第7話 少女の天稟


 鈍い衝撃音が、訓練場に響いた。

 ルドヴィカは両腕を交差させ、上空から落ちてくるヴィムの拳を受け止めた。瞬間、展開されるブレスレットの障壁魔術。その魔術の壁をじわじわと削り取るように、ヴィムの拳が少しずつ侵略していく。

 ぴしり、と小さな音が響いた。ブレスレットに罅が入った音だ。このまま障壁を展開し続けるのはまずい。しかし両腕がふさがっている。ならば、どうする?


「こうするしか、ないでしょっ!」


 一瞬の出来事だった。障壁魔術を無理やり解除する。バチリッ、電流が走ったような衝撃に、ヴィムとルドヴィカが弾かれたように距離が開く。しかし、それもほんの少しのこと。重力の加速に乗ったヴィムは、そのまま落下してルドヴィカを狙い撃つ。

 そうしてルドヴィカの身体を視界にとらえたヴィムは、左腕をまげて衝撃に備えた。


「ちょっ……今の、見ました?」

「ああ、この眼でばっちりと、な」


 ナターシャは目の前で起きた光景が信じられない、と言う風に隣にいた仲間たちに声を掛けると、ルドガーははっきりと答えた。


「ズバリ、赤だったな」

「いったい何を見ていたんだルドガー……」

「しょうがねぇだろ、見えちまったもんはよぉ!」

「これ、あとでルドヴィカ様に伝えたら不敬罪で処罰できませんかねこの馬鹿」


 ルドガーの答えに周囲にいた者は呆れた。


「驚いた。ルドヴィカ様も、あんなことするんだね」

「僕もアイネさんと同意見です。まぁ確かに、あれほど卓越した魔術があれば不要だと思いますからね」


 そんな空気に流されず、先ほどの戦闘をはっきりと見ていたアイネは、自分の見たものが信じられない、と言いたげだ。というよりも、常のルドヴィカを知るものならば、特に同じく演習をしていたものはみな驚いたはずだ。


 飛ばされたヴィムは、口の中にたまった少量の血だまりを地面に吐き捨てて、ルドヴィカに不敵な視線を向けて言った。


「随分とまぁ、足癖が悪いじゃねぇかよ。それとも、それくらいはお転婆で済ませられるってわけか」

「ふん、好きに言いなさい。これも自衛のためよ」


 飛び込んできたヴィムを迎撃したのは、ルドヴィカのハイキックだった。ヴィムの拳を躱すために捻った身体をそのまま利用して、回転蹴りを放ったのだ。その動きはヴィムも感心するくらいだった。先の攻撃と変わらず教科書通りの攻撃だったが、それをこの時に放てるのはルドヴィカの鍛錬によるものだろう。

 しかし、ルドヴィカ側からすれば、先の一撃はたまたま上手くいったようなものだ。障壁魔術、そして魔術を無理やり解除してそのエネルギーに指向性を持たせて破裂させて、ヴィムの速度を十分に落としたからこそ間に合っただけだ。加えて、罅の入ったブレスレットでは、次の攻撃を防げるかどうかも怪しい。

 それで相手が警戒してくれるならもうけものだが、あのヴィムの眼を見る限りそれはないだろう。さらに言うなら、ヴィムの戦い方は妙にいやらしい。こちらの狙いを見切ったかのように動いているのか、明らかな誘いには乗ってこない。しかし、一度でも隙を見せたら怒涛の勢いで攻勢に映るのだ。


「それほどの実力はありながら、あんなことをするなんて全く意味が分からないけど、いいわ。ヴィム・ストリンガー、貴方の実力、認めてあげましょう」

「お前に認められるまでもなく、俺にはこれくらいの実力はあるっての。んで、それでその褒美として、前の件は許してくれるとでも?」

「は、まさかっ」


 ルドヴィカは鼻で笑った。内心を言えば、頭が沸騰しそうなくらいに激怒していたのだが、こいつが学院長の言うとおり、無償の奉仕活動にしっかりと従事することと今後あのようなことを絶対にしないと誓い、かつルドヴィカを敬い忠誠を示すことを決めるならば、まぁ許してやらんでもない、くらいには落ち着いていた。

 だが、その心境をここで口にするわけにもいかない。なにより、よくわからないけど何かに負けたような気がして、無性に腹立たしいのだ。


「貴方の実力に敬意を払いましょう。決闘と言っていながら、全力を尽くしていなかったことだけは、詫びるわ」

「……はぁ」


 ルドヴィカの言葉によくわかっていない風にヴィムは答える。まぁそうだろう。周りにいた生徒達も似たような反応をしている。

 だって、これを見せたことは、学院内では一度もないのだから。


 魔術を扱えるようになった時から共にいる相棒を顕現するため、ルドヴィカは杖を構えて小さな唇を震わせる。


「あれ、なんか……熱くなってね? 気のせい?」

「ルドヴィカ様の魔術の影響……だろうけど、それだけじゃないような」


 周囲はだんだんと空気の変化に気付き始めているが、誰よりも早く気付いたヴィムはその危険性を一瞬で理解し、ルドヴィカの元へ最短距離を突っ走る。その行動はルドヴィカに読まれていた。


『炎の壁よ 周囲に広がれ』


 先ほど放った魔術であるフレイムウォールを、今度は自身の周囲に展開する。瞬時に湧き上がる炎の柱はルドヴィカを完全に覆い隠し、中の様子は一切見えない。こうなってしまっては、ヴィムでは手出しすることはできない。


『汝 炎の子 灯る火と 魔力をあげる 汝 可愛い子 貴方の炎 見せてあげて』


 燃え上がる轟音に紛れて、ルドヴィカの口から精霊語が語られる。ヴィムは聞こえてきた言葉の意味を思い出すのに一瞬硬直し、嘘だろ、と小さく溢した。

 ルドヴィカが放ったフレイムウォールが、ゆっくりと解かれる。その炎は空に昇ったかと思うと、中空の一点で集まり徐々にある人形を創り出す。


 現れたのは少女のような姿だった。チロチロと燃え盛る髪と肌は、その身体が実体を持たないことを伝えているが、炎で彩られた表情は、どこか無邪気な悪戯っぽさが浮かんでいる。身体が描くラインはなだらかで、炎で作られた布地にあたる部分が妙に小さい、砂漠の踊り子のような服が見える。

 ヴィムはそれを実際に見たことはなかった。いいや、そもそも見たことがある人間の方が稀だ。それがそばにいるということが、その人物がどれほど魔術というものに愛されているのかを示すものなのだから。


「炎の精霊、サラマンデル……」

「学だけは妙にあるわね。なら、この子がいるということの意味がわからない貴方でもないでしょ。どう、今降参するなら、私も鬼じゃないし、それなりの処罰で許すわよ」


 自らの才能の顕現であり、切り札でもある精霊の顕現。そもそも魔術自体が才能の如何による部分が大きい技術であるが、精霊に好かれるかどうかはそれ以上の天稟がなければならない。

 それを見た魔術師は、立ちはだかる壁の大きさを実感していた。


「なるほど、まさに“火の寵姫”ですね……これは、もう、言葉がないです」

「いやー、ルドヴィカ様はすごいなぁとは思ってましたけど、これは次元が違います。というか、同級生にこんな人がいるんですね」

「……ヴィム君」

「ん、なんだよ。あれがそんなにすごいのか?」


 ルドヴィカの見せた才に畏怖し、敬愛し、相対する少年を心配する声をよそに、本格的に魔術を扱えるわけではない少年は、いまいちその力を実感できない。

 スウェイは、なるべくわかりやすい表現を使ってルドガーに説明する。


「ええと、その、まぁわかりやすく言うと、ルドヴィカ様は始祖かあるいは神話の英雄と同じくらい凄いお方ということだよ」

「マジかよ。それ、ヴィムのやつヤバいんじゃねぇの?」

「あの野郎に限らず、この学院の誰が相手でもヤバいですよ。実技の先生でも敵うかどうか」


 それを見ている生徒の大半は、同じような反応を示している。もはやこれまでだ。ここからは魔術が使えなければ、いいや、魔術が使えたところでどうしようもない。それに、ある意味ではヴィムはルドヴィカにここまでやらせたのだ。それほどの実力がある者が、奢らずサボらず自省して、きっちりと奉仕活動に励む姿を見せれば、先の事件の印象はだいぶ変わるだろう。

 この場にいたほとんどの人間はそう考えたはずだ。

 当人の意思とは、まったく別のことを。


「それが、お前の才能かよ。正直、羨ましい」


 感情を押し殺したような声が聞こえた。ヴィムは俯いているため、ルドヴィカからはその表情を見ることはできない。だが、推測することくらいはできる。大方、茫然自失としているか自分に対して尊敬を隠せないのだろう。それくらいは仕方ないことだ。精霊に愛されるということは、それほどまでに素晴らしいことなのだ。

 だからルドヴィカは、顔を上げたヴィムの表情を見て、凍りついた。


「その欠片でも俺にあれば、よかったんだよ……っ!」


 ヴィムの瞳に宿っていたのは憎悪。それは精霊の寵愛を一身に受けるルドヴィカに向けられていた。いいや、思い返せば今までも悪感情は向けられていたが、それは嫉妬か怠惰に似たものだと思っていた。だから、その瞳の奥に隠された感情の源泉を読み違えていた。

 叶うことのない憧憬は、容易に嫌悪となることを、ルドヴィカは知らなかった。

 それでも、ルドヴィカにだって許せないことはある。


「才能? 才能ですって? ええ、確かに私は恵まれているわ。始祖の、王家の血筋を引いて、精霊にも愛されて、魔術だって扱える。人は天稟とも呼ぶわ。けれど、それは私の努力を否定するものじゃないっ! 才能だけでここまで来れるものかっ!」


 才があるのは認めよう。けれど、与えられた天稟を、ルドヴィカは弛まぬ努力で磨いてきたのだ。第一、本当にルドヴィカに才能があったのならば、あんなことは……必死に魔術を扱うための基礎を学ぶことはなかったのだ。

 実のところ。ルドヴィカにはヴィムの気持ちが少し、ほんの少しだけど理解できる。魔術を扱える才が欲しいと思ったのは、ヴィムだけじゃない。いいや、貴族を含めてすら多くの人が思っていることだろう。


 問題は、そこからどうするのか。才が欲しいと嘆くことばかりに集中する者、才があれば好きなようにできると楽観視する者、才がないからと自分に言い訳する者。魔術学院の中ですら、そう言った人達を見て来たのだ。

 その中で、ルドヴィカは必死に努力してきた。そのことをルドヴィカは誇っている。

 だからこそ、解るのだ。ヴィムがどれほどの努力をしてきたのか。

 だからこそ、怒るのだ。ヴィムがこのことを才能と一蹴するのを。


 ルドヴィカの前にいるのは、ヴィムという少年であると同時に、過去の自分の姿でもあるのだ。だから、なのだろう。負けられないと思うのは。負けてはならないと思ってしまうのは。


「貴方だって、それは同じのはずっ! 才能に恵まれなかった、それがどうしたっていうのよ。それは決して努力を否定する言葉じゃない。才能に恵まれた、だからなんだっていうのよ。それは決して、努力を否定する言葉じゃないでしょうっ!」

「お前は何にもわかってねぇからそう言えるだけだろ。俺にとってその才能の有無が、人生でどれだけの重要なのか、お前は知らないだろうがっ!」


 その言葉がすれ違っていることに気が付けたのは、冷静にその場を見ていることができた生徒達だけだ。

 ルドヴィカは才能と言う言葉で努力を否定されたと思っているが、ヴィムの言葉にそのような意図は全くない。そして、ヴィムは才能などどうでもいいと言われたことに対して怒っているが、ルドヴィカの発言の意図からは外れている。

 互いに思い浮かべていることはあらぬ方向を向いているのに、ぶつかり合うところは正面だというのが、この決闘の不格好な出来に関わってきている。


「ええ知らないわ! 私は貴方のことなんて、これっぽっちも知らないんだから!」

「俺だってお前のことなんか、そんなに詳しく知ってるわけがねぇだろ!」


 炎の精霊を携えて、向かってくる無礼者に杖を構えるルドヴィカ。

 全身に力を込めて、突っ立っているお嬢様に拳を向けるヴィム。


 少年と少女の、思い出すのも恥ずかしい最初の激突の幕は、もうじき下がる。

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