 魔術を行使するルドヴィカを直接見なければ、少年の中でも噂話のままだった。




 炎の精霊は踊るように宙を舞いながら、目障りな少年を追い払うように腕を振るう。ただそれだけで、炎の刃が空気を切り裂きながらヴィムの元へ向かってくる。その数は多くないが、規模と速度はルドヴィカが放った火球の比ではない。

 近づくだけで肌を焼き切る灼熱の刃を、全神経を集中させて躱す。その姿が滑稽なのか、くすくすといった笑い声が聞こえてきそうなくらいに表情を滑らかに動かして、炎の精霊は少年を意のままに踊らせながら、空で共に踊るように攻撃を続ける。


「これで終わりよっ!」


 そしてルドヴィカも、火球を創り出しヴィムを狙う。数は5つしかないが、その全てがルドヴィカの意思に従って動くものだ。精霊の生み出す炎刃に合わせるように、ヴィムがこれ以上回避できない、というところを的確に狙ってくる。


「ぐぁっ!」


 精霊の顕現で魔力を多く使ったためか威力は控えめだが、それでも鉄球を投げつけられたような衝撃と着ている服と肌が焼ける感覚は慣れたものではない。一撃もらうたびにヴィムの顔が苦痛に歪む。それでも、四肢を焼き切られるよりはましだ。

 これが精霊の脅威であった。単純に数が増えることに加えて、精霊には実態がない。ルドヴィカから供給される魔力が尽きない限り、自在に動き回り相手を翻弄する。

 教科書に曰く、もし精霊を行使する魔術師と出会ったら、逃げるのが最善。


「だからって、逃げてばっかりいられるかよっ!」

「あら、それで逃げていたつもりだったの。私を楽しませるために下手な踊りを踊ってたと思ったわ。生憎、見てられないものだったけど」

「そうかよ。だったら今から目に焼き付けとくといい、ぜっ!」


 吐き捨てるように言うと、ヴィムは周りに漂う魔術を意に介さずルドヴィカの元へ一直線に走り出した。ルドヴィカの、誘い通りに。

 魔術が使えない以上、遠距離に活路はない。ならば死地とわかっていても、もう一度ルドヴィカの元へ向かわなければならない。そこを狙い澄ましてルドヴィカの火球が迫る。それを躱した瞬間に、精霊の放つ炎の刃がヴィムを殴り飛ばす予定だ。ヴィムは触れれば切断されると思っているようだが、実際には、とても痛い、くらいで済むだろう、たぶん。ルドヴィカに断言できる自信はない。

 丁寧に構築された、先ほどまでとは逆のコンビネーション。これでヴィムも限界の筈だ。ルドヴィカは来る未来を幻視し、口元を歪ませた。


 だから、目の前で起こった事実に軽く舌打ちをしてしまった。淑女としてははしたないことこの上ないが、それくらい驚いたのだ。


「なるほど、私の魔術は脅威じゃなかった、って言いたいわけね」

「あれだけ人のこといたぶってくれたからな、威力も推し量れる。だったら強行突破して、精霊の魔術を避けた方がいいだろうが」


 ヴィムが示したのは、先の言葉通り、ルドヴィカの魔術を無理矢理突破することだ。

 決して避けきれない物量に晒されるなら、ダメージを最小に抑えればよい。単純なロジックではあるが、それを瞬時に判断することは難しい。しかし、ヴィムは躊躇わず炎の景色の中に身体を捻じ込んだ。

 代償として身体に何か所か大きな火傷を負ったが、ルドヴィカを射程範囲に捉える。捨て身の一撃を打ち込むには申し分ない。

 しかし、ルドヴィカの予想に反して、ヴィムから来たのは拳ではなかった。


「ルドヴィカ、お前、魔術が使えるようになったのはいつ頃だ?」

「はぁ!? そんなこと、なんの関係があるわけ?」


 突然の質問に、驚きを隠せない。この少年には驚かされてばかりのような気がする。

 だが、何故か、この質問に答えない、という選択はできなかった。それに、知っている人間は限られているというもの、秘守されているわけでもない。ただ、学院に来る前のことということだけ。


「2年くらい前からだけど、それが?」

「何か特別なことがあったか?」

「別に何もない……わよ」


 そうだ。別に隠すようなこともない。ある日、突然魔術が使えるようなった。それは珍しいことではない。ただ、貴族であれば子どもであれば珍しいことかもしれないが。

 ルドヴィカの存在が明るみに出たのも、思い返せば学院に王族が入学する、と騒がれていた1年ほど前のこと。それまでルドヴィカという名すら、市井の間に広まっていなかったことすら覚えている者は、いったいどれほどいるのだろう。


「そう、か……」


 その返答を聞き、ヴィムは満足したように全身の力を抜くと、そのまま地面に倒れ込んだ。やせ我慢も終わりの時間だ。ルドヴィカの放つ魔術は冗談抜きできつかった。ここまで長く戦えたことも不思議だったが、とどめが先ほどの特攻だった。結局、再び近づくことはできても、それ以上は口を動かすことしかできなかった。

 それに、ルドヴィカの魔術を行使する姿を間近で眺めて多少わかったこともある。やはりかつて見たときと同じように、肌が見える箇所から薄らと紋章が浮かび上がっていた。それに気付いた者が何人いるのかは知らないが、ヴィムはそのことが確認できただけでも今回の決闘に意味があると思っている。


 ルドヴィカは気を失って倒れた少年を不思議そうな目で見つめながら、小さく呟いた。


「な、何なの、一体……」


 困惑するルドヴィカを前に、周りのノリの良い生徒が大きな声で叫んだ。


『勝者、ルドヴィカ・ライゼ・ミリエシーダ様っ!』




 その決闘を見ていたものは、周囲に集まった生徒達と教師陣だけではなかった。

 人垣から外れた、木々の影で死角になっている位置に、騎士と女中はいた。

 騎士は腰に下げた剣の柄を握っていた手を緩め、隣で手を騎士の前に出して行動を止めた同僚に聞いた。


「止めなくてよかったんすか、ミリエラさん」

「構いませんよ。どうやら、『最悪』の事態は回避されたようですから」

「そっすか。まぁ、あたしはお嬢が無事ならそれでいいっすけど」


 ミリエラが目を細めた先に、杖を構えた老人の姿が見える。あれほどの規模だ、学院長とてその脅威に気付いたはず。生徒たちに被害が出ない様に、高度な障壁の魔術詠唱でも行っていたのだろう。その姿には感服せざるを得ない。

 周囲の様子を注意深く観察しているミリエラに対し、ルドヴィカの騎士であるアリーチェは世間話でもするような気軽さで聞いた。


「ところで、そろそろ何を隠しているのかあたしにも教えてくれないっすかね、ミリエラさん。あたしの知らないお嬢の『秘密』について、とか」

「さて、アリーチェ、私には貴女が何を言っているのかわかりませんね。私はただ、あれだけの大規模な魔術を行使したお嬢様が魔力欠乏症にかからないか、心配しているだけです。どうやら、その心配は無用のものでしたが」

「ふーん、まぁ、今はそれでいいっすよ」


 アリーチェは決闘に興味を失ったように踵を返すと、ゆっくりその場を離れていく。

 ミリエラの耳に聞こえる程度の小さな声で、こう呟いて。


「でも、もしお嬢に危害を加えるなら、ミリエラさん相手でも容赦しないっすよ」




 かくして。

 水面下で多くの者達の思惑が交差する中。

 少年と少女の初めての決闘は、少女の白星で決着したのだった。

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